第20話:幻影
戦争において、数こそが最も戦局を左右する要素だ。いかに効率よく敵を排除出来ても、それを上回る数の敵が来れば、やがてその波に押しつぶされる。
それでもアレン達をはじめとする傭兵部隊は、地の利を活かし、機転を利かせ、圧倒的数の差に置かれても善戦していた。
「おい、これ何時まで続くんだ? もう矢もねーぞ!」
「私も魔力残り少ないんだけど、杖で殴ってていい?」
「俺は既に盾で殴ってるぞ」
三人は思い思いに愚痴をこぼしながら、石垣まで辿り着いた魔物を倒していく。
「疲れた?」
三人の戦いぶりを見ながら、ステファニーが気軽に尋ねる。まだ回復する程ではないと分かっているからだ。
「腹減った」
「もう休む!」
「武器をくれ」
ステファニーは予備の武器を入れてある袋から、ショートソードをクリフに渡すと、周囲に散らばっている矢を拾い集める。
『シールド!』
その間にも、自らのパーティーのみならず、周囲の状況を把握してサポートしていた。
「あねさんすまねぇ!」
(誰があねさんよ! まだ二十になったばかりなんだから)
遠くから聞こえて来る声にステファニーは憤慨しながらも、拾った矢をアレンに渡していく。
「めしは?」
「はいこれ」
矢を渡した後に、干し肉を渡す。
「流石、あねさんだぜ」
「あなたより年下よ!」
ステファニーは、干し肉を齧りながら矢を射続けるアレンの尻を、天罰の杖でフルスイングした。
戦闘が始まって小一時間。既に日は沈み薄闇に包まれる中、ペースを抑え気味に戦っていた傭兵達にも、徐々に疲れが見え始めていた。
「まずい」
アレンは敵の新手を確認すると、すぐに周囲の傭兵へ向けて叫ぶ。
「お前ら、撤退用意だ! アレは勝てねぇ!」
傭兵達が暗闇に目を凝らすと、何やら靄のような塊が揺れながら迫って来ていた。
『我らが地母神、ガロイアの名において、悪しき魂を浄化し給へ!』
僧侶のいる傭兵のグループが、ターンアンデッドを唱えている間に、他の傭兵達は一斉に退却を開始する。
しかし、魔力が弱いのか、信仰神が足り何のか、浄化しきれない悪霊が引き続き迫って来ていた。
『ホーリーライト!』
ステファニーが唱えると、頭の大きさ程の球体が頭上に現れ、白い光を放ち始める。
今にも傭兵達に襲い掛かろうとしていた悪霊が、その光に照らされると、金切り声のような叫びを上げて霧散して行く。
「早く下がって!」
ステファニーの声に傭兵達は頭を下げると、後方の砦へ向け走り去って行った。
「いるか?」
「わからない。でも、嫌な予感がするから、アレン達も下がって」
アレンの問いに、ステファニーは慎重に答え、三人を下がらせる。
敵は魔王カラックの軍勢。アンデッドが現れたという事は、『いる』可能性があるのだ。
当然、魔王カラックの軍勢と戦うという事は、アンデッドを相手にする事が前提で、傭兵達はある程度の準備はしていた。
しかし、正規軍のやる気がなく、傭兵達だけ孤立させられるのであれば、話は別だ。
既に十分な戦果を挙げているのだから、後は生きて帰るのみである。ここで無理をして命を落とす必要はなかった。
アレン達も、当初からある程度の戦果を挙げたら、引く予定だったのだが、予想以上の数に押され、引くに引けない状態で夜を迎えてしまっていたのだ。
「おやおや、折角参りましたのに、もうお帰りとは、つれませんねぇ」
その声を聴いた瞬間、ステファニーはあの時の絶望を思い出し、全身の肌が粟立つのを感じる。
「カ、カラック……」
金縛りの様にその場から身動きが出来ないまま、視線だけを声の方に向けると、上ずった声で呟いた。
