第82話「お前」

 糸を追いかけて歩くが、少年には見えていないようで首を傾げている。どうにかまこうにも、こう人が多いのでは無闇に走るわけにはいかない。アマテラスに説得してもらうのが一番だろう。糸を指先でゆるく持ち上げる。その瞬間にぴぃんと張ったと思えば、半ば引きずられるように身体が動いた。

「お呼ばれか」

「そんなに走ったら落ちるよー!」

 枝が軋み葉を散らすが構わず走る。やがて幹に取りつけられた扉が見え、そこに激突しそうになって慌てて押し開ける。中はどこまでも続く螺旋階段と、数えきれないほどの部屋や窓があった。そこを行き来する人間の上等な服装や言動から見て、裕福層の居住区らしい。少年がはたと足を止め、駆け上がるハルを見送った。

「何してるんだ、来ないのか」

「お前、ここの奴らと仲間なの? なぁんだつまんない、幻滅した」

「いいから、ほらッ。私の仲間は人間じゃないから、多分住んでるわけじゃないんだ。でもこの先にいる」

「……もしかして」

 少年が意を決したようについてきて、ハルの隣に食いつく。どこまでも上に引っ張られ、永遠に階段なのではないかと本気で思った。少しでも足をゆるめると金属の首輪が食い込み痛む。二人でひと息に駆け上がっていった。

「最上階に向かってるんだよね、これ」

「知らない。私はリードに引きずられてるだけだ」

「でも妖怪がアマテラスに何の用事? あそこは確か今──」

 パッと視界がひらけ、喧騒の中に飛び込んだ。途端に大勢の人間の匂いが鼻をかすめる。ぐっと濃いそれに顔をしかめながら、ようやく糸の引きが弱まったのにホッとした。そうして顔を上げた先に、アマテラスの姿を見る。

「アマテラス様!」

「我らの救いの女神様だ」

「ありがてえ……。ありがてえ……!」

 口々に叫んでいる人間に向け、華やいだ笑顔を見せていた。服は赤白の仰々しい着物に変わり、髪飾りまで拵えてある。いつもは少し幼げな顔が目元の紅で引き締まっていて、小柄なはずの彼女はやけに大きく見えた。

「なんだ、あれは」

「アマテラスが暴走した戦車を止めたのを、流石はカミサマだーって、この通りだよ。ほんっと人間つまんなーい」

「何かに縋ってなきゃ、きつい時だってあるんじゃないか。誰だって」

「ぼくは自分の力で生きていける。妖怪に怯えるだけで何もしない大人とは違うもん」

「じゃあ大体の奴らは、に言い換えておくよ」

「ふーん。お前結構、もの分かりいいんだね。他の奴なんていつも、子供が妖怪相手に生きていられるわけないって頭ごなしに叱るのに」

「気になってたんだけどさ」

 ハルが少年を見下ろした。

「初め会った時のお姉さん呼びじゃなくて、なんでお前って呼ぶようになったんだ?」

「だって妖怪の姿見たら、お姉さんって感じしないし、ぼくより頭悪そうだし。お前の方がしっくりしたんだよ」

「ああ、そう」

 ハルは深くため息をつき、アマテラスに目を向ける。首輪を引いているのはきっと、人に囲まれて混乱している意識の奥のひかりだろうと思った。

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