第48話:フェリクスの気持ち

「びっくりですよ」

「それはこっちの台詞だよ」


 微妙に驚いた表情で見つめてくるラウラに、フェリクスは至極当然な感想を返す。

 周囲の視線は、この光景に只々あっけにとられていた。


「って、ドラゴンはどうしたの?」


 我に返ったアニエスが突然声を上げる。


「ん? 先程のドラゴンさんなら、成仏してもらいました」

「え? 成仏って、え、なに? 誰が?」

「私がですよ?」


 何か可笑しい所でも? と言う顔で応えるラウラ。どう見ても年下の少女から聞く答えに、思考がついて行かなくなったか、アニエスは座り込むと、その場で動かなくなった。


「どうしたの、ラウラちゃん。こんなところで」

「あ! ステファニーさん! こんにちわ」


 奥で一部始終を見ていたステファニーが、前に進んでくると、ラウラに話しかける。


「ちょっと前に、シアリス様が『良い物件がある』と言うので、今回見に来たのです」

「物件って、もしかしてここに住むつもり?」

「そうですね、学院を卒業したら、そうするつもりです」

「家族の方は大丈夫なの?」

「はい、もう家族が食べていけるだけの蓄えは出来ましたので、『後は自分の好きなように生きなさい』と、言ってくれました」

「そ、そうなんだ」


 割と本気でこの洞窟に住む気でいるラウラに、もはやステファニーはかける言葉が見つからなかった。


「こんなところに住んで、魔王にでもなるの?」

「そうですね」


 何気なく問いかけたフェリクスの言葉に、ラウラは真剣な表情になると、返事を返す。


「学院を卒業し、この洞窟へ引っ越すと同時に、私は『冥王』を襲名します」

「冥王? 何を世迷言を」


 それまで傍観していたカルステンが口を開く。いかにドラゴンゾンビを浄化しようが、シアリスのオリジナル魔法を使おうが、目の前の少女が冥王を口にするなど、正気の沙汰ではないと思っていた。


「世迷言と言うか、私、既に代行者ですので……」


 そう言うと、ラウラは纏っている黒ローブを翻して見せる。その表面には、冥界神シアリスの文様が浮かび上がった。


「なん……、先代の代行者ですら名乗らなかった冥王の名を、何故、今名乗るのだ」

「信者の方が、減っちゃいましたからねぇ」


 ラウラは、いつもの顔に戻ると、少し気恥しそうに答える。

 先代の代行者がカラックに敗れ、そうでなくとも少数派だった信者が激減し、シアリスの世界への行使力が減退してしまっていた。

 その力を取り戻す為、新たに代行者として選ばれたラウラには、その責があったのだ。


「それで、力を得てどうするつもりだ」


 カルステンは、新たに冥王を宣言するラウラに問い質す。


「何もしませんよ?」

「何も?」

「ええ。ですから、前のアスタフェイさんの様に、そっとしておいていただければ」


 真摯に見詰めてくる自分の娘より若い少女を、カルステンは見詰め返しながら、暫く考える。


「……分かった。この件は、魔導院を含め、ガロイア教会と協議の末、サンストーム王家へ上申しよう」

「宜しくお願いします」


 ラウラはペコリと頭を下げると、その場を去ろうとして振り返る。


「お待ちなさい」

「え?」


 今まで黙っていたエステルが唐突に声を上げた。瞬間、ステファニーの中に眠っていた不安がむくむくと鎌首を上げてくる。

(これだったのね)

