冒険者 1から10
人々は彼女を恐れていた。見た目は幼い子どもだ。栗毛をおさげに結び、いつでも明るく振る舞う少女。その純粋さが村の人々にとっては恐ろしくてならなかった。
少女は力が強かった。岩を素手で破壊し、魔獣とも当たり前のように戦える。村に放たれたイノシシを軽く倒したときは、周りの者たちが戦慄した。
どうして彼女のような存在が生まれたのだろうか。それは誰にも分からない。親は普通だったと聞く。それも戦場であっさりと命を落とすほど普通の存在。そんな者たちから生まれた少女は、圧倒的な力を有する。まるで、神の化身のごとく。いうなれば少女は突然変異だった。
そしてついに、あってはならない事件が起きる。彼女は力を暴走させた。彼女が放った魔力は嵐に吹く風のよう。まるで神が繰り出す裁きか祟りか。人々は恐れ、戦慄いた。なにもできぬまま逃げ惑い、命を守ることで精一杯だった。
彼女の暴走は続いた。きっかけは分からない。ひょんなことから感情が高ぶり、それに乗じて力も爆発した。今の彼女は誰にも止めることができない。人々はただただ、破壊されていく村々を唖然と見つめることしかできなかった。
そして、彼女の暴走が止んだのは夜になってからだった。静寂と共に少女は倒れて、眠りにつく。おのれのやったことすら自覚せずに、ぐーぐーと寝息を立てている。その様に村人たちはあきれるほかなかった。
***
少女は意気揚々と鼻歌を歌いながら、森を歩いていた。上からかぶれるようなシンプルな服を身にまとい、ヒールのない靴で湿った地面を進む。真っ白な肩の上では栗毛のおさげが揺れる。
彼女の足取りは軽かった。自分がどこに向かうのかは分からない。これからなにをすればよいのかすら。だけど、木々の色は緑色で爽やかだし、あちらこちらから芳しい香りが漂う。ふと木の実が視界にちらついたから、手を伸ばし、採ってみる。赤い実をかじると甘酸っぱい味が口に広がった。よく噛めば噛むほど、口の中がみずみずしくなる。思わず表情が明るくなった。
ちょうどそこに足音が迫る。荒々しい嘶きの声。顔を上げて、そちらを見ると、前方から尖った毛を持つ獣が近寄ってきた。四本の足で地につけて、威嚇をする。それを見て、少女は冷静に向き合う。
杖を取り出す。トウヒの木で作ったものだ。色はやや淡く、光沢がある。手に持っているとこれぞ魔法使いという雰囲気を感じて、気分が高揚する。
せっかく、獲物がやってきたのだ。戦おう。口角を釣り上げ、杖を敵に向ける。まずは体の中心に意識を向ける。炎だ。毛が焼き尽くす炎がほしい。その灼熱は敵を覆い、焼き尽くす。
カッと目を開ける。直後に顔に熱風が吹きかかる。杖の先から炎が吹き出し、獣を覆った。絶叫を上げた倒れる獣。自分でやっていて難だが、少しかわいそう。しゅんと眉を垂らしつつ、そっと近寄る。
「大丈夫。私がきちんと食べてあげるからね」
ニコニコと笑いかける。彼女は屍に向かって話しかけながら、解体を始めた。毛皮は燃えて使えないが、肉は消費できる。ちょうど日が暮れてきた。今夜はここでキャンプとしよう。
彼女は薪を起こし、地べたに座り込む。焼いた肉を頬張りながら、空を見上げる。濃紺の空にチラチラと星が輝いている。一人で過ごす夜は寂しいが、自由でいい。たまにはこんな日々もいいだろうと思うが、永遠は無理だ。だけど、これから先、なにが起きても自分なら大丈夫だ。なんとなくそんな気がする。
「ふー食べた食べた」
皮と骨だけと化した獣を横目に、満足げに微笑む。
一人だが気分がよかった。
だけど、気になることはある。以前の自分なら敵は跡形も残らなかったはずなのに……。体の調子はいいし、特に負担はない。それなのに、どうして力が抑えられているような、そんな気がする。もしかして、手首についたこれだろうか。少女は銀の環を見つめ、無言になる。
そこで村から送り出されたときのことを思い出してみる。送り出されたといえば聞こえはいいが、実質は追放だ。二度と帰ってこないでほしいと村長から突きつけられた。その理由が分からなかった。だけど、いつのころからか皆が自分を避けるようになったのを覚えている。最初は怯えているだけだった村人たちは、憎悪の目で彼女を見る。その理由が分からない。首をひねりなら日々を過ごしたのを覚えている。
なにをしたのか分かっているのか? 悪魔め、怪物め。口々にそのように告げる彼ら。しかし、少女にはなにも理解できなかった。集団で指差し睨みつけてくる人間たちに囲まれて、ただその場に立ち尽くしていた。
村での生活はつらかった。一人だったし、助けてくれる者はいない。住処は村の隅にまで追いやられ、同年代の子たちともまともに話もできない。村の中で走り回る彼らの姿を見て、羨ましそうにしていることしかできない。そんな少女の姿を村人が見つけると、しっしと追い払おうとする。お前は私の子を食らおうというのか? と、鬼を見るような目で睨むのだ。
分からない。彼らはなにも言ってくれない。かつて自分が村人たちになにをしたのか。なにが悪かったのか。どのような間違いを犯してしまったのか。言ってくれなければなにも分からない。彼女はなにも覚えていないのだから。
どうしてこうなったのか。おのれの存在そのものが悪であったのか。自覚もなく、記憶にもない彼女を誰がどう咎めるというのか。起こしてしまった事件をなかったことにするわけにはいかない。だから仕方がなく、彼女は追い出された。
少女自身も村での生活は懲り懲りだった。自分のことを受け入れてくれない人々。その渦の中で生活することはできない。そもそも、村にいる理由がなかった。両親はすでに死んでいるし、家を守る気もない。だから大切なもの、昔もらったペンダントだとか、お気に入りの服だとかをカバンに詰め込んで、出発した。見送りはいなかった。見送りにしてはそれは冷たく、二度と帰ってくるなという圧を感じた。少女は振り返らずに歩いた。歩き続けて人気のない場所へと突き進む。どこへ行きたいわけではない。ただ、遠くへ進みたかった。それ以上のことは求められないし、求めてもいけない。そんな心は少し曇っていた。
もう寝よう。地面に目を向けると落ち葉で作ったベッドがある。空が明るいときにかき集めてきたものだ。炎は炊いたまま、横になる。チカチカと視界の端が明るいけれど、いったん目を閉じるとあっけないほどにあっさりと意識は沈んだ。ぐーぐーと寝息をたてて眠り込む。そのまま彼女の周りでは静かに時が流れ、進み始めた。
夜が明ける。快晴だ。空は青く澄み渡っている。ところどころに浮かぶ雲も儚げで、とてもきれいだと思った。ふと、身を起こしてみると、獣が一匹、増えている。しかも、屍だ。眠っているときに無意識に倒してしまったのか。もしくはここで力尽きたのか。いずれにせよ、貴重な食料が手に入ったことに代わりはない。ちょうど近くに木の実もなっている。好きなだけ収穫してかかここを立とう。少女は立ち上がった。
いつの間にか炎は消えている。薪は片付けておく。籠の中に解体した肉を押し込み、木の実を手に持ちつつ、歩き出す。彼女の姿は並木道の向こう側へと消えていった。その頭上には照りつける太陽。まぶしい光が地上に降り注ぐ。まるで彼女の行く先を照らしているかのようだった。
人通りは少ない。整備はされているはずなのに、誰も通らないのが不思議だ。こんなにも歩いていて気持ちのよいところなのに。不思議そうな顔をして、周囲へと視線を向ける。やはりおかしなことはない。自然は豊かだし、食料には困らなさそうだ。問題があるとすれば水のこと。水筒の中身はすでに使い切っている。そろそろ補充が必要だ。どこか、川でもないだろうか。できるだけ清らかな場所がほしい。思いっきり水を浴びてみたい欲も出てきた。ああ、うずうずする。
と、なにやら、地面に落ちている。落ち葉かと思ったが、違うらしい。形は長方形で、自分が担いでいるものと比べると、小さい。財布のようなポーチのような。とりあえず屈んで、手を伸ばす。掴んで見ると、なめらかな感触があった。女性物だろうか。こういうのはくわしくないが、自分よりもはるかにお洒落が好きそうな娘が持っているような気がした。
なんにせよ、落とし物であることに代わりはない。誰かに届けてあげよう。そうと決めたら早い。町を目指して歩みを進める。足取りはさらに軽く、きびきびとしている。誰かのために動くことを考えると体に力が湧いてくるようだった。太陽の日差しも暖かく、今の自分ならなんでもやっていけそうな気がした。
歩いて歩いて、どれほど経っただろうか。ストレートに伸びる道をどこまでも進んでいくと、大きな門がある。石造りになっていて、左右からは柵が伸びていた。その内側には三角屋根の建物が並んでいる。石造りで屋根は煉瓦色をしている。石畳に覆われた町は村に比べるとずいぶんと発展していて、永住したいという欲が湧いてきた。一歩を踏み出せば世界が変わる。少女の瞳はキラキラと輝き、その目が映す景色もまた特別な色をしていた。
しばし、なにもせずに突っ立っていた。門番はそんな彼女を見ても咎めはせず、放って置いてくれる。通行人も彼女を一瞥もせずに、素通りしていく。少し視線が向いたかと思えばすぐに外れ、皆、彼女には興味を抱かない。その態度はあっさりとしていて、流砂のような感覚が心の中に広がる。少しの寂しさを覚えながらも、自分を怖がらない者たちがいる町だと思うと、救われる気分でもあった。
とにもかくにも、いつまでも入口に留まっていては仕方がない。一歩を踏み出し、また一歩と歩き出す。さあ、落とし物の持ち主を探さなきゃ。革のカバンをギュッと握りしめた。
と、そのとき。
「あ! あんた、泥棒ね!」
唐突に声をかけられる。それは挨拶というよりはいささか乱暴で、甲高い響きがあった。
おもむろに振り返ると、険しい表情をした少女が立っていた。毛の色は黒く、前髪が長く。切れ長の目でこちらを睨む。眉は激しくつり上がっている。
「そのカバン、返してもらうわよ」
毅然とした態度で向き合う。なお、冤罪だ。
一方で少女――リサはとぼけた顔で相手を顔を合わせる。自分がどうして怒られているのか、よく分からない。ただ、落とし物の持ち主が前方にいる娘であることは分かる。だったら、それでよし。
リサはぱあっと表情を明るくして、カバンを差し出した。
「よかった。あなただったのね。じゃああげる」
にこやかに近寄り、差し出す。
少女は戸惑った様子で固まった。どのようなリアクションを取ればよいのか分かっていない様子だ。どうしようどうしよう。先ほど、きつく言ってしまった。怒ってしまった。冤罪を振っかけたような気がする。心の声が表に漏れ出ている。なお、リサは気づかない。どうしたんだろう? と不思議そうに相手を見てみる。
「その……」
少女は目をそらす。
「見つけてくれたのね?」
「うん。そうだよ」
明るく答える。
「ごめんなさい」
しゅんとつぶやき、また沈んだ口調で言う。
「どうして謝るの? せっかく大切なものが見つかったんだ。喜んでもいいんだよ」
「うん。分かってる。分かってるんだけど」
色々とそういう問題ではないのだが。そんな言葉を口の中でつぶやきつつ、少女はため息をついた。
「ありがとう。見つけてくれて。じゃあ」
端的に告げると、彼女はカバンを持って立ち去った。ヒールをはいた足が動き、少女の姿が遠ざかっていく。と、唐突に相手は足を止めた。コツンとヒールの音が石畳の上に響いた。
「その、冒険者」
ぎこちなく言葉をつむぐ。
リサはん? と眉を動かす。
「興味はない」
「冒険はしてみたいかな」
「だったらギルドに行ってみたら? メンバー、募集してたわよ」
そのように言い残し、彼女はまた前を向く。そのまま少女は逃げるように地面を蹴り、去っていった。
一人残されたリサは、どこか興味深げに遠くを見つめる。冒険者ギルド。その存在は風の噂に聞いていた。冒険者になりたいと願ったわけではないけれど、両親のように戦場で活躍したいと願ったことはあった。だけど、それは人を傷つけること。人を殺せば自分も殺される。そうして両親は死んでいった。彼らのことは尊敬しているけれど、自分はそのようにはなりたくない。意地でも生き残る。そして、誰かの役に立つのだ。
冒険者ギルドといえば、利用者から依頼を聞いて、遂行すること。なんだ、自分にぴったりじゃないか。そう思うとテンションが上がってきた。リサは意気揚々と足を踏み出す。
街のどこかにギルドがあるのだろう。それは民家の中でも非常に目立つものに違いない。たとえば豪邸。貴族が住む庭の広い館なんかがふさわしい。もしくは城か。本当に王が住んでいそうな場所だ。
想像するだけで盛り上がってきた。今日から始める新たな生活。ひとまずはこの街――フルール街を拠点としたほうがよさそうだ。まだ始まってもいないのに、大いなる展開を予感させる。足取りはさらに軽く、踊りのステップでも踏むように、タンタンッと、少女は石畳の上を通る。まるで浮いているかのように早く、自然な足取り。少女の姿は街の向こう側へと、消えていった。
1話
石畳の上を通って、街の中心にやってくる。前方に見上げるのは大きめの建物。石造りで要塞じみた風格を感じる。見ているだけで惚れ惚れとする。この先に自分の求めているものがある。そう思うと興奮してきた。
いざ、門をくぐって中に入る。中は広々としていた。床には板が張られ、天井は高く吹き抜けとなっている。左のほうにはテーブルとイスが備え付けられており、中には冒険者と思しき影が見える。まるで別の世界だ。村の中で生活していたときとは考えられなかったような空間にいる。本当に冒険者になれるのだと思うと興奮して、頬に赤みが差す。
「あの、新たに登録される方ですか?」
優しげな声に反応してそちらを向く。そこには受付の女性がいた。さらりと髪を背中に流し、一つに結んでいる。目立った外見ではないが、楚々としていて、好印象を受ける。
「はい!」
明るい声を出して、答える。
そちらへ体を向けて、一歩を踏み出す。カウンターに近づいてみれば、にこりと受付嬢が微笑む。
「こちらは冒険者ギルドです。冒険者同士で協力し合い、世界に貢献することを目的として作られました」
女性が丁寧に説明を始まる。
リサはうんうんと聞いている。
「では、こちらに」
紙を差し出される。用紙だ。いくつかの欄がある。生年月日と名前と、出身地……。リサはその全てに素直に書き込んでいく。
書き終えると受付嬢はそれを受け取り、目を通した。
「グリーン村出身なんですね」
「そうですけど」
なにかおかしいのだろうか。キョトンと相手を見つめる。
「そう。あそこ、噂になっていましたよ。大変でしたね」
んん?
