第87話「ありがとう」

 納得したらしい人々をどうにか言いくるめて退出させ、部屋には五人だけになる。窓を全て閉めて音漏れのないのを確認すると、アマテラスが口を開いた。

「あと数日でここを立ち去ることになるでしょう。次にどこへ向かうのか、具体的に決めなければ」

「そうだねー。死屍子もやっと出てきたわけだから、ウチも本格的な観測に移れるよ。センセーの家からハルに持ってきてもらった道具もあるからねー」

 マチネがトートバッグから何やら細々としたものを取り出し、そこから伸びたケーブルをノートパソコンへ差し込む。

「あの霧から推定される死屍子のエネルギー量は文献や元・特異点に残留する数値より圧倒的に低いんだよねー。このことからまだ死屍子は手を抜いていたか、まだ本領を出しきれてない可能性が高い」

「力が弱いうちに倒せればいいね」

「ハルちんはあの霧の流出した場所の近くで戦闘したんでしょ。何か特別な変化とかあったー?」

 ぼうっとしていたハルは翠に揺すられ、気がついたように顔を上げる。またすぐに視線を落とすと、小さな声で話し始めた。

「あの霧からはほとんど、妖怪の力は感じなかった。初めはあれが死屍子のものだと気づかないくらい。特に身体にも変化はなかったし、見かけ倒しだった」

「そっか。他に何か気づいたことは?」

 あかりの話が頭をよぎる。母に会ったとアマテラスに話したらどんな反応をするだろうか。まんまと装飾具を取り返されたと言ったら、今以上に呆れられる未来が見えた。

「……誠の意思が身体に入り込んで、動けなかった」

「どういうことデス?」

「戦った相手が教授の昔馴染みで、トドメ刺そうとしたら身体が動かなくて。そのまま逃げられた」

「情けない」

 ぴくと耳が動く。ハルが青ざめた顔でアマテラスを見やると、これみよがしにため息をつかれた。厳しい視線に耐えきれなくなり、唸り声のようなものをあげてハルが呟く。

「アンタどれだけ傲慢なんだ」

「何ですって」

「妖怪だからって蔑んで、いいように使っていいわけじゃないだろ。ずっと命を賭けてアマテラス様やひかりを守ろうと戦ってきた。それがこんなに報われないなんて思わせないでくれよ……私、虚しさでどうにかなりそうだ……」

 あの時、母の申し出を断ったのを後悔した。いづれ消えてしまう人でも、いっときの愛情をくれるならそれが楽だった。先の見えない死屍子封じの旅で心を削ることにもう耐えられなかった。

「私を認めてよ、ただ一言くれるだけでいいから。それとも、妖怪じゃそれもおこがましいって笑うのか」

「わたしは」

「心の底からじゃなくていい。その姿で、囁いて、私を騙してくれ」

 病的な眼差しは宙を漂い、ふと淀んだと思えばまぶたが落ちた。ぐらりと傾いた身体をジャスが抱きとめて黒髪を撫でる。呪文を囁いていた彼の唇がふうと息を吐き出した。

「激しい戦闘の後に三日何も食べずにいたのデスから、発狂するのも無理はないカト。ついホンネが漏れてしまったんでショウね」

「でもさぁ、やっぱこき使っといてその言い方はないよね。謝りなよアマテラス」

「仮にもあなた達の祖先神ですよ、もう少し敬意を払いなさい無礼者。……まったく」

 キュッと手を取り、少しの間視界を泳がせる。そうしてやや頬を赤らめて、不貞腐れたような顔をして口を開いた。

「ハル──」

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