鎮魂祭

 昼休み、不意にそろそろ夏休みかと思い出す。

「ねえねえ、祭りだよ。みんなで行こうよ」

「いいね、それ」

 短いスカートをはいた女子たちが隣の席を独占し、はしゃいでいる。

 祭りなんてにぎやかなだけだ。面倒なだけだし、それなら部屋にこもってゲームでもやっているほうが楽しい。青年蒼平は退屈そうな目で、小説に目を通す。古びた紙には堅苦しい言葉が辞書のように並んでいる。周りが騒がしいのも相まって、全く集中できず、話の内容も頭に入ってこなかった。

「それでね、夏といえば怪談だよ。とっておきのを用意してきたんだ」

「えー、こわーい」

「やめてよね。ホラーが好きなのは乃々華だけだよー」

 周りからうんざりとした声が上がる。

「もう。面白いのに」

 不満げな声を出す少女の顔を横目に見る。かすかに茶色みを帯びた髪をポニーテールにした生徒だ。半袖のブラウスの第一ボタンを開けており、スカートは膝丈。赤縁の眼鏡をかけている。整った顔立ちをしているものの、田舎娘じみた素朴な雰囲気がした。

 またやってるよ。あいつも好きだな。幼馴染ながらあきれる。

 まあ、どうでもいいと目をそらし、本を机に伏せて置いた。蒼平は頬杖をついて、窓を見た。空は忌々しいほどまでに鮮やかな青に染まっていた。


 以降は淡々と授業を消費して、まっすぐに家に帰る。蒼平は帰宅部だった。部活に興味はあるが、面倒臭い。それよりはさっさと家に帰ってゲームをしたい。もちろん宿題も忘れていない。とにかく彼は自分の時間を大切にする主義だった。

 途中でコンビニに寄った。夕食代わりに菓子パンを買う。カレーパンとサンドイッチ。どちらがいいか迷って、両方買ってしまった。あとは今日の内に食べるか否か。まあ、食べたいと思ったときに食べればいい。楽観的に考え、カレーパンのパッケージを開けて、かぶりつこうとした。そのときだった。

 彼は歩道の途中で足を止める。ちょうど広場のあたりだった。四方を街路樹に囲まれている。中央には噴水、周りには赤いベンチが置かれており、ちょっとした公園のようになっている。

「ねえ、あなた」

 そこにいたのは少女だった。透き通るような白い肌を、漂白したように白いワンピースで覆っている。艶のある黒髪が背中を流れ、ゆらりと揺れる。儚げな少女の顔は、そこから浮き上がっているように見えるほど、異質だった。まるでこの世には存在しないもののような、そんな雰囲気がある。

「私、探している人がいるのです」

 澄んだ二対の瞳が蒼平をとらえる。彼は目をそらした。そのまま足を動かし、すれ違おうとする。

「俺、探偵じゃないんだけど」

 そういうのには力になれそうにない。元より相手の頼むを聞く気すらなかった。

「なんでもいいのです。どんな情報でも私に与えてくだされば――」

 細かな足音が追いかけてくる。

 おおかた彼女が諦めていないのだろう。こうなったら食べ物で解決するしかない。ちょうどカレーパンを食べ終わったところだ。余ったパッケージの袋をレジ袋に戻し、代わりにサンドイッチを取り出してみる。

「ほら」

 ぶっきらぼうに差し出すと、彼女はあわあわと両手を前に出した。

「ああ、駄目です」

「なんだよ。フルーツサンドのほうがいいって?」

 眉をひそめて聞いてみると、彼女も困ったように眉を垂らした。

「その、食べられないのです」

「は?」

 真面目な顔でおかしなことを言う少女。

 青年には理解ができず、ややあきれたような表情になる。

 少女は黙り込んだ。

 二人の間をぬるい風が吹く。木の葉が舞い、土の地面に落ちる。その光景の後でようやく彼女は唇を開いた。

「ですからその、私は幽霊なのです」

 また、風が吹いた。

 長く伸びた黒髪がなびく。

 蒼平はなにも言えなかった。彼女がなにを言っているのか、それは本気で言っているのか。聞きたいことはある。だが、確かに自分も思っていた。彼女は人間には見えないと。その町から浮き上がった雰囲気は幽霊だというのなら、納得がいく。

