第29.5話:佐藤 神
『おお、まさる! しんでしまうとはなさけない』
暗く沈みゆく意識の中、最後に聞いた言葉は澄んだ清らかな女性の声だった。
暗闇で何も見えない筈なのに、何処かへ向かって動いている気配を感じる。
器の無くなった僕は、霧散する事無く一つの塊として何処かへと引っ張られていた。
(これは……死後の世界ってところへ行ってるのか?)
召喚された時とは違う感覚に戸惑いながら、なおも移動を続けるまさる。
やがて移動が収まると、今度は音が聞こえて来た。
「何でここに人が!」
「これは……セバスチャン様を呼んで来い! 急げ!」
「誰か服を持ってこい!」
(服……え、もしかして裸なの?)
何故自分の事と思ったのかは定かではないが、周りで叫んでいる人は『僕』に対して言っている事は解った。
意識が徐々に器の先まで行き渡ると、まず、指を動かしてみる。次に手、足と動かし、深呼吸を一つ。
そして、ゆっくりと目を開ける。
眩しい。
どうやら建物の中の様だが、それでも久しぶりの光は目に堪える様だ。
やっとの事で光に慣れた僕の目は、辺りを見回す。
ステンドグラスの窓に、祭壇、青地の衣装に白のローブを羽織った人々が走り回っている。
そして自分を見下ろす。
(いやん)
予想通り、素っ裸だった。
取り敢えず服が届くまで、前を隠して身を起こす。
「気が付いたぞ!」
「服はまだか! 何でもいい」
周囲の声がやけに五月蠅く感じる。まだ耳が慣れていないのだろうか。
慣れると言えばこの体、今までの物と違うのだろうか。僕の記憶ではすっぽり心臓を抜かれてたので、あの体が使えるとは思えないのだが……。
(あれ?)
そう、僕は死んだはずだ。何故『生きている』?
まさるが疑問に思っていると、血相を変えた音楽室の肖像画が走って来る。
「まさる殿! これは一体どうした事ですか!」
たった一月程だが、既に懐かしく感じるセバスチャンの顔に、何故か酷く落ち着く。
まさるは、それはこっちが聞きたいと思いながら、口を開くが、声が出なかった。
「お、え、あ……」
新しい体にまだ慣れていないのだろう。
死亡、教会で目覚める、新しい体。
(ああ、これって)
まさるは事態を理解した。
(でも所持金半分どころか、装備も何もかも無くなるって、ハードモードか何かですか……って!)
そこで、ある事に気付いたまさるは、辺りを見回し、急いで立ち上がろうとするが、生まれたての小鹿の様によろけて倒れる。
(ステファニーとフェリクスは?)
「うえあいーお、えいううあ?」
二人が無事なのか、確認したかったまさるは、まだ動かない口を無理に開く。
「意識が混乱しておる様じゃ、暫く寝かせよ」
セバスチャンが指示を出すと、横にいた僧侶が眠りの呪文を唱え始める。
(その前に教えてくれ! 二人はどうなった?)
必死に声を出そうとするが、魔法に抗う事が出来ず、まさるは深い眠りに落ちた。
目を開けると、懐かしい天井が見える。ラダール城で国王と謁見した後に倒れて担ぎ込まれた部屋だ。
「気が付かれましたか」
ベッドの横で座っていたセバスチャンが声をかけて来る。その顔は酷くやつれていた。
「ステファニーとフェリクスはどうなりました?」
口が普通に動く。どれくらい寝ていたのかは分からないが、どうやら体に慣れたらしい。
「ブルックス家の発表では、ステファニー様は亡くなったとの事です。フェリクスと言うのはアルウッド村の警備長の息子の事ですかな、その子も保護されたと言う話は聞いておりませぬ」
「嘘だ!」
カラックは約束を守ると言った。なら生きているはずだ。しかし、セバスチャンは無常の言葉を返す。
「まさる殿が帰って来られてもう三日経っております。その間、捜索隊も出しましたが、未だ見つかっておりません」
「そんな……」
「一体、アルウッドで何があったのです」
問いかけて来るセバスチャンに、まさるは一部始終を話した。
「アルフレッドとナタリアが……、そうですか。それにカラックが現れたと言うのはにわかに信じがたいですが、二人の遺体は確認しておりますので、事実なのでしょうな」
やつれた顔に苦渋の表情を浮かべると、セバスチャンは椅子から立ち上がる。
「私は国王へ報告と今後の対策を練りに参りますので、まさる殿は今しばらくお休みください。お食事は後程給仕に持ってこさせましょう」
そう言い残すと、部屋を後にした。
まさるは再びベッドに体を預けると、天井を見つめる。
(ステファニーとフェリクスが……)
いったい自分は何のために戦ったのか、たった二人の命も助けることが出来ずに何が勇者か。そして、何をおめおめと自分だけ生き返っているのか、自分の無力さに腹を立て呆れると、考える事を辞め、再び眠りに就いた。
「マサル・サトウ」
どれくらい経ったのだろうか、男の声にさまるが目を覚ますと、ベッドの横に一人の男が立っていた。
淡い金髪を肩まで流した感じは物腰柔らかそうに見受けられるが、その中にある顔は威圧感の塊だった。太い眉は鋭い目と共に吊り上がり、話していない時の口は一文字に結ばれている。いかつい肩幅から延びる太い腕は、厚い胸元の前でがっしりと組まれていた。
一言で言うと『頑固おやじ』である。金髪ロン毛の。
「貴様に新たな命令だ」
目が覚めたのを確認した頑固おやじは、早速任務について話始めた。
「担当はセバスチャンさんじゃなかったんですか?」
「奴は責任を取って隠居した」