首を傾け、眉をひそめる。確かに村人たちには避けられ、敵意を向けられてきた。かといって生きていけないわけではなかったし、こうして村からの脱出も叶った。いいや、脱出を目指した時点で嫌になっていたといったところか。リサは勝手に納得した。
「ああ、いえ。失礼いたしました」
受付嬢は慌てて口にする。
本人は気にしていないが、相手にとっては違うらしい。気まずくなった空気をかき回すように、話を変える。
「こちらがあなたのカードになります」
鉄のカードがカウンターに出る。受け取ってまじまじと眺める。IDと名前、それとランク。今のところはFランクのようだ。下っ端からのスタートだが、これから実績を積み重ねてゆけばよい。ここから成り上がっていくことを考えると、気分が上がる。一層、やる気が出てきた。
「Fランクということですので、最初は薬草採取をおすすめします」
「えー、討伐依頼は駄目なんですか?」
「いけません。危険ですよ。いくら自己責任とはいえ、犬死されては目覚めが悪いのです」
「ああ、ごめんなさい」
真剣な顔をして女性が叱ってくるものだから、リサも焦ってしまう。
自分の強さはある程度は自覚している。獣の相手ならできるが、人間が相手なら足元をすくわれる可能性がある。なにより自分のランクはF。Fランクならそれらしく、地道に稼いでいくしかない。一足も二足も飛んで行こうとしたことが恥ずかしく思えてくる。
「分かりました。薬草採集で」
おとなしく依頼の紙を指す。
ほかにも狩猟や宝探し系のクエストにも目が行くが、ここは我慢。リスクが高い場所に挑めば危険も高まる。だからここは安全に進むべきなのだ。そう自分に言い聞かせ、簡単な仕事に甘んずる。
とにもかくにも無事に受注が完了し、リサはギルドを出ていく。門を抜けて、青い空の下に出る。今からならいくつかの依頼をこなせそうだ。薬草の採集はさっさと終わらせて、早くギルドに帰ってこよう。思うや否や、石畳の上を蹴る。リサは走り、街の外へと飛び出していった。
ギルドのある街はエストレイ。そこから少し西へ行けば、平野が広がっている。さらに奥へ行けばゆるやかで広い川が流れている。その近辺に薬草があるらしいのだ。実際に現場へ向かってみたのはいいものの、薬草はなかなか見つからない。図鑑片手に地面とにらめっこをしてみるものの、なにがなにだか分からない。彼女にはどれもこれも雑草にしか見えないのだった。
「あーあー、私やっぱり戦うほうが得意なのにね」
草の生えた地面に腰掛けて、足を伸ばす。天を見上げてダラダラと過ごす。視界に入る空は青く澄み渡っている。とても爽やかな気候なのに、なぜかリサとしては盛り上がらない。
だけど、なにもせずに時間が経つをの待つだけでは、どうしようもない。やることが決まっているのなら、意地でも遂行しなければならない。また、地べたを這いつくばるようにして、あちこちを見て回す。隅々まで観察して見たところで、ようやくなにかに気づく。
「あー、刈り取られてる!」
思わず声が出た。ぽかんと口が開き、唖然とする。
目の前には根だけが残された草があった。これは図鑑に載っているものと同じだ。つまり、先を越されたということ。がっかりする。だが、納得できないこともない。薬草の採集は簡単な依頼だ。やりたがる者は大勢いるはずだ。仕方がない。別の場所を当たろう。大きくため息をつきつつ腰を上げ、リサは歩き出した。
それから彼女は近辺の平野を回った。けれども、どこへ行ってもそれらしいものは見当たらなかった。自分が見逃している可能性はあるにしろ、オーラすら感じないなんて、変だ。それほどまでに皆は薬草がほしいのだろうか。明日になっても見つからない可能性まで出てきた。刈り取られた平野はすぐには再生しないし、あきらめたほうがいいだろう。
そうしている間にも時は加速する。そろそろ日が暮れる時間帯だ。動き出さなければ夜になってしまう。最初の依頼が失敗で終わるのは癪だが、また明日から頑張ればよい。次はもっと奥へと行ったり、経験者からのアドバイスを聞いて、探索をしよう。失敗も経験の内だ。こうして積み重ねていけばいつかは実を結ぶ。そのように思うと少しはやる気が出てきた。そう、落ち込んでばかりではいられないし、トボトボとした足取りでは元気も出てこない。マイナスに考えていては結果もよくならないだろう。ひとまずは気持ちを切り替え、明日を備えよう。リサはあっさりとこの場を引き上げ、帰ることにした。
それから歩き出す。平野を抜け、小道を歩く。あちらこちらを動き回った割にはあまり疲れていない。戦闘をしていないせいだろうか。そういった点では物足りない感がある。なにもできないまま一日を終えるのはやっぱり、気に食わない。まだまだ活動ができるのに強制的に終わらせられたような気分だ。
不満を抱きながら帰路につこうとしたところ、不意になにか光るものが見えた。地面に落ちている。宝石のついたリングだ。拾い上げてみる。自分の指には合わないが、高価そうなものだと分かる。ただの装飾品にしてはオーラが違う。と、宝石がなにやら輝きを放った。思わずおおっと目を見張る。彼女の目の前で宝石の色が青から紫へと変わった。これがなにを意味するのか、リサには分からない。ただ、なにか特別なものではないのかという予感が体を貫く。
それはそうとこの指輪は誰かの落とし物だ。しかも、高価そう。必ず届けなければならない。そう思うと、急にやる気が出てきた。さあ、急がないと。先日と同じように、リサは気合を入れて、走り出す。その足取りは速く、千里を駆ける馬のようだった。
急いだので街に戻っても空の色は明るいままだった。とはいえ日は暮れ始めている。夕日が黄昏の色を撒き散らしながら、沈んでゆく。鮮やかな色に染まった空を背景に、指輪を見せつけ、聞き込みを始める。
「あの、この持ち主を知りませんか?」
「さあな。少なくとも俺じゃないな」
あごひげをたくわえた無骨な外見をした男が答え、去っていく。彼の姿を目で追い、すぐにそらし、別の相手を探す。
「あの」
次に視界を横切ったのはドレス姿の女性だ。高貴な雰囲気を放っていたため、可能性はあると踏んだのだが、彼女は一瞥もせずに通り過ぎていった。見向きもしないあたり、彼女ではないのだろう。仮に持ち主だったとしたら、強引にでも奪い取っていきそうだ。
それから聞き込みは続く。時には先ほどと同じように相手にされないこともあった。それでもあきらめずに話しかけ続けた。すると、ついにある情報が手に入る。
「そういえば、そいつを探していたやつがいたような」
細い体をした男が視線を上のほうへさまよわせながら、口に出す。ビンゴだ。リサは食いつくように相手に迫る。
「どなたでしたか? 特徴は?」
「んなこと言われてもな。見た目はどこにでもいそうなやつだぜ。ブサイクではないな。若かった。髪は黒髪で」
普通の容姿。黒髪の青年。
それは貴重な情報だ。少なくとも歴戦の戦士という風貌ではないし、悪人でもない。普通の外見ということは貴族でもないのだろう。そこまで情報を羅列すると、パズルのピースのように頭の中でかち合った気配がした。
「家の場所とか知ってます」
「ん? ああ、端のほうだったかな」
彼は顎に指を添えつつ、答える。
「そうなんですね。ありがとうございます」
元気よく言葉を返し、リサはその場から立ち去る。
それから彼女は言われた通りに駆けた。街の端のほうへと寄ると、何軒か家が建っていた。石造りで、三角の屋根をしている。どれもシンプルで見分けがつかない。なんにせよ、これから全ての扉を開けるつもりなので、関係ない。
さっそく一歩を踏み出そうとしたとき、不意に人間の影が視界に飛び込んだ。
石畳の上に彼はいた。整えた黒髪に色白の肌、整った顔立ちの男だ。身なりは普通で、冒険者にしてはきれいな雰囲気がある。もしかして、彼がそうなのだろうか。
考えるよりも先にリサは動く。一歩を踏み出し、近づいてみた。
「あの、もしかしてこの指輪を探してるんですか?」
声を張って見ると、彼がこちらを向いた。やや大きめで澄んだ瞳をしていた。彼はこちらの持つ指輪を一瞥するなり、口元を緩めた。
「ああ、そうだよ」
見た目にふさわしい爽やかな声。
「これは俺のものだよ。よく見つけてきてくれたね」
淡々とした口調であまり嬉しそうには思えなかった。だけど、彼は差し出された指輪を受け取ると、丁寧に扱うように、懐にしまおうとした。
「あの、あなたにとってそれは?」
「今はなんの価値も持たないものだよ。なにせ、振られたからね」
振られた? それは婚約という意味で、だろうか。彼は女性に指輪を贈ろうとしていたのだろうか。それにしては特別な魔力を放とうとしていたが。まあ、気のせいだろう。この街に住む女性なら冒険者が多い。相手は魔女だったのだろう。それならば魔道具が贈り物にふさわしい。
「ああ、せっかく届けてくれたのに悪いね。なにかお礼をしなければ」
「お礼。そんな」
自分は報酬がほしくて彼に届けたわけではない。ただし、相手の好意を無下にするわけにもいかなかった。
なにか、ほしいもの。
一瞬だけ考えて、あと思い出す。
「私、薬草を届けなきゃいけないんです。でも、平野にはなくて。だから、くれませんか?」
「薬草? ああ、残っているものならあるよ」
「本当ですか?」
快い返事を聞けて、一気に気持ちが視界が明るくなった。
「ああ。さっそく俺の家に案内しよう」
彼が背を向け歩き出す。
やった、勝った!
気持ちが盛り上がると同時に、疾り出す。さあ、早くもらわなきゃ。足早に青年の後についていく。
彼の家は一番端にある建物だった。中に入ると清浄な空気が広がっていた。清掃は行き届いているようで、床も壁もピカピカ。テーブルやイスも新品のようにきれいだった。棚の中にはいくつかの瓶が入っている。中の液体は青だったり緑だったり、特別な色に染まっていた。ポーション、だろうか。
都会にきた田舎者のように突っ立っていると、青年がやってくる。
「さあ、これだよ。どうかな?」
「わあ、こんなに」
籠いっぱいに差し出された薬草の量は凄まじい。これなら依頼を遂行できそうだ。
「ありがとうございます!」
頭を下げ、受け取った。
後は帰るだけだ。依頼受注まで時間はわずか。急がなければならない。素早く家を出ていこうとするリサ。それを彼が引き止めるように、手を伸ばす。
「ああ、その前にこれを」
少女が振り返る。
彼女に向かって、青年は指輪を差し出した。宝石の色はいまだに紫色をしていた。
「君が預かっていてほしいんだ。俺が持っていても仕方ない」
「でも、これはあなたが……」
眉をハの字に曲げて彼を見つめる。
青年もまた困ったように苦笑いをする。その眉は彼女と同じように曲がっていた。
「哀しいだけだろ、もっていても」
またわざとらしく笑う。無理やりそう言い聞かせているようだ。
「これは処分料金でもある」
そう語る彼の態度がさみしげで、そばにいてあげたくなった。だけど、彼がそうであるとは限らない。今はそっとしてあげたほうがいい。こみ上げてくる気持ちを飲み込んで、リサは指輪を受け取った。
ひとまずリサは家を出た。空はすっかり暗くなっている。涼風に身をすくめて、歩き出す。
早く依頼を遂行しなければならない。頭の中で何度も詠唱するようにつむいで、自分に言い聞かせる。だけど、どうしてか、彼の存在が頭を離れない。いまだに彼のことを思っている。
初めて会ったのに、なぜか運命を感じていた。彼にとっては先ほど出会ったばかりの存在で、指輪を返してもらって、また返しただけの関係だ。知り合いですらない。逆にいうと自分は今、彼に近づきたくなっている。彼の知り合いになりたいし、もっと深い関係になりたいとも願っている。今さらながら彼と離れたのが惜しく思えてきた。
とにかくもどかしくてたまらない。早くも次に会う機会を探している自分がいる。そのときはもっと話をしよう。彼のことを知りたい。もっと自分のことを知ってほしいとも願っている。
ああ、早く明日にならないだろうか。心の中はそれでいっぱいで、希望で膨らんでいる。
濃紺の空にはいくつかの星がきらめている。繊細な輝きが降り注ぐ。月光に照らされた夜道は、夜でも暗く感じなかった。だけど、一日が終わると思うと少しだけ、切なくなる。明日はもっとよい日になりますように。すがるように祈りながら、リサは歩きを進めた。
2話
視界が完全にゼロに戻る前に、ギルドに戻ってきた。夜のギルドには灯火がともり、昼間よりも暗いが、よい雰囲気が漂っていた。そして、どことなく酒の匂いがする。テーブルの席に視線を向けると、革の装備を身に着けた男たちが酒を飲んでいた。まるで酒場だ。夜が明けるまでこうしているのだろうか。
彼らを横目に、カウンターまでやってくる。籠いっぱいの薬草を提出すると、受付は快さげな笑顔で受け取った。
「お疲れ様です。初めての依頼、完了ですね。だけど、気をつけてください。もっと早く来ないと、遂行期限を過ぎてしまいます」
「ええ、期限なんてあるんですか!」
「当然です」
受付ははっきりと告げる。
これはまいった。のんびりとしていられない。そうだ、依頼とは早いもの勝ちだ。易い依頼には群がるし、簡単に遂行されてしまう。ここはやはり難易度が高い依頼に手を出すべきか。そんなことを考えていると、テーブルの席でどっと笑いが起こった。
「採取すら満足にできねぇのかよ。今どきそんなやつが出るとは思いもしなかったぜ!」
明らかにバカにしたような態度だ。
リサはムッとして頬を膨らませながら、彼らを見る。
「私はきちんとできました」
「時間ギリギリに終わらせたのになにを胸を張ってやがる。それともお前はこの時間までブラブラとしていたのか?」
高圧的に言われて、口をつぐむ。確かに薬草採取に手間取ったのは事実で、言い返せない。
「どうせ、平野に出てくるモンスターに追われてたんだろ? 見るからに弱そうだもんな、お前」
「そうだ、冒険者に向いちゃいねぇ。悪いことは言わねぇからよ、さっさと故郷に戻りな」
彼らは口々に言う。
なにも知らない癖に偉そうに。戻るといっても自分には戻る故郷がないのに。
悔しさが胸にこみ上げてくる。言い返したくてたまらない。それでも、事実は事実。しっかりと受け止めて、それでもまだ納得ができなくて、つい口を大きく開いてしまう。
「次こそは結果を出します」
「ほう、やれるもんならやってみな」
「賭けしようぜ、賭け」
また彼らはゲラゲラと笑う。まるで相手にされていない。完全に舐められている。その事実に苦い思いがこみ上げてくる。とにかく自分が笑い者にされているという事実に耐えきれない。皆の鋭い視線を浴びていると居心地が悪くて、リサは逃げるようにギルドを飛び出した。
それから安宿に泊る。入浴施設は一階にあるからそちらで水を浴び、夕食も適当に済ませて、個室に入る。部屋はこじんまりとしていた。壁際に窓とベッドが置いてあるくらいだ。まるで牢屋のようだ。寝て起きるための空間にしか見えないが、これくらいやるべきことが分かりやすいと、かえって安心する。
ひとまず横になる。寝台は堅いし少し古い。だけど疲れていたため、目を閉じればすぐに意識が遠ざかっていく。そうして彼女は眠りの世界にいざなわれた。
朝になった。窓の外は明るく、空は青い。チュンチュンと小鳥の鳴き声がする。まだ、昼には遠いが少し寝すぎただろうか。そんな時間帯だ。ひとまず、着替えを済ませて、食堂へ行く。朝食を頼むとトーストとサラダ、スープがついてきた。薄味だけど、胃に優しい。どこか懐かしい味でもあった。
消化を済ませて、外に出る。
それから街に出て、通路を通って、ギルドに入る。中にはたくさんの冒険者の影があった。皆、掲示板に群がっている。一人一人、依頼の紙を取っては、カウンターに提出する。次から次へと、ほしい依頼が奪われていく。早くしないと。だけど、順番は守らなければならない。焦る気持ちとマナーを守らなければならないという感覚とで葛藤し、うずうずとする。
人がはけて、前に進む。掲示板に残っていたのはやはり簡単な依頼だけ。いいや、語弊はあるか。本当に簡単でやりやすい依頼はすでになく、採取の中でも特に面倒臭い依頼が残っている。それは幻の薬草だったり、どこを探しても見つからないとされるレアな宝玉だったり。そんなものを依頼に出しても、持ってこられる保証はない。
薬草採集の依頼はどこだろうか。掲示板を眺めたら、見つからない。いいや、なくて正解だ。そもそもあの手の依頼は難しい。薬草を見分けるための専門的な知識がいる。自分のような新入りには落とし物を届けるといった、ボランティアのような依頼が一番なのだ。それはそれで、落とし物の主を探す必要があるし、見つかる可能性があるかすら分からないため、難しいのだが。
うーんとうねりながら掲示板の前に突っ立っている。
「あの、狩猟依頼じゃ駄目ですか?」
受付に声をかける。そちらへ視線を向けると、相手は顔をしかめて、唇を尖らせた。
「いけません。ギルドのランクを守ってください」
なんとも厳格な。
口の中でつぶやきながらも納得する。そこへちょうどテーブル側から声がかかる。
「狩猟だって、これはまた面白いことを言うな!」
昨夜、酒を飲んでいた男たちだ。
「採取もまともにできない奴に、できるのか?」
「やればいいじゃねぇか。どうせすぐに逃げ出すだろうよ!」
豪快に笑い、また酒を飲む。見る限り、ろくでなしだ。昼間からサボっている彼らにだけはバカにされたくはない。だけど、ここは自分のやるべきことだけをしていればいい。本当はやり返すだなんてことを考えてはならないのだろう。
それはそれとして、採取よりも狩猟のほうが得意なのに、どうしたものか。またうねっていると、不意にある依頼が見えてくる。「あ」と思わず声が出た。ちょうど、そこにいいものがあった。水くみと木材の採集。地味すぎて気づかなかったが、昨日よりも増えていた。
「これください」
「分かりました」
「ありがとうございます」
「はい。いってらっしゃいませ」
受付嬢からの激励を受けて、ギルドを出発する。
それから街を抜けて、伐採の器具と桶を持って、平野へと出た。ちょうど近くを川が流れている。水量は少ないが透き通っている。飲水に使っても問題はなさそうだ。ひとまず組んで、草原に下ろす。
後は伐採だ。手に持つと重いため、放置して森の中へと進む。ちょうどそこには細い木々が生えている。大地を埋め尽くさんばかりの量だ。少しくらい切り取っても、問題はないだろう。伐採のやり方は分からないが、雑に斧を振り回し、叩いてみる。獣を斬るような勢いで斬りつけてみると、一気に木が倒れて派手に音が鳴った。地面に横たわった丸太を見て、おおと感嘆の声を漏らす。しかし、どうしたものか。こんなに大きなものは持ち運べない。いくつかに切り分けて、木材にしてしまおうか。
そうして、上から斧を斬りつける。料理でもするように分けていくが、この作業がなかなかに大変で、切り口が歪だ。造形としても美しくはない。それでも、依頼主側は木材だけ手に入ればよいのだろう。どのような品質であれ文句は言われないはずだ。
ひとまず、切りがいいところで切り上げる。ふうと額の汗を拭って、立ち上がった。まさにそのとき、近くで甲高い声が上がった。少女のものだ。空を切り裂くような叫び。ただごとではない。
