3. 村の生活のはじまり
ジェイフォリア親子と、獣が一頭、村に到着した翌日の朝には、約束通り朝食を作りに俺は家を訪ねた。すぐ近くに住んでいるのだから、大したことはないが。
俺は火属性の魔法に特化している。もともと家は貴族なので、魔力は強い方だ。
だが、村での生活は、皆と変わらない生活をしている。
魔力ありきの生活を、こんな辺境でやっていれば、この村の者達は俺の魔力をあてにするようになるかも知れない。それは俺の望む所ではない。
魔力を持つ者が少ない場所ならば、その者達が暮らしていく環境を整えなければ意味はないのだ。
かまどに簡単に火を入れ、蔦で編んだ籠に入れて持って来た食材の包を開くと、シシ肉の厚切りベーコン三枚と鶏卵が3個と町で買った箱入りのクラッカーが入っている。
シャナーンでクラッカーと言うのは、冒険者や旅人が良く携帯食変わりに持ち歩く、乾パンに似た少し塩気の効いた薄くて固い固形食だ。
ベーコンは俺が森で仕留めたシシを捌き、良い香りのする樹で作った自家製チップで、燻製にしたシシバラ肉の塊を厚目に切った物。
鶏卵は村の知人の家から分けて貰っている。
ベーコンを、一枚ずつ熱した鉄のフライパンに並べて乗せると、じんわりと熱した鉄と触れた部分の肉の脂身が溶けて、ジュワーっと旨そうな音と香ばしいスモークされた肉独特の芳醇な香りがたつ。
思わず大きく息を吸い込み香を楽しむ。俺はそれだけで幸せな気分になれる自分に笑う。食べる事も好きだが、こうして料理する過程も楽しむのだ。
家族を失くしてからは、自分一人の生活だった。その中で、規則正しい生活をして、食事をきちんと摂る事は基本中の基本だ。
自分の面倒を自分で見る事が出来なければ、人の面倒など見る事は出来ないのだから。
最も、家族を失くして数年はとても荒れた生活をしていた。でも、目標が出来てからは、ちゃんと生活するようになったのだ。まあ、だいぶ昔の話だが。
肉の表面がカリッとなるまで火を通し、それを一枚ずつ皿に分けると、そのまま同じフライパンを火にかけ、コンッと右の片手で卵をフライパンの縁に当てると、右手だけで卵の殻をカパリと開いて、肉の脂が溶けてテラテラと光るフライパンに卵を割り入れた。
ジュワーンっと音がして、同じ作業を三回繰り返し、三つ卵をフライパンに落として、最後に桶に汲んであった水をコップに少し取り、フライパンに入れ、蒸気が立つと蓋をして卵の上が白くなるまでおいた。
俺は卵の上が白くなるまで火を通すのが好きだ。
本当なら一度フライパンを綺麗にしてから目玉焼きを作った方が焦げ色が混ざらず綺麗な見た目になるが、俺は気にしない、旨い風味が付くので良いと思っている。
ベーコンの上に目玉焼きを乗せると、パラリと塩とハーブの粉を散らした。
これは、ここの村人達が普段食べる朝食と比べると、あり得ない程豪華だが、ジェイは貴族なのでこの程度は当たり前だろうと思われた。
因みに使った塩やハーブの調味料は、朝、台所の台の上に無造作に置かれていた物で、横に立って料理を作る過程を見ているジェイに使ってくれと言われた物だった。彼の名は、ジェイと呼ばせて貰う事になった。
ジェイの食事の面倒を見るのは仕事の内だ。
魔女から先にかなり多めの生活費や物資が届けられているので、俺的には朝食を作るのは楽しみの一つでもあった。
昨夜と同じように、ジェイとネズミと共に三人で食事をした。
