『いた』

「らーらーらー、若葉はいい町、おいでやすー」


 おかしな歌を歌いながら、女子高生が公園でブランコを漕いでいる。

 跳ねたショートヘアが風に揺られて遊ぶ中、クリアな目は空を見渡し。ピンクがかった唇は常に弧を描く。そこが彼女を不思議ちゃんと呼ばせる原因の一つである。常ににこにこしているものだから、なにを考えているのか分からない。

 彼女自身もふくめて。


 なんとなく。

 そう、なんとなく早退して遊んでいる。

 別段、学校が嫌いなわけでもない。勉強はしたいし、部活にも熱中している。それはそれとして、気まぐれに帰りたくなった。ただ、それだけのこと。だけど、家に帰るのももったいないため、暇をつぶして遊んでいるのである。


 そこに通りがかった一人の青年。何者だろうか。近所では見かけない。背丈は一六〇センチ。年齢は一五――自分と同じと彼女は見た。薄い着物を身につけている。現代ではありえない格好だが、彼女は特に気にしなかった。


「君、なにしてるの?」


 明るい声で声をかける。

 青年は彼女を見上げた。


「あたし、香織って言うんだ。あなたは」

「俺は、アキラ……」


 彼は静かに答えた。


「そっか、かっこいい名前だね!」


 目を細め、唇をきゅっと上げる。


「ここに来るの初めてでしょ? 案内してあげる。ここ、いいんだよ。暮らしやすいところだって評判なんだ。君も気に入ると思う」


 勝手に歩き出す。

 彼の腕を引っ張るように、グイグイと。

 その後をアキラもきっちりついてきていた。


 若葉町は田舎ではあるが、必要な施設はそろった場所だった。ライトノベルや漫画がぎっしりと詰まった図書館、朝にドリンクを頼むとモーニングがついてくる喫茶店、格安でものを買えるスーパー、子どもたちでごった返す一〇〇円ショップ。

 香織は都会を知らないためなんともいえないが、とにかく充実した町だと認識している。


 二人は町を歩いた。

 なにかが見える度に香織は口を開いて、紹介を挟む。


「東川はとにかくきれいな水でね。でも雨が降るとすごく濁るんだ。これは当たり前のことかもしれないけどね。普段は浅いけど、増水するんだ。この間、台風と梅雨が重なったときとかすごかったよ。道路が沈むかと思った。あたし、避難勧告食らったの、初めてだよ」


 目を丸くして、驚いた顔をする。

 するとアキラはほんのりと笑った。

 すると彼女も嬉しくなって、どんどん紹介をする。


「あそこの喫茶店、メロウっていうんだけど、美味しいトーストが食べられるんだ。モーニングって知ってる? ほかの地域じゃないみたいだけど、こっちは当たり前なんだよね。お得感もあるし、頼んでみようよ」

「いや、俺はちょっと」


 目をそらす。


「大丈夫。あたしがついてるから」


 堂々と答え、胸を指す。

 それでも彼が渋るため、ここは引くことにした。


 それから二人はひたすら歩いた。

 図書館や歯医者、小さな病院が並ぶ通りを抜けて、広場にやってくる。そこには広葉樹が並び、瑞々しい匂いを放っていた。


 二人はベンチに腰掛けながら、まったりを話を始めた。

 そのころになると気温も下がり、空には朱の色が滲む。

 下校してきた生徒も目立ち始めた。


 そんなとき。


 ひそひそと声が聞こえる。


「なにやってんの?」

「ついに気でも狂ったか?」


 話を聞いて、首をかしげる。

 狂人でも紛れ込んでいるのかと、あたりを見渡す。

 だけど広場にいるのは下校途中の高校生ばかり。不審者の影すら見当たらない。


「放っておきなさい。あの子はいつでもそうなのよ。自分には見えないものが見えるの」

「でも、絶対におかしいよあいつ」

「馬鹿。聞こえるでしょうが」


 小声で話しているが、無駄である。

 ばっちりと聞こえていた。

 それでも彼女は思い至らない。いったい、なんのことなのか。


 不意に視線を店へ向ける。美味しい和菓子が売っている、香嶋屋。そのガラスには少女が映っている。そしてとなりにはなにもない。全くの空っぽ。

 瞬間、身の毛がよだつような感覚がした。

 そんなことはない。

 ありえない。 

 だって彼はここにいた。いたのだから。


 振り返る。

 しかしそこは本当の空。

 慌てて彼女は走り出す。

 彼を探さなければいけない。そんな衝動に駆られて、無我夢中で駆けていた。


 街路樹が並ぶ商店街――若葉通りを抜けて、川の方へ。

 そして、その先は丘がある。

 その墓の並ぶ場所に彼は立っていた。

 あの青年だ。容姿は同じ。だけどその背中は濃い影を背負っているように見える。そしてその姿は、昔に戻ったようだった。

 そっと近づく。

 ほどなくして彼は少女に気づいたようだ。


「分かったよ、俺……死んでたんだな」


 ようやく思い至ったというように、アキラは口にする。


「昔、俺は死んだ。この町を守るために」


 沈んだような目つきで彼は語る。


「鬼を倒したんだ。相打ちだった。それで、俺は……」


 ぽつりとこぼすように、ぽたぽたと、口から言葉が滴り落ちる。


「そんな……」


 香織はショックを受けたように固まる。

 二人の間を風が吹き抜けていく。

 悲しげな旋律を奏でるように。

 日は陰り、あたりは暗くなった。

 それでも青年は顔を上げて、ほんのりと口元をほころばせる。


「よかった」


 ただ確かにつぶやいた。


「この町をもう一度、見れてよかったよ」


 瞬間、香織は目を見開く。

 彼が薄れていくのに気がついたからだ。


「待って……!」


 慌てて手を伸ばす。

 駆け出した。

 だけどもう、間に合わない。

 青年は柔らかに微笑んだまま、彼女の前から姿を消した。

 その残像が霧のように溶ける。


 少女の手は空を切った。



 しばらくの間、彼女はその場に立ち尽くしていた。

 それでもややあって、現実を受け止める。

 彼は消えた。

 もう二度と現れることはないのだと。


「ねえ」


 そこへ声がした。

 振り返る。

 声の主は同級生の女子だった。

 前髪パッツン・ストレートロングの女子生徒が、お供を数人引き連れて、やってくる。


「あんた、なにやってんのよ?」


 真顔で問いかける。


「私ね、今、大切な話をしてたんだ」


 香織は遠くを見つけて微笑んだ。


「話って、誰もいないじゃない」


 相手は呆れたようにこぼす。

 それでも香織は首を縦に振る。


「いたんだよ、確かに」


 それは希望でも逃避ではなく。

 明確な事実だった。


 風が吹き抜ける。

 柔らかな、郷愁の匂いが漂う風。

 今、西の空に日が沈む。あたりは橙色に染まりつつあった。

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