「その様な恐れ多い、私はカラック様の足元にも及びませぬ、ダリウスと申す下っ端」
カラックの様に仰々しく腰を折ると、芝居じみた調子で名乗る。
「どうぞ、お見知りおきを」
ゆっくりと上げた顔からは、二つの赤い光がステファニーを見つめており、その瞳は、返答を待っている様だった。
「ステファニー・エリオットよ」
ブルックスの性は、六年前のあの日に捨てた。そしてエリオット性を名乗る事で、独り勝手に死んではいけないと、今日まで心を奮い立たせて来たのだ。
そして今、エリオット性を口にする事で、改めて誓う。
(私は生きて、あの子を守らねばならないのだ)
ステファニーは天罰の杖を握り締めると、一歩、前に足を踏み出した。
「素晴らしい淑女にお会い出来た事、光栄に存じます」
ダリウスは、期待していた返答を得たのだろう、軽く一礼すると、とても嬉しそうに答えた。
どうにも、カラックに連なるヴァンパイア共は、仰々しい演技が好きらしい。
それか、元々ヴァンパイアと言う種族は、こういう性格なのだろうか。
ステファニーがそんな事を思っていると、ダリウスが自らの爪を伸ばし、舌なめずりをしながら近づいてきた。
「その素晴らしい淑女に免じて、今日はお引き取り願えませんでしょうか?」
ステファニーは、ダリウスに話しかけながら、前進に合わせる様に後退すると、間合いを維持する。
「折角の美しき女性を、丁重におもてなししなかったとなれば、私がカラック様に叱られてしまいます」
ニヤつく笑みを顔に張り付けたまま、なおもダリウスは歩みを進めた。
淡い期待を持って言ってみたが、どうやらそれは許してくれそうにないので、ステファニーは次の対策を考える。
『ホーリーライト』
呪文を唱え、都合三つの光球を顕現させると、自身の周囲に展開させる。
通常、ホーリーライトはガストやレイス等の霊体を浄化する呪文であって、ヴァンパイア程の魔物に効くものではないが、ステファニーが魔力を込めたホーリーライトに、ダリウスは若干嫌がるそぶりを見せた。
彼女自身も、余計な霊体に邪魔されない為に展開したのだが、今の動きを見て、ある事を思いつく。
『ディバインシールド』
ステファニーは、続けて不可視の盾を三枚展開する。普通のシールドとの相違点は、『アンデッド特化型』の盾だというところだ。それを自身の前と左右に設置し、ダリウスの攻撃に備える。
「では、まずダンスのお誘いから」
ダリウスは軽く一礼すると、地面を軽く蹴った。
直後、ステファニーの眼前に右腕を振り上げたダリウスが現れる。
「その様な無粋なベールは、剥ぎ取りましょう」
と言うと、ガリガリと音を立てながら、シールドを削り始める。
「ヒヒッ! 早くその柔肌を、この手で引き裂かせなさい!」
徐々に興奮が高まって来たダリウスは、シールドを削る毎に自身の爪から煙が上がっているのも構わずに殴り続けた。
紳士キャラと言っても、これは変態紳士の類である。
ステファニーが、先程とは別の意味で肌が泡立つのを感じつつ、貞操の危機を感じている間にもシールドは削られていく。
そして、とうとう穴が開くとダリウスは両手を差し込み、引き裂こうと力を入れる。
「ヒッ! いよいよですヨ! この後はあなたヲ引き裂いて真っ赤な花を咲かせマしょう! ヒヒッ ヒ?」
興奮して目の前のシールドを削り続けていたダリウスは、左右のシールドが自身の横に迫っている事に気づいていなかった。
「ガッ! な、何ヲ」
左右のシールドでダリウスを挟み、身動きを封じると、ステファニーは飛び退る。
続けて自身の周りに展開させていたホーリーライトを、ダリウスの周囲に配し呪文を唱えた。
