火恋しハロウィン
「トリック・オア・トリート」
「トリック・オア・トリート」
濃紺の闇が広がる町を魔女やマミー・幽霊たちが歩いていく。
本物か? そんなわけがない。ただの仮装だ。もしも本物だとすれば、私の住む町はとんだ魔境である。
街灯のオレンジ色の光が照らす人影は、みな明るい声を出して、動き回る。
甘い匂いのただよう部屋の中で窓の外を見ながら、苦い思いを胸に抱いた。蘇るのは小学校に通う女子児童だったころの記憶。家の前を走っては遠ざかって、消えていった少年の姿だ。
一〇月三一日。今日はハロウィンだ。にぎやかなイベントのはずなのに、毎年ほの暗い気分になるのは、なぜだろう。理由は知っているはずなのに、あえて分からない振りをする。そうしなければ失った過去に押しつぶされそうになるからだ。
あえて、見当違いな理由を上げてみようか。
友達がいないから?
いいえ、クラスメイトに誘われてはいる。魔女のコスプレをしないかと話を聞いた。結局やめた。理由は単純。恥ずかしいからだ。
だから今も、冴えないパーカーにジーパンという格好である。色気もなにも、あったものじゃない。
いちおうカゴいっぱいのお菓子を用意してある。少しでもハロウィン気分を味わうつもりだ。今日はパレードがあるし、参加しない代わりにみんなにくばってみようかな。
カゴを手に立ち上がろうとした矢先、目の前に光が広がる。まぶしくて目をつぶる。思わず顔の前に手をかざした。
ほどなくして光が止む。
まぶたをパチパチを開いて閉じてを繰り返したあと、下から上へなめるように眺める。
目の前に紳士服を着た骸骨が立っていた。思わず「きゃー」と声を上げる。
「落ち着きたまえ。俺の姿をよく見ろ」
確かによく見ると相手の見た目は、リアルな白骨死体ではない。デフォルメを効かせている。例えるのならカブとカカシを合体させたような印象だ。
「だ、誰なの、あなた」
「誰と言われてもな。強いていうなら魔界の生物だよ」
「ま、魔界?」
目を見開く。
「そうさ、今日はパレードだろ? 大量の仮装軍団が化け物を演じたから、本物の怪物を呼び出した。そいつが俺だ」
堂々とした態度で叫んで、彼は自身の胸に親指を向ける。
「と、とにかく。出ていってもらうわ。私、黒魔術になんて手を染めた覚えはないし、あなたに目をつけられるようなことをした覚えもないもの」
「おー、なんで分かったんだ? 俺があんたを狙ってるってさ」
「え?」
めちゃくちゃなことを口走ると、相手が意外な反応を見せる。
「残念だけど、もう扉は開いてんのさ」
言葉のあと、彼の後ろの空間に亀裂が走る。そこには透明な扉が開いて、中から暴風が噴き出してきた。
まるで台風の渦の中に飛び込んだような感覚。
ギュッと体を縮めて、目をつぶる。腕で体を守ろうとした。
されども、すぐそばには骸骨が迫る。彼は私の腕をつかむと、さっそく扉の前までやってくる。
「ちょっと、待って。待ってってば」
必死に叫ぶ。だけど、彼は聞いてくれない。
「ほら、いくぞ」
かくして私は扉の中に入った。まるで掃除機に吸い込まれるゴミのような雰囲気で、おかしなゲートを通る。
ここはいったいどこなのだろう。
気がつくと、真っ暗闇の中にいた。地面には草原が広がっていて、遠くには中世の城が見える。空には丸い月が浮かんでいて、青白い光があたりを照らした。気候は寒い。少なくとも私がいた町ではなさそうだ。だって、あの町には城なんてなかったし、こんなに開けた場所も見た記憶もない。
ブルッと体を震わせながら、キョロキョロする。
そのとき真上を何者かの影が通過していく。目で追うと、宙になにかが浮いているのが分かった。
魔女だろうか。真っ黒なので分かりづらいけれど、三角帽子とローブ・箒にまたがって飛ぶ姿はいやに目立つ。
さらには夜の闇に浮かぶのは半透明の白い影だ。幽霊、だろうか。目に入れているだけで気温がグッと下がったような気がする。
毛皮をまとった二足歩行の生物も見える。いや、着ているというよりは毛深いと言ったほうがいい。
周りの景色はあからさまにおかしい。この場所でもハロウィンをしているのだろうか。
様子をうかがう私に向かって、最初に口を開いたのは魔女だった。
「生者か、貴様」
苛烈な声だった。
「わ、私は、人間だけど」
おずおずと答えてみると、相手が急に眉をつり上げた。月光が彼女の憤怒に染まった顔を照らす。
「ならば死ぬがいい」
「え、ええー」
ちょっと待ってと手を伸ばす。私にとってはなにもかもが説明不足だ。まだなにか悪いことをしたわけではないのに、抹殺対象になった理由が分からない。
そうこうしている間に魔女は上空を旋回して、幽霊は浮遊を続ける。獣男も草原を駆け回った。私に逃げ場は一切ない。
「凍りつけ」
なにやら明かりが強くなったかと思ったら、上から氷の玉が飛んでくる。う、うわああと言いながら走った。背を向けて、ひたすらに逃げる。
だけど、相手が追い詰めにくる。獣男が行く手を塞ぐ。さらに上空には魔女も迫った。万事休すである。