 それでも、鵜呑みにすることだけはできなくて、蒼平を口を閉じたまま固まってしまった。


 ややあって二人は並んでベンチに座って、話を始めた。

「私、ずいぶん昔に死んでいるのです。こうして何年も彷徨っています。おかげで自分の存在すら不確かで」

 つらつらと語ったかと思うと急に立ち上がり、少女は両手を広げた。

 かと思うと光に包まれ、うわっと目を細める。それからしばらく経ってまぶしさが止んで、目を開ける。目の前には着物姿の彼女がいた。髪はまっすぐに切りそろえ、昔話の世界から飛び出してきたかのように、異様な雰囲気がする。

「こうして姿を変えるのは簡単なのです。」

 今、自分が見たのはなにか。マジックか。いや、それにしては先程の光は異様だったし、種も仕掛けも分からなかった。もしかして彼女の言葉は真実なのか。本当に少女は幽霊で幻なのか。蒼平の頭が混乱する。

「お前いったいなんなんだ」

「だから言っています。幽霊であり、幻だと」

 唖然と問うた彼に向かって、少女は堂々と答えた。

 青年は頭を抱えた。

 自分は夢でも見ているのか。目の前の現実が信じられない。苦悶の表情になる彼の横で、彼女はすっと変化を解いた。元のワンピース姿に戻って、ベンチに座り直す。きちんと足を揃えた彼女の姿は誰がどう見ても、清楚だった。

「桜子です。この名を聞いて、思うことはありますか?」

「いいや。なにも」

 蒼平は彼女のほうを見やり、機械のように答えた。

 あえて感想を言うなら古風な名前だと思った。今どきではない。それくらいだ。知り合いにそんな名前の子はいなかったし、小説の登場人物で見たことがある程度だ。自分は彼女を知らない。

「お前、なにがしたいんだよ」

「私でも分かりません」

 困惑しつつ尋ねてみれば、彼女もしゅんと声を漏らす。

 桜子は両膝に拳を置いて、うつむいた。

「だた、待っているのです。誰かを、私の大切な人を」

 熱意を持った言葉を吐き、天を見上げる。彼女の澄んだ瞳は青い空を映していた。


 彼女の話はよく分からなかったし、頭に全く入ってこない。自分がなにを言ったのかすら覚えていない。曖昧な記憶のまま彼は広場を後にした。

 それからまた下校の際に広場に通り掛かると、桜子の姿を見つけた。白いワンピースを長い黒髪をなびかせた彼女は、誰がどう見ても美少女で、どこまでも異質だった。彼女の存在はこの世界から否定されている。端から存在しないはずなのに、当たり前のようにそこにいる。その違和感が頭をかすめるも、目に見えているのだから仕方がない、そこにいるのだから仕方がない。頭を麻痺させるように自分に言い聞かせ、彼女と接することにした。

「ああ、夏ごろになると出てくるみたいだよ」

 学校の昼休み、廊下に出ていると幼馴染の乃々華と出会ったため、最近の出来事を話してみた。すると彼女は喜々として食いついてきて、そのような話をしたのだった。

「そういう噂、有名だよ。現れる度に姿を変えるんだって。不思議だよね」

 言いつつ彼女は口元をニヤつかせる。

 姿を変える少女――桜子と同じだ。やはり彼女はこの世の存在ではないのだろう。そうと分かっていても、受け入れがたいところはある。その正体はいまだに掴めずに悶々とする。もうなにも考えないほうがいいのではないか。

 いろいろな思いが交錯する中、彼は現実から目をそらす。

「とりあえず、ありがとう」

 そう言い捨て、スリッパで床を蹴る。彼は歩き出し、乃々華に背を向けた。


 一方、桜子と関わるようになってから、蒼平はある夢を見るようになっていた。

 最初に感じたのは圧倒的な熱だった。ついで、赤。前方に炎が燃えている。鉄の臭いも鼻についた。だが、嗅覚はやがて麻痺して、なにも感じなくなっていった。男は歩く。袴の裾は破れ、着物にも亀裂が走っていた。腕から血が流れ、刀を握る手にかかり、地へと滴らせる。首にかけた勾玉のネックレスでさえ、赤く染まっていった。