家族を亡くし90年近くは一人で暮らして来たので、家族の様に一緒の食卓を囲むのは不思議な気分だ。
例え一人は超絶美麗な、男で、もう一人(一匹)がネズミであっても。
ジェイがナイフとフォークを使い、美しい所作で食事をするのに少し見とれてしまった。
一口大にベーコンを切り分け口に運ぶと、カリッとした食感と丁度良い塩加減の肉汁の味と、歯ごたえのある肉の食感、脂身の焦げた香ばしい香りと、濃厚な脂身の旨味が口いっぱいに広がった。
今度は目玉焼きを切ってベーコンに乗せて食べると、トロリと濃厚な黄身が垂れて来るのをパクリと一緒に口に入れる。
白身の弾力とベーコンの旨味と脂がツルリと白身を喉に流し込む。
ネズミは最初ナイフとフォークを使って食べていたが、ジェイに何か『ぢう、ぢう』言った。
「家でだけだぞ、他所ですると行儀が悪い獣だと言われるからな、熱いものは、少し冷めてからでないと火傷をする。まあ、お前はしないがな、気分の問題だから言っておく」
「ぢうっ」
二人の会話が終了すると、ネズミはおもむろにナイフとフォークを置き、横に自ら持って来ていた手拭きで両手を丁寧に拭いて、長いベーコンを両手で持ち上げ、旨そうにかぶり付いた。
脂を下の皿にポタ、ポタ落としながら、ぶちり、ぶちりと旨そうに噛み千切っている。
むしゃむしゃとすり潰すように小さく動く顎がリスそっくりだった。
面白い。
腕の毛を伝って脂が垂れそうになったのを見かねて、ジェイが手拭きでぬぐってやっている。
「後で、浄化をかけてやるから、存分に食え」
「ぢう」
俺はそれをなんとも言えない緩い視線で見つめてしまった。でも、自分の手作りの食事をジェイが「旨いな」、ネズミが「ぢうぅ」と言いながら食べているのを見るとほっこりした。
だが、ネズミの癖に、シシ肉食うなんて生意気なネズミだと思ってしまった。
食後のコーヒーは、ベルクラ領地の雑貨屋でいつも出掛けた時に仕入れて来る、ほどほどの値段のやつだ。
田舎にまで運ぶ運搬費の方が高くついて、王都では安物のコーヒーが、此処では高級品くらいには価格が釣り上がっているのだが、ジェイは「旨いな、ありがとう」と言って飲んでいる。
ネズミが、コーヒーの入った自分のカップをアバルドの前に寄せて、「じう、じう、ぢううぅ」と言うので分からなくて首を傾げる。
「ミルクを入れてくれと言っている」
とジェイに言われ、思わず舌打ちしそうになった。
仕方なく、ミルク瓶からミルクを注いでやる。
「ぢぃぅう」
ネズミが黒々艶々した目で満足そうに(たぶん)アバルドを見ながら何か言った。
多分お礼だろう。
(訳:気が利かないよね)
「アバルド、料理のやり方もだが、猟や、薬草の採集も習いたい。頼めるか?」
「あ、ああ、それは大丈夫だが、あんたの娘がまだ小さいじゃないか」
「それは大丈夫だ、ネズミが全部世話をすると言っている。コレは私の使役獣なので、普通の『人の大人』がする程度の事は出来る。それに私と魔力で繋がっているので、ちょっとした生活魔法を使えて、異常があれば分かる。あと、この家には結界を張ってあるので許可の無いものは誰も入れない」
「使役獣だと、本当か?」
「本当だ、だから大丈夫だ」
ジェイが猟を習いたいと言ったのには驚いたが、ネズミが使役獣だと言う事にも驚いた。
使役獣となると、魔物ではないか、でも、あれが?
