悲劇とか不幸とか

 悲劇のヒロインぶってる。

 そんな印象を持つ人を大勢見かけた。

 私だってそうだ、特に昔は。


 自分の人生は特別、悲劇的だったわけではない。単にうまくいかなかっただけのこと。

 いじめ、落ちこぼれ、孤独。

 ごくごくありがちな不幸でも悲劇でもない、なにか。

 私はそれを特別なことだと思っていない。


 いじめの被害者なんて大勢いる。

 落ちこぼれなんて、もっとたくさん。

 人間誰しもぼっちだ。


 自分を客観視してみれば、それは特になんでもないことなのだと分かる。

 個人だけで抱え込んで、乗り越えられるくらいには。


 それでも、ほんの少し未練があるのはなぜだろう。

 悲劇のヒロインだと自慢できる?

 そんなことをアピールしてなにになるの?

 それはなんの価値ももたらさないのに。


 だけど、昔の私は自分以上に不幸な人間はいないと思っていた。

 悪いことしか起きない。

 うまくいかない。

 嫌な目に遭ってばかり。

 そんな子どもっぽい言い草で。


 そんなくだらないことにしか意識がいかなかった。

 自分のことしか考えていない。


 悲劇よりも喜劇のほうが気持ちがいい。

 不幸よりも幸福のほうがいいに決まっている。

 自力で掴み取った幸福ならば、誰に対しても胸を張って主張できるのに。

 それでも皆、自分を語る。不幸を自慢する。

 こんなに不運だった。苦労を重ねてきたのだと。


 苦いエピソードを一種のステータスだというように。

 それがなくなれば、自身も価値を失ってしまうと言わんばかりに。


 きっと人は自ら不幸になりたがっている。

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