 やがて視界が黒く閉じていく。遠ざかっていく意識に痛みすら消えてゆく。その中で胸の底からは煮えたぎる思いが湧き上がってくる。体が熱い。それは奥歯をギリリと噛んだ。

 まだなにも果たせていない。ここで終わってはならない。這ってでも生きて、逃げ延びて、帰らなければならないのに。ああもう一度、彼女に会いたい。それだけが無念でならない。

 それは果たして誰の思いか。少なくとも自分のものではないはずだ。いわば蒼平は誰かの記憶を垣間見ている。そう自覚している内に自身の意識まで薄れて、遠ざかっていった。


 夜の闇が過ぎて、青色の朝がやってくる。ぼんやりとしたまま身を起こす。まだ眠い。頭がすっきりとしない。おまけにまた変な夢を見た影響で、気分が悪い。いったいなんなのやら。殺伐とした映像を見た覚えはないのだがと、首をひねる。

 分からないことばかりだが、一つだけ心当たりがあった。ふと頭に浮かんだのは、男が下げていた勾玉のネックレスだ。それにはなぜか見覚えがある。確かお守りとして保管してあったのではないだろうか。

 ベッドから離れて、床に立つ。タンスの元まで歩き出し、引き出しを引いた。湿っぽい匂いが鼻につく。中には一つだけ、首飾りが置いてあった。手を伸ばして掴んで見る。空にさらしてみるも、変化は起きない。自分の勘違いだろうか。首をひねりながら首飾りを元に戻して、引き出しを閉じた。

 蒼平はなにも見なかったことにして一日を始めるのだった。


 学校に行くために白いシャツを着て、カバンを持って、家を出た。歩道を歩いて何十メートルか進んだところで、そういえば夏休みだったと思い出す。補習がなければ自由に過ごしていいのだった。

 やはり今の自分はおかしい。ボケている以上になにかぼんやりとしている。まるで自分が自分ではないみたいだ。いったい、どうしてしまったというのか。蒼平は頭をかき回しながら下を向いて、地面を睨みつけた。

 ひとまず表に出てしまったことは仕方がない。せっかくだからなにかを買って帰ろう。自販機のほうへ吸い寄せられるように赴こうとしたとき、不意にすすり泣きの声が聞こえてきた。おばけでも見たのかと思いつつ、そちらへ顔を向ける。

 ちょうど広場の前だった。広々と空いた入口の向こうに、青々とした広葉樹や花壇、ベンチが置いてある。その赤い長椅子の上にワンピースを着た少女が座り込み、うつむいていた。

 おばけでもというのはあながち間違いではなかったらしい。

 そっと近づいてみると、彼女は泣いていた。大きめの瞳から雫がポロポロとこぼれている。どうして泣いているんだろう。不思議そうな目で彼女を見下ろしていると、相手も彼に気付いた。ぱっと弾かれたように顔を上げて、目を大きくする。それからまた少女は目を伏せ、涙を流した。

「蒼平さん、蒼平さん……! うわあああああん!」

 かと思うといきなり飛びつき、すがりつくようにわめき始めた。

「お、おい。どうした?」

 困惑しつつも払いのけず、ただじっとしている。

 桜子は延々と声を上げ続けた。近所迷惑も気にしない。近くを通り掛かる住民もないが、その声はビュービューと嵐のように吹き荒れる風にまぎれて、目立たなくなった。

 しばらく経って、彼女は落ち着きを見せた。ベンチの上でおとなしく固まり、視線を落として、薄く唇を開く。

「実は最近、記憶が鮮明になってきているのです」

 ぽつりぽつりと語り出す。

 その声は淡く、透き通っていた。

「あの人が消えていく。私の前から消えて、荒野の向こうへ……」

 遠くを見つめ、瞳を潤ませる。

 今の彼女の姿は儚く、目を離せばいなくなってしまいそうだった。

「いやだ。消えないで。そばにいたいのに。私はいつまでもあなたを待っています。あなたにずっと呼びかけております。それなのに、あなたはいない。あなたの声が聞こえない。嫌。嫌。誰か助けて」