様子を見に赴いてみると、少女が走ってきた。黒髪のツインテールを振り回し、つり目の瞳を泳がし、短いスカートを翻している。後ろからは猪が追い詰めに来ている。彼女はただ逃げることしかできない。このままでは崖などにぶち当たって、逃げ道を失い、やがて食べられる。そんな未来が見えた。
リサは迷わず飛び出した。すっと腰に挿した剣を抜いて、前に出る。銀の刃がひらめいた。ちょうどそこに猪の視線が向く。相手は巨大な牙が特徴のけものだ。森でも有名な暴れん坊だが、臆することはない。
すっと刃を振るうわり、重たい一撃を食らわせる。途端に獣の肉体が跳ねた。斬った先から血が吹き出し、地面を濡らす。そのまま相手は倒れて、横たわった。よし、いい肉が取れた。満足げに息を吐いて、剣を収める。
「あなた、大丈夫?」
振り返る。
そこには息を切らして立ち尽くしている少女の姿があった。
「ありがとう」
ややあって彼女はぽつりと言った。だが、気まずいのか、すぐに目をそらしてしまう。それがどこか、寂しかった。彼女にとって自分とはなになのか。わざわざ首を突っ込みにきた厄介者なのか、招かれざる客なのか。せっかく助けてあげたのに、とは言わない。ただ、ありがとうという言葉とは裏腹に、こちらを拒絶するような雰囲気を感じて、少しだけいたたまれなくなった。
それから少女は背を向け、一歩を踏み出す。そのまま逃げていこうとする彼女。
「ちょっと待って」
リサはとっさに呼び止める。
瞬間、少女は動きを止めて、おそるおそるといった様子で振り向いた。
「あの」
リサは口を開く。
「持ち運ぶの、手伝ってほしいの」
地面に散らばった木材を指して、呼びかける。
対して相手はきょとんと表情を固めて、視線を下へ向ける。彼女の丸い目は何度か瞬きを繰り返した。
「それなら、いいわ」
渋々といった様子で答える。
それから少女はカバンを開いた。中は異空間に繋がっているようで、ぽんぽんと木材が吸い込まれていく。果ては水の入った桶すらも入る。蓋を閉じても、カバンは濡れない。なんとも不思議な現象が目の前で起きていた。
「そんなのあるんだ、すごい。さすがは冒険者!」
私とは違う。口の中でつぶやき、興奮しつつ拳を握る。
「やめてよ」
少女は目をそらし、唇を尖らせた。
「あたしなんて冒険者ですらない。獣からは逃げ回ってばかり。本当ならみんなのために戦わなきゃいけないのに、そんな勇気もない。なにもできないのよ」
自分自身を責めるように、彼女は言葉をつむぐ。
悲しげに眉を寄せ、額にはシワが寄る。彼女はうつむき、沈痛な面持ちのまま、湿った地面を睨んでいた。
リサは「そんなことはない」とは言わなかった。実際に相手は戦えないことに悩んでいる。そこを否定したところで、なんの解決にもならない。だから、ここは下手に励ましたりはせずに、次のような言葉を発した。
「でも、あなたは狩猟を許されてるんでしょう? 本当は戦えるんじゃない。勇気さえ持てれば」
「ありえないわ。そんなの」
少女は口を大きく動かす。彼女が首を横に振るとツインテールが激しく揺れた。
相手に対してなんと返せばよいのか。ただ、今は彼女を頼りたいだけなのに。どうしてか、気まずい。なんの言葉もかけられないような気がする。それでも、彼女には価値がある。誰かの役に立てるのだ。それを証明したくて、声をかける。
「私、狩猟すらできないんだ。許されてなくて。パーティを組んでさえいれば、大丈夫みたいなんだけど」
顔を上げる。彼女のことをよく見て、訴える。
「ねえ、手を組まない? 私と一緒に戦おう」
手を差し出す。
対して、彼女は口をつぐんだまま、固まっている。なにを思うのか。複雑な表情から相手の感情は読み取れない。ただ、なにか変わってほしい。響くものがあってほしい。祈るように返事を待つ。されども、彼女はなにも答えてくれなかった。
とにもかくにも、依頼の完了には、相手の持っているカバンが必要だ。ギルドへは一緒に帰る。街に戻って、大きな建物の門をくぐる。中には酒飲みの男たちが構えており、こちらを茶化すような笑いをかけてくる。彼らの蔑視をスルーして、カウンターへ行く。カバンに入った、採集品を提出し、一旦、帰る。その前に掲示板をチェックしていく。ちょうど、いい依頼があった。討伐依頼だ。人間ではなく、獣が相手である。近辺で大量発生しているモンスターを倒してほしいとのこと。
「ねえ、これにしようよ」
まだ組むとは決まっていないのだが、指差し声を弾ませる。
少女はなにも口にしない。うなずきもせずにこちらについてくる。嫌がってはいないため、まあいいだろうと踏んで、依頼を選んだ。それから、二人で出発。街を出て、畑の近くで構える。
そこにはよい香りが漂っていた。なにの野菜だろうか。花が咲いている。蜜を狙ってか、小さな虫たちが寄っては帰っていく。それからあくびをしつつ、待機していると、ちょうど足音が迫る。
眉を上げて、そちらを向いた。やってきたのは小さな猪だった。森の中にいたものよりも、小さな個体。拳でも倒せそうだ。ただ、牙が刺さればひとたまりもない。きちんと剣を抜いて、挑みかかる。銀の刃が翻る。月光のごとく光がほとばしる。走り出し、切り裂いた。そこへ次から次へと同じ種類の獣がやってきては、蹴散らされていく。
ほどなくして畑の周りの獣は一蹴された。すっきり。胸を張って、満足げに畑の周囲を見渡す。奥のほうでは少女が縮こまって、様子を見ている。もう獣が近寄ってこないと分かると、ほっとした様子で近寄ってきた。
「あっけなかったわね」
彼女は視線を落とし、口にする。心なしか、声のトーンが下がっていた。
「これ、あなたもやりたかった依頼でしょう? よかったね」
「なにが?」
「なにがって」
「嫌味なの?」
声にとげがあった。彼女の目は暗く、なにか、悲しんでいるかのようにも映った。
「こんなのあたしなんていなくてもいいでしょ」
「そんな、あなたがいたから、私は」
「それはそれ。あんたの事情でしょ。あたしには関係のないことだわ」
きっぱりと言い放つ。
「もういい」
背を向け、歩き出す。彼女の姿は街の向こうへと遠ざかり、消えていった。
なんて、勝手に去ってしまうなんて……。
リサはポツンと取り残される。
なにが悪かったのか。彼女を結果的には利用してしまったのがよくなかったのだろうか。それでも、自分には同ランク以上の存在が必要だった。彼女がいなければ狩猟すらまともに許されない。彼女の存在は自分には重要な意味を持つ。せめて、それだけでも伝わればよかったのに。
だけど、去ってしまったのなら仕方がない。行ってしまったのなら、追ってはならない。彼女の自由にさせるべきだ。今後も、無理に関わってはならない。手を借りたいという気持ちはこちらの都合でしかないのだから。
トボトボと帰路につく。無事に終わったとギルドに報告する。
結果は出したのだからギルドのランクが上がってもいいのではないか。期待しながら受付嬢を見るが、相手の反応は芳しくなかった。
「ごめんなさい。あなたのランクは変わりません」
「ええ……」
口をぽかんと開けて、間抜けな声を出す。
「ごめんなさい。ランクが上の方と組むと、こうなるんです」
つまり、上のランクの冒険者にフォローされた結果だと判断される。自分の実力で狩ったわけではない。つまり、評価には値しないということ。がっかり。リサは肩を落とす。だけど、それがルールならば仕方がない。潔く受けいれるまでだ。
なにはともあれ、報酬を受け取れただけ、よしとしよう。
リサは気持ちを切り替えて、ギルドを後にするのだった。
3
リサは宿に戻るとすぐに眠りについた。規則正しい寝息を立てて、あっという間に眠りにつく。そのころになると夜もふけってきた。闇は世界を覆う。それでも星々はまばゆく輝き、地上に光を届けていた。
それから時は流れて、朝になる。太陽が昇り、空が明るい色に染まる。リサも目覚めて、活動を始めた。ギルドへ行って、掲示板をチェックする。大きな板には複数の紙が貼られている。皆、依頼内容が記されたものだ。いいものはないか。ああ、狩猟がしたい。そんな欲を抑えつつ、目を通す。結果、一つの依頼に行き当たる。それは、山菜や木の実などの食料を持ってきてほしいというものだった。料理屋の関係者だろうか。素材を要求している。まあ、相手の事情などどうでもよい。自分は仕事をするだけだ。
リサは依頼を受注し、ギルドを出た。山野へと趣き、野に生えた山菜を詰み、木に成った実へと手を伸ばす。作業を繰り返していると、籠いっぱいに集まった。これくらいあれば、依頼も完了だろう。簡単に仕事を終わらせられるのはよいが、つまらない。やはり狩りがしたいと、ぼんやり思う。こんな雑用は自分の領分ではない。
だけど、なにごとも下積みから始まるものだ。やや癪なところはあるけれど少しずつ実績を重ねて認めさせるしかないだろう。ひとまずは納得しつつ、彼女はギルドへと戻った。
こうしてギルドでの活動は続く。いちおう、地道に仕事をこなしてはいるのだが、やはり物足りない。誰かのためになっているのならそれでよいし、自分がやったことで、誰かが助かったと言ってくれるのなら、やりがいはある。それでも、自分のやりたいことはこれではない。もっと、たくさんの人を助けたい。そのためにギルドにやってきた。それなのに今の自分は小さなことの積み重ねで満足しなければならない。そんなのは嫌だ。なんとなく思い、彼女は立ち上がる。そうして、ある場所へと赴いた。
一方、同じころ、ツインテールの少女は広場で空を見ていた。自分はいったいなんのためにギルドにいるのだろう。村を出て、一人になった。自立したことを示すためにギルドで活動しているのだが、結果を出せずにいる。冒険者として危険な場所に身をおけば成長したことにはなる。だからそう示したかった。それなのに、彼女はいまだに危険から逃げている。獣に立ち向かえもせずに。そんな自分に価値はあるのだろうか。
はあ……と、また重たい息が漏れる。広葉樹のそばでうなだれ、下を向いた。
ちょうどそこに足音が近づいてきた。
「あ、いたいた!」
希望に満ちた、明るい声。
顔を上げて、そちらを向く。舗装された道に、ある少女が立っていた。栗毛の少女だ。くりくりとした目が特徴的で、冒険者風の衣装も様になっていた。あどけない顔つきからは村娘であったことは伺える。弱そうな彼女なのに、獣は狩れる。おのれよりもはるかに上だ。彼女といると劣等感が重なる。だから離れたのだ。
そして、気に病んでいた。自分の都合で拒絶してしまった。傷つけてしまった。また苦い気持ちが胸にこみ上げてくる。
そんな彼女の思いを知らぬまま、リサは近づき、楽しげに声をかける。
「ねえ、私と組まない?」
それは、思いもよらぬ提案だった。否、相手が誘いをかけてくる可能性は浮かんでいた。だけど、今さら、自分に声をかけてくるかとは思わない。自分のことなんて、頭の隅にでも追いやっていたことだろう。探してくれるだなんて、ありえない。今も夢でも見ているような気分だった。
「私、どうしてもあなたと組みたいの。あなたと一緒に戦いたい。ねえ、お願い」
まっすぐに訴え、頭を下げる。それは懇願だった。
たちまち少女の心がどよめく。彼女が自分を頼っている。それは求められているということ。
だけど、どうだろう。すぐにはうんとは言えない。彼女とはすでに関係を切っていた。一度断ってしまったのに、次はとは行かない。いいや、二度目だからこそだ。彼女に対する負い目はある。自分を頼ってくれる者を探してはいた。
その気持ちを素直に表に出す気にはなれない。
「お願いします。私、あなたと一緒じゃないと、駄目みたい」
リサはまた、真剣な思いをぶつける。
また少女の心が震える。特別な衝動に突き動かされている。
自分の本当の心はどうなのか。彼女と一緒に戦いたいのか。ああ、だけど、端から答えは決まっていた。目の前にいる少女と戦えば、理想とする自分に近づけるかもしれない。
この間の負い目を覆すように、少女は口を開いた。
「そこまで言うなら仕方ないわね」
そう、渋々というように口にして、視線をそらす。
「本当? よかった!」
途端に彼女は明るい声を出す。その顔は笑顔に染められ、ぱあっと弾けるように華やいだ。そんな彼女の様を見て、少女もまたなにかをごまかすように笑うのだった。
それから二人は自己紹介をした。
「あたし、レイラっていうのよ」
少女の名はレイラ。リサはリサ。
かくして二人は一緒に行動を始める。ひとまずはギルドで狩猟の依頼を受注してから、出発する。今回の狙いは山野に現れる猿だ。木の上にひそむそれは、道行く人に襲いかかる。時には堅い果実を投げつけてくるのだという。被害が出ているという情報もあるため、即急に対処をせねばならない。
二人は並木道にやってくる。そこは木漏れ日差し込む緑の空間。四方から爽やかな香りが漂ってくる。地面は湿っていて、こころなしか空気が潤っているように感じる。
猿はどこに潜んでいるのか。それは分からないが、道行く人と同じように歩いていれば、出会えるだろう。そう考え、雑に行動に移す。実際にそれが功を奏して、猿とは無事に接触できた。
なんと、向こうからやってきたのだ。しなやかな尾を振りながら、猿が実を投げつけてくる。リサはすぐに後ろへ下がる。ちょうど彼女がいた場所には実が落ちる。赤橙の実は地面に落ちて、ぐしゃっとつぶれた。まるで高所から転落した人のようだった。それはお前だと、猿の笑い声。趣味の悪さを感じつつ、リサは剣を抜いて、襲いかかる。
されども刃は敵を貫かない。猿は木の枝から木の枝へ飛び移り、逃げ出した。その数、視認できるだけでも三匹。
「追いかけるよ」
リサが声をかけ、二人で追う。
逃げていく猿を目で追い、足を動かす。常に上を向いているため、首が疲れた。だが、体力は有り余っているため、余裕がある。そしてついに前方には崖が見えてきた。
「さあ、覚悟するんだよ」
最後に猿が留まった枝。その大木をめがけて剣を向ける。ザンッと斬りつけ、幹が倒れる。丸太が地面に横たわる前に、猿が跳ねて、ジャンプをする。
「漆黒に渦巻く闇よ、取り押さえよ」
レイラが腕を伸ばし、指先で猿たちをとらえる。たちまち猿たちはこちらを向いて、どよめいた。彼らはなにかが起こると踏むなり、抵抗を見せる。だが、遅い。猿たちは地上に落とされ、地面の上で停止する。まるで地中から繰り出された鎖に体を縛り付けられたかのように。
そこへ容赦なくリサが斬りかかる。一閃で薙ぎ払う。敵は一気に倒され、地面に横たわった。
「よし、やったー」
リサは剣を収める。
目の前では獣たちが霧に溶ける。核となっている魔石だけが地面に残る。それら全てを回収して、二人は並木道を後にした。
ギルドに戻って、報告する。しかし、報酬はしょぼかった。えーっと口を大きく開けてがっかりする彼女たちに対して、受付嬢は冷静に「指定された料金ですので仕方がありません」と説明をした。
それは仕方がないのだが、やはりがっかりする。確かに猿は大したことではなかった。すぐに追い払えるし、簡単に倒せる。報酬には文句がないと言ってもいい。それはそれとしてお金はほしいのだ。
それはそれとして、リサはレイラに感謝したいことがあった。
「あなたのおかげだよ、ありがとう」
「え、なんのこと?」
にっこりと笑いかけるリサに対して、レイラはきょとんとする。
「あなただよね、呪術をかけてくれたのは」
「うん、そうだけど」
「助かったよ。おかげで逃さずに済んだ」
はっきりと伝える。リサは本気で感謝をしていた。自分が猿を倒せたのはレイラのおかげだ。実際は崖に追い詰めた時点で勝ちも同然だったのだろうが、褒められたことは事実。レイラの鼓動は加速し、胸が熱くなっていた。
それから二人はいったん別れて、それぞれの宿に泊まる。
次の日も二人は一緒に動く。共に同じ依頼を受け、同じ獲物を狙う。チームワークは日増しによくなっている。報酬は相変わらずしょぼいままだが、充実感があった。
そんなある日のこと、ギルドのカウンターが騒がしかった。
「お願いします。どうか仇を、依頼をさせて」
「そうはいっても、依頼は出せません」
必死になって頼み込む女性に対して、受付嬢は冷静に対処をする。
「なにかあったんですか?」
リサはすっと近づき、声をかける。ある意味では空気を読めていないとすらいえる、平然とした態度だった。
「えっと、そのですね」
受付嬢が歯切れ悪く口にする。彼女が説明に困っていると、代わりに女性のほうが少女へと顔を向けて、口を開いた。
「夫が殺されたのよ。家を荒らされて、大切な宝飾品も奪われて」
うつむき、低い声で語りだす。彼女の表情は影に潜み、細身の体から放つオーラもこころなしか、陰って見えた。
「どうしても犯人を倒してほしい。せめて捕まえてほしいのよ。衛兵団にも問いかけたわ。でも、相手にされなかった。みんな、忙しいのよ。おまけにこの辺境の土地で起こった事件なんて、あちらにとっては重要でもなんでもないんでしょうね」
皮肉げに口角を上げて、彼女は遠くを見据えた。
「殺された、そうなのね」
リサが頭の中身を整理するように、口に出す。
「なにを奪われたの?」
どのように動いてよいか分からず固まっているレイラの代わりに、リサが尋ねる。
「ネックレスを。ルビーの宝石がついたもの」
「高価だから売られてるわね」
レイラが口に出す。それはきっと奪い返すことはできないだろうと。
「ええ、そうね。いいの、とは言い難いわ。あれは主人から送られた大切なもの。できることなら、取り戻したいのだけど」
それは叶わない。希望に過ぎないのだと、彼女は口に出す。
されども、リサは首を横に振った。
「ううん。そんなことはない。私だったらきっと、奪い返して見せる」
「本当なの?」
急に女性が顔を上げる。
「うん。きっと大丈夫」
レイラの目の前で勝手に話が進んでいく。
「そう、そうね。よろしく頼むわね」
そのように言い残し、女性は去っていく。ギルドの外へと引いていく彼女の姿を、二人は見送った。
それから建物にはぬるい風が吹く。今のドラマの余韻が体に残っている。冷静になったのはそれから数十秒後だった。
「って、なにやってんの? 勝手に依頼を受けて」
「依頼じゃないよ、頼みだよ。きっと報酬は受け取れないよ」
「駄目じゃない」
「別にいいんだよ。私にとっては役に立てることが正義なんだから」
リサははっきりと言い切った。
自分の利益はいらないというリサの姿はまぶしい。自分には到底、抱けない感情だと、レイラは感じた。
「それに悪人が野放しにされてるのは嫌だよ。ほかの誰かが被害に遭うかもしれない。そうなる前に、私が倒すの。なんとかするの。そう決めた」
顔を上げる。リサはギルドの外を見つめた。彼女の二対の瞳は宝石のような光を放っていた。
「本当に大丈夫なの?」
これから相手にするであろう敵は、罪人だ。人を殺している。自分たちでは相手にならない。
「そうですよ。こんなことには手を引くべきです。命がいくつあっても足りません」
受付嬢が激しい口調で後ろから言葉をかけてくる。
「気遣い、ありがとう。でも、私なら平気だよ」
なにが根拠なのか、明るく彼女は語る。
「レイラは下がってて。私一人でもなんとかして見せる。敵が見つからなくても、それらしい人なら全員やっつければいいだけだし」
「そういう問題じゃなくて」
レイラは口ごもる。