ちらりと横目でネズミを見ると、ネズミと目が合ったような気がした。真っ黒な目なので、本当はどうなのか分からない。
それに、使役獣の能力が高いか低いかは、使役する者の能力の高さに比例する。
この時はまだ、ジェイが大魔術師の称号を持つ国の魔術師の頂点に居た男だとは流石に思っていなかったが、多分ジェイは相当の魔術の使い手なのだろうと理解した。
「ニコはネズミとお利口に留守番できるだろう?」
揺りかごから抱き上げ、愛おしそうに頬を摺り寄せ微笑んで娘に話しかけるジェイはまるで慈愛の女神の様だった。
ニコと呼ばれた彼の娘は嬉しそうに小さな手で父親の顔に両手を添えて笑っている。
目福と言うのはこういう事を言うのだろう、とつい思った自分に遠い目をした。
ジェイの娘は、彼に良く似ているとても美しい赤ん坊だった。
と言う事は魔女にも似ていると言う事だが、この子は、赤ん坊のわりに思慮深い目をした大人しい子供だった。
魔女は、俺の知っている女の中で最高に跳ねっ返りだった。
ジェイはネズミが温かくしたミルクを台所から哺乳瓶に入れて持って来たので、ソファーに掛けて娘にミルクを与え始めた。
哺乳瓶などという物は、最近都で出回り始めた物なので、見るのは初めてだ。
「最近はそんな良いものが出来たんだな」
「ああ、お陰で吸い口の部分の原料のスライムが都の周りでは乱獲されて激減したそうだ。だが、こういう便利な物が出来たので、私でも子供にミルクを飲ませてやれる」
手慣れた様子で子供にミルクを飲ませた後、ゲップをさせているジェイにアバルドは感心する。
「この哺乳瓶を考え付いて商品にしたのは、アバルドを紹介してくれた私の叔母だそうだ」
アバルドは思わず飲んでいたコーヒーを喉に詰まらせそうになった。
そうだった、あの魔女はどうやって思い付くのかと思う様なものを良く考えついては商売の種にしていたなあと思った。
ジェイが子供にゲップをさせた後、ネズミがジェイに纏わり付いて、赤ん坊を寄越せと言っていた様で、ネズミにそっと渡している。
ネズミは赤ん坊がミルクを飲んだばかりなので縦抱きにしてそっと揺すりながら背中をトントンしていた。
なるほど、確かに、俺がやるより上手いなとアバルドは思った。
「この辺りでアバルドが採取する薬草を教えてくれ、季節も教えて貰いたい」
ジェイは手のひらサイズの、だが厚みのある皮の表紙が付いた手帳を取り出した。
それは、背表紙の背に、ペンのホルダーを差し込む様に造られた、丁度長さが背表紙と同じで場所を取らずに使い易そうな、万年ペンが付いていた。
実はそれもジェイの叔母がくれた物だそうだ。彼女が使いたくて作った物で、沢山作ったのでお裾分けだと言われて貰った物を、箱でドンと渡されたらしい。俺にも分けてくれた。
因みに手帳の皮の色は、赤、茶色、緑、黒と4種類あり、ご丁寧に金の縁取りがある。その手帳に、聞いた事を几帳面な字で書き込んでいる。
「一度手始めに、この辺りで採れる薬草を、一通り採取して来るので見てくれた方が早いかもしれんな」
「そうだな、私も、先ず現物を見て見たい」
「ああ、分かった、じゃあそうしよう」
「それと、この辺りの地域で死亡率の高い病気も教えてくれ、風土病もな」
その後、二人でジェイが王都から持って来た資料と、俺の知っている話を照らし合わせて見た。
「なるほど、つまり地方で特に死亡率の高い、魔力のない者がかかる病気には特効薬と言う物が殆ど存在しないし、あったとしても高額で手が出ないと言う訳だ」
「そうだな、良くも悪くも貴族社会だ。だがな、底辺の人間に国が支えられていると言う事を忘れているよな」
「ああ、これは…胸糞悪い」