 両手で頭を覆い、抱えた。

 その髪は少し癖がついている。

「彼を喪った日に心が逆戻りするのです。だけど、悲しめば悲しむほど、私という存在が濃くなっていくのです。私は生きている。ここにいる。だからそれにすがりつきたくなるのです」

 声が震える。

「だけど、存在するだけで悲しみが押し寄せてくる。ああ、どうして彼はいなくなってしまったの? なぜ私は一人なの?」

 その言葉を聞いていると胸が締め付けられるような思いに駆られる。

 蒼平も冷めた性格をしているとはいえ、人の心は持っている。彼女を助けたいとは思った。その、なくしてしまった相手と再会させてあげてもいい。

 同時に気づく。今の自分は彼女と同じだ。互いと会ったことで変化が起きている。蒼平はとある男の夢を見て、彼女は離別の記憶を思い出して、苦しんでいる。態度の違いは性格か、心の違いか。

 一つ言えるのは、桜子の思い出した記憶と自分の夢は、なにか繋がりがある。

 そんな中、彼女は顔を上げ、青くくすぶった空を見上げて、また切なそうな顔をした。

「お守り、託したのにね。必ず戻ってきてくださいと行ったのに。約束なんて……」

「お守り?」

 蒼平は片眉をひそめた表情になる。

「お守りです。首飾り。勾玉のついたもの」

 勾玉、首飾り。

 二つの単語が脳内で結びつく。

「それってもしかして!」

「もしかして?」

 思うがままに口に出す。

 桜子は表情を固めたまま、首をかしげた。

「それ、多分俺も持ってるよ」

 根拠もなく主張すると、途端に桜子の顔が明るくなった。暗闇の中で光を見たようにその目はきらめき、その頬に赤みが差した。

「君が待っている相手は、首飾りの持ち主なんだろ? だったら、もう」

「会えている」

 彼が口にするよりも先に、桜子が言った。

 先に言われて、逆に蒼平は自信がなくなった。果たして本当にそうだろうか。あの首飾りの持ち主は分からない。気がついたら手元にあった。家族に聞いたが、誰も知らないという。家には祖父はいない。父の趣味でもない。いわば突然発掘されたも同然の品だ。そのやけに古風な首飾りは呪いの装備にも見えて、不気味だった。

「でも、駄目です」

 桜子は静かに首を振った。

「どういうことだ? なにが駄目なんだ?」

 勝手に自己完結したように口に出され、混乱する。

 蒼平が眉を寄せる中、桜子は冷静な顔になり、まっすぐに彼を見つめた。

「私は彼女であって、彼女ではないのです」

 淡々と言葉をつむぐ。

 言葉から温度が抜けていて、機械音声のように聞こえた。

 ぐらりと視界が揺れるような感覚がした。目眩のようにぐるぐると。蒼平は目を丸くしたまま、唖然とする。

「私は霊体。独立した存在。想いだけが彷徨っているのです。この感情が本体からきたものであっても、その正体は幻でしかないのです」

 それはなにを指しているのか。

 話がうまく飲み込めない。

 だが、額面のまま受け取るのなら、今ある彼女はなにになるのか。

「本体?」

「ええ。どこかにいるはずなのですが」

 遠い目をしてから首を横に振る。

「今の私に思い出せるのは過去のみです」

 彼女の言葉は宙を漂い、霧が溶けるように消えた。

 それから互いに無言となり、むなしい沈黙が広がった。


 事態はなかなか進展しない。情報が足りなくて、今の状況すら理解し切れずにいる。

「気晴らしに歩こうぜ。そういえば今日は祭りなんだっけ? 今日くらいは全部忘れて楽しむってのはどうだ?」

 彼にしては珍しく、女子を気遣うような発言を取る。

 実際に気遣っている。なんとか彼女の心を救おうと考えた結果だ。なお、彼の思いやりは届かず、桜子はすでに落ち着き払ったような態度を取る。ただ唇を一文字に結んで、遠くを見つめる。視線の先には青々とした山がある。空も相変わらず青い。入道雲がもくもくとそびえ立ち、まるでソフトクリームのようだと感じた。