まさるの問いかけに、頑固おやじが答える。
(ハラキリじゃないんだ、良かった)
何故かほっとするとまさるは、頑固おやじに向けて静かに呟いた。
「もう僕は戦えません」
「何故だ」
「たった二人すら助けられない僕が勇者なんて務まるはずがない」
「どうしてもやらんのか」
「はい」
「そうか」
頑固おやじはすんなり引くと、部屋を出てく。案外物分かりが良いのかも知れない。
と思ったのも束の間、頑固おやじは魔術師らしき人物を連れて部屋に戻って来た。
「貴様の経験が邪魔をすると言うのなら、その記憶は消させてもらおう」
頑固おやじが言い終わるのを待つと、魔術師が呪文を唱え始める。
(こんなに辛い記憶なら、消して貰ってもいいかな)
まさるは特に抵抗する事無く、魔法を受け入れていた。
「マサル・サトウ」
男の声に目を覚ます。
どうやら目の前にいるいかつい男は、俺を呼んでいるらしい。
「俺の名は佐藤
「ゼウス?」
どういう事だ、と呟くと、男は振り返りフードの男に説明を求めている。
「記憶の消去による弊害かも知れません」
「ふむ。まぁ、勇者の力さえ残っていれば、名前など、どうでもよいか。むしろ名前を変える事によって、新たな勇者を召喚した事にすればよかろう」
「勇者、召喚?」
「そうだ、お前はこの国を救う為、召喚された勇者、『ゼウス』だ」
問いかける俺に、いかつい男は不敵な笑みを浮かべながらそう言った。
どうやら、俺は自殺した後、異世界に召喚されたらしい。何故死んだかと言うと、このふざけた名前の所為だ。
佐藤
耐えられなくなり、学校の屋上から飛び降りて、気が付けばここにいる。
目の前の男が勇者をやれと言うなら、やろう。どうせ一度捨てた命だ。他に何かをしたいと言う衝動も、もはや湧き上がらない。
「わかった」
俺は、男へ一言返事を返すと、ベッドから起き上がる。
その後、着替えを済ませ、男の書斎らしき部屋へ案内されると、一人の少女を紹介された。
まだ、あどけなさの残る少女は笑顔で俺に挨拶をしてくる。
この少女が俺の仕事のサポートをするらしい。
「ゼウスだ」
俺は名乗ると、その少女に特に興味を持つ事もなく、早速仕事に取り掛かった。
内容は簡単だ、強くなって魔王を倒す。それだけ。
案内された場所へ赴き、魔物をひたすら倒す。魔物が弱くなったら更に強い魔物がいる場所へ変更する。その繰り返しで、最終的に魔王を倒すと言う流れだ。
幸い、俺は既に少し強いようで、スムーズに事は運んで行った。異世界物によくある『チート能力』と言うものだろうか。そうだとしても特に感慨も沸かず、ひたすら魔物を倒し続ける。
そして疲れたら、先に案内された少女に回復魔法をかけて貰う。
それを繰り返し続けてひと月、ふいに少女が泣きついてきた。
しかし、俺も仕事なので辞める訳にはいかない。どうしたら良いか分からず、取り敢えずお菓子を与えてみた。
何とか収まったようなので、引き続き仕事を続ける。
それから数年後、ある時突然、少女が俺に迫って来たのだが、どうせあの男の策略だろうと思い、俺は断った。
その日から、時々夢に女性が現れる様になった。
その女性を見ていると、懐かしく、温かい気持ちになるのだが、目を覚ますと詳細は覚えていない。そんな日が暫く続いた。
そしてある日、ダンブルの町の防衛戦に駆り出された時、俺は夢に出て来る女性に出会った。
顔を覚えていないのに、見た瞬間、そうだと思ったのだ。
その女性は魔物との戦いで殴り飛ばされ、俺の腕の中に落ちて来た。正確には受け止めに行ったのだが。
抱き止めた瞬間、俺はその女性を、無意識にそのまま抱きしめていた。
今は埃と血で汚れてしまっているが、いつもは光輝いているだろうローズブロンドの髪、心細げに見上げる淡い水色の瞳、それらを見ているだけで、懐かしい感じになる。
「……まさる?」
女性は俺を見上げながらそう呼んだ。そう言えばあの男も俺をそう呼んだ気がする。しかし、俺の名はゼウス、佐藤
「いや、俺はゼウスだ」
俺が彼女にそう言うと、少し悲しそうな顔で謝って来た。そして血をぶちまけて来た。
重傷を負っているのを思い出し、サポートの少女に任せると、俺は魔物を倒す。
帰りに彼女の名は『ステファニー・ブルックス』だと聞かされた。いつか聞いた事のある名前の様な気がしたが、どうしても思い出せない腹立たしさと共に、俺は何故か涙を流していた。
そして今、俺は困惑している。
何故この少年に『まさる』と言われ、無意識に返事をしたのか。
あの男も、ステファニー・ブルックスと言う女性も、今この場にいるフェリクスと言う少年も俺の事を『まさる』と呼ぶ。
おれはゼウスだ。痛々しい名前のいじめられっ子で、自殺した根性なしだ。まさると言う名前ではない。
(だから少年! 俺の名を
少年を嗜めながらも、何度か呼ばれるまさると言う名に、不思議と違和感を感じないのは何故か。俺が『まさる』だった時があるのだろうか?
彼らは俺が『まさる』だった時を知っているのだろうか?
すぐそこまで何かが来ているようで、何も掴めないもどかしさに苛立ちを感じる。
結局、その日は、もやもやしたまま寝床に着いた。
そして、懐かしいあの声を聴いたのだ。
『おお、まさる(仮名、本名ゼウス)! 我が愛するステフを思い出せぬとはなさけない』
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