第54話 (アル坊やの奢りで)フローレンス料理を食べに行こう・中
改めて思うと、俺はフローレンスの本島から出たことがない。
宿があり震電が置いてある港湾地区、シュミット商会がある商業地区、レストレイア工房がある工業地区でほとんど生活が回っていたからなんだが。
なので、それを見るのも始めてだった。
「どうしたんですか?」
本島の端の方にある駅。アル坊やが指さす先にあったのは、路面機関車を大型化したような2輌だての機関車だった。
横幅がかなり広い。これは居住性のためというより安定性のためだろう。というのは、その機関車の線路が伸びる先は、雲の海に櫓のように組まれた橋の上だからだ。
はるか向こうに一応島の影が見える。
「この汽車に乗るのか?」
「遠くの島には飛行船で行きますけど、近くの島はこれで行くんですよ」
アル坊やがこともなげに言う。
新幹線にのるような気軽さだが、ちょっと俺には抵抗がある。
見下ろすと、複雑に組まれた橋げたが浮島に建てられている。その下には白い雲海。
勿論高所恐怖症というわけじゃないし、飛行船に乗っているときは怖いとは感じないんだが……これは恐ろしい。
「いつもあんなに騎士で飛び回っているのに、なんで怖いんですか?」
「いや、怖いだろ、これ。騎士に乗るのとは違うぞ」
騎士は自分でコントロールするものだからあまり怖さは感じないが、これはそうじゃないからだろう。
レーサーやってた時も実はジェットコースターは苦手だった。
「大丈夫ですよ。風よけの壁もありますし、転落事故なんて一度も起きてませんし。
さ、行きますよ」
アル坊やが改札に立つ駅員さんに二人分の料金を払って汽車に乗り込んでいく。
正直恐ろしいが、ごねていても仕方ない。渋々俺もそれに続いた。
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最初は恐ろしかったが、乗ってしまえばどうということもなく。何事もなく20分ほどで農業地区についた。
そりゃ事故が多発するようなものではないんだろうけど、理屈と感情はまた違う。
着くまでは気が気ではなかった。
農業地区の駅で、いつもの路面汽車に乗り換えて農業地区の市街地に向かう。
農業地区は見渡すかぎりの麦畑、あちこちにサイロのような建物が点在していた。ここだけ見ればヨーロッパの農村地帯、ってかんじだ。
農業地区の市街地といっても本島のような感じではなく、酒場とか雑貨屋とかのような商店が立ち並んでいて、人が住む場所というより、仕事のあとに皆で集まる場所、という雰囲気だ。
路面汽車の停留所から歩いてしばらくのところに農業ギルドがあった。
背の高い重厚な建物だった工業ギルドと異なり、横に長く、とにかくだだっ広い。延々と塀が続いている。
そのそばにたつようにクリーム色の塀に囲まれたレストランがあった。
スーツのような制服に身を包んだウェイターさんが店の前にびしっと立っていて、店の前に来た俺たちに折り目正しく頭を下げる。
「ようこそいらっしゃいました。
……お席は静かなところがよろしいでしょうか?」
店員が俺たちを見る目は恋人同士を見る目だ。
まあ当然か。見た目は俺は19歳女、アル坊やは16歳男。
姉弟、という関係もあり得るけど、姉弟二人でこういうレストランにはこないだろう。
それなりにお互い有名になったはずだがここでは誰にも気付かれない。いつもの生活圏から離れているからか。
「はい。お願いします」
いつも通りアル坊やが堂々と答えると、ウェイターさんがもう一度頭を下げて店の中に案内してくれた。
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通されたのは、中央にテーブルが置かれた、10畳くらいの部屋だった。
高級レストランだけあって、テーブルウェアも高級感がある。
幾何学模様が織り込まれたテーブルクロスの上には、地球の物より硝子は肉厚だが綺麗に磨かれたグラスが並べられている。
天井からはたくさんのランプが下がり、部屋はかなり明るい。
壁には木の象嵌模様が施されていて何とも豪勢だ。
此処だけなら、200年の伝統のあるレストランだ、とか言って地球にもっていっても通用するかもしれない。