「祭り……桜子が生きていたころには、ありませんでした」

「興味持ったか?」

 祭りという概念くらいは知っていると踏んでいたが、どうなのだか。

 その疑問には誰も答えることはなく、桜子はただ、首をかたむける。

「私はその場所に行けば、消えるでしょう」

 そう、意味深なことを言う。

「見たことはあるのです。激しくもにぎやかな音を聞きました。そこは心地のよい場所。心が安らぐといいますか。神聖な静謐さだけがそこに漂っているのです。だからこそ、私には分かるのです。あそこに行ってはならない」

 頑なに話し、うなずいた。

 蒼平は彼女の言葉の意味を半分も理解できずにいる。ただ口を閉じたまま、間の抜けた表情で固まっている。

 そうしている内に空が陰り始めた。夏にしては涼やかな風が吹き抜け、髪がなびく。足元に木の葉が舞い、カサカサと音が鳴った。寂しげな雰囲気が漂う中、少女は花のような唇を開いた。

「私の役割は彼を探すこと。その役割を果たしました。今の私に存在意義はありません」

 顔を上げる。

 尊いものを見るような目で、彼を見つめた。

「彼女が待っているのはあなたであり、あなたではないもの。ただのあなたでは道は開かれません。桜子が愛しているのは蒼平さんではないのだから」

 蒼平は目をそらさなかった。

「私の役目はここで終わるのでしょう」

 そうおのれに言い聞かすように、終わりの鐘を鳴らすように彼女はつぶやく。

「待っています。誰も知らない秘密の場所で。だからあなたも証を持って、来てください」

 少女は柔らかく笑いかける。

 まぶしい太陽の光の下、艶のある髪をきらめかせながら。

 そしてまた強めの風が吹く。髪がなびいた。花の香りがあたりに広がる。

 そして次の瞬間には彼女の姿はなかった。いつものワンピース姿も、黒い髪も、白い肌も。痕跡すら残さぬまま、空間に穴が空いたように、彼女の姿がない。ただ、甘い花の匂いだけが、彼女の存在を示していた。


 一人ポツンと取り残されて、蒼平はただ立ち尽くす。これからなにをすればよいのか分からない。自分はどこに行けばよかったのか。親に置いていかれた子どものように心細い。

 祭りがどうとか。家に帰らなきゃ。今日は学校ではなかったななどと。

 ぼんやりとしていると、上のほうから声がかかる。上といっても頭上のように近くではない、反対側の建物からだ。

「お前さん、そんなところでなにやってんだ?」

 顔を上げると高い建物が見えた。見た目は二回建ての民家だ。西洋風で、白い壁がまぶしい。そのベランダに体を晒しているのは、よく見知った老人だった。頭の毛は白く染まっているが、背筋は伸びていて、若々しい。やや強面で近づきがたい印象を受けるが、接すると意外と話しやすい。

「こんなところで遊んでないで、祭りの準備でもしてこい」

「俺には関係ないんですけど」

 そんな話は聞いていない。祭りが開かれるという話は聞いても、準備をしろと頼まれたわけではなかった。第一、自分がいってなにになるのか。急遽神輿を運ぶ仲間に加わったり、太鼓を鳴らしたり、色々と頭に浮かぶが、やはり自分には似合わない。

「お前は本当に祭りに興味がないなぁ」

「嫌いじゃないですよ」

 好きではないだけで、どうしても行かなければならないというのなら、行ってもいい。

「そういえば祭りってなんのためにやるんですか?」

 昔から気になっていた。

 祭りといえばにぎやかでワイワイガヤガヤ。盛り上がっている印象があるが、皆はなんのために集まって、なにが楽しくてあんなことをしているのか。体育祭や文化祭と似たようなものだろうか。

「ああ、それな」

 老人は思い出したような顔をして、口を開いた。

「神を祀るためだとか、生贄を捧げるだけなんか、色々とあるが」

「うわ、怖」

 顔をしかめる。

「まあ聞けよ」

 落ち着いて老人は話し出す。

「大昔、数百年以上前だったか? 大きな戦いがあった。たくさんの人が死んでな。その供養として、祠を建てた。それから奴らの魂を供養するために、祭りを開いたんだ。それがこの町での祭りの始まりだ」