危険な目に遭うのは嫌だ。できるのなら安全な場所に身を起きたかった。冒険者いなっているのは、ただの反発だ。自分でもやれるということを証明したいだけ。そしてそれは単なる強がりであったということを、レイラは身をもって実感している。
今回の件は自分とは関係ない。引いてしまいたい気分はあれど、リサのこそは放っておけない。
「あたしも行くわよ」
眉を釣り上げ、彼女のことを見て、告げる。
「本当? 助かるな」
またリサはにっこりと笑った。その花のような笑みに心が緩む。ずるい人だとレイラは感じた。彼女と一緒にいると、彼女の頼みを聞きたくなる。一緒の時を過ごしたくなる。それはなんとも甘美な感覚。ずっとこの気持ちに浸りたくなってしまう。
とにもかくにも目標は定まった。未亡人の仇は自分たちで討つ。必ずや敵を見つけて、衛兵団に突き出す。二人でそううなずき合って、外へと出た。
空は相変わらず青い。穏やかな日差しの下、少女たちは石畳の上を通る。
「でも、いったいどういう風に探せばいいんだろうね」
空を見上げつつ、悩ましげに眉を寄せる。
「どうするもなにも、情報を探すしかないわね」
冷静にレイラが話す。
「そうだね」
ひとまず、婦人が夫を殺されたときの情報を整理する。第一に相手の狙いは家にある宝飾品だった。夫はついでに殺された。目的があって殺したわけではない。ましてや恨みがあったわけでも。あれはただ、運が悪かっただけだ。そして、宝飾品を狙う男。それには心当たりがある。
「盗賊」
その名をリサが口に出す。
「有名な盗賊団とかって、いる?」
「さあ」
レイラは首を横に振る。
彼女は辺境の地で過ごしていたため、情報には疎い。犯罪組織の存在は知ってはいれども、興味はない。盗賊団のような輩とは縁がなかったし、近くをうろついているといった情報も聞いたことがなかった。
うーんと二人は唸り、道の途中で留まる。
「こういうのは依頼主に聞いたほうがいいかもしれないね」
リサが口にする。
彼女の居場所は知らない。ただ、この街にある立派な建物というと、心当たりがある。街の中心に建つ館の主が女性だというのなら、すぐに行ける。二人はそちらへと足を向け、歩みを進めた。どうか貴重な情報が得られますようにと祈りながら。
4
中央の目立つ位置に、赤茶色の洋館が建っている。鉄の柵で囲まれた庭は青々とした木々が植えてある。花壇に咲く花はパステルカラーで、近くを歩くと甘い香りがふんわりと漂う。
リサとレイラは芝生に敷き詰められたアプローチを通って、玄関の前にやってくる。細かな装飾が刻まれたドアを叩くと、家主はすぐに応じてくれた。
目の前で扉が開く。中から顔を出したのは未亡人の女性だった。かすかに色素の抜けた髪を背中に流している。服装は上品で、露出は少ない。
「どうぞ中へ」
彼女が部屋に案内をする。女性が歩くとロングスカートのひだがひらりと揺れた。
二人はリビングへ案内され、テーブルのイスに腰掛ける。ティーカップには紅茶が注がれ、温かな湯気を昇らせる。カップの取ってを掴みつつ、リサとレイラは話を進めた。まずは自分たちに犯人を倒す意思があること・相手を探すには情報がないこと・情報を探すために女性を頼りたいのだと。そう、自身の事情を素直に打ち明けた。すると相手もすんなりと聞いてくれた。
「分かりました。私でよければ。どこまで力になれるのか、分かりませんが」
彼女はうなずく。
リサとレイラも共に顔を見合わせ、また頷き合う。
話は決まった。ひとまず紅茶を飲んでから、席を立つ。ティータイムを終えて、三人は席を立つ。部屋を抜けて、廊下へ。玄関を通って、外へと出た。
それから皆で馬車に乗って、都市に向かう。馬車といえば揺れるイメージがあったが、今回はそうでもない。本当に道を通っているのか疑いたくなるほど、静かなのだ。快適な乗り心地。さすがは令嬢の雇った馬車だ。
馬車は野道を通り抜けて、山を一つ越え、都市にやってくる。そこは細かな石畳に覆われた場所だった。大通りの周りには背の高い建物が釣らなている。レンガ造りの家々の群れは洗練されていて、美しい。ついつい見入ってしまう。これが都市か。田舎の村とはまるで違う。口をあんぐりと開けて固まっていると、レイラがくすっと笑った。
「あんた、町から出たことなかったの?」
「そうだけど。いいじゃん、別に」
むくっと膨れる。
レイラはまた笑った。
おかしいと言われている。だけど、バカにしているという雰囲気はなかった。たとえからかわれても、レイラが相手ならいい。そんな気がしてきた。
ほどなくして、馬は停まる。三人は馬車から降りて、地面に足をつけた。目の前にはまた大きな建物が群れを成して、並んでいる。圧倒的な光景。別世界に着たようだが、今は見惚れている場合ではない。
気を引き締めて、歩き出す。
「情報を探すと行っても、どうするの? そもそも、どうして都市なんかに?」
レイラがよく分からないという顔で聞いてくる。リサもどちらかというと、分かっていないほうだ。だけど、女性の意図は分かる。
「換金所でしょう?」
「はい」
女性はうなずいた。
「宝飾品が売られたのではないかと考えました。奪った意味としたらお金に換えること、でしょう?」
それはそうだ。
相手が盗人の類なら、売るために盗んだはず。それ以外の可能性は考えられない。
行ってみる価値はある。三人は揃って足を揃え、歩き進める。いくつかの角を曲がり、換金所へと赴く。そこはこじんまりとした建物だった。屋台のような雰囲気の場所で、大きく開いた空間から、主人が顔を出している。
カウンターにはいくつかの宝飾品が売られている。色とりどりの宝石だ。どれもアンティーク調で、凝ったデザインをしている。田舎娘に価値は分からないが少なくとも平民では手が出せそうにないことは、伝わってくる。その中で一つ、ぱっと目に飛び込んでくるものがあった。
「ああ、これです」
女性が指差し、手に取る。それは傷がついたペンダントトップを持った、首飾りだ。チェーンはキラキラとしているが、ペンダントの裏側にひびが入っている。
「そんなものがいいのかね?」
仏頂面の主人はつまらなさそうに問いかける。
「はい。いただけませんか」
「値段はこちらだよ」
主人に促され、値段を確認する。破損しているとはいえ、やはり高い。だが、女性はぽんと値段を出して、買ってしまった。
「ありがとうございます」
首飾りを受け取り、大切に抱きしめてから、顔を上げる。彼女は主人へと目を合わせて、ある問いを繰り出した。
「あの、この首飾りを売りに行った者に関して、くわしく教えていただけませんか?」
「ん? 別に大した特徴……いや、あるな」
一度眉をひそめてから、主人は口に出す。
「ええ、本当ですか?」
女性が興奮した様子で身を乗り出す。リサやレイラも貴重な情報が得られると思い、気分が上がってきた。
「ああ。マントを着ていたよ。身分は高そうではなかった。高価な装飾品を持てる者とは思えない」
マントを着ていた。荒れたマントを。それは、なにかを隠していたことを指す。
「悪そうな面だったんでな。盗人の類だと思っていたぜ」
やはり。これはビンゴだ。
まだ、なにか聞き出せないだろうか。そう思っていたのだが、女性は勝手に話を切り上げてしまう。
「分かりました。ありがとうございます。では」
すっと引き、換金所を後にする。
リサとレイラも戸惑いながら店から離れて、女性についていく。
「あの、もういいの?」
リサが問いかける。
「はい」
女性ははっきりと言う。迷いはなかった。
「正体は分かりました。あのマントはきっと、腕を隠しているのでしょう。盗賊といえば有名な者がいます。きっとそれはスリラットです」
「スリラット?」
リサがきょとんとする。
「ええ、知らないの?」
レイラがあんぐりと口を開けて、硬直する。
知らないものは知らない。田舎者だから。リサは開き直って、澄ました顔で腕を組む。
「スリラットはどの地域でも現れる盗賊団です。彼らの拠点は森の中。具体的にどこにいるのかは分からないけれど、彼らが犯人であることに間違いはありません。なぜならマントを身に着けていたから。証である刺青を隠していたのでしょう」
これは彼女の勘だ。確証はない。だけど、信じることはできる。彼女の勘とやらを、推測を。今はそれしか頼れるものがないのだから。
「それなら話は早いね」
うんと頷き、口を開く。
「私はその盗賊団を倒せばいいのね」
「ええ?」
女性は振り向き、驚き目を丸くする。
「必ず倒す。もう決まったことだもの」
「でも、危険なんじゃ」
街の外に出てはいけない。盗賊に出くわすから。そう言われてきた。彼らは危険なのだ。捕まればただでは済まない。だけど、リサは迷わなかった。
「私なら大丈夫。レイラだって必ず守ってみせる」
自信たっぷりに言い切った。
リサは盗賊団のことをよく知らない。足元をすくわれるのではないか。レイラはそう危惧する。自分だって危険なことには巻き込まれたくはない。安全な道を常に歩んでいたい。だけど、それ以上にリサのことが気になる。彼女を放ってはいけない。
「あたしも行くわよ」
彼女のほうを向いて、真剣な顔で告げる。
「本当、嬉しいな」
リサは明るく笑った。
「おふた方、どうか、気をつけて」
女性は止めなかった。止めてもどうしようもないと分かっているのだろう。これは自分が出した依頼だ。ギルドを経由したものではないため、正式なものではないか、巻き込んでしまったのは事実。一度、頼んだ以上、止めることはできない。二人も覚悟は決まっているはずだ。そして、必ず生きて帰ってくる。そう信じたからこそ、悩まずに送り出す。彼女はその選択を下した。
「大丈夫。任せて。だからその首飾り、いったん私にあずけてくれる?」
繰り返し、告げる。
自信に満ちた表情。
彼女を信じて、女性は首飾りを手放す。リサはチェーンを手に取り、受け取った。
そして、二人は女性に背を向け、歩き出す。その足は街から離れていく。遠ざかる二人の影を女性はいつまでも見ていた。その場で留まり。そして彼女の髪をかわいた風がさらい、なびかせた。彼女はいつまでもそこにいた。
森の中をくまなく探す。木々の間を縫うようにして進む。グリーンの香りと色が心地よく爽やかな気分に浸れるのはいいが、事態はなかなか進展しない。地面はややしまっていて、ところどころ靴が埋まる。足を取られないように、慎重に進む。
はてさていったいどこに行っているのだろう。東西南北が分からない。このまま闇雲に進んでいると、迷ってしまいそうだ。
「こんなとき、誰か道案内でもしてくれそうな人が見つかったらなー」
現実にそれが起きるように思いを込めて、願望を口に出す。
すると、それに応えるかのように、本当に何者かの影が前方からやってきた。
「ひゃっはー、見つけたぜぃ。いい獲物をよぉ」
小物臭い声に反応してそちらを見る。きょとんとした二人の視線の先には、荒れた装備を身に着けた男がいた。彼はギラリと光る短剣を構えて、舌なめずりをした。
「これでノルマを達成できる。ボスに叱られることはなくなったぁ!」
いいところに獲物がきたと、なるほど。そう理解をした。
それはそれとして、ラッキーなのはこちらも同じだ。
「ちょうどいいや。ねえ、あなた、道を知らない?」
にこやかに声をかける。
「ええ、ちょっと」
止めるレイラ。だが、リサは聞かない。
「なんだ、てめぇ?」
相手は歯を剥き出しにして、問いかける。否、それは質問というより威嚇に等しい。
「教えてほしいんだ。それか、あなたのアジトに案内して」
リサは引き続き、穏やかな態度で声をかける。その平然とした様子は誰から見ても異様であった。盗賊と出くわしたにも関わらず、落ち着いている。普通の人間と同じように接している。自分は恐れられていない。ぐるぐると盗賊の視界が回った。盗賊といえども所詮は下っ端。大きなこともなせずにボスに従うだけの人間だ。彼は早くも戦意を失いつつあった。
「んなもん知らねぇ。死ねやテメェ!」
問答無用で襲いかかり、刃を振るう。
ところがその瞬間、彼の手元から刃は消えていた。ポキリと銀の固まりが折れている。パラパラと破片が散らばり、地に落ちた。キラキラとした細かな光をこぼしながら。それはまるで、ダイヤモンドダストのような輝きだった。
一方で盗賊はあっけに取られて固まる。なにが起きたのか分からない。幻術に惑わされたように錯覚する。
「ねえ、お願い」
リサはさらに近づく。友人に語りかけるような笑みをたたえて。
「ひいっ!」
盗賊は息を呑む。
「無理だというのなら、強引に」
先ほどと同じトーンで口に出す。彼女は脅していない。頼んでいるだけ、話しかけているだけだ。圧は全くない。にも関わらず、彼女の強さは肌にしみるほどに理解できた。相手は只者ではない。逆らえば死ぬ。遺伝子に組み込まれたような恐れを抱き、男は降参した。
「分かった。頼む、見逃してくれ!」
頭を下げて懇願する。
途端に少女の表情はさらに晴れやかになった。
「本当? ありがとう!」
彼女は機嫌よく、感謝の気持ちを伝える。本当に彼女は喜んでいた。その言葉は皮肉でもなんでもない。
かくして案内が決まったのだが、男としては生きた心地がしないのだった。その様を遠くから眺めるレイラもまた、底知れない、薄ら寒いものを感じるのだった。近づきたいのに、近づきがたい。彼女がどんどん遠ざかっていく悪寒がする。だからレイラはいつまでも木の幹のそばから動けなかった。
盗賊はおとなしく少女に従い、案内をする。裏切る気配も見せずにスムーズに先導をし、まっすぐにアジトの前にやってきた。そこはロマンがあふれる秘密基地のような見た目をしていた。木製の建物で、横に長い。入口は広いが、シンプルな見た目をしている。ぱっと見た印象では周りの景色に埋もれているようだった。隠れ家にふさわしい。
ともかく目的の場所に近づいた。少女は堂々と門を叩く。なお、応答はなし。仕方がないため、剣を抜く。
「ええ、もう? 問答無用にしては速すぎない?」
レイラは困惑する。
なお、止めることはできなかった。
リサはばっさりと扉を破る。そして、勢いよく中に突っ込んだ。
「なんだ?」
中から男たちの声がする。
内部は広々としている。酒場のような雰囲気の空間で、いたんだ床にはいくつかのテーブルが並んでいる。そして、似たような格好をした者たちが揃ってこちらを向いた。皆、強面だ。浅黒い肌に傷のある顔。革の鎧を身に着けている。
「あなたたちでしょう? 大切なものを盗んだのは?」
「なんの話だ?」
盗賊の一人がとぼけたような顔をする。
実際に、大切なものを盗んだと言ってもそんなものは日常茶飯事であるため、誰のことを言っているのか見当がつかない。だが、このアジトの中にいる者たちのいずれかということは分かる。誰かという点は不明だが、いっぺんに片付けてしまえば、いいだけのこと。とはいえ、それではあじけない。犯人の名前くらいは知っておくべきだ。
「この首飾りを盗んだ者は誰? そして、家主を殺したのは?」
首飾りのチェーンを持ち、見せつける。
周りにいる盗賊たちは平然としている。きょとんと表情を固め、顔を見合わす。だが、その中で一人、青ざめたものがいた。悲鳴なのか、息を呑み、ぎょっと身をすくめた後、ガタッと席を立つ。
彼の大きな反応に周りの盗賊たちも反応し、そちらを見た。
「決まりだね」
ニヤリとリサが笑った。
対して、レイラはどうしたらよいのか分からず、戸惑った様子で固まっている。
そんな彼女を尻目に、リサは剣を抜く。銀の刃が閃くと同時に、彼女は突っ込んだ。剣を振るい、手前にいる盗賊たちを薙ぎ払う。彼らの肉をえぐり、血がほとばしる。たちまち、あたりは騒然とした。
奥にいた者たちがナイフを抜いて、応戦しようとする。
けれども、遅い。彼らは一気に薙ぎ払われた。血が飛び出し、また倒れる。バタバタと屍が積み上がっていく。その戦闘の渦の中、一人だけ無事な男がいた。首飾りに反応して青ざめた男だ。気の弱そうな普通の男はビクビクと体を震わし、立ちすくむ。男はどんどん壁際に追い詰められていった。
そんな彼へ距離を詰める少女。彼女は真顔のまま、剣をふるった。相手の首元へと刃を落とす。男はただ震えるばかり。かろうじて悲鳴を抑えた。いいや、声をあげられなかった。そんな隙すら現れるに斬られ、血を噴き出しながら、床に伏せた。
そうして、アジトの中は一掃されて、床は血で満たされる。
鉄の臭いが充満した室内。死の濃度がこすぎて、感覚が麻痺する。これは一種のパフォーマンスではないかとすら思えてくるほどだ。
そうした中でリサは平然と立っている。彼女が恐ろしい。底冷たいものが背をなでた。だけど、どうしても彼女から離れることはできない。レイラはいつまで経っても声を上げることができなかった。
5
「討伐クエをやるのは初めてだけど、意外となんとかなったね」
リサはレイラのところまで近づいて、軽やかに口に出す。先ほど、敵を皆殺しにしたとは思えないほどの爽やかさだ。
「これ、クエでもなんでもないんだけど」
「ああ、そうだった。ただの依頼だね」
報酬は発生しないが、別に構わない。彼女がやりたいのは人助けであって、金集めではないのだ。
「目的は果たしたし、帰ろっか」
笑顔で口に出す。
レイラは口をつぐみながらもうなずいた。
かくして二人は森を出て、衛兵団に盗賊団の件を報告した。衛兵たちはすぐに現場へと駆けつけ、検分したらしい。彼らはアジト内の団員が全て倒されていると把握した。
後日、彼女たちの功績は認められて、ギルドでの評価も間接的に上がる。
「おめでとうございます。あなた方のランクをFからDに上げさせていただきます」
そう、受付嬢がにこやかに口に出したのだ。実際に依頼をこなしたわけではないにせよ、犯罪組織を潰したことだけは事実。その実績によって、二人のランクが上がった。
新たに発行されたカードは金属のような光沢を放ってはいないものの、新しく、上質なように感じた。
盗賊団を倒した少女についての情報は、フルール街をまたたく間に駆け巡る。一緒にいたレイラの噂も、あることないこと言われるようになった。いわく、あらゆる獣や人を呪い殺す魔女だとか、今も恐ろしい毒薬を製造しているのだとか。
強い人に見られるのは悪くはないが、レイラとしてはこのような名の上げからは好きではなかった。なにせ、彼女は呪術使いとしての自分を嫌っている。皆のように華やかな魔法を使うわけでもないし、陰湿なだけの自分。勇者になるにはいささか悪役じみた部分があり、コンプレックスになっていた。その中でもリサの様子は変わらない。周りの評判など気にせず、ありとあらゆる依頼をこなす。時には採取、またあるときには獣の討伐。マイペースに動く彼女の後を、レイラも追いかける。これでは自分が金魚のフンになったような気分で、レイラはまた惨めだった。
その折、ギルドに女性がやってくる。楚々とした見た目をした未亡人。夫の仇を探して復讐に燃えていた彼女は、あらためて依頼をこなした二人と相対する。
リサはしばし目を丸くして突っ立っていたが、自身のやるべきことを思い出したらしく、懐からゴソゴソとなにかを探り、取り出した。
「はい、これを」
長く伸びたチェーンを持ち、彼女に差し出す。それは女性が大切にしていた首飾りだ。盗賊に本人か確認するために利用したくて、借りていたものだった。あれから、女性と会う機会がなかったため、うっかり返し忘れていた。
女性は首飾りを黙って受け取ると、改めて二人の少女と視線を合わせる。
