三章
第85話:悪魔ゼウス
「人々を恐怖に陥れる悪の魔王め! 大人しく出て来て我が剣の錆となるがいい!」
「また来てますよ、自称勇者様ご一行が」
水晶に映る戦士や魔術師の格好をした一行を見ながら、ラウラがうんざりした目でゼウスに振り返る。
「ごめんね、ラウラちゃん。赤ちゃん生まれたら新居探すから、それまで我慢してねぇ」
申し訳なさそうに答えるゼウス。自称勇者達を追い払う為、仕方なさそうに剣を持って立ち上がると、水晶から再び叫び声が聞こえてきた。
「居るのは分かっているんだ! 『冥王ラウラ』!」
「……大丈夫です。私も狙われてますから」
うんざりした目は変わる事無く、ラウラは再び水晶に視線を戻す。
ここ数日、やたらとこの手の輩が現れる様になった。原因はコルネリウスなのだが、その告知内容が、
『破壊の魔王フルメヴァーラ、悪魔ゼウス、冥王ラウラが手を組んでサンストーム城を滅ぼし、悪逆の限りを尽くしている。もしこの卑劣な輩に正義の鉄槌を下す勇者があれば、望みの褒賞を与えるものとする』
と言うもので、ゼウス達はすっかり悪の神の手先として認識されてしまっていた。
それ以来、時間を問わず現れる輩の対応で、ラウラは寝不足気味に、ゼウスはそれを追い払う役割で疲れ果てていた。
「それではちょっと、行ってきます」
「お気をつけてー」
項垂れながら部屋を後にするゼウスを、眠気眼を擦りながら手を振って送り出すラウラ。
扉が閉まると、これで暫くは訪問者も来ないだろうと、仮眠に入った。
「現れたな、貴様は……」
「ゼウスです」
迷宮から出てきたゼウスに勇者一行が気付くと、周囲を取り囲むように駆けて来る。
「悪魔ゼウス! 魔神の手先め!」
「悪魔とか人聞きの悪い」
「黙れ! 貴様の所為で多くの民が苦しんでいるんだ。俺が今日ここで貴様を倒して、この世界に平和を取り戻す!」
「前口上は良いから、倒す気あるなら、迷宮に入って来てくれない? こっちも生活があるんで」
面倒くさそうに答えるゼウス。迷宮に入ってくれれば、わざわざ撃退に出る必要もなく、迷宮のトラップが自動で駆除してくれるのだ。
「そんな安い挑発には乗らねぇぜ!」
先頭でゼウスを指さしながら声を張り上げている男に、ゼウスは何処か見覚えがあった。
「あぁ、この前散々迷宮でトラップにかかってた奴か。そりゃ入りたがらないわな」
「黙れ、この卑怯者! 勇者が正々堂々と戦いに来たのに、相手もしない軟弱悪魔にどうこう言われる筋合いなんか無い!」
先日の屈辱を思い出したのか、顔を真っ赤にしながら自称勇者が言い訳を並べ始める。
「しかし、懲りん奴だな」
「勇者はいくら敗れようと、引く事は無い!」
「死んだらどうすんの?」
「勇者は神の加護により何度でも蘇る!」
「ほんと?」
ゼウスが後ろにいる僧侶っぽい女性に問いかける。
「……時と場合によります」
微妙に濁して責任を回避する模範的な回答だった。が、目を合わせない所を見ると、その時と場合もかなり限定されるのだろう。
「え、そうなの?」
「……はい」
知らなかったのか、一瞬真顔になった勇者は、振り返って女僧侶に確認していた。何やら『聞いてない』とか、『話が違う』とか聞こえてくる。大方どこぞの国で煽てられて、体のいい魔物退治でもさせられていたのだろう。異世界に来たばかりの頃は自分も大差なかったと、ゼウスは昔を振り返り苦々しい顔になる。
「もう帰っていいか?」
しばしの間話し合っていた勇者一行は、ゼウスの声に振り返ると、勇者を名乗る男が進み出て来て再び威勢よく声を張り上げた。
「言った筈だ、勇者は引く事は無いとな!」
「じゃあ、早く来いよ」
早く帰って寝たいゼウスは、手を上げてクイクイっと招き寄せる。
「言われなくともこの世から消してやる、いくぜ!」
自称勇者は背中に背負っていた剣を抜き放つと、両手で構え呪文らしきものを唱え始めた。
『我を守護する光の神エイオースの名において、悪しき魔を打ち砕く力を与え賜え!』