 老人の話は自然と頭に入ってきた。

 大昔の大戦。数多の犠牲者。荒野で流れた血。

 映像として頭の中に浮かんで、飲み込めた。

「なら盛大にやらないとな」

「おいよ、お前さんも来るかい?」

「いいや。それよりも重要なことがあるんだ」

 蒼平は建物から目線を外し、歩道の進行方向を向いた。

 自分は桜子の本体を探さなければならない。彼女の言い草からしてタイムリミットは少ない。焦らなければならない。

 なにかないだろうか。顎を引いて、考えこもうとする。と、なにか頭の中を稲妻のようなものが走った。

 過去の伝承、大昔になにが起きたのか。

 パーツは欠けている。ピースが足りない。ならばそれを埋めればいい。なにか知っている人はいないか、秘密の場所、そこがなになのか。そういう類の特別な場所がこの町にはあるはずだ。

 思い立つや否や、勝手に体が動いていた。

 ちょうどオカルトの類に詳しい者を知っている。今だけはその存在を感謝しつつ、彼はそちらへ足を向けた。

 家の場所は知っている。広場のある通りを抜けて、市街地に入る。商店街を回ってから、もっと細い通りへ出る。やがて見えてきたのは四角い箱のような家だ。迷わず庭に入って、玄関の前で足を止める。一呼吸置いた後、インターフォンを押す。ピンポーンとオモチャのような音が鳴った。

「はいはーい」

 高めの女の声がこもって聞こえる。続いて騒がしい足音が聞こえてくる。そして目の前で扉が開いた。中から髪をまとめた少女が顔を出す。赤縁の眼鏡をかけた、さっぱりとした顔。ゆるいシャツと、ジーンズをはいた彼女は、間違いなく乃々華だった。