『ターンアンデッド!』
ステファニーは、渾身の魔力を込め、更にホーリーライトで増幅させたターンアンデッドをダリウスに浴びせる。
「ガはぁっ! ガあアああぁぁァ!」
威力を高めた浄化の光に包まれるダリウスは、苦悶の絶叫を上げ、煙を上げながら体を崩壊させ始めた。
「はぁはぁ、……はっ」
魔力を使い切ったステファニーは、肩で息をしながら、眩暈でその場に片膝をつく。
すかさず後方で隙を見ていたアレン達が、救出の為ステファニーへ駆け寄る。
その時、
「イいィぃィィ! すバラシしィ」
まだ浄化の光が輝いている中、ダリウスの狂喜の声が響いてきた。
「急げ! 奴が来る前に回収する」
クリフが盾を構え、ステファニーとダリウスの間に立つと、叫ぶように指示を出す。
頷いた二人は、ステファニーを両脇から抱え、引き摺りながら後退を始める。
そして、徐々に光が薄れていく中、クリフが見たものはダリウスの死体でもなく、浄化して跡形もなくなった地面でもなく、岩の塊だった。
「あマりの凄サに危うク、逝っテしまウところデした」
その岩が割れ、崩れ落ちていくと、中には完全に回復していたダリウスが立っていた。
言語中枢は、回復していない様だったが。
「っ!」
クリフが目を見開いた時には、既に盾ごと宙へ吹き飛ばされていた。
最初、何が起こったのか分からなかったが、盾に開いている五つの穴を見て、理解する。
ダリウスはクリフの盾を貫くと、そのまま掴んで放り投げたのだ。
そして、背中から落ち、肺の空気を吐き出して悶絶する頃には、次の獲物が宙に舞っていた。
アレンは右に、ブリジットは左へ。体が真っ二つにならなかったのは、ステファニーが僅かな魔力を振り絞り、二人とダリウスの爪の間に、展開していたシールドを呼び寄せたからだった。
しかし、ダリウスの狙いはステファニーただ一人、周りの人間を殺し損なおうが、気に留める様子もない。
そのままゆっくりと進むと、崩れ落ちているステファニーを見下ろす。
「コの期に及ンで、まダご同輩を守ルとハ、天晴なお方でスね」
「私のパーティーから、死人は出した事が無いの」
ステファニーは勝気な視線でダリウスを見上げると、左手を大きく振りかぶる。
「こんなとこで、黒星つける訳にはいかないのよ!」
まだ攻撃手段を持っていたのかと、ダリウスは思わず身構える。
しかし、飛んできたのは、何の変哲もないただの『砂』だった。
「ナめるなアあぁぁぁ!」
攻撃ともいえぬ行為に、思わず委縮してしまった自分に腹を立てると、ダリウスは力任せにステファニーを殴りつけた。
最後に呼び寄せていた、ひび割れたシールドが、あっけなく砕け散ると、ステファニーの身体が宙に舞う。
内蔵を損傷したのか、込み上げる血を吐きながら、ステファニーはガロイア神へ祈りを捧げる。
(私が死んでも、私の加護がフェリクスに続きますように)
「ああ、ステフよ。死んでしまわないから安心なさい」
「え?」
よく分からない返答を聞いたステファニーは、何時まで経っても地面に落ちない事に気付いた。それどころか、何か暖かいものに包まれている。
と言うか、抱きしめられている。
この感触は、どこか懐かしい、大切な記憶の一部を思い出させた。
抱擁から解放され目を開くと、握り合わせた手の先に、厚い胸板がある。
そこから、恐る恐る視線を上げると、黒い瞳がステファニーを優しく見つめていた。
「……まさる?」
意識が朦朧とし、視界もぼやけていく中、ステファニーは思わずその名前を呟く。
「いや、俺はゼウスだ」