呪文の詠唱が終わると共に、勇者の剣が眩い光を放ち始める。
「うおっ、眩しっ!」
明らかに演出過剰な光に目を覆うゼウス。その隙をついて勇者が上段から切りかかってきた。
「くらえ! シャイニング・スラッシュ!」
ゼウスに打ち込んだ一撃は轟音と共に煙を巻き上げ、辺り一帯に衝撃をまき散らしていく。打ち込みと共に後方へ飛び退いた勇者は、剣を背中に仕舞い余韻に浸っていた。
「流石ユウヤ、凄いわ!」
「やっぱりユウヤが伝説の勇者だったのね!」
「……取り合えず死ななくて良かったです」
一人だけ冷静な女僧侶を除いて、取り巻きの女たちが自称勇者のユウヤをはやし立てる。
「フッ、勇者が悪魔に負ける事は無――」
調子に乗って振り返るユウヤの視界に、三人の女性とは別にその後ろに立っているゼウスが入ってきて、首の動きと言葉が止まった。
完全に倒したと思っていた相手が目の前にいたのだ。受け止められた感触も、躱す素振りも見えなかったユウヤは、この事態を暫く理解できず、ただ口を開けて固まっていた。
「静かにしろよ、奥さんがお昼寝から起きちまうだろ」
「ひっ!」
ゼウスの声に現実へと引き戻されると、短い悲鳴を上げながら後退るユウヤ。申し訳程度に剣を構えて見せるが、圧倒的な力量の差に、もはや戦意などと言うものは何処かに置き忘れて来ていたかの様だった。
「きゃぁ!」
「いやぁ!」
「……わー」
遅れてそれぞれ悲鳴(一部違うような気もする)を上げながらユウヤの元へ駆け出す女性陣を見て、ゼウスは呆れたような表情でユウヤに語り掛ける。
「おいおい、勇者ならせめて手の届く範囲の仲間くらい守ってやれよ」
図星を突かれたユウヤは、またも顔を真っ赤にして見苦しい言い訳を始めた。
「ば、馬鹿を言うな! 俺は世界を救うために選ばれた勇者だぞ。俺が死んだらこの世界は終わるんだ! そんな些細な事の為に命を危険に晒す訳にいくか!」
「へ? さっき死んでも神の加護で何度でも蘇るって言ってたじゃないか」
「確実性が無い事に命を懸けられるか!」
「うわー……」
「うわー……」
先程までの勢いは何処へやら、完全にチキンと化した自称勇者に、ゼウスのみならず取り巻きの女達までもがドン引きしていた。
「くっ! 今日のところ勝負を預けておいてやる。次に会った時がお前の最後だと思え!」
僅かに震える指をゼウスに突き付けながら声を上げると、ユウヤは真っ先に走り始める。チキンではあるが、逆に言えば己のとの技量差を認める事が出来、恥も外聞もなく最善の選択肢を選ぶ潔さに、ゼウスは感心していた。仲間を放っておくのはどうかと思うが。
「そうだな、次が無い事を祈るよ。お前の為にもな」
ゼウスは走り去るユウヤの背中に向け、殺気をたっぷり込めて声をかける。瞬間ユウヤの動きが止まったかと思うと、更にスピードを上げて走り去っていった。
これで余程の命知らずでもなければ、もう来ることは無いだろう。取り巻きの女性陣も後を追う様に駆けて行くが、不意に一人だけ振り返る女性がいた。
女僧侶だ。
「……今の、ちょっとゾクゾクしました」
フードの中から覗かせる顔を高揚させながら、熱を帯びた視線をゼウスに向けてくる。そんなに走ってもいないのに、何故か息使いも荒い。
「あ、いや、俺妻子持ちなんで」
すかさず手を上げて視線を遮ると、拒否の意向を示すゼウス。不倫云々よりも、殺気を受けてゾクゾクするとか絶対ヤベー奴だと、防御本能が無意識にゼウスを行動させていた。
「……残念です」
神職としての良識は持ち合わせていたのか、妻子持ちと言う言葉にがっかりすると、振り返ってユウヤ達を追って走り始める。違う意味での危機が去ったゼウスは、ほっと一息つくと迷宮に戻ろうと振り返った。
その時、
「ん?」
魔力の収束を感じて空を見上げたゼウスの視線の先に、巨大な魔法陣が浮かんでいた。
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