来世
「この世界に魔法があったらよかったのにね」
広々と作られた窓。透き通ったガラスには紅の空が映っている。夕焼け空はまさに世界の終わりを示しているようで、そこに拍車をかけるように流星が降り注いでいた。
「今更メルヘンなこと言わないでよ。こんな終わりに」
彼女は読んでいた本をパタンと閉じて、あきれたように笑った。
「君は相変わらずだな」
青年は笑いかける。
彼は流星群に背を向け、椅子に腰掛ける。
互いに向き合い、最後の時を過ごす。
「始まってしまったな」
窓の外に視線を向ける。
世界の終わりは実感しているが、思いの外落ち着いていた。覚悟ができていたからだろうか。むしろ、最後の瞬間にこのような美しい景色を見られるのなら、それは素晴らしいことのような気がする。なにせ、祝福を受けているような気分になる。
「隕石も魔法のようなものだと思うけどね」
彼女も淡々と口を動かす。
「炎も稲妻も、そういえば自然のものだ。魔法だけじゃない」
「そう。だから特別なものではないでしょう」
また彼女は冷静に言葉をつむぐ。普段、本ばかり読んでいる癖に彼女の発言には夢がない。なんともつまらない。
「それで、魔法があったら、どうなの?」
「ん?」
「あなた、言ってたじゃない。魔法があったらと」
彼女は目を瞬かせながら、視線をよこす。
彼はそちらへと顔を向け、そうだなと話し出す。
「もしもこの世界に魔法があったら、隕石なんて簡単に打ち消せた。世界も守れないんじゃないかって」
「なにそれ。そんな妄想したって、助からないのに」
「いいだろ。もう終わりも終わりなんだ。少しくらい希望を口にしたって」
「そうね。神に祈るようなものだもの」
そう言いつつ、彼女が神を信じていないことを、青年は知っていた。
しばし、静かな時が流れる。隕石が大地に降り注ぐ。遠い空で流星が降り落ちていく。そんな光景の中で沈黙だけが広がった。
「私ね、自分は死んだものと考えていたのよ」
少女はふたたび本を手に取りめくりながら、淡々とこぼす。
「あの日、あなたに助けられた日から」
彼女の言葉を聞いて、彼も思い出す。
この女との出会いは自殺を止めたところから始まった。ビルから落ちようとする彼女の手を掴んだ。宙に浮く彼女。ぶらぶらと手足が揺れる。彼は汗を流して必死の思いで、彼女を助けようとする。彼女が喚いても、責めても、決してその手を離さなかった。
結果、彼女は助かった。
そのときは恨まれた。余計なことをしてくれたと何度も言われた。だけど、それを後悔していない。彼女を助けてよかったと思っている。いや、結果がどうあれ、それが正しかったか否かなど関係なく、自分は彼女を助けただろう。そう青年は回想する。
「どうせ世界が終わるんだもの。最後まで付き合うわ。だから余計に死ぬ気になれなかった」
本を読みながら彼女が続ける。
「むしろラッキーだと思うわ、こんな事態に巻き込まれたことを」
「アンラッキーだろ、普通に考えて」
「いいえ。世界が終わる瞬間に立ち会えるなんて、普通じゃない。私たちは恵まれているわ」
どうせいつかは死ぬ。
いつ死んでも構わない。もちろん、今でも。それでも彼女はこの場に留まった。この日、この場所で世界の終わりに付き合う覚悟を固めた。
「それで、あなたはどうなの?」
「ん?」
不意にこちらに話を振られて、戸惑ったように眉を動かす。
「あなたはどうしてここにいるの?」
「それは、そうだな」
思い出すように目線を動かしつつ、彼は話す。
「最後の時間を有意義に過ごしたくて。残された時間でどれだけ理想に近づけるか、それをやってみたかった」
「結果はどうなの?」
ひんやりとした声が鼓膜を揺らす。
彼は肩をすくめた。
「さあ。でも、悪くはない結末だ」
ニヤリとその口角が釣り上がる。
「君と最後を過ごせて、よかった」
悔いはない。
晴れやかな顔で彼は言った。
彼女は目をそらす。その口元はかすかに笑んでいた。
また長い沈黙が流れる。時計の針だけが時を刻む空間。その静寂を破るように、幽かな声が少女から生じる。
「あなたはどうして私を助けたの?」
ビルから彼女を助けたこと。
それを思い出す。
理由は今でも分からない。口に出そうとしてもうまくいかない。ただ、それは衝動的な行動だった。普段なら行動する前に考えてしまい、間に合わなかった。彼女を救えたのは、なにも考えずに動いたからだ。
そしてその理由は。どうしても助けなければならないと思った理由は……。
「一目惚れ、かな」
きっと、そうなのだろう。
そのはっきりとした答えを聞いて、少女はまた微笑する。
「そう。だったら私はあなたに会えてよかったわ」
口元がほころぶ。
思えば彼女はずっと言っていた。自分は愛されなかったと。親には捨てられ、夢も希望もなく彷徨っていた。彼に拾われ、今日に至る。彼女にとっては空虚なだけな日々だっただろう。
だが皮肉にも世界の終わりという時になって、彼女の心は満たされた。
「来世はどうする?」
「生き残りなんていないでしょ」
「じゃあ、動物にでも転生するんだ」
「動物も無理なんじゃない」
今度こそ生物は絶滅する。
ならば、他の世界に望みをかけるしかない。
「無数にパラレルワールドが存在するとしたらさ、そこに俺らの魂も行くかもしれない」
「それか私たちのそっくりさんとか?」
冗談のように彼女が口にする。
「そう。それがいい」
「でも、姿が同じだけ。他人は他人よ」
「それでもいつか出会えたい。未来のことは分からないけど、そういうことが起きたらどうだ?」
「奇跡ね」
二人の話が室内に流れる。
彼女は普段、迷信の類を信じない。だがこの時だからこそ信じてもいいかもしれない。そんなことを口にした。そうしてゆるやかに世界は終わっていく。思いのほかあっさりと。そして人類は押し流され、世界から消えた。
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