「蒼平。珍しいね。あんたが家に来るなんて? なぁに? 遊び? もしかして祭りの誘いとか?」

「祭りなんか興味はないよ。いいや、ある意味メインではあるんだけど」

 とろけた声を出す彼女を無視して、本題に入る。

「秘密の場所に心当たりはないか?」

 相手は一段上にいるから見上げる形となる。少し癪だが、我慢しつつ、冷静に切り出した。

 乃々華はオカルト好きだ。都市伝説や伝承、まじないなどに目がない。

「あー」

 なにか、考え込むような目線。

 次に彼女はスピーディな動きで視線を戻し、にこやかな顔で口を開いた。

「ねえ、異世界に興味はない?」

 怪しい宗教の勧誘のような言い方。

 蒼平は顔をしかめた。

「転生モノ、好きなのか?」

「ないない。異郷訪問譚は好きだけど、あれとはジャンルが違うでしょ。ホラー小説だったら話は別だけどね」

 勝手に自己完結し、うんうんとうなずく。

「お前の好みは聞いてないよ」

「私だって流行に喧嘩売ってるわけじゃないよ」

 強調するように主張してから、仕切り直す。

「この町に異世界への入口があると知ってね。血眼で探してたんだ」

 乃々華は真面目な顔をして、口を開く。二対の黒い瞳が凛とした光を放った。

 異世界の入口、この町に。

 その二つの単語を結びつけ、理解し、目を大きく見開く。

 かすかな驚きと期待をいだきながら、彼は彼女の目をじっと見つめ、問いかけたる。

「知ってるのか? 教えてくれ」

 食い入るようにせがむと相手もいい気になったのか、頬をきらめかせる。

「いいよー」

 口角を上げて、白い歯を見せる。

 乃々華は楽しげに語りだした。

「夕森神社、知ってるよね?」

「この町にある」

「うん!」

 元気よく肯定してから、彼女は続ける。

「祭りの日に鳥居をくぐると、謎の世界に入り込む。でも、普通の人が通ってもなにも起こらないんだよ。特別な人でないと駄目みたい」

 特別な人。

 その単語を耳に入れて、頭を電光が一閃した。

 一気に視界が晴れたような気がする。

 彼女は確か、言っていた。

 ――「待っています。誰も知らない秘密の場所で。だからあなたも証を持って、来てください」

 その証とは勾玉の首飾りだ。

 それを自分に対して言ったのだから、間違いはない。

 そして、それを持って進むのは、神社の鳥居。

 間違いない。自分なら道が開ける。少なくとも桜子は信じていた。

 自分のことは信じられないけれど、ならばせめて、彼女の想いだけは信じてもいい。彼女の言った言葉に従おう。それが今自分にできることだ。

「それからねー」

 乃々華はまだまだ語り足りないようで、上を見つつ、口を動かす。

 なお、蒼平には聞く気がなかった。

「ありがとう」

 ピシャリと言い放つや、背を向け、走り出す。

「ああ、もう」

 後ろから名残惜しそうな声が聞こえる。

 蒼平は振り返らなかった。

 足も止めない。彼はただ走っていた。


 今日は祭りの日だ。今からならまだ間に合う。

 徒競走でもするような勢いで道路を駆けた。元来た道を引き返して、懸命に走る。腕を激しく振り、地を蹴る。歩道を逆走し、家に戻って、玄関を突破。

「おかえり」

 母の優しげな声。

 申し訳ないと思いつつも無視して、自室に直行する。グレーの絨毯を踏み、タンスに飛びついた。勢いよく引き出しを開き、勾玉のネックレスを掴み、握りしめる。

 彼はまた部屋を出て、玄関で運動靴に履き替えて、外に飛び出した。

 彼はふたたび走り出す。疾風のごとき勢いで。それと同じような速度で、脳内には過去の情景が巡り始めた。こじんまりとした家。温かな女。離した手。託された首飾り。揺れる勾玉。太陽の光を浴びて輝く刃。人がゴミのように死んでいった戦場。血に濡れた大地。体に走った亀裂。

 お守りだと言って、託された。それを身に着けたまま、彼は死んだ。地に伏せ、倒れ、意識は遠ざかる。男の影は闇に溶けるように見えなくなった。

 やがて男は転生し、ごく普通の日常を生きている。そんな彼を待っている女がいる。だから自分は行かなければならない。

 ああ、そうだ。そのために自分は首飾りを持っていたのだ。


 石の鳥居が見えてくる。石段を上り、下をくぐる。境内に入る、今度は朱色の鳥居が見えてくる。それが列を成して、客を出迎える。蒼平は小走りになり、やがて歩きになる。きちんと端のほうを通りながら、前を見据えた。

 ちゅど見えない壁が見えてくる。他者には見えないだろうが、自分には見える。それは鏡のようなもので、手を伸ばすと、自然とすり抜けた。体ごと通り抜けると、まばゆい空間に出る。明らかに普通の場所ではないと分かった。足元には真っ白な彼岸花。見上げれば満天の星空。前方には樹齢何百年をも越える巨木があり、その根っこには一人の女が座り込んでいた。

「ああ、あなたは……」

 長い髪を持ち上げるように、顔を上げる。彼女は着物を着ていた。とても荒れた、寒そうな身なり。頬には細かな傷がついている。その赤みが白い肌を際立て、より彼女の儚さを強調していた。

 髪型と着物は違っても、雰囲気は同じ。彼女は桜子。町を彷徨う幻の本体だ。ようやく、出会えた。

 蒼平が足を踏み出すと、彼の体は着物に包まれた。藍色の衣で袴をはいている。出ていく時は武装をしていったが、今は鎧も刃もない。

 それでも彼の意識は保たれていた。彼は彼。蒼平のまま。それでも、意識が過去に戻っていくような感覚がした。夢で見た男は今の自分とは切り離されて見えている。それでもなお、受け入れていた。これが自分だと。

 だから今この瞬間だけは彼になる。

「蒼志様、桜子はまだ夢を見ているのですか?」

 桜子はただ彼を見つめた。

 淡くとろけるような眼差しで、見えない光を手繰り寄せるように。

「俺はここにいる。今ここに約束を果たしに着た」

 彼ははっきりと告げる。

 途端に彼女は口元をほころばせた。

「待たせてしまった。すまなかったな」

 彼女に視線を落とし、その手前で足を止める。

「いいえ、大丈夫です」

 女は目を伏せ、言う。

「あなたが来てくださると思えばたとえ桜子は何百年と時が流れようと、待ちます。あなたを忘れたことはなかった。この想いが胸にうずまき続けることに幸福を抱いておりました。だけど心残りがあるのなら、あなたの存在」