「実は僕も来るのは久しぶりなんです。
父が亡くなって商会の経営を継いでからずっとそれどころじゃなかったですし」
アル坊やも少し嬉しそうな雰囲気だ。
いつもの商会にいる時のようなちょっと張り詰めた空気がない。経営者でも監督でも休みは必要だと思う。
並べられた銀のナイフを珍しそうに見る姿は年相応だ。案内してもらったが弟を見守る様な気分になる。
「どうせなら一番いいのを食べましょう。いいですか?」
「任せるよ」
俺にはフローレンスの名物メニューとかはよくわからない。
アル坊やが笑って机の上のベルを鳴らす。
涼やかな音がして、部屋の外に待機していたウェイターが入ってきた。
「
「……かしこまりました。少しお時間がかかりますのでご了承ください」
ウェイターがちょっと驚いた顔をして、一瞬で表情がもとに戻る。
一番いいのを頼む奴はあまりいないんだろう。
「
7大家の一つ、オーギュスト家の初代、ヘンリー・オーギュスト公が考案したレシピですね」
ギルド直営のレストランを作って、ギルドマスターみずから厨房に立っていたってことだろうか。
職権乱用にもほどがある。よほどの食道楽だったんだろう。
「だけどさ、なんか随分高そうじゃないか?」
「騎士団との契約金も頂きましたし、大丈夫ですよ。
今は結構余裕あるんです」
確かに皆にボーナス的なものも配られていて、フェルと一緒に乾杯した。
しかし予想を上回る豪勢さにはなんか腰が落ち着かない。
地球でもあまり高級レストランなんて縁がなかったしな
「そういえばディートさん、ちょっと聞いていいですか?」
「なんだ?」
グラスに入った水を口に含む。
「ディートさんは、フェルと……その……」
アル坊やが口ごもるが言いたいことは分かった。
「まあ察しの通りだ」
吹聴するつもりはないが、バレたからとって誤魔化すつもりはなかった。
同性愛は一般的ではないらしいが、恥ずかしいと思って変に隠すのはフェルになんか失礼な気がする。
アル坊やに対してはなんとなく後ろめたいが、永遠に隠しているわけにもいかない。
「やっぱりそうですか」
「……なんでわかった?」
人前ではベタベタしないという風に決めてあったので、そうは分からないはずなんだが。
「フェルは今までみんなと親し気ですけど、どこか壁があったんですよ。
でも最近はそれが少し無くなってる気がして。観察してたら……何んとなくそうかなって」
さすが店主。よく見てる。
「はじめは女の子同士って思いましたかけど、ディートさんは男ですもんね。
おかしくないですよね」
そんなことを話している間に細長いグラスに入った金色のビールが運ばれてきた。
「まずはこちらをお楽しみ下さい」
ウェイターがビールと、焼き菓子のようなものを並べた小さ目の皿を置いて頭を下げて出ていく。
「それじゃあ」
2人でグラスを掲げてビールを煽る。さわやかな炭酸と酸味のあるフルーツの香りがした。あんまりアルコールは強くない。
地球でも地ビールメーカーがフレーバービールとか果汁入りのビールを作っていたが、それに近い感じだ。
冷えていればもっとうまいだろうな。冷蔵庫がないのが惜しまれる。
つまみとして出てきたのは、四角く焼き上げたタルトのようなものだった。
細い金色の櫛のようなものが刺さっている。
「フリコっていう古いパンです」
アル坊やが説明しつつ、手で櫛をつまんで一つ口に放り込む。俺もそれに倣った。
ジャガイモのパンケーキだ。東ヨーロッパに遠征したときに何度か似たようなものを食べたことがある。
カリッと焼かれた表面に対して中はしっとりとしている。千切りにしたジャガイモとチーズが混ぜられているので香ばしく、歯ごたえも楽しめる。一つのサイズが小さいから手軽に食べれるのもいい。熱いパンを口の中で醒ましながらビールを流し込む。
「うまいな。地球にもこういうのがあったよ」
「そうなんですね。
今は小麦のパンが普通ですけど、昔はこんなパンを食べてたんだそうです」
ビールを飲みつつ待つ事15分ほど。
ウェイターさんが深皿にいれた料理をワゴンにおいて入ってきた
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