また一歩を踏み出す

 毎日、同じ夢を見る。

 夕焼け色に染まった教室に、制服を着た男女が集まっている。おしゃべりをしたり、カバンの中に教科書やノートを詰め込んだり。

 時計の針は午後四時を指していた。

 放課後。

 今は懐かしい、学校に通っていたころのこと。

 何度見ても、同じ感情が去来する。


 私にとっての一番に輝かしい日々は高校時代。部活や勉学、学校行事に勤しんだ。夏になると海へ行き、祭りの際には浴衣を着て神社に出かけたものだ。文化祭ではシフトを組み、隙を見ては校内の店を巡った。修学旅行ではしきりに写真を取り合い、ホテルでは夜遅くまで恋バナをしていたのを覚えている。卒業式には別れの歌。涙が頬を伝った。家に戻ってから皆との別れを実感して、また切なくなった。


 あの日から五年が経った。

 今ではすっかり社会人となり、スーツを着てパソコンと相対している。パソコンの操作には慣れているため、適した仕事だとは思うけれど、なんとも充実しない。毎日毎日、同じことの繰り返し。陳腐な感想だろうけれど、つまらないのだ。

 コーヒーを飲み、弁当を食べて、家に帰っては寝る。休みの日は唯一の楽しみで、パソコンに熱中。外に出る機会はなく、友達も少ないため、遊びに出かける機会もなかった。


 青春は終わった。

 私が最も輝いていた日々は終わった。

 立派な成果を上げてはいても、心が追いつかない。私はこれでよかったのだろうか。日々、思う。人生とはこれほどまでにつまらないものだったのだろうか。窓を見上げては曇り空を視界に映し、ため息をついた。


 何度も同じ夢を見る。心が教室に戻りたがっていた。もうそこへは戻れないのに。

 いけないな。

 本当に意味がない。

 時は戻せないから、前に進むしかない。

 未練は断たなければならない。


 だから前を向こうとした。

 冷たい水で顔を洗って、身支度を整えてから、外に出る。

 気持ちを切り替えようと思ったのに、どうしてか、すっきりとしない。気持ちがぼんやりとしている。近所に建つ高校を見上げる。私の心はまだ、そこにとらわれたままだった。

 どうしようもないほどまでに、引きずってならない。

 ああ、駄目だ。どうあがいても私はそちらから離れられない。一人で立って歩くことすらままならない。


 一人暮らしはなんともいえない。

 ろくな家事もできず、ゴミを溜め込み、弁当や菓子パンで食事を済ませてしまう。部屋の中は汚いし、このままでは心まで汚れていくような気配がした。

 仕事を終わらせて、家に戻って、入浴をしてから、布団に入る。また同じ夢を見た。


 今度はまた違った感覚。

 なつかしいような、悲しいような。

「あのね……」

 同じ席に向かい合って座る少女の顔。

「私のことはいいよ。あなたは前に進んで」

 ああ。

 その声を聞くのは何年振りか。

 彼女は逝った。

 もう二度と取り戻せない。

 虚ろな想いを残せて。


 もともと病気がちだった彼女はなんとか高校を卒業した後、すぐに倒れて、入院。そのまま亡くなった。

 葬式には皆でそうでで駆けつけた。

 献花をし、棺を見送った。

 もう二度と戻らない日々。

 私たちの学校生活はここで終わったのだ。


 これからの人生に彼女の姿はない。

 だからすがった。

 そこにいたいと願った。

 まだ彼女がそこにいた日々に。

 その空間に。

 私の心を押し込めて。


 それでもまた、会ってしまった。

 ようやく何度も繰り返した螺旋の果てに、彼女を見つけた。

 だからこれが終わりなのだろう。


「ありがとう、恵。さようなら……」


 口を薄く動かし、呼びかける。

 顔を上げ、前方を見つめた。

 少女は笑った。

 口元をほころばせ、目を細めて。

 その姿が淡く溶けていく。

 輪郭が端から光を纏い、風に乗って消えた。

 後にはなにも残らない。

 手前にはなにも。

 ぽっかりとした空間が残るだけ。


 そこで、目が覚めた。

 私はベッドに横になっていた。

 目の端にはうっすらと涙が滲んでいた。

 目をこすりながら、起き上がる。

 部屋の中は明るい。空は青く染まり、暖かな日差しが差し込んでいた。ああ、もう朝なのだ。


 一人で起き上がり、身支度を整える。

 彼女は朝食を取ってからスーツに着替え、すぐに家を飛び出した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る