 不安の正体に気づいたステファニーは、エステルとラウラのやり取りを、瞳を輝かせて見守っていた。


「あなたは洞窟に住むとして、フェリクスさんとは、どうなさるおつもりなのです?」

「どう……と言われましても、どうもしませんよ?」

「それは、お付き合いを辞めると言う事で宜しいんですの?」

「お付き合いと言っても、お世話にはなりましたが、それ以上の関係はありませんので……」


 ラウラが嘘をついているのは、誰が見ても明らかな程に、その瞳は揺れていた。

 これから起こるであろう、決して穏やかではない日々に、彼を巻き込む事は本意ではない。

 口にする事は無くとも、その思いは痛いほどエステルには伝わっていた。


「そう……ですのね。分かりましたわ」

「はい。私は代行者として進む事を決意した時から、普通の人と並んで進めるとは思っていません。その中でフェリクスさんに会えた事は、本当に幸せなひと時でした」


 懐かしむような遠い瞳で語り始めると、フェリクスに向き直り頭を下げる。


「でも、それは二つの線が交わった一時の夢。後は離れていくだけです」


 上げた顔は穏やかにフェリクスを見つめると、別れの言葉を告げる。


「お世話になりました。また何処かでお会いする事があれば、声でもかけてください」


 振り返り歩き始めるラウラに、一行はぞろぞろと後を付けて行く。


「ふぇ? 何ですか?」

「いや、調査に来たから、最後まで調べるのが仕事なんだ」

「えぇ~」


 とても嫌そうな声を出すラウラをスルーして、一行は尚も奥へと進む。


「何か、人の家を覗かれてる様な気がします」

「実際、ラウラがここに住むならそう言う事になるか」

「ふぇ~」


 やがて最奥へ到達すると、そこにはピンクの壁に囲まれた、ファンシーな一角が現れた。


「お、おぅ……」

「これが、魔王の居城か」

「なにこれ、滅茶苦茶可愛い!」


 ギルバートとハロルド、そしてアニエスは思い思いの感想を口にする。


「可愛いお部屋ね。引っ越しが終わったら、遊びに来てもいいかしら? と言うか、引っ越しの手伝いに来ていい?」


 まだ、テーブルや家具など搬入途中の部屋を眺めながら、ステファニーがラウラに尋ねる。


「え、あ……それは来ていただけると嬉しいのですが、お手伝いは流石にご迷惑をかけるので」


「僕も手伝うし、遊びに来ても良いよね?」


 ステファニーとラウラの会話にフェリクスも加わる。


「え……、はい。まぁ、そう仰るなら」

「それはあくまで『友達』としてよね? フェリクス」


 ほほを染め、俯きながらも了承するラウラの前に立つと、ステファニーはフェリクスへ問いかける。その眼は先ほどまでと違い、真剣そのものだった。


「え? ……まぁ、そうだけど」

「後でラウラちゃんが悲しまない様に、先にはっきりさせとくわ。あなた、ラウラちゃんとエステルちゃんのどっちが好きなの?」

「どっちって、いきなり何を」

「何時までもはっきりしない態度は、二人にとって失礼なのよ?」

「は、はいっ」


 仁王立ちで説教を始めるステファニーの前に、フェリクスはいつの間にか正座をしていた。


「おれ達は、魔王の居城調査に来たのではなかったか」

「何であいつの痴話喧嘩を見せられてんだ」

「男子五月蠅い! 黙って見てて!」


 生徒三人は、それぞれ言いたいように呟くが、しっかり周りを取り囲むようにその様子を見守っている。エステルだけは背を向けて興味がないふりをしているが、その耳は片時たりともフェリクスの言葉を聞き逃さまいとしていた。


「ラウラは最初、依頼が来なくて可哀そうだったから、手伝ってあげたのが始まりだった。そして一緒に依頼をこなしたり、旅行に行くようになって、気になり始めた。一緒にいると心が安らぐんだ」


 ラウラもこれまでの日々を思い出したのか、優しい笑みを浮かべるが、同時に涙もこぼれさせ始めた。


「エステルは、学校の初日に色々教えてくれて、親切な人だと思った。その後、ことある毎に勝負をしてくる面倒くさい人だと思った」


 エステルの背中がピクリと動く。


「でも、その勝負の真剣さに、僕は目を覚まさせて貰った。与えられた時間の中を全力で生きる彼女を眩しく感じた。その彼女を見つめていると、……僕の鼓動は高鳴るんだ。そこに貴族と平民と言う壁があったとしても、抑えられないんだ」


「……そう、分かったわ」


 ステファニーは、見上げるフェリクスの頭を優しく撫でると、振り返ってラウラの前に立つ。


「と言うわけで、ごめんねラウラちゃん。あの子をお婿さんにあげられそうにないわ」

「あ、そんな、私なんてわぷっ!」


 慌てて答えようとしたラウラを、ステファニーは優しく抱きしめると、フェリクスに向かって振り返る。


「良いわね、フェリクス。ここではっきり言ったんだから、何が何でもエステルちゃんをモノにするのよ」

「え? ……ええっ!」


 何でこんな事になったのか、フェリクスは混乱するが、それを囲むギルバートとハロルドは謎の展開に更に困惑の表情を浮かべる。その隣でただ一人、アニエスだけが目を輝かせたまま、拍手をしていた。

(それは多分……いいえ、絶対に無理ですわ)

 そして、一人背を向けたままのエステルは、涙をこらえたまま、心の中でそっと呟く。

(……)

 更に離れて見守っていたカルステンは、男と共に駆け落ちした娘の事を思い出し、柄にもなく感傷に浸っていた。

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