第86話:水没迷宮

(あの方向は……?)

 ゼウスが上空に出現した巨大な魔法陣の下を見ると、そこには迷宮から海を挟んで見える島があった。その昔、フェリクスがラウラを助ける為に迷宮へ入ったもう一つの入り口がある島だ。

(まずいな)

 何が起こるかは理解していなかったが、何か良くない事が起こりそうなのは理解できたので、ゼウスは水晶を通してラウラに話しかける。

 しかし、仮眠に入っていたラウラには、ゼウスの声が聞こえていなかった。


「oh……」


 仕方なく迷宮に入って降りようとしたその時、魔法陣に変化が表れ始めた。


「おいおい、あれはマジでやばい」


 島から浮き上がった土や石が魔法陣に吸い寄せられ、一つの巨大な塊になり始めている。あれがそのまま落ちれば地下深くにある迷宮とはいえ、無事では済まないだろう。

 事態の深刻さを再確認したゼウスは、全力で迷宮へと戻っていった。




「皆さん、もう少しの間、頑張ってくださいねー」


 背後に三十人ばかりを従えたクラレンスは、海岸から先に見える島に向け両手を掲げながら緊張感のない声で激励していた。


「クラレンス様、既に魔力が尽きた数名が気を失っております!」

「おやおや、急場しのぎとはいえ、質が思ったよりも低かったようですね。その分、あなた達が頑張ってください」

「は、はひぃ」


 青白い顔で魔力を供給しながら、報告した男は悲鳴のような返事を呟くが、数瞬後には地面に倒れ伏していた。


「うーむ……、これでは当初の予定通りに行きそうにありませんねぇ。おや?」


 既に半数以上が倒れている現状に、魔力供給が圧倒的に不足した魔法陣がその形を崩し始める。

 そして、制御を失った巨大な塊は地上へ向けて落下を始めていた。


「仕方ないですねぇ」


 クラレンスは残った魔力を使って、落石の軌道修正を試みる。


「はぁっ!」


 集めた魔力を掲げた両手に集中させ、左へと振り下ろす。僅かに進路が変わった塊は、その圧倒的な質量をもって、ある一点に向け突き進んだ。


「ふむ、結果的には問題なし。ですかな」


 クラレンスの視線の先には、巨大な石の塊が島の地表へ激突し、土砂と水を巻き上げている光景が映っていた。


「皆さん、迷宮の入り口へ移動して彼らが出て来るのを――」


 クラレンスが振り返ると、背後にいた術師達は一人残らず地面に突っ伏しており、話を聞いている者は居そうになかった。


「情けないですねぇ」


 呆れる様に呟くと、クラレンスは手近な馬に飛び乗る。


「今度、私の学園に入学する事をお勧めしますよ。この時代には在りませんけどね」


 誰にともなく言うと、馬の腹を蹴り、一人迷宮へ向け駆け出した。




「え? もうかよ!」


 予想より早く始まった轟音と揺れに、ゼウスは焦りを増しながら、ラウラが寝ている部屋へ飛び込む。


「あばばば何ですか、これ」

「取り合えず皆を集めて来るから、ラウラちゃんは島側の通路を遮断しておいて!」


 ベッドと共にガタガタと揺れていたラウラに指示を出すと、ゼウスは各部屋へ向かおうと部屋の外へ駆け出す。しかし、既に異変を感じたフェリクス達は、ラウラの部屋へと集まって来ていた。


「何、これ?」

「敵襲か、にしては大仰だが」

「ずっと揺れてて、気持ち悪い……」


 不安を紛らわせる為か、各々口にしながら部屋へと入って来る。全員の無事を確認すると、ゼウスは外で見た魔法陣と何者かに攻撃されている事、このままでは迷宮自体が危険だと言う事を皆に伝えた。


「迷宮に籠って防ぐことは出来ないの?」

「さっきも言ったように、迷宮自体が潰されるかもしれん」

「じゃあ、外に逃げるしかないって事?」

「ああ。待ち伏せされているかも知れんから、先頭はフルメヴァーラさんに頼みたい」

「心得た」

「ゼウスはどうするの?」


 戦いがあるならゼウスが先頭を受け持つと思っていたステファニーは、不思議そうに尋ねる。


「それはこうする為だ」

「ひゃっ」

 ゼウスはお腹の大きくなったステファニーの横に立つと、両手で救い上げる様に抱きかかえる。そして皆に外へ避難するよう指示した。


「フェリクス、お前もエステルちゃんを抱えるんだ」

「え? エステルは何処も悪くないよ?」

「五月蠅い! それが旦那の仕事だ!」


 迷宮内に響く轟音が徐々に近づいている事に残り時間が少ないと感じたゼウスは、適当な理由でフェリクスに運ばせる。

 フルメヴァーラが先行して気配を察知している間、ワルキューレを殿として一行は出口まで一直線に変形させた通路を全力で走っていく。やがて、全員が上りきると、最後にラウラが通路を変形させ、出口を塞いだ。


「誰か待ち伏せしてそう?」

「いや、周囲にそれらしい者は居ない。が、一人馬に乗った男がこちらに近づいてきている様だ。あれは、いつぞやのチョビ髭のおっさんだな」


 ゼウスの問いかけに、フルメヴァーラは放っている使い魔の視界をリンクさせ、近づくクラレンスの姿を捕らえる。


「面倒な事になりそうだから、すぐここを離れよう」

「何処に行くんです?」

「んー……取り合えず、エルフの森に行こう」

「あそこか」


 ゼウスの提案に、フルメヴァーラが渋い顔になる。

 どうやら、歴史が変わった時にダークエルフのいない森に戻っていて、森を追い出されたらしい。

 しかし、ゼウスが見てきた森の事を伝えると、驚愕の表情に変わった。


「そんな事が……」

「だから、いつかは奴隷になったエルフ達を解放して、森を元に戻したいと思ってる。勿論ダークエルフの人達も一緒に住める森にね」

「ゼウス……、分かった、行こう」

「有難う。それにラウラちゃんに新しいお家を作ってあげないといけないからね」

「?」


 フルメヴァーラに礼を言うと、ゼウスはラウラに向けて新居の話をするが、ラウラは何の事かまだ分かっていなかった。

 他に反対する者もいないので、一同はクラレンスが来る前にエルフの森に向け出発を始める。


「しかし、徒歩は辛いね」

「前方に馬車が走っているが、あれを拝借するか?」


 使い魔を先行させ様子を見ていたフルメヴァーラが、ゼウスに報告してきた。


「追いつけそう?」

「そう急いでない様だ。私なら追いつけるぞ」

「丁度良いね。足に拝借しよう」


 そう言うと二人は先行して馬車に強襲をかける。

 数十分後には、馬車に乗ったゼウス一行と、それを呆然と見送る自称勇者一行の姿があった。




「ふむ。手ぶらで帰ったら、怒られるだけでは済みませんかねぇ」


 入り口が塞がれた迷宮の入り口に立つと、クラレンスは髭を扱きながら思案する。

(もう一つの指令ぐらいは全うしますか)

 ゼウス達の追走を早々に諦めると、馬首を巡らせ南へ向けて走り始めた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る