「あなたのほうから会いに来てくれて助かったよ。ひょっとしたら永久に借りる羽目になっていたかも」
「そうですね」
女性はやや視線を下に落として、つぶやく。
「だけどお礼というのなり、ありかもしれません」
「ええ、駄目だよ。それはあなたが持っていなくちゃ」
相手がおかしなことを言い出したため、慌ててリサが否定する。
「あなたにそう言っていただけると、幸福です」
女性はまた小さく口を動かし、言葉にした。
「それよりも私はお礼をしなければなりません。そのために私は参ったのです」
顔を上げ、確かに相手の目を見て、伝える。
それがなにを指すのか、自分たちはなにをしてもらえるのか。見当がつかず、きょとんとしている二人に向かって、女性は答えを教える。
「あの、私たちのパーティに出席されてはいかがでしょう」
「パーティ?」
大きく口を開き、大げさなりサクションを取るリサ。
「ええ、もちろん。おふた方、揃って」
かすかに口元をほころばせて、女性は言う。
どうしたものか。二人は顔を見合わす。だが、話し合うまでもなく、答えはすぐに出た。
「じゃあ、よろしくおねがいします」
リサは笑顔で伝える。
すると彼女も頬をゆるめた。つきものが落ちたようなすっきりとした表情だった。女性もまた救われたのだと、理解する。それによって、こちらの気持ちも明るくなるようだった。
宴の会場は女性の館だった。広々とした空間にはシャンデリアが吊り下がり、キラキラとした宝石のような輝きを散らす。中にはドレスやタキシードを身に着けた美男男女が多くいる。いくら女性が見繕ってくれたドレスを身に着けているとはいえ、浮いていないだろうか。レイラがそんな不安を表情に出す。
「場違いじゃない? あたしたち、いくら誘われたからって」
「でも、断るほうが悪いよ」
自ら影へ行きたがるレイラに対して、リサは気楽に構えている。
「行こ、行こ。もっと真ん中に。このパーティ、私たちが主役みたいなものなんだし」
「それは驕りすぎよ。元はといえば鎮魂のためでしょう」
「そうだったっけ?」
「ええ。亡くなった人の魂を慰め、次へ進むための」
神妙な面持ちでレイラは答える。もちろん、本来の目的に関してもリサは忘れていなかった。それはそれとして、このパーティは前に進むための一歩なのだろう。それならば通夜のように思い詰めるのではなく、明るくしなければ駄目だ。そう盛り上げるべきなのだと、リサは思う。ゆえにこそ、彼女はおのれの身分や外見など気にもせずに、前へとグイグイ突き進んでいく。
テーブル席の向こう側の広々とした空間では、男女が踊りを踊っている。ピアノの奏でる音楽が耳に心地よい。これはなにの曲なのだろう。学のない彼女たちではピンと来ないが、とても穏やかでゆったりとした響きだ。いつまでも聞き入っていたくなるほどに。
「あっちにも行ってみたいけど。まずは食事だよね」
テーブルの席の真ん中にやってきて、堂々と着席する。そこにはまるごと焼いたチキンや、温かいスープが置かれている。グラスには赤いワインが注がれ、芳醇な匂いが鼓膜を揺らす。
こんなものは初めてといってもいい具合に豪勢だ。早く手をつけたくなる。いいや、遠慮なんてしていられない。リサはすぐさまフォークとナイフを手に取り、食事に食らいついた。
その様を見て、レイラも真似てみる。彼女よりは上品にまずはサラダに手とつけ、口に運ぶ。本当はこんな場所よりもこじんまりとした空間のほうが自分に合っている。誰か、高貴な者と一緒にいるなんて、やはり違う。だけど、リサは違う。彼女はどのような場所でも輝いていた。明るい少女の姿を見ていると、身分なんて関係ないのだと突きつけられる。それはレイラの持つ根っからの暗さを引き立てているようでもあり、また劣等感が膨れ上がる。それでもリサがせっかく明るくしようと言ったのだから、卑下するのもやめておこう。レイラはひそかに思い、目をそらすのだった。
「リサさんかな」
そのとき急に爽やかな男性の声がした。それはリサにとっては聞き覚えがあり、心の底では求めていたものでもある。
彼女は顔を上げ、そちらへ顔を向ける。視界に飛び込んだのは整った顔立ちをした青年だった。色白の肌と対象的な黒髪に、きれいな身なり。そんな彼の容姿を見て、心が一気に過去に引き戻される。
過去といっても先日といった具合だ。だけど、彼と会わなくなってからの日々はどこか、遠くに感じた。とはいえ、忘れたわけではない。レイラと一緒に行動をしているときでも、彼のことは考えていた。会えてよかった。温かい感情が胸にこみ上げてくる。
「そういえば名前を教えていなかったな。俺はジーン。ジーン・マクラウドというんだ」
「へー、かっこいい名前」
純粋な気持ちでリサは伝える。
すると彼も爽やかに笑った。
「改めてよろしくね」
言って、リサは口角を上げる。
そして、二人で笑い合う。
両者の関係はレイラからすれば分からない。ただ、親しい仲ということは分かる。それがなぜかもどかしく思える。なぜ、自分以外の誰かとリサが仲良くしているのか。自分よりも大切に思う人がいるなんて、知らなかった。だけど、それは当然のことなのかもしれない。リサにとってレイラは多数いる知り合いの内の一人に過ぎない。彼女にとっての大切な人なんてほかにもたくさんいる。自分はただよくしてもらっているだけに過ぎない。レイラは気付いた。彼女を求めていたのは自分だ。自分だけが彼女を欲していた。ただ、それだけだったのに、いつの間にか対等だと思っていた。それが今さら恥ずかしくて、顔が熱くなる。レイラはうつむき、固まった。
そうしている間にも、二人は勝手に会話をし、盛り上がる。その間に割って入ることはできない。だからちびちびとティーカップに注がれた紅茶を飲み、前方を睨むのみ。自分はなぜ、こんなところにいるのだろうか。陰鬱とした気持ちがレイラの心の内側に入り込む。せっかくのパーティなのに、全く楽しくない。どうせなら一人で過ごしたいのに。ああ、来なければよかったのかもしれない。一人で勝手に食事を進めつつ、人知れずため息を漏らした。
周りでもパーティは進む。男女の談笑する声にピアノのよい音。香水の甘い匂いに、肉料理の香ばしさ。全てが混じり合って、混沌としている。その中で一人だけ、取り残されたような気分になる。ああ、嫌だ。また一つ、つぶやいた。
「それでね、私たち、なかなかギルドランクを上げてもらえなかったんだよ。狩猟はできるからそれでいいんだけどね」
語りながらグラスを差し出す。
「それで一気にDランクまで上げるなんて、向こうも大胆なことをするんだね」
応えつつ、彼はグラスにワインを注ぐ。
また、リサはグラスに口をつけて、葡萄色の液体を飲む。
「でも、ランクのことは気にしてないよ。私は自分の好きなように活動できればそれでいいし」
「それで周りから見る目が変わるんだよ」
「うん。関係ないんだよ。誰にどんな風に見られていても。私がギルドで人助けをすることも、よく見られたいってことじゃない。ただ、私がそうしたいからってだけなんだよ」
ワインを飲むために饒舌になる。どんどん勝手に自分のことを口に出そうとする。
「君は立派な人なんだな。故郷ではさぞかし慕われたんだろう?」
「ううん。そんなことはないよ。むしろ、疎まれてたかな」
「どうして?」
ジーンが尋ねる。
リサは視線を落とし、目を伏せた。
「どうしてかな」
ただ、ポツリとこぼす。
どうして自分は村に受け入れられなかったのか。嫌われる理由が分からなかった。ただ、彼らの目は厳しかった。存在そのものが許されないとばかりに指をさす。だけど、彼らの言っていることは分からなかったし、なにが起きているのかすら分からない。尋ねても誰も答えてくれなかった。答える理由すらなにも。
自分はただそこにいるだけで疎まれた。自分に原因があるとしたら、彼らになにをしたのだろう。記憶の蓋は開かない。何度思い出そうとしても、なにも分からない。その内、頭がぐらぐらとしてきた。視界がかすかにかすんでいく。
あれ、どうしてだろう。急に意識が遠ざかる気配がした。目の前がうっすらと暗くなる。まぶたが重たく、降りていく。がくりと首が下がり、テーブルと額が激突する。
「え? リサ?」
そんな少女の高い声が遠くに聞こえた気がした。それを最後にリサの意識が消えた。
ぱちぱちと瞬きをしてから、まぶたを開ける。
最初に見えたのは天井だった。古びた板だ。それが長方形を描くように貼り付けられている。それからぐるりと視線を動かす。白い壁と、タンスが見えた。どうやら自分はベッドの上にいるようだ。
横からは太陽のまぶしい光が差し込んでくる。窓を見ると空は青く澄み渡っていた。
なにが起きたのか分からない。今の状況を理解できずにいる。頭の中は真っ白で、霧が入り込んだようになにも分からない。昨日の記憶を思い返そうとしても、なにも思い出せない。記憶はひどく曖昧だった。
ぼんやりとしていると、急に扉が開いた。ツインテールの少女が顔を出し、部屋の中に入ってくる。
「目覚めたの?」
「うん、ばっちり」
レイラが尋ねてきたため、明るく答えた。
「そ、よかったわ」
端的に彼女は口に出す。どうやらレイラはなにかを知っているらしい。そんな彼女の様子はどことなく不機嫌そうにも見えた。
「昨日、あの人が運んできたのよ。酔って潰れたあんたを」
「そうなんだ。うわ、恥ずかしい」
顔を真っ赤にして、頬を両手で抑える。
「あの人にお世話になっちゃったんだ。私、まだなにかしてないよね。変なこととか」
「特に、なにも」
ぎこちなく彼女は返す。
レイラは目をそらした。
「なにもされなかったわよ」
彼女はリサのほうを見て、口に出す。
それから彼女はリサに背を向けて、足を一歩進める。そうしてレイラは廊下へと出て、扉を閉める。リサは一人、部屋の中に残される。その閉ざされた扉の先を見つめ、彼女は固まっていた。
とにもかくにも宴は終わりだ。今日からまた新しい一日が始まる。さあ、頑張らないと。まばゆい日光に後押しされるように、リサはベッドから立ち上がった。
6
盗賊団を潰してからというもの、リサは指名手配犯の討伐も任されるようになった。受付嬢からの態度も、見ていて危ういような新人に対するものから、ベテランの冒険者へと見る目が変わった。以前、こちらを舐めて見て、ちょっかいをかけてきた男たちも、今ではすっかり鳴りを潜めた。時折、こちらと相対することがあるかと思えば、恐れをなしたように引っ込むばかり。バカにされないのはよいのだが、避けられているようで気分はよくない。おまけに悪人ならなんでも倒せてしまうといった風評もついた。無駄に期待をかけられ、採取などといった退屈な依頼を選べば、白い目で見られる始末。なんなんだろう。依頼なんて自由にこなしてもいいだろうに。とはいえ、自分が戦ったほうが多くの人を救えるのも事実だ。ひとまずは討伐依頼を数多くこなして、リサは実績を重ねていった。
ギルドのランクはぐんぐん上昇。レイラも釣られて成長していったのだが、彼女の場合はランクだけが高くなるだけで、実力が追いついていない。それでも、フォローとしてリサは彼女を連れて回った。時にはダンジョンに顔を出すこともあった。レイラは文句を言わなかった。自分のできることを精一杯こなす。おかげでリサも楽に攻略を進められた。
レイラは常に自分を低く見ている。ランクが上がっているのはリサのおこぼれに預かっているだけだとも口にした。
果たして本当にそうだろうか。リサは考える。この世には適材適所といった言葉がある。リサがアタッカーなら、レイラはサポートだ。火力はなくても構わない。盾になれるほどの防御力はあってもなくてもどちらでもいい。リサに必要なのは自分をサポートし、引き立ててくれる仲間だ。そのためにレイラと一緒に冒険をしていた。
いつまでも二人のそんな関係は続くと思われた。だが――
「さすがにこれは厳しいかな」
Aランクの依頼に目を通して、つぶやく。
内容は指名手配犯の討伐。名はサリヴァン。数多の女性を殺して回った男が、近くの廃村に逃げ込んだらしい。彼を倒してほしいと近隣の街から依頼が出たのだ。
「そうね。あたし、人質にはなりたくないもの」
レイラは素直に口にする。
「そうだよね。だったら私一人で行こうかな」
リサはさらっとそんな言葉を吐く。本当に一人で出発しようとする彼女を横目に、レイラは困ったように眉を寄せる。
「本当に大丈夫なの? 一人で」
「うん。私なら平気だよ」
リサは胸を張って答えた。
実際にリサは自信があった。自分なら誰とでも戦える。どれほど人を殺した悪魔であろうと、親の仇であろうと、冷静に相対せる。第一、これは自分の実力を見込んで繰り出された依頼だ。それだけリサという少女の名声が上がり、世間に轟いているとも言える。この事実を素直に喜びつつ、彼女はギュッと拳を握りしめた。
なおも心配そうな目でリサを見ているレイラ。それに対して、周りのテーブルを囲う男たちは、からかうように声を上げた。
「お前が引き止めたところでなんになるんだよ」
「どこまでもおもりをしてもらいたいってか?」
「おこぼれに預かってばかりいる癖によぉ」
男たちは口々に言い、麦酒を煽る。あたりにはまた歓声にも似た笑い声が響き渡った。
レイラは彼らの言葉に言い返さなかった。ただ唇を引き結び、奥歯を噛む。言い返したいのに、なんの言葉も浮かばない。リサに頼ってばかりなのは事実。彼女は自分の力でギルドのランクを上げたわけではない。
彼女と一緒にいたところで前に出られるわけではない。リサはフォローしてくれるけれど、役に立てているとは到底思えなかった。そんな自分に嫌気が指す。そうだ、いつまでも甘えてばかりではいられない。
リサの実力を低くみているわけではない。ただ、死んでほしくないと思うだけ。危ない場所へ行ってほしくはないだけ。自分の手が届かない場所へ行ってしまうことが恐ろしいだけ。それならば追いかければいい。だけど、それはできない。そこは自分が手を出してはならない領域だ。なにより、もう彼女と関わってはならないような気がしてきた。
もう嫌だ。なにも考えてくはない。口の中でつぶやいた。
レイラはひそかに唇を噛み締め、足を動かす。
「レイラ」
自分を呼ぶ声が聞こえた。
なにか心が反応をする。
レイラは振り返らなかった。まっすぐに歩みを進め、出口から外へと出た。そうして彼女はギルドから姿を消した。
レイラの様子に不穏な気配はあった。けれども、リサは彼女を追いかけられなかった。今はそっとしておいたほうがいいと思うし、彼女を置いていくという判断をしたのは自分のほうだ。リサもまっすぐにギルドを出て、依頼のあった現場へと向かう。
細い道を通って、森を経由して、その奥にあった村へと入る。そこは確かに廃村だった。蓬や葎が茂る荒れた地面には、いくつか石造りの家が並んでいた。中身は空っぽでいくつかの建物はひび割れ、蔦が苔のように覆っている。空をめぐる風は乾いていて、温度をまるで感じなかった。
リサは淡々と道を進む。この人気のない場所で、殺人鬼はいったいなにをしているのだろう。よもや人を食らうわけではないだろう。ただ、隠れているだけなのか。そうであるのなら、見つけて倒すまでだ。
一軒一軒、家をめぐる。中には人がいない。本当に相手はいるのだろうか。訝しむようにまた一軒と回っていく。
あちらこちらに視線を巡らせながら、また進む。そうしたとき、急に前方から気配が生じ、影が伸びた。
前を向いた。そこには一人の男がいた。血に濡れた刃を手に持ち、黒いマントを身に着けた男だ。身なりは荒れているが、貧しさは感じなかった。彼がサリヴァンという指名手配犯だろうか。つり上がった目はギラリと光り、好奇に満ちた視線がこちらをとらえる。
リサは気圧されなかった。ただ無言で前へ進む。
「お前だな、巷で噂の冒険者とやらは」
男は口角をつり上げる。どこか挑発的な笑みだ。
「話に聞いていたよりは弱そうだな。本当にお前が俺の相手か?」
卑しむような視線。舐めてかかっている。そのことは癪だが、舐められているということは、相手を油断させられるということ。悪くはないはずだ。そう思いつつ、リサは強気に出る。
「そう。私はあなたを倒すためにここにいる」
「俺を。お前が? なぁに言ってんだ? んなことできるわけねぇだろ」
可笑しい可笑しいというように、男は天を見上げて哄笑した。
彼はリサを見ようともしない。彼女のことを弱き女にしか見えていない。それは誰だってそうだ。誰だって。彼女が実際に剣を振るうところを見なければ、彼女の強さを信じようともしない。それでもリサはどうだってよかった。彼女の役割は、敵を倒すこと。誰かの役に立つことだ。そして、目の前の男を倒すためにここにいる。
そして、目の前の男も彼女と似たような考えを持っていたらしい。
「まあ、いいさ。俺は俺の役割を遂行するだけだ」
彼の役割とはなにだ。人を殺すことだけではないのか? リサにはよく分からない。ただ、答えなど知る必要はない。疑問を解決する理由もない。自分には関係がないのだから。
リサは静かに剣を抜いた。さあ、戦おう。両者の視線が交錯し、バチバチと火花を散らした。
最初に動いたのはサリヴァンだった。彼は大きく一歩を踏み出すなり、地を駆けた。一気に距離を詰め、身の丈ほどの大剣を振り回す。リサはあえて受けにかかる。剣を前に出し、片腕で防御をする。
剣と剣がぶつかり合う。刃の大きさは違えども、力は互角だ。またバチバチと稲妻のような火花が散る。好戦的な表情で刃を振り下ろす男に対して、リサは顔色一つ変えない。
それからも二人は剣を打ち合った。剣戟の音が廃墟に響き。まるで鍛冶屋の中のような熱気があたりに広がる。もっとも、実際は熱くなっているのはサリヴァンだけで、リサはいたってクールだった。彼女の冷めた様子はサリヴァンのほうにも伝わってくる。
リサは手を抜いているわけでも、油断しているわけでもない。ただ、様子を見ているだけだ。対して男は全力で戦っている。大剣を使って、真っ二つにしようとしている。なんなら最初の一撃で彼女の命を奪うつもりだった。にも関わらず、少女はあっさりと攻撃をいなしてしまった。その事実が彼の心にひびを入れる。どうしようもなく屈辱的だ。こんな娘ごときにあしらわれているのも、防御をされているのも、いい戦いをしているのも。なにもかもが納得がいかない。手こずるわけにはいかない。
だから懇親の一撃を彼女に叩き込む。サリヴァンは剣を振り下ろした。すると、リサはすっと後ろへ下がる。両刃の刃は空気をなぞった。誰も傷つけることはなく。
リサは冷静に相手と相対する。頬には汗一つ浮かばない。剣を下げて立つ姿まらは、体から余分な力が抜けている。余裕のある彼女の姿を視界にとらえると、またサリヴァンの胸にマグマのように熱い思いがこみ上げてくる。
「ふざけるな!」
剣を振り回しながら男が叫ぶ。
「真面目にやらないか? もっと全力でかかってこいよ」
今の彼女は全力ではない。半分の力でこれなのだ。どうあがいても対抗できやしない。そんなことは分からない。だが、今の彼はヤケになっていた。もうどうだっていい。なにもかも、壊れてしまえ。
「全力? 本当に? それでいいの?」
まっすぐな目をして尋ねる。彼女の瞳はなにも映していなかった。男のことなど見ていない。ただ、それで本当にいいのかと聞いている。ただ、それだけ。サリヴァンとしては彼女がなにを考えているのかなど、興味がなかった。本当にどうだってよかった。どうにでもなれ。心の中で叫んだ。
