夏祭り

 夏祭りという概念が好きだ。華やかでにぎやかで、楽しげで。だけどその実、私は夏休みの会場に赴いたことは、一度しかない。それは小学三年生頃の話だっただろうか。夏祭りがあると聞いて、父にお小遣いをせがんだ。父はズボンの尻ポケットから黒の長財布を取り出して、千円札を一枚渡した。私はそれを受け取って、家を飛び出す。坂を上り、歩道橋を渡って、歩道を歩き、また坂を下って。そうしてたどり着いたのは神秘的な空気の漂う神社だった。森に囲まれている影響で、若干薄暗い。神社へと続くぐねぐねとした、土の露出した道には、同級生の姿があった。学校以外で彼らを見かけるのは新鮮で、胸が熱くなったのを覚えている。

 私が着たときにはすでに屋台の準備は整っていた。太鼓をやらなければならない、踊りをしなければならない。そんな話は聞くが、私にとっては縁のない話。実際、祭りとはなにのために行い、どのようなことをするのか、いまいち把握していなかった。神を祀るとかなんとか。鎮静? とにかく、よく分からない。歩けば屋台の香ばしい匂いが鼻孔をかすめるも、所持金はたったの千円。クレームにも視線が行くが、ここで四百円を消費するのはもったいない。結果、最初に選んだのはかき氷。こんもりと小山のように盛られた雪に、シロップをかける。水色・緑・黄色。カラフルに彩られた氷のシャーベットは、清涼な味がした。それから、たい焼きなどを一個づつ買った後、神社からこっそりと抜け出し、市街地に出た。余った金を自販機に突っ込みながら思う。自分はなにをやっているのか。屋台で物を食べただけ。祭りを楽しんではいないではないかと。だけど、祭りなんて屋台のためにあるものであり、それ以上の価値を見いだせなかった。

 ガランと音が鳴って、缶のジュースが落ちる。水滴のついた水色のラベル。レモンスカッシュだった。冷たい缶を手に取り、プルタブを開ける。

 他の人はもっと満喫できるだろうに。

 千円札しか持てない自分が少し、悲しかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る