第69話「信仰と不信」
「く、そぉ……」
二人が視線を下に向け、息も絶え絶えになっている男鬼のそばにハルがしゃがみ込む。アマテラスがふいと顔を背けて歩き出そうとしたのに声をかけ、前髪をかき上げた。
「腹が減った」
「……好きになさい」
「ひいッ、何をする気だ! やめろ、やめ……ゔぐッ」
「よかったな、今回はアマテラス様にむざむざ殺されなくって。はは……静かにしなよ、いい子だから」
強く口元を押さえつけられた男鬼の目に涙が浮かび、ハルは剃刀のような瞳孔をきゅうと細めた。アマテラスはその間、戦車が動きを止めたのを悟った何人かの人間が戻ってきたのを眺めている。瞬く間に頭の皮だけを残して男鬼は消え去った。
「戦車が地面に埋もれている……あ、あんたらがやったのか」
「軍の敵ってことは、もしかして妖怪か……?」
ハルが口元の血を拭って立ち上がったのと、人間の一人が声をかけたのがほぼ同時だった。ひやりとしたがどうやら、ハルのことを本当に妖怪とは思っていないらしかった。
「わたしは天照大御神。あれは妖怪に操られ知性と理性を失っていましたので、退治をしたのです。わたしは妖怪ではありません」
「本当か? 妖怪が化けているわけじゃないよな」
アマテラスがいくつもの小さな光の玉を手から出して目の前に浮かべる。人々は感嘆の声をあげて、地面へ平伏した。凛とした横顔はあかりを思い出させ、ハルはうつむいた。
「アマテラス様。我々をお助けください!」
「死屍子はわたしが、必ず」
「ありがとうございます……! 悪事ばかり働く憎き妖怪どもをどうか、どうか滅ぼしてください」
「ええ。もちろん」
人の良さげな笑みで受け答えをするアマテラスに、思わず掴みかかってやりたい衝動に駆られた。自分は一体なんのために命を尽くしているのかと問いたかった。右腕の痛みが明確になってくる、神経の修復は進んでいるらしい。拳を握ると血が再びあふれた。
「あんた、怪我してるのか。すぐに手当しよう」
「……ありがとう」
素直に右腕を差し出すと女性が寄ってきて、手にした救急箱を漁る。蒸留水でまとわりついた塵を洗い流され、消毒液を振りかけられた。まともに手当てされたのが初めてのことで、ハルはその手順を心底面倒だなと思った。ガーゼを当て包帯で縛られると、醜かった傷口はただの真っ白な布の塊になる。
「傷痕は残るでしょうね、かわいそうに……。あなたは逃げ遅れたの?」
「いや、アマテラス様の手下だ」
「じゃあ国史で習ったあれなのかしら。ええっと……天明の子、とかいう」
「それとはまた違う」
「あら、そうなの。まあ何にせよ、誇らしい話ね。神様にお仕えできるんだもの、頑張ってちょうだいね」
ぐっと眉間に力が入る。傷が痛んだのだと勘違いした女性に慰められ、さらに惨めな気持ちになった。死屍子退治に協力するという名のもとでしか、ハルはひかりの隣には立てないのだと強く実感した。
「アマテラス様」
「なんでしょう」
長い髪がさらりと揺れ、こちらを向く。ハルは叫び出したい気持ちを抑え込んで静かに告げた。
「まだ残党がいないか、確認してくる。その強さなら大丈夫だろう、何かあればすぐ駆けつける」
「分かりました」
とにかく今は、気持ちの整理をしなくてはならなかった。
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