リサは彼の心を汲み取った。彼がそれを望むのなら、開帳するまで。
すっと息をすいて、吐いた。視線を落とし、剣を両手で握り込む。柄を握る両手に力を込めた。そして少女は顔を上げ、敵を見据える。クリアな瞳から稲妻のような光がほとばしる。
そして次の瞬間、刃からは太陽の力を凝縮したような光が繰り出された。
体の奥底から力があふれてくるのを感じた。自分の中で抑え込んでいた力が開放されるのも。
それを相手が望むのなら、そうしなければ決着がつかないのなら、やってやろうと思った。だが、結果はこの始末。
あたりにはなにも残らなかった。廃屋も、井戸も、樹木も。地面はさらに荒れて、砂煙に包まれている。そして、彼女が剣戟を放った方向には、深い溝が刻まれていた。それは冥府へ続く谷に似ていた。見ているだけで吸い込まれてしまいそうなほど深く、暗い。
そして、その先には一人の男が倒れている。荒れたマントを身に着け、横たわる姿。身をえぐられ、血を流している。髪はぱらりと乱れ、地面に広がる。男は目を開かない。蒼白になった顔からは生気を感じない。
続いて視線を廃屋のほうへと向ける。そこにはなにもない。荒野が広がっているだけ。嵐にでも遭ったかのような惨状を前に、リサは言葉を失った。ただ、本気を出してみた。たったこれだけのことで、世界が塗り替わったかのような、世界の全てが闇に染まったような衝撃が胸を衝く。
それが自分がやったことだと信じられない。なにが起きたのかも分からない。ただ、目の前の光景だけが事実。サリヴァンを殺した感触だけが、両手に残っている。
人を殺したことに今さら、悔やむことではない。これがおのれの役目だから。彼を殺したことが間違いだとも思っていない。自分の真の力はこんなものではない。もっと奥深く、強大な魔力が体内をうごめいている。
なぜ、自分はこうなのだろう。まともではないと分かっていた。普通の人間よりも強いと自覚をしていた。だから、どんどん喧嘩を売れた。森の奥深くでも、洞窟の中にだって突き進んでいた。彼女は敵を恐れなかった。誰を相手にしても勝てると信じていたからだ。そんな彼女は誰よりも自分を恐れた。今、自分の力が怖くなった。そう、いくら予想をしていたとはいえ、これほどの力だとは思っていなかったのだ。ただ、一般人と比べて強いだけだと思っていたのに。
今ある力がいつか自分の体を乗っ取ってしまうのではないかと、そんな悪寒が体に走った。
また、深く息を吸い込む。口をうっすらと開き、吐いた。
少女は目の前の惨状に背を向ける。剣を収めて、一歩を進める。彼女は歩き出し、村から出ていった。そうして元来た道を通って、街へと戻る。足取りは重く、トボトボとしていた。
空は黄昏に染まっている。帰っている内になにも見えなくなるだろう。暮れつつある空と同じように彼女の心も暗くなりつつある。
その折、思い出す。最近、自分の力が強くなっていることに。いつにも増して、体が軽い。どのような堅い物体も切り捨てられるような気がしていた。実際に剣を振るって見れば、あっさりと敵を薙ぎ払えた。それは簡単なことではない。普通の人間では成し遂げられない領域だと分かっている。無論、驕るつもりはない。自分と同じかそれ以上に強い者なら、いくらでもいる。例えば、空を制するドラゴンなど。だが、彼らのような存在が頭に浮かぶほど、自分の力はおかしい。こんなはずではなかった。ただ、普通の人間と同じ尺度で動ければ、それでよかったはずなのに。どうしてこうなってしまうのだろう。どんどん人から遠ざかっていくような気配がした。これから自分はどうなってしまうのか。不安だけが増していく。
歩いている内に街が見えてくる。街灯に照らされた街はやはり暗い。黄昏から夜へと転じた空は暗く、濃紺に包まれている。月光のか細い光も今は頼りない。夜の闇に飲み込まれてしまいそうな感覚を抱きながら、少女は通りへと足を運ぶ。そうして宿のある方角へと吸い込まれていくのだった。
7
宿の個室のこじんまりとした空間は、彼女にとっては居心地がよかった。周りに誰もいないプライベート空間も、他人の目を気にしなくてもいいところも。だけど今はどうにも落ち着かない。頭の中には先ほどまでの出来事が流れ込んでいた。討伐対象を殺した。自分の圧倒的な力で。鮮やかな色をした魔力が男を貫き、血で濡れさせた。もっといえば家屋をなぎ倒し、嵐の後のような惨状に追い込んだ。それは自分がやったことだ。分かっているのに、実感が湧かない。幻でも見ているのではないか。そんなことを考え、幻想にすがりたくなる。
思えば自分のことなのに、自分が分からない。自分のことが一番に分からない。
記憶だけは確かだ。いままで、ひなびた田舎で一人で過ごしていた。頼る者がいなかったため一人でイノシシを狩ったり、麦や野菜を育てた。家には資金が残っていたため、少しずつ消費していった。布を買ってきては裁縫をし、服を作って着た。一般に売っているよりも地味でみすぼらしい格好ではあったが、リサ自身は気に入っていた。
窓へ視線を向け夜空を見上げると、懐かしさがこみ上げてくる。それはいい思い出にするにはいささか苦い記憶の数々。昔は自分の居場所なんてなかったのだから、当然だ。あの日々には戻りたくはない。自分は冒険者として人生を終えるのだ。そう決意を固めつつベッドに寝転がり、目を閉じた。視界が黒く染まる。少女の意識は眠りの底へと沈んでいった。
「どうかしたのかな? 最近、一人でいるようだが」
「別に、なんでもないんだよ」
ギルドの隅っこでぼんやりとしていると、ジークが声をかけてきた。
「ただ、私は嫌なんだ。自分が自分でなくなるのが」
このごろの自分はおかしい。ときどき自分自身が闇に飲み込まれてしまうかのような悪寒がする。気を抜くと自分が自分でなくなるような雰囲気があるのだ。それは気にしすぎといえるのかもしれない。
「大丈夫だよ」
そんな彼女に対してジークは優しく声をかける。
「君がどんな存在であろうと、君は君でしかない。リサはリサだよ。力がどうとか関係ない」
彼はなにもかもを分かったように言う。
ジークが言うのなら信じてみる気になれる。
「うん、そうだよね」
無理やりにでも笑って、自分に言い聞かせるように口に出す。だけど、やはりぎこちない。本当にそうであればいいのに。どんな力にも惑わされず、毅然としていられるような芯の強さがあればいいのに。
怖くて怖くてたまらない。
弱気になる自分を抑えつけ、少女は顔を上げた。
「さあ、相棒の元へ顔を出すんだ。彼女も寂しがっているよ」
「ああ、そうだ。レイラ」
ツインテールの少女の顔を頭に浮かべる。そういえば、彼女とは会っていない。こんなときこそ顔を合わせるべきだ。彼女と一緒にいればなにかが得られる。自分の気も晴れるのではないか。
そんな希望を抱きながら、リサは席を立つ。そして、ギルドを出た。彼女が向かう先は広場。普段、レイラと合流をする際に利用している空間だった。
レイラは街路樹のそばに備え付けられたベンチに座り込んでいた。うわの空といった様子で天を見上げ、灰色の雲を眺めている。じっと見ているほど面白いものなどないと思うのだが。そんなことを考えつつ、リサは彼女に近寄る。
「ああ、今日は着たのね」
レイラは顔を上げ、視線を合わせる。その目はどこか虚ろで、口調も淡々としていた。
「ごめん」
会って早々、リサは謝る。
「なんでよ」
「なんでって私……ずっと一人で」
「そんなの知ってる。でも、あんたはずっとなにかに悩んでた。一人にしておいたのはあたしの意思よ。だって、あたしがそこに突っ込めるわけないじゃない」
レイラは肩をすくめ、そっぽを向いた。
彼女は彼女なりにリサのことを心配し、気を使っていた。その事実にいささか救われる。リサは肩から力を抜いて立つと、あらためてレイラと向き合った。
「あんた、遠慮してるの?」
「そんなことないよ」
「でも、最近は一人で採集ばかりしてたでしょ」
それはそうだ。
どうしても誰かを巻き込みたくなかった。
「私、戦うのが怖いんだ」
リサはさみしげに笑い、口に出す。
レイラは少し目を大きくした。
「意外ね。あんた、そういう感覚とは無縁だと思ってたんだけど」
「私もそう思ってたよ」
今の今まで戦いを恐れた経験はなかった。ここに至るまでまさか自分自身に恐怖を抱くなんて、思いもしなかった。
自分が変わっていくような予感がする。自分が自分でなくなる。少しずつ侵食されていっているのだと感じて、体が震える。
それでもいつまでも現状を変えようとしないのは問題がある。
戦いが起きても大丈夫だ。前回までがおかしかっただけで、次からはきちんと自分を制御できる。大丈夫、大丈夫と心の中で何度も唱える。そして、リサは顔を上げ、レイラに伝えた。
「行こうか」
眉を垂らし、口元をほころばせた。レイラは無言だった。少し目を見開きながら、口を閉ざす。だけど、拒絶はしなかった。
二人は外に出かける。
今回は採掘クエストを選んだ。つるはしを片手に洞窟に入り込み、採掘を始める。石を砕いて少しずつ掘り進める。表層には大したものはなかった。場所を変えて、さらに奥へと進む。カンテラで道を照らしつつ、鉱脈を探して、あたりをウロウロとする。
それから光るものを見つけたため、掘ってみる。ガッと硬いものにつるはしが当たった。周りの石をどかして見ると、大きめの鉱石がくり抜かれた。暗くてよく分からないが、キラキラとしているのは分かる。磨けば装飾品として活用できるだろうか。活用するのなら装備にしてみたいが、依頼主に届けなければならないため、そんなことを考えても意味はない。
ほかには宝石の類も見つからないかとワクワクしていたのだが、それらしいものはなかった。元より原石は普通の岩と見分けがつかないため、見つけてもスルーしていたことだろう。高く売れるのはよいのだが、見つからなければ意味がない。
そんなこんなでたくさんの鉱石が手に入った。後は帰るだけだ。
「あーあー、こんなに掘ったのに、全部依頼主のものだなんて」
「そういう依頼なんだから仕方ないよ」
「あんたはそれでいいの?」
「うん。お宝がほしいのならトレジャーハンターになればいいしね」
リサは特になにも考えていない。自分が誰かの役に立てるのなら、それに越したことはない。もちろん、生活ができるだけの金が手に入るに越したことはないのだが、逆にいえば生活ができさえすれば後はなんでもいい。きちんと報酬は受け取っているのだから、十分だ。リサはあくまで明るかった。
とにもかくにも洞窟から出る。外気は澄んでいた。暗くて湿った空気の漂う場所にいたため、一気に開放された気分だ。清々しい雰囲気が心を癒やす。さあ、後はフルールまでも道のりを急ぐまで。
さっさと足を街のある方角へ向けようとした矢先、リサはなにかの気配に気づく。
びくりと体が反応した。ぞわりと妙な感覚が肌を撫でる。振り返るとそこには見知らぬ顔があった。男だ。身なりはお洒落で髪型もきちんと整えている。一見すると気を許してしまいそうなほど、普通そうな人間だ。それなのに血の臭いを濃く感じる。相手はただ者ではないと本能が告げていた。
「よう、会ったな。探したぞ」
男は口角をつり上げる。
またぞわりと肌が泡立つ。男は言うなり剣を抜いた。刃がひらめき、鋭い光を放った。
レイラは警戒した目つきになる。今すぐにでも逃げようか、戦おうか。迷うレイラに対して、リサは渋々といった様子で前に出る。どうせ、戦わなければならないことは分かっている。相手の言い草からして、わざわざ勝負を挑むためにやってきたのだろう。それならば、答えてやるしかない。
「レイラは下がってて」
「ううん。あたしもサポートをするわ」
男はまたニヤリと笑った。
彼の獲物は騎士が使うものよりも短く、荒々しい見た目をしている。剣士というより盗賊といった雰囲気のイメージ。乱暴に振り回しながら向かってくる姿は、獣じみていた。
剣と剣がぶつかり合い、火花を散らす。
リサは奥歯を噛み締めた。
全身の力を振り絞って相対しているつもりだ。それなのに、全力を出している気がしない。これ以上の力を込めれば、またあのときのようになる。なによりも心の底で臆している。本当に戦っていいのか、逃げてもいいのかと。迷いで腕が鈍る。リサは攻撃を受け止めるので精一杯だった。
「闇色の鎖は汝を縛る。罪と共に汝を漆黒に捕えよう」
横から詠唱が飛ぶ。
レイラの手のひらから闇色の鎖が飛び出し、男に巻き付いた。
「呪術か。ハ、こんなもの!」
男は哄笑し、腕に力を込めるなり、強引に鎖を解いてしまった。
目の前で彼が自由の身になる。
レイラはあっけに取られた様子で固まった。
やはり、相手は普通の敵とは違う。さすがは指名手配犯といったところか。全力で戦わなければならない。
こちらは命がかかっているのだ。レイラを傷つけるわけにはいかないし、容赦もしている場合ではない。手を抜いていられるほど、甘く考えているわけではない。なに、力を出すことなら簡単だ。あのときのようにやればいい。意識していれば、制御できるはずだ。だからそれにかけて、両手で剣を握りしめた。
リサは刃を振るう。柄を両手で握りしめると全身から力があふれてくる。ふわりと髪が空気を含んだように舞う。風が吹いているわけではないのに、木々が揺れ、葉が散った。男は空気の変化を感じたらしい。身構え、対抗しようとするも、すでに遅い。リサの力は相手の想像を越えていた。
瞬間、暴風が巻き起こる。風が刃となって男に襲いかかる。
「きゃっ!」
横で短い悲鳴が上がる。その少女の声を聞いた瞬間、意識が現実に戻される。はっとなって、腕を下ろす。同時、風の刃が四方に展開された。木々はなぎ倒され、前方にいた男もまた、突風に身を押されて、倒れた。その身は風によって切り裂かれ、血の色に染まる。
リサはただぼうぜんと視線をさまよわせる。なにもしていないのに勝手に全てが切り裂かれていく。空気が鋭さを増す。ずいぶんと荒れた、乾いた雰囲気。世界すら変わってしまったような様子に、唖然とする。
ほどなくして風が止む。だけど、生きた心地がしない。なにが起きているのかすら理解ができなかった。
男は倒れたまま動かない。完全に息の根が停まっている。まただ。また自分は加減すらできずに力の思うがままに、殺してしまった。だけど、彼女が気になっているのはそこではない。
「レイラ」
急いで彼女のほうを向く。
レイラは肩で息をしていた。肩のあたりかあら一滴の血が流れ、滴り落ちる。血に濡れた姿を見て、呼吸が停まるかと思った。急いで駆け寄るも、レイラは首を横に振った。
「大丈夫。ちゃんと防御したから」
そのような問題ではない。
恐れていたことが起きた。彼女を傷つけてしまった。その事実が心を動かす。リサの顔色は青ざめ、なんの口も聞けなかった。
どうしてだろう。どうしてこうなってしまうのだろう。これが自分の力だと思うのか。敵も味方も傷つけてしまうほどの強大な力。こんなもの、ほしくはなかった。現実とは思えない。自分のものとは思えない。それなのに目の前の現実がそれが真実だと突きつけてくる。あたりには風の刃によってなぎ倒された木々が転がっている。拾い集めれば採取のクエストも楽にこなせるだろうというほどだ。
全て、自分がやって。全部、自分が傷つけた。自分がなによりも悪い。分かっている。言い訳はできない。目の前から離れない。悪夢のように視界にこびりついて、心を責め続ける。リサはしばらくの間、顔をあげられなかった。
それから二人はフルールに戻った。レイラはきちんと手当を受け、療養のためにリサから離れた。幸いにも薄皮一枚かすっただけだったらしく、傷は大したものではない。大丈夫だと彼女は言った。その言葉をリサは信じている。気を使っているわけでも、強がっているわけでもない。本当に大丈夫なのだ。大事には至らなかった。それが不幸中の幸いなのだろう。そうであってほしい。
だけど、安心はできない。彼女を傷つけてしまった。自責の念が膨れ上がる。
宿に戻って、個室に入る。真っ暗な部屋の中でリサは座り込んでいた。食事の時間になっても、食堂へ向かわず、また引きこもっている。灯りがついていないため、部屋の中は暗い。心まで暗く染まってしまいそうだ。
うつむき、唇を噛み締める。ギシリと奥歯を噛み締めた。
そうしていても、状況は変わらない。自分を責めたところで時は巻き戻せないし、なかったことにもならない。だけど、今だけはその理を覆してほしかった。頭をかきむしり、うなだれる。
なおも時は加速していく。夜の闇は濃くなり、漆黒に包まれた視界はなにも映さない。そうしている内になにもしたくなくなる。リサは現実から目をそらすようにベッドに横になり、目を閉じた。
その日、夢を見た。
幼い少女が辺鄙な村で暮らしている。彼女が住むにしては大きな家の中で、一人両親を待っていた。まだかな、まだかなと。昔の彼女は母と父が死んだという知らせを理解できなかった。ただ一人取り残され、時が流れるのを待つだけ。退屈で、つまらなくて、地獄のように重苦しい空気。
窓の外を見つめては涙を流す。眉を垂らし、口を開けて、声を上げた。悲鳴にも似た声は夜の空に響き渡る。その内、彼女はもう耐えきれなくなって、気がつくと暴れていた。
なお、実際は自覚もなく、ただ魔力がうねるままに直立していた。その鮮やかな色をした光は少女の周りをまとわりつき、周囲へと霧散する。魔力は空を赤く染め、衝撃派をあたりにはまった。風の刃が家屋を貫き、木の板が地面に散らばる。人々は逃げ惑い、なにが起きているのかすら分からないまま、喚いた。
その内、人々はとある少女に視線を向ける。彼女は泣いていた。わーわーと泣きわめきながら村を歩く。彼女が進めば近くにあるものが壊される。止めようと飛びかかった者たちは弾き飛ばされる。人間たちは次々と傷つき、倒れていく。
そう、全ては彼女が犯したことなのだ。
極限まで達した悲しみが体の奥底に眠る力を解き放ち、村を破壊したのだ。
そして泣きつかれた少女は地面に横たわる。村人たちはようやく彼女を取り押さえ、その腕にある拘束具を着けたのだった。
そうして全てが終わった後には災害が通過したような惨状が残るのみ。少女の出した被害を見て、人々は彼女を恨み、憎んだ。もはやそれは人間として扱えない。村に魔物が入り込んだようなものだ。彼女がいるから被害が出る。皆も傷つく。いなくなってしまえばいいのに。この世に生まれなければよかったのに。
なぜ彼女が力を持つのか、誰も知らない。彼女はただ、生まれてからそうだっただけ。いわゆる、突然変異のような代物だ。もっとも、それは単なる言い訳だ。彼女の出した被害。その事実だけはどうあがいても覆らない。彼女がやった。彼女が殺した。自分がやったことだ。
目を開け。
記憶を脳内に蘇らせ、少女は唇を震わせた。
そう、自分がやった。
だから疎まれ、避けられ、追い出された。
ああ、そうか。
そういうことだったのか。
心が震える。
最初から自分は化け物だった。そうと分かっていたのなら、もう誰とも関わりなど持たなかっただろうに。嘆き悲しむ少女の心に、暗い影が入り込む。