しかし、そこにいた男の髪は黒ではなく、灰色であり、自らを『ゼウス』と名乗った。
「あ、ごめんな……ごふぁっ」
慌てて謝るステファニーを優しく見守っていた男は、急に驚いた顔になると、顔を赤く染める。
ステファニーの吐き出した血で。
「あばば、ごべんばざい」
「構わん。アリシア、この女性を回復してくれ」
男は、そっとステファニーを地面へ寝かせると、立ち上がって顔を拭い、ダリウスへ向き直る。
「かしこまりました」
アリシアと呼ばれた僧侶の少女は、ステファニーへ駆け寄ると、回復の呪文を唱え始める。
しかしその途中、驚愕の表情に変わると、小さな呟きを漏らした。
「ステファニー姉様?」
覗き込むように問いかける少女に、既に意識を失っていたステファニーが答える事はなかった。
「キ様、我ガ獲物ヲ」
邪魔をされた怒りもあらわに、ダリウスは赤い瞳を光らせ、男を睨みつける。
精神の弱い者なら、その一睨みだけで体の自由を奪われる程の圧を、男は飄々とした顔で受け流すと、片手で剣を構える。両手でも扱える程の長さの剣で、何かの魔法が掛かっているのだろう、刀身が淡い光を放っていた。
「さっさと来い」
男が挑発する様に左手で手招きすると、一瞬後にはダリウスが眼前で右手を振りかぶり襲い掛かって来ていた。
「死ネ!」
ダリウスの高速で迫る爪を、男は剣で難なく受け止める。
「死ネ死ねシねしネ死ねしネ!」
続け様に二撃、三撃、十撃、叫びながら男に爪を振り下ろし続ける。
ダリウスが両手で攻撃を繰り出す中、男は片手でその全てを受け流していた。
そして、アレン達が息をするのも忘れて見入っていた攻防は、五十撃辺りから様相が変わり始める。
「死ネ、死ね、しネ……」
男の剣とダリウスの爪が何度か交錯すると、何かが飛び散った。
地面に転がり落ちたそれは、よく見れば長い爪の生えた小指だった。
次に、薬指。その次には中指と、剣と爪の音が響き渡る度に、地面に散らばる指の数は増えて行く。
「死……ネ」
そして、十本目の指が地面に転がり落ちた時、ダリウスの攻撃は止んだ。
「クソガアアァァァァア」
ダリウスが、怒りと、苦しみと、悔しさと、恐怖と、恨みと、絶望を混ぜ合わせた叫びを上げる。
そしてその叫びをも掻き消す様に、男は剣を振り続けると、ダリウスを物言わぬ肉塊に変えた。
『ファイア』
男はとどめにファイアを唱えると、肉塊を灰に変えその場を後にする。
「お前は、何なんだ」
アリシアに回復された三人がステファニーを見守る中、アレンが通り過ぎる男に向かって声をかける。
「俺はゼウス。ただの流れの傭兵だ」
それだけを告げると、振り返る事無く去って行った。アリシアも小さく頭を下げると男について行く。
二人が去った後も、新たに魔物が現れる事は無かった。
指揮官のダリウスが死亡した事により、各々逃走したのだろう。力や恐怖で支配している軍など、その程度のものだ。
「正規軍は、アレを待っていたから動かなかったのか」
「それじゃ、私達って、体のいい時間稼ぎだったって事?」
クリフとブリジットは、各々にぼやく。アレンは、もはや過ぎた事の様に男から視線を移すと、三人を見下ろし、
「まぁ、皆生き残ったんだし、結果オーライだ。貰うもん貰って帰ろうぜ」
と、いつもの調子に戻っていた。
「そうね。あ、お姫様がお目覚めよ」
「ステファニーの記録も更新されたしな」
「……もう終わったの?」
目覚めたステファニーへブリジットが肩を貸すと、四人はその場を後にした。
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