俺は魔力持ちだが、妻の故郷である辺境の村には魔力を持たない者も多い。
たまたま街に出稼ぎに出ていた妻と知り合い、結婚して出来た子供は妻の血が濃く出たようで、魔力を持たなかった。
二人が罹って亡くなった流感も魔力持ちならば殆ど助かっている。
俺が悔やんでも悔やんでも悔やみきれなかった愛する家族の死の原因だ。
知らせを受けて家族の元に帰ったら亡くなっていて土葬が済んでいた。
そう言った事もあって、冒険者としても満足するまで頑張った後は、妻の故郷で何か村の為になる事が出来ないかと、この村に彼は移住したのだ。
「で、気になるのはこのヤトトジカ病と言うのだが、この地方で死亡率が一番高いのが気になる」
ジェイが指で資料を指しながら言う。
「この病はこの地方の山間部に多い。野兎や鹿の血を吸ったこの地方独特のマクマダニが病原だ。獣の血を吸うと体内で毒を作る。この毒は人の血を吸う時に血を固めない為の毒だ。繁殖の為にメスのマクマダニは人の血を吸う。魔力を持っている者にはただの虫刺され程度で済む、悪くて熱が出る程度だ。だが、魔力が無い、弱い者で抵抗力のない年よりや子供が噛まれたら三日以内に死ぬ」
「症状は?」
「悪寒、発熱、頭痛、嘔吐、そして患部が腐り出す。風邪かなと思っていて、おかしいなと思う頃には手遅れなんだ。逆になまじ抵抗力があっても最終的に身体が腐って死ぬから苦しんで死ぬ事になる」
「成る程、つまり魔力が特効薬と言う事だ」
「ああ、だが魔力の無い者に魔力を持たす事は出来ない」
「ふむ、…だが、手が無い訳ではないぞ」
「えっ…?」
「魔力を通せば毒素を消せるのなら、薬として魔力を身体を通すという事が出来るかもしれん」
「ほ、本当に?」
「うむ、お前は庶民が安価に手に入れる薬があれば良いと考えているのだろう?その場限りの強力な魔力を持つ者に毒素を消して貰う事も出来るかもしれないが、それでは万人向きではない」
「で、何をどうすれば良いんだ?」
「魔石を使えば良いのだ」
ジェイの言葉に俺はガッカリした。
「魔石なんて高価な物は、それこそ貧乏な村人には手に入れられないじゃないか」
「いや、所謂、屑魔石で良いのだ。小魔獣の魔石だ」
「小魔獣?」
「そう、魔力の無い者に高価な力の大きい魔石は逆に身体に毒になる。魔兎等の屑魔石で良い」
「で、それをどう使うんだ?」
「魔石は粉にして使う。魔石は人の身体では吸収しないのだ、口から入れても排出される。だが体内に一時入れる事はできる」
「じゃあ、本当にそれが効くのか?」
俺は今まで魔石を粉にして、口に入れる等聞いた事も無かったので半信半疑だ。
「細かい調整は試さないと分からないが、やって見る価値はあるな」
ジェイは台所の木の椅子に座り、手帳に色々書き足している。
「なあ、やって見る価値があるなら魔兎程度なら俺にでも狩れるし、ギルドで頼めば一度に仕入れが出来る。俺も協力するから、薬を作って見てくれ」
「分かった、先ずは、手始めに時間が取れる時に、私に薬草の採取と獣の狩りのひと通りを教えてくれ、私も一緒に狩をしながら薬を作る」
「よし、じゃあ俺は早速用意する物を揃える。ああ、あと、今夜の夕食はいい鴨があるので楽しみにしていてくれ」
ふと俺は、羽根を毟って内臓をとり、切り分けておいた肉と、後は料理するだけにして置いておいた材料を思い出したので、ジェイにそう言った。
「それは、とても楽しみだな、私は鴨肉は好物なんだ。じゃあお勧めの赤ワインを出しておく」
ジェイがニコリと笑って親指を立てたので、アバルドも親指を立てて笑った。
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