果たして自分は存在してもよかったのだろうか。存在そのものが罪というのなら、死なねばならない。化け物ならそれらしく、倒されるべきではないのか。だけど、自覚するにはあまりにも遅すぎた。なにもかもを見なかったこと、なかったことにしようとしすぎた。もう遅いのだ。深めてしまった関係性にすがるように、リサは唇を噛み締める。
ただ、いたたまれなくて仕方がない。自分という存在そのものが許せず、頭を抱えたまま、息を呑んだ。
そうしていてもなにも変わらない。過去だけが今の自分に襲いかかる。ああ、どうしてこうなってしまったのか。まともな生き方はできなかったのか、させてもらえなかったのか。ただそれだけ恨みたくなった。そのような資格がないことをなによりも本人が知っているのに。
8
少女は一人、埃まみれの部屋の中から窓を見ていた。映る空は曇っている。灰色がかった色は彼女の心まで曇らせる。
ポジティブに考えようとはしているのだ。強大な力が手に入ったということは、大切なものも守れるということ。力を振るえば、どんな悪党だって倒せる。街を食らいし獣も、村を滅ぼす天災も。自分の身一つで対抗できる。それを手に入れたこと自体は、誇るべきだ。
だけど、それ以上に自分自身も災いであるという事実に、耐えきれない。たくさんの人を救えるということは、もっと多くの人間を葬れるということ。彼女が向ける牙が悪人だけにとどまらない。意図せずとも他者に危害を加える可能性がある。暴走したら最後、誰も彼女を止められない。制御できないということがどれほどおそろしいか。
知らず、体が震える。自分は普通の人間とは違う。嫌というほど思わせて、不安になる。そもそも、本当に人なのだろうか。この自分はただの人間だと言えるのだろうか。
これだけは言える。かつて少女を疎んだ人々は正しかった。彼女を突き放した村人たちの選択は間違っていない。おかしいのは自分のほうだ。存在すること自体がおかしいのだ。そんなことばかりが頭に浮かんでは川のように流れていく。
リサはただ頭を抱えて、うなだれた。
引きこもってからどれほどの時が流れたのだろう。窓の中からグラデーションがかった空を眺め続ける。その色は青から紫がかった色、そして赤や橙、藍色へと落ちていく。太陽が沈めばあたりは暗くなる。照明をつけていない室内では、周りのものがよく見えない。
結局、なにもせずに過ごしてしまった。このまま怠惰に生きるのは悪くはない。なにもせずとも呼吸ができることほど、素晴らしいものはない。だけど、それでは駄目なのだ。分かっている。働かなければ資金は手に入らないし、食べ物も手に入らない。身の回りのことくらいはやらなければならない。炊事洗濯、あと掃除も。風呂にも入らなければならない。だけど、妙にやる気が出ない。いつまでも外を眺めて、同じイスに座り込む。
別にこうしていたいわけではない。暇は嫌いだ。退屈はつまらない。好きでこんなことをしているわけではないのに、どうしてここにいるのだろうか。自分はいったい、なにがしたいのだろう。なにをすればよかったのだろうか。頭の中には様々な思いがあふれては、消えてゆく。まるで太陽に溶かされた雪のように。
言い訳を繰り返しながら時間を無為に消費していく。一日が終わるとすぐにベッドに上に横になり、一日を終える。眠りにつけば時間が加速し、あっという間に夜が明ける。窓の外は明るい色に染まっている。日は昇り、部屋の中に透明な光が降り注ぐ。
世界は清々しい空気に満ちている。だけど、少女はまったく起きた気がしなかった。このまま、なにも起こらないまま日々が過ぎ去ればいいのに。もっとも、そうはいかないことくらい、分かっている。溜めた金で生活をするのにも、無理がある。
渋々、ベッドから身を起こす。ひとまずは朝食を済まし、行動を移そうとする。
そんなとき、急にドアを叩く音がした。玄関までやってきて、扉を開ける。外に立っていたのはツインテールの少女だった。眉を寄せ、つり目がちの瞳でこちらを見る。
「様子を見に来たのよ。あんた、ずっと外に出てこないし」
ぶっきらぼうな口調で告げる。なんの気はなさそうに見えたが、その目は彼女が心配だと告げていた。
一瞬、はねのけたくなった。出ていってほしいと言いたいくなった。そんな自分が嫌になる。だからこそ、自分は彼女を通さなければならない。
「分かった。中に入って」
手で示すと、レイラは中に入る。廊下を通って、リビングに入った。二人でテーブルを挟んで向き合う。
いちおう、彼女を受け入れたのはよいものの、どうにも気まずい空気が流れる。茶を出してみたけれど、互いに口をつけない。視線を下へ落として、無言のまま、そこにいる。部屋には沈黙が落ちる。
「私、化け物なんだ。知ってるよね?」
唇を開く。
思いの外、元気のない声が出た。本当なら自虐風のギャグを言うように笑い飛ばしてしまいたかったのに、そんな温度にはならない。ひどく深刻そうで、相手をより心配させたような気がした。
こうなっては後戻りはできない。リサは本心を伝えることにした。
「私はきっと普通の世界にいてはいけない人間なんだよ」
「そんなこと、誰も言ってないでしょ」
「言ったんだよ」
首を横に振る。
かすかに口元を緩めると苦々しい笑いがこぼれた。
「みんな、私を悪く言った。村の人たちに嫌われたのは、私が悪いんだ。自分が撒いた種なんだよ」
「そんなことはないわ」
「あったんだよ、実際に」
頭の中には自分が破壊した村の情景が蘇る。実際に見たわけではない。ただ、そこには天災が通った後のような惨状があった。人々の泣き叫ぶ声に荒れた大地。崩れた家屋に、荒れた庭。
「私はきっと人を殺したよ」
自分の手が届かない場所で、彼女の放った魔力は誰かを傷つけた。誰かの生命が散らせた感触が、手のひらに染み込む。それは幻だけど、実感のこもったものだった。
「それでもあんたはたくさんの人を助けてきたじゃない。救われた人だって、きっといる」
力強い声で彼女は主張する。
「自分の価値そのものをなかったことにしないでよ」
レイラは瞳を震える。眉をハの字に曲げ、唇を動かして。
それはすがりつくような、祈るような言葉だった。
リサはうつむき、視線を落とす。テーブルの上にはグラスが震える。透明な容器の中で茶色のお茶が揺れる。生じた波紋は雨を受け取っているようにも映る。
心は晴れない。誰になんと言われても、自分の安全は証明できない。自分ですら制御をできないものを、いったい誰が抑えられるというのだろう。唇が震える。なにか、強い言葉を吐きたくなった、思いっきり感情を表に出したい。もう、泣き叫んでしまいたかった。心の中に嵐のような感情が渦巻き膨れ上がる。この自分の気持ちには誰にも寄り添えない。なにもかも、暗く染まってしまったような感覚に落ちていく。
「無理だよ」
ただ一つ、彼女はこぼした。
「私は危険すぎる。もう誰も傷つけたくないのに」
激しく唇を動かした。首を振ると髪が揺れた。
「もう誰も傷つけたくない。いっそ消えてしまいたい」
心が暗く染まっていく。周りが薄く暗く沈む。暫時、風が止まった。目の前でレイラが息を呑み音がした。彼女はなにかに気づいたのか、目を見張る。
レイラは答えない。顔も上げない。ただ、ここにいたくなかった。消え去ってしまいたいと言ったのは勢いに身を任せてしまった結果だが、撤回する気にはなれなかった。冗談だとごまかすことすらできない。
だけど、自分がこんな弱気になるだなんて、予想もつかなかった。昔はどんなに強い力を振るっていても、誰でも倒せるのだからそれでよいと思っていた。守るものはあれども、人々を傷つける可能性なんて、頭に浮かばない。しかし、実際に誰かを傷つけてしまった。村を半壊に追い込んだおのれの力が怖くてたまらない。自分が一番に怖いと感じるのだ。周りにいる者はどれほどの恐怖を味わったことだろう。
本当にどうして生まれてしまったのだろう。そんな思いが心をかき乱した。
そのとき、急に髪がふわりと舞う。カールし、空気を含んだ毛先。なぜか風が吹いている。少女の体を魔力が覆い、溢れ出す。
レイラはあっけに取られて固まっている。リサはもうなにも考えられない。ただ、心が思うがままに、身を任せる。彼女からあふれ出た魔力は一人でに動き、暴走を始めた。
暴風が吹き荒れ、家がきしむ。
「待って。あんた、それじゃあ自分そのものを滅ぼしちゃう!」
レイラが悲鳴に似た叫びを上げる。
リサの耳には届かない。だけど、彼女が必死になってくれていることは分かった。それだけは嬉しく思う。自分によくしてうれる相手がいるだなんて、村にいたときは想像もつかなかった。誰にもよく思われないから、それが当たり前だと思っていた。誰にも必要とされないのなら、もうなにも期待しない。そういう風に生きてきたから、今の自分が信じられない。
だけど、自分には過ぎた思うだ。もういい。終わりだ。だからこれでいい。滅んでしまっても構わない。本気で、心の底から思った。
そこへ急に誰かの体が迫る。腕で体を捕まり、抑えられた。はっと目を開け、瞬きをする。
目の前にはツインテールの少女がいた。彼女はリサを抱きとめ、止めようとしている。そのことを理解できたのは数分が経ったころだった。
「大丈夫。あたしがいる。あんたがどんな存在に変貌してしまっても、あたしが止めて見せる。だからお願い。消えたいなんて言わないで」
懇願するように、レイラは伝える。
その思いを身に受け、リサの心が震えた。そして彼女は自分が動けなくなっていることに気づく。目の前にいる少女だけは傷つけたくない。遠ざけたくない。彼女がほしい。本当に求めている。今ようやく気付いた。ああ、これでよかったのだ。彼女とそばにいて、今の状態で。レイラに身を任せて。
彼女は今の自分でも認めてくれている。化け物と化してもそれでいいと言ってくれた。だったら、それでいい。そう思うと心が落ち着いてきた。風は吹き止み、家は落ち着きを取り戻す。体を覆っていた魔力は収まり、素の肌に戻った。
「痛った」
レイラが顔を歪める。よく見ると彼女は血を流していた。力を暴走させた少女を受け止めようとしたから、怪我をしたのだ。リサは急いで少女に触れて、魔力を注ぎこんだ。
自分ならやれる。今の自分なら彼女を癒せる。
目を閉じ、体の中へと意識を集中させる。魔力の色は赤から緑へ。集中力を高めると頭が冴えてくる。体の中を巡る力を視認できる。それは実際に目の前にあるわけではないけれど、確かに存在はする。その川の流れに身を任せるようなやり方で、彼女は本質をとらえた。
目を開ける。視界には緑色が広がった。
「ああ……!」
レイラは口をあんぐりと開け、目の前の現象に見入っていた。リサの放った緑は傷口に入り込み、血を止め、傷を塞ぐ。肌はあっという間に元に戻り、つるんと照りを取り戻した。
「これって、回復魔法……?」
レイラはぼんやりと口に出す。
「そう、みたい」
実際に回復術を学んだわけではないけれど、やってみればなんとかなった。今回はまぐれのようなものであるため、狙って繰り出すことはできない。だけど、レイラだけは殺したくなかった。だから全神経を集中させて、実行に移したまでのこと。
「すごい、やっぱりあんた、すごいんだ」
レイラは勢いよくリサの両手を取った。ぱっと見開いた瞳はキラキラと輝いている。本当に感激しているといった雰囲気だ。彼女の放つ圧があまりにも強くて、あっけに取られる。
彼女は言った。すごいと。それは本心からの言葉。レイラを信じられるからこそ、リサの心にも響く。うつむきがちに少女は笑った。
「うん。レイラのおかげだよ」
「どうして? 私はなにもやってないわよ」
レイラはとぼけたような顔をする。
だけど、自分が回復の術を使えたのは、彼女がいたからなのだ。
「レイラがいたから私はここに留まってるんだよ」
はっきりとリサは言葉をつむぐ。
「私、あなたと出会えてよかった」
彼女を見上げ、微笑みながら伝える。
すると、レイラは口を閉ざした。無言になる。ただ、肩を震わし、なんともいえない表情で彼女を見澄ます。
「あんたはそう言ってくれるのね。なんの取り柄もないあたしに」
レイラは問いかける。
リサはうなずいた。
素直な彼女の反応を見て、レイラはなにも言わない。だけど、彼女の気持ちは分かる。それはまさしく万感の思いなのだと。
「私もやっと救われたんだ。攻撃だけじゃなく、回復もできる。そうだね、私は破壊だけをもたらす存在じゃなかったんだよ」
当たり前のような事実を飲み込む。
今の自分はもう消えない。ここにいる。レイラと一緒に。
そんな彼女を見てレイラ本人も安堵を覚えたらしい。
それから二人は無言で見つめ合う。穏やかな雰囲気の中、ゆるやかに時が流れていく。いよいよ太陽が天高く上るような時間になって、ようやくレイラは口を開いた。
「とりあえず、外に出るわよ」
「うん」
レイラの言葉にリサはうなずく。
二人は席を立つ。
廊下へと出て玄関までやってくる。扉を開けて、外へ出た。久しぶりに味わう外の空気は爽快で、降り注ぐ日差しも暑くまぶしい。真っ青な空の下にいると生きていると実感が湧く。吹き抜ける風は涼やかで爽やかなさを強調する。ああ、ここにきてよかった。今ようやく、心の中からほっとできた。
9
通りへ出る。街路樹の常緑が目にまぶしい。久しぶりに外に出たけれど、思いのほかためらいはなかった。周りの視線は気になるが、それが悪いものではないと、分かっている。皆、心配してくれていたのだ。その事実に心が安らぐ気分になる。
さあ、いままでサボった分を取り戻そう。拳をギュッと握りしめると、全身に力が入った。外気は涼しいけれど、体には熱いものが巡っている。休んだ分はこれから挽回すればよいだけだ。顔を上げ、ギルドのある方角を見つめる。さあ、行こう。
口の中でつぶやいたとき、急に背筋に冷気が差し込んだ。怪人と出会ったような感覚。後ろから影が伸びる気配がした。それはなにか、自分でも分からないけれど、悪い予感を心に突きつける。いったい、なになのだろう。分からない。ただ、薄ら寒いのは確かだった。
おそるおそる振り返ったところで、一陣の風が吹き抜ける。さらりと髪がなびき、横髪が頬を叩く。リサはハッと目を見開いた。前方――フルールの町並みを背景に立っているのは、ジーンだ。爽やかな黒髪に整った顔立ち、色白の肌が青い空に映えている。とても懐かしい彼の姿。会いたいと心の底では思っていた。だが、なぜだろう。今の彼は違う。なにか、言い知れぬものを感じて、黙り込んでしまう。
「残念だよ」
口元を緩めて彼は言う。しかし、その顔には影が差し込み、目が全く笑っていなかった。途端にぞっとしたものが背中を伝った。彼は違う。いままでのジーンではない。だけど、目の前に立っている彼は彼そのものだ。これはいったいなになのだろう。わけの分からない感覚に戸惑う。
「本当は暴走させておけばよかった。自我さえなくなれば操るのも簡単だからね」
彼は勝手に話し出す。疑問に答えるというより、自分が言いたいだけのように見えた。
「でも、なかなかに面白かったよ、君の様子は。何名かけしかけてみたが、あれを壊した程度であそこまで落ち込むとは。あんなもののために、傷つくことはない、悲しむことはない。それなのに君は悩んでしまう、沈み込んでしまう。なんて愚かで儚く、美しいのだろう」
男の口角がつり上がる。
リサは凍りついた。
「なにを、なにを言ってるの?」
ただ、震える唇を動かす。
目の前に立つ青年は果たして誰なのか。少なくとも、自分の知るジーンではない。顔が同じだからこそ得体のしれないものを感じた。否、それよりも先ほど彼は重要なことを口にしたのではないか。
「けしかけた。あなたが?」
彼女の頭に浮かんだのは、自分を狙ってきた指名手配犯たちだ。荒れた衣を身にまとった青年たち。彼らは依頼と口にした。誰かに頼まれたのだと。その依頼主が目の前にいる青年――ジーンだとでもいうのか。いささか信じられなかった。
否定してほしい。震える心を抑えるのに必死になる。
なお、少女の願いむなしく、ジーンはあっさりと答えた。
「ああ、そうだよ。全ては俺の仕業だったんだ」
放たされたその真実で、心が絶望に突き落とされる。目の前が真っ暗になる感覚がした。
「君は特別な力を持っている。あの日――変化した宝石の色を見て、察したんだ」
「宝石?」
言葉にする。次に頭に浮かんだのは、紫色の宝石だ。最初は別の色だった。もっと、爽やかな涼しげな色。それが自分が触れたことで変わった。それを見て、彼はなにかを感じた様子だった。そして振られたから必要ないと、彼女に押し付けた。
「ああ。君の力を見抜いたから渡したんだよ」
するっと彼は語りだす。
「君は力を封印されていたんだよね。それが分かれば、解くだけだ。俺はパーティの日に君と接触し、それを成した」
以来、彼女はおのれの中に眠る災害を連想するほどの力に悩み、怯えるようになった。
「じゃあ、じゃあ……」
うつむき、唇を震わす。
顔色は青ざめ、体から力が抜けていた。
「指輪を預けたのは私を支配下に置くため。悪人たちは捨て駒に……」
それが真実だ。
全ては彼の仕業だった。
ショックでならない。彼のことは信じていた。いざというときは頼りになるし、心の支えにしていたのに。裏切られたような気分だ。
だけど、それが真実ならば仕方がない。これは事実げ現実だ。ひそかに少女は自分の感情を飲み込んだ。
衝撃こそ受けども、悲しくはなかった。彼が自分の知る彼でなくなったとしても、人生が終わるわけではない。
「私はそれで構いません。あなたはそう。そう受け入れるだけ」
顔を上げ、はっきりと伝える。
「怖くはありません。あなたになにと言われても、今の私は一人じゃない。なにより、私という存在が否定されたわけではないのだから」
すっと口元をゆるめて、笑みを引く。
彼女の顔色は戻り、晴れやかな色さえにじんでいた。
さらりと風が吹き抜ける。爽やかに髪が揺れた。
吹っ切れた様子の少女に対し、青年は不機嫌そうに、彼女を見据える。口元は固く引き結び、眉はキリリとつり上がっている。ギラリと光る瞳は、獣を連想する鋭さがあった。
「あなたはなにがしたかったの? どうして私を狙ったの?」
咎めるように尋ねる。
すると彼はハッと声を出して、笑った。
「決まっている。力がほしいだけだ」
力。
それはジーンの容姿からして、あまり連想できない言葉だった。
「事実は単純なものだよ。俺はただ、自分という存在を世界に知らしめたいだけだったんだ」
彼は淡々と口を動かす。
「お前を使役すれば俺は最強になれるはずだ。なにせ最強の人間だからな」
喜々として彼は語る。口の端はさらにつり上がった。
彼が欲望をつむぐ様は非常に楽しそうだった。話したくてたまらない。自分のことをもっと知ってほしいし、それをするのが気持ちよくてたまらないといった雰囲気だった。
「どうだ、仲間にならないか?」
男は手を差し出す。
「俺に操られているだけなら、誰かに危害を加える恐れはない。俺が支配してやるんだよ」
大きく口を開き、主張する。彼の声音は強く、ドスが利いていた。
対して少女は凛とした顔で相手を見据える。瞳は一ミリも揺るがず、目をそらすこともなかった。
「確かに私はあなたのことを想っていました。昔の私ならあなたに全てを預けたいと思ったでしょう。でも、今は違う」
はっきりと事実を突きつける。
「私はあなたのものにはならない」
まっすぐに彼を見据える。その瞳からメタリックな光が漏れた。
「だって私を救ってくれたのはあなたではないから」