 彼を見上げる。

 また花のような唇で笑みを浮かべ、幸福に身を浸すように、彼女は言う。

「安心してください、蒼志様。桜子は報われました。あなたの心もまた。桜子はそれがなによりも喜ばしいのです」

 その通りだ。

 ようやく約束を果たせる。

 安堵の気持ちが心に満ちた。

「さようなら、蒼志様。ごめんなさい。あなたの魂を縛り付けて。でも、よかった。あなたの想いは変わらぬのでしょう。ならば桜子も幸せです。あなたに想いが伝わってよかった。あなたに想われて、よかった。心にあった空虚は埋まりました。二人一緒になったのならこの世に残してはおられません」

 女の体が光に包まれる。

 男もまた。

 二人は誰も知らない秘密の場所で、光に染まり、薄れ、消えていく。

 最後に彼らは幻想的な輝きを放った。

 それは闇に消えゆく蛍の光に似ていた。


 二人の魂は浄化されて、天へと旅立った。

 光の消失を確認すると、蒼平の意識が戻ってきた。ぼんやりと自分の手のひらを見つめる。きれいで骨ばった手。格好は学生服のままだ。間違えて着てきたままなのでやや滑稽だが、そんなことはどうでもよくなるくらいに心は高揚している。

 やったのだ、自分は。

 達成感で心が満ちる。

 口角を上げ、前を見据える。前方には延々と鳥居が見えていた。先程まで見えていた光も白い彼岸花も、そこにはない。元の世界に戻ったようだ。

 それから蒼平は歩き出す。

 遠くない位置で花火の音が聞こえた。明るい楽器の音色も鼓膜を揺らす。

 祭りはまだまだこれからだった。


 次の日から蒼平は日常に戻る。

 暑くうだるような熱気の中、広場でベンチに座り込む。スポーツドリンクのペットボトルを口につけて、喉に流し込んだ。少し、しょっぱい。ただの水よりも楽しめるが、やはりスポーツ後専用の味だ。

 ペットボトルの蓋を閉めて、握りしめたまま、腕を下げる。ボトルの底が空気に触れた。

「やっぱり駄目か……」

 彼女はいない。桜子は成仏してしまった。もう二度と同じ彼女と会うことはない。分かっているのに求めてしまう。広場にやってこれば見えるのではないか。着てくれるのではないか。祈るような可能性に思いを託しても、やはり結果は同じだった。

「私よりも先に来るなんて、珍しいです」

 不意に声がした。

 よく聞いた、透き通るような声。

 ハッとなって顔を上げる。

 パッと振り返る。

 白いワンピースが揺れた。風の音と束の間の涼しさ。なびく黒髪。同じ色をした二対の瞳は川を覗き込むように澄んでいた。

「お前、消えたんじゃ……」

 口を丸く開けて、問いかける。

 少女は幻のような存在感のまま、目の前に立っている。

 それから彼女は口角を緩めて、笑いかけた。

「はい。ですが私と彼女は別です。消えたのも間違いではありません。私はもうじき、姿を保てなくなるのですから」

 少しだけ寂しそうに彼女は告げた。

「私は別れの挨拶をしにきたのです。恩人ともいえるあなただから」

「恩人なんて、俺はなにも……」

 戸惑いがちに返す。

 謙虚にも見える彼の言葉を彼女は否定した。

「感謝しています。おかげで彼女の思いを晴らすことができました。私も役目を終えられます」

 穏やかな声が鼓膜を揺らす。

 もう二度と会えないと思っていた。

 また会えるとは。

 だけど、これが今生の別れになるのに間違いはなく。

 喜べばよいのか悲しむべきか。

 どちらの感情になればよいのか混乱している。

 蒼平が口を閉じたまま様子を見ていると、少女はまた微笑みを向ける。

「私は彼女と同じだと思っていました。でもやはり、違ったみたいです」

「それってどういう?」

 首を傾けながら、食い入るように尋ねる。

 なにも分かっていない様子の蒼平に対して、彼女は笑いかけた。

 楽しげに。気になる相手をからかういたずらっ子のように。

 花のような唇からニカッと、白い歯が覗いた。

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