今の自分があるのはレイラのおかげだ。自分が一番に大切に思っているのは、彼女なのだ。その彼女がいて、どうして別の男に近づく理由になろうか。
リサは剣を抜くなり両手に構えて、刃を彼へと向ける。いざ立ち向かわんと、足のつま先を敵へと向ける。
対して男は哄笑した。
「敵うと思ったか? すでにお前は俺の支配下だ」
指輪をはめた手を前に出す。
こちらの指輪も宝石がきらめく。
これはまずいと即座に悟った。すばやくリングを取り外さんと、指輪に触れる。だが、取れない。固くはまったまま、微動だにしない。まるで呪いでもかかっているかのように取り外せない使用になっていた。
思えば指輪をはめたときからこの調子だった。外そうと思ったことすらなかったため、気づかなかった。だが、こうなると分かっていたのなら、こんな怪しい指輪ははめるべきではなかった。どっと後悔が胸に押し寄せる。
そのとき、急に体の底で熱が灯る。自分の体が何者かに支配されているような感覚。熱い血が全身を巡る。凄まじいパワーの魔力が体の奥底からほとばしり、暴走を始める。抑え切れない。
くっと奥歯を噛む。自分はこんなものには乗っ取られはしない。自分に自分を奪われるなんて、あってはならない。それでも、強制的に引き出された力は、抑え切れない。一度、決壊した川から流れる水の量が止まらないのと同じように、彼女は自分を制御できずにいた。
もう駄目だ。乗っ取られる。全てを彼に奪われてしまう。それは嫌だと思った。自分は自分のままでいたい。誰のものにもなりたくはない。自分はここにいる。ここにいるのに、化け物になんて転じてはならないはずなのに。
目をギュッとつぶる。目の端からなにかが零れそうになる。そんな絶望にも似た感覚に視界が狭まっていく中、急に何者かが自分の腕を掴んだ。パアッと目を見開く。視線を横にすべらした。そこには少女がいた。ツインテールがひらりと揺れる。つり目がちの瞳でこちらを見澄ます。少女は力強い表情を浮かべていた。
「大丈夫。あたしがいる!」
大きな声で伝えた。
ほかの誰でもない彼女の言葉だ。すっと飲み込めた。そうだ。自分は一人ではない。自分の心と体を預けされる存在なら、彼女がいる。
リサはうんと頷き、前を見据えた。前方には真顔で立ち塞がらんとしている男の姿がある。彼は指を前に出して、こちらを操らんとしている。おそらく今回は成功だと思っているのだろう。だが、自分は彼の思い通りにはならない。
彼女は絶対に傷つけない。目を閉じ、体の奥底に意識を集中させる。全身を巡る魔力は自分のもの。自分のものは自分でなんとかしてみせる。その魔力を視認し、手繰り寄せる。
一度は荒ぶった精神も次第に静まり、冷静になってきた。心が落ち着けば魔力も落ち着く。体の外側を覆っていた魔力はじょじょに引き、少女は元の様子に戻った。どこから吹きつけていた風も消え、今は完全に凪いでいる。
「なに!?」
ジーンは目を見開き、口を曲げた。
驚きを隠せない様子だ。その彼のリアクションは立派なもので、ぐっと溜飲が下がった。
「さあ、見て。これが私たちの力だよ」
少女はカッと目を見開き、敵を見据えた。
さあ、最後の勝負だ。改めて剣を構え、刃を向ける。
「そうかよ。だったらこちらも相対するまでだ」
彼はばっと腕を横に広げた。
「強欲の罪を冠するものよ、いざ決戦のとき。汝は疾風。天空より誘え、いざ地に降り立たん」
詠唱をつむぎ、天を見上げる。
彼の視線の先にひびが入り、暗闇が生じる。その異空間の中から一体のドラゴンが飛来し、地に降り立った。相手が巨大な爪を地面につけると、石畳にはひびが生じる。まるで地震でも起きたかのようだ。そしてその琥珀色の瞳は黄金のごとく輝き、きらめく鱗は宝石のよう。鋭い爪に巨大な体躯は、人智の及ばぬ力を示しているかのようだ。
端的に言って、強そう。人間が敵う相手ではなさそうだ。だけど、全てはやってみなければ分からない。もっといえばドラゴンを召喚したということは、相手が自分の実力を証明してくれたようなものだ。自分ならやれる。そう言い聞かせ、彼女は立ち向かう意思を固めた。
ドラゴンは顔を上げ、咆哮を繰り出す。口をひらめた炎が噴き出す。
少女はひるまず一歩を踏み出す。剣を構え、振り上げた。ドラゴンが飛翔し、交わす。ならばこちらも追うまで。リサは両の足で地を蹴り、空中に躍り出た。
「はああああ!」
深く息を吸い、吐き出す。
力いっぱい、剣を振り上げた。
斬撃。
懇親の一撃。
刃はドラゴンの硬い皮膚を切り裂き、地に叩き落とす。どんと地上で大きな音と衝撃が走った。土煙に隠れて、そこは見えない。だが、やったはずだ。冷静な目をしつつ、少女は地に降り立つ。
そして、土煙が晴れる。そこには倒れ伏したドラゴンの姿があった。体には大きな傷が走り、皮膚には血が滲んでいる。すでに戦闘する力は残されていない。リサは無事に敵を倒したのだ。
「なんだと? こいつはエンシェントドラゴン。古より伝わる伝説の竜だぞ」
ジーンは衝撃を隠しきれないといった様子で口に出す。揺れる瞳からは動揺が伺える。だが、彼はすぐに前を向いて、ただ一人の少女を見据えた。眉は険しくつり上がり、表情は怒りか敵意かもつかぬ色に染まった。
「そうだな。お前こそが化け物だ。ドラゴンよりも強く、人間では敵わねぇ。それがお前なんだよ。お前は神の領域に足を踏み入れた。そこに近づきすぎた者にはろくな末路はありはしねぇ。お前は終わりだ。終わりなんだよ」
侮辱の言葉。挑発的な物言いである。彼は彼女を罵倒したくてたまらない。否定したくてたまらない。それでも今さら、彼女の心は揺るがない。確固とした思いに突き動かされるように、少女は一歩、足を踏み出した。
対して男も口角をつり上げる。
「いいぜ、やってやろうじゃないか。俺もあきらめるつもりはないからな」
剣を抜く。銀の刃がひらめく。彼が右手を動かすと、刃のきらめきが一筋の軌跡を宙に走らせた。
「うおおおおお!」
咆哮にも似た声を上げて、挑みかかる。
彼は剣を振り上げ、刃を貫かんとする。
されども、彼の力は届かない。
すれ違いざま、彼女は青年をさらりといなした。
彼を背に、直立し、刃を収める。
青年は倒れた。地に伏せ、動かない。起き上がる気力すらないようだった。
それでも、依然として彼には息があった。意識もきちんと保っていた。
「ざまぁねぇな。お前のような存在を支配下に置こうとしたこと自体が間違いだったのさ」
仰向けになり、自嘲じみた笑いをにじませ、彼は口に出す。
「それは違うわ」
そこへレイラが近づく。
「あんたが負けたのは彼女が化け物だからじゃないのよ。化け物ではなかったからこそ制御ができた。自分を乗り越えられたのだ」
断固とした口調で彼女が主張する。
なおも男は彼女の意見を受け入れようとはしない。ただ、くだらないとばかりに嗤うのみ。
「あんたがあの子の強さを見誤っただけなのよ」
「それは、そうだな」
それ自体は彼も認める。
「ああ、これは俺の敗北だ」
素直に認め、苦笑いを浮かべた。
リサはすっと振り返り、彼を見下ろす。ジーンは生きている。彼を殺さずに済んだ。その事実だけはよかった。たとえ悪人でも殺してしまうのは目覚めが悪い。手加減が敵うのなら、そうしたかった。
彼は自身が倒れたことを敗北としたのだろう。だが、リサにとっては違う。彼女は人を殺さなかった。命を奪わずに済んだ。彼女は自分に勝った。だからこれはおのれの勝利だ。
少女の心は充実感と達成感に満たされ、春のように晴れ渡った。
それからゆっくりと顔を上げる。見上げた空もまた、青く澄み渡っていた。
今ようやく、人間になれたような気がした。
エピローグ
ジーンは捕まり、騎士団に連行された。広場は騒然となり、見物人で溢れかえった。周りではざわざわと声がする。皆、好奇の目を二人の少女に向けている。その中でリサは一人、堂々と立っている。やましいところはないのだから、臆する必要もない。彼女に迷いはなかった。
一方で他の者たちはそうではないらしい。
「そんな……あの人が、まさか……」
すすり泣きにまぎれて、嘆きの声が聞こえる。若い女性だった。くすんだ色の髪を後ろで縛っている。ワンピース姿でいかにも道具屋を営んでいそうな見た目をしていた。彼女は例の男に好意を寄せていたのだろうか。ならば裏切られたのはそちらも同じだ。彼女のことを哀れに思う。それは他人事の感想であり、傲慢ですらあった。
だけど、本人は気にしていない。なにもかもが終わったあと。確かにジーンに想いを寄せていたのは事実。彼を頼りにしたいと願っていたこともあった。だけど、ジーンは少女に手を差し伸べなかった。優しくしたのは最初から裏切るためでしかなかった。要は最初から脈もなにもなかった。それに、相手の正体が正体だと知るとなるや、未練も分かない。むしろ、すっきりとした気分だ。リサは晴れ晴れと澄み渡った空を見上げ得る。今日はなんだかいい日になりそうな予感がした。
それからリサとレイラと同じギルドで働いた。遠くまで出向いて討伐依頼を勤しんだり、ダンジョンで獣に囲まれてピンチに陥っているパーティを救ったりもした。得た宝は換金して、資金に換える。実績を重ね、どんどん強くなっていく。ギルドでの生活は充実していたし、周りからの評判も高い。リサはいつの間にか街の中心になっていた。
いつまでもこうしていたい。同じ街を拠点して、笑い合える日々が続けばいいのに。そんな日常を変えたのはギルドマスターの一言だった。
ギルドマスターは普段、一般に顔を見せない。受付嬢ですら相手の容姿を見たことがないと聞く。だから直々にマスターから会いたいと要請が着たのは驚いた。
ひとまずリサはギルドに乗り込み、最上階にある執務室にやってきた。レイラも連れてこいとのことだったので、彼女と一緒だ。偉い人と会う機会はないため緊張する。粗相を犯さないだろうか。ドキドキとしながら、テーブルの前で直立し、相手の様子を待つ。
「よく着てくれたな」
相手は女性だった。長い赤髪を後ろに流している。やや切れ長の目にはスクエアの眼鏡をかけてより、シャープな印象を強調していた。スーツ姿が似合っていて、できる女性という印象を受ける。
「突然だが、お前には王都へと出向いてほしい」
「ええ、本当ですか?」
あんぐりと口を開けて、驚く。
「ああ、お前のような人材はフルールに留めておくのはもったいない」
はっきりと彼女は告げる。
要はギルドから出ていけと言われているようなものだ。だけど、彼女のあたりは柔らかく、どこか祝福に満ちた眼差しをしていた。
「これは左遷でも厄介払いでもない、推薦だ」
マスターは口元を緩めて、話す。
「お前はもっと、広い世界を見てくるがいい。時々、この街に戻ってくるんだ。分かったね?」
「はい。でも……」
視線が動く。リサはレイラのほうを向いた。
「あたしは、どうなの?」
不安げにうつむく。
「もちろん、お前も一緒に行くんだよ」
ぴしゃりとギルドマスターが言い放つ。
それでもレイラはいまだに決心がつかぬ様子で、目を伏せた。
「あたしが行ったところで、役に立てないわ」
「そんなことはないよ」
レイラが不安げな声を出したため、リサは急いで言い返す。
「あなたがいたから私は私でいられるの。私にはあなたが必要だよ」
素直な気持ちを伝える。途端にレイラの瞳が揺れた。それから長い沈黙の後、レイラは顎を引く。うなずく。オーケーのサインだった。
ようやく迷いが晴れた様子。決心した彼女の姿を見ていると、こちらまで嬉しくなる。そしてリサは明るい顔で微笑んだ。
出発の日の前日。
リサとレイラはまた未亡人の洋館に集まって、パーティをした。美しいドレスで着飾り、首飾りや耳環といった装飾品で身を彩る。今夜だけの特別な装い。魔法がかかったように特別な時間を、大切な人たちと共に過ごす。
時間はあっという間に流れていった。濃密で美しく、儚くて。彼らの笑い声が耳に響く。シャンパンを片手に乾杯し、レイラと一緒に踊りをした。豊かな音楽と共に腕を取り合い、ターンをする。時には異性の相手とも踊ったが、かつてのような高揚はない。ただゆったりとしたダンスをし、また思い出のいちページとして、写真に残る。
そして時刻が回る前に会はお開きとなった。
その日は宿で眠って、明日に供える。ベッドに横になっている間に、朝はやってきた。快晴の空。窓に映る景色は瑞々しく、門出にふさわしく澄み渡っていた。清々しい朝に二人は旅立つ。門の前にやってきて、二人で目を合わせる。大きなカバンを背負って、一歩を踏み出そうとした。まさにそのとき、後ろからどっと歓声が湧いた。
「いってらっしゃい!」
よく聞いた女性の声を背中に聞く。
振り返ると未亡人の姿があった。今の彼女の容姿は華やかで、かつてのような影はない。その隣には受付嬢の姿もある。常に二人を見守ってきた二人が、そこにはいる。奥のほうには男性たちも列をなし、皆で手を振っている。
「わー、ありがとう。行ってきます!」
元気よく返事をし、手を振り返す。
レイラも口元を緩めて、同じようなことを口にした。
それから二人は前を向く。勢いよく駆け出し、並木道へと身を乗り出す。歓声は止まなかった。人々の声はより大きな波となって、遠くで響き渡る。
「たまには帰ってこいよー」
背中を押すような力強い声。
思わずこちらの口元も緩んでしまう。
彼らに送り出された二人は幸せな気分だった。いままで、たくさんの人に支えられてきた。皆の声援には勇気をもらった。故郷の村ではなかった体験に胸が踊ったのを覚えている。たとえ街を離れることになっても、フルールでの日々を忘れない。そして、また大きな羽を羽ばたかせてから、戻ってこよう。もちろん、ただでは帰らない。そのときは大きな土産を持って、皆に分け与えるのだ。その日を想像するとまた希望がふくらむ。自然と口角が釣り上がり、頬に赤みが差した。
二人の姿は並木道の奥へと遠ざかり、森の中へと入っていく。それでも住民たちは手を振り続けた。いつまでも、いつまでも。二人の影が完全に見えなくなる時まで。
次に会えるのはいつのころか。なに、すぐに会えるだろう。あの二人のことだすぐに大きなことを為して、新聞に取り上げられる。その噂は風に乗って世界を廻るのだ。さっそく楽しみになってきた。彼らはにこやかに口元を緩め、青い空を見上げるのだった。
リサとレイラは広大な大地を駆け巡った。山を越え、谷を越え。荒野を渡り、湿地帯を抜けて、様々な街へと足を踏み入れた。旅は順調とまでは行かないまでも、なんとか生きていけてはいる。困ったとき――たとえば食料がなかったり、怪我をしてしまった時は、通りがかった者に救われる。神官にお世話になったり、街で魔物の襲撃といったトラブルに巻き込まれた際は、現地の住民と協力する。時には仲良くなり、共にパーティをすることもあった。だけど、旅は終わらないため、手を振り別れては先へと進む。
時には自分よりも強い者とも出会った。一万年以上前から生きている竜と出逢ったときはさすがに臆したが、それをあっさりと倒してしまった猛者がいた。入り組んだダンジョンで迷子になった時、案内をし、あっさりとクリアをしてしまった者もいる。
世界地図を広げては、広いなとひとりごちる。どれほど駆け巡っても果てが見えない。まだ見ぬ神秘は残されている。そういったところを探索するのは楽しみであり、そこに大したものが残っていないと分かると、がっかりもした。
それでも冒険は楽しかった。険しい道程を進み、開拓をして、新しいものを見て廻る。とても充実した日々だった。
二人は世界を股にかけて活動する。その姿はただの冒険者とはいいがたく、実質的な英雄として祀られたことすらあった。そう、一つの国を救ってしまった。悪の組織に支配されそうになった地域を助け、アジトを潰す。悪を倒し、善なる人々を救う。
そして、二人はまだ旅を続けていた。
「わー、なんてすごい」
断崖絶壁で足を止めて、月並みな言葉を吐く。
目の前に広がるのは派手な瀑布だ。勢いよく水が滝壺に流れ、水しぶきが宙を舞い、空に虹を架ける。その壮大さたるや。まさしく人智の及ばぬ領域だ。これぞ、大自然。思わず興奮が胸を衝く。
「ねえ、レイラ。私、旅をしてよかったよ」
自分だけの世界に留まっていたら、これほどまでに神秘的で壮大な世界は見られなかった。自分を外へ連れ出した全てのものに感謝をしたい。そして、レイラにも。二人はまだ顔を見合わせる。なにか物言わずとも、言いたいことは分かる。互いの考えは読めてしまう。一つ言えるのは今が紛れもなく、最高潮ということだ。
二人はその台地に留まり、夜を明かす。キャンプを張った地面で座り、空を見上げる。夜の空は数多の星に彩られ、宝石箱のようにキラキラとしていた。
「ねえ私、あなたと出会えてよかったよ」
「いきなりなにを言い出すのよ」
レイラはツンと目をそらす。
恥ずかしい。そう言うように頬を赤く染めて。だが、まんざらでもない様子で。口元がにやけている。
「ええ、そうね。あたしも同じよ」
ややあって、彼女は口に出す。
「あんたがあたしに価値を与えてくれた。なにもなかったあたしに」
唇を開き、言葉をつむぐ。そこには彼女の語っても語り足りないほどの想いが込められていた。それ以上はなにも言えない。ここからどれほど言葉を重ねても、本当の想いには届かない。なにより、リサなら分かってくれる。自分の本当の気持ちに、本当の自分自身に。誰よりも近くにいて同じ時間を過ごした彼女だからこそ、分かるのだ。そして、信じられる。
あらためて思う。二人、出会えてよかった。
きっと、互いが巡り合うのは運命だったのだろう。
二人はじっと見つめ合う。互いの視線が交錯する。クリアな瞳に映る少女たちの姿は、どんな他人よりも輝いている。そう、彼女だからいいのだ。同じことを二人で思う。
そして彼女たちはくすくすと笑い出す。目を細め、頬に月の光を浴びながら。
二人の姿は台地から見ると小さく見える。この世界の隅をありのように蠢いている。どこまでいっても自分は豆粒だ。だけど、それでいいのかもしれない。なんでもいい。二人で一緒にいられるのなら。
二人は寝転がり、夜空を見上げた。夜なのに、明るい。暗さを感じない。空を星が流れていく。爽やかな風が吹き抜け、草花がそよぐと同時に、髪もなびく。自然と一体になれているような気がした。深呼吸をすれば魔力が胸に満ち、全身を駆け巡る。
熱く燃え上がるような夏の夜。そろそろ寝よう。
ランタンを消して、寝袋の中に入り込む。
冒険はまだまだ続く。まだ攻略していないダンジョンが山程ある。出逢っていない伝説の生物の噂も聞く。この世にある神秘を解明したい。もっといい場所を見たい。知識を得たい。欲はどんどん膨れ上がっていく。やりたいことがあるのだ。もっと探索したい。様々なフィールドを駆け巡りたい。
明日が来るのが楽しみでたまらない。終わりのない冒険の旅。いつまでも二人で進もう。
興奮と希望に身を任せて眠りについた。
朝はすぐにやってくる。真っ青な空に清らかな外気。キャンプを片付け、リュックを背負って、立ち上がる。二人で顔を見合わせてから、前を向く。リサとレイラは歩き出した。長く広く続く台地を着実に転げないように。それから走り出す。彼女たちの足取りは軽く、その先には無限の高原が広がっていた。
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