目の前にはちょうど氷が振ってきて、氷河のような壁を作った。さらには獣男が跳躍して、上から爪を光らせて襲いかかってくる。幽霊の繰り出す青白い炎も私を狙った。
死をも覚悟したとき、後方から凛とした声がした。
「逃げろ」
刹那、目の前に強烈な明かりが湧く。
思わず両手で体を隠して、後ろへ下がった。ちょうど前のほうに炎が上がる。炎はありとあらゆる攻撃を焼き尽くして、私を守った。
いったい、なにが起きたというのだろう。ただ見ているだけだった私にはよく理解ができない。目を丸くして、草原の上に尻もちをつく。
そこへ一人の影が迫った。ゆっくりと顔を上げると、黒い瞳と目があう。私と同じ色。だけどその瞳の奥には緋色の光がチラチラと見え隠れしていた。
「行くぞ」
彼が私の腕をつかむ。こちらもつられて立ち上がった。彼が私を引っ張ると、足が勝手に動いた。
「待つのだ」
後ろから声が迫る。
振り向くと、箒が猛スピードで追ってきていた。
「彼らは生者を敵と認識しているんだぞ。なぜここに現れた?」
「なぜって、私が悪いみたいな言い方しないでよ。いちおう、被害者よ」
「なに?」
走りながら、言い訳じみた言葉を繰り出す。実際のところ、私は巻き込まれただけだ。文句なら勝手に現実世界に現れて、勝手に扉を開いていった怪物に言ってほしい。そんな恨み言を胸の内に秘めるかわりに、私は真面目に走った。
「なるほど」
「なに勝手に納得しているのよ」
「いや、やつならやりかねないと思って」
やつとは例の骸骨紳士のことだろうか。
わずかな情報からだいたいの内容を察した様子だけど、彼は何者なの? いったい、なにを知ったのよ。釈然としなくて眉をひそめる。
「それで、なんで私が敵だと言われなきゃ、ならないの? まだ、なにもしてないわよ」
「これからなにかをやらかす可能性があるからだ」
「えー、そんなに信用ないの? 見た目は人畜無害よ」
「ああ、小さな犯罪すらできそうにないくらい、弱そうな見た目だ」
ストレートにけなされて、心が痛む。確かに私は胸が薄いし、腕っぷしも弱い。運動神経なんて点でダメ。せいぜい足の速さが普通なだけ、マシなくらいだ。って、あれ、私、どうしてこんなに早く走れているの。
気がつくと敵ははるか後方へ追いやっていた。おかしいなと感じる。相手はいちおう魔女なのに。なんせ、魔法の箒で空を飛ぶ存在だ。今でもあれが本物だとは信じられないけれど、さすがにレベルが高い。本物なのだろう。
とにかく、きっと彼がなにか細工をほどこしたと予想ができる。ブーストをかけたに違いない。
「それで、どういうこと?」
「昔、世界を荒らし回った者がいた。そいつは彼らの大切な仲間を殺めた。だから、憎んでもいる」
「なにそれ、とばっちり。でも無理もないわ」
いくら別人だからとはいえ、敵にも私たちを恨む事情がある。グループ内で一人のメンバーが悪いことをした場合、残りのメンバーの印象まで悪くなる感じと似ている。正直、理不尽さはいなめないけれど、被害に遭った者には同情する。勝手にこちらの心も沈んだ。
すると、相手はなんだか無言になった。目を合わせようとすると、彼は目をそらす。いったい、なんなのよ。意味が分からなくて、
「ついたぞ」
彼が手を離す。
私たちがたどり着いたのは洞窟だった。暗黒色の穴の中に入ると、そこにはいろいろな設備が用意してあった。温泉やクローゼット、調理場・畑など。必要なものを全て、詰め込んだような形だ。
少年と離れた途端にずっしりと肉体に重力を感じる。不調というわけではないけれど、なんだかどっしりとした感覚だ。やはり、早く走ることができたのは、彼の仕業だったのだろう。走っているときはあれほどまでに体が軽かったのに、おかしな気分だ。
「俺は生者もいいやつはいるって、知ってるからな」
「フォローするの? 優しいわね」
よく見ると相手は私たちと同じ人間のような姿だ。だけど、それを言うなら魔女だって人型だし、彼は皮膚からなんだかパチパチと火花を散らしている。実は異型なのだろうか。でも顔立ちはきれいだし、私好みだ。なにより、危ないところを助けてくれた存在でもある。
そう考えると運命を感じて、ドキドキする。
私が勝手に盛り上がっていると、彼はクローゼットを開いた。
「生者だと気付かれないように、仮装をしてくれ」
「ん? その中から選べってこと?」
「そうだ。あいつが用意した。ノリノリでな」
「あいつってもしかして、骸骨みたいな人」
私が脳内に思い浮かべたのは、カブに落書きをしたような顔に、カカシのような体を持った存在だ。
「多分、それだ」
「最初から着せる方向で考えてたのね。でも、なんでよりによって私だったのかしら」
あごに指をそえて考え込む。
「いいから、さっさとしてくれ。いっとくが、俺は覗きとかしないからな。そのあたりは気にするな。だから早く」
「分かったわよ」
ズカズカとクローゼットに歩み寄って、バンとドアを開く。中にはぎっしりと入っているけれど、王道は魔女よね。いいえ、単純な好みだけど。とにかく、性別が女なら魔女コスが一番だろう。マミーはNG。幽霊も華がないし、一番かわいらしいのは魔女っ子だ。
かくして着替え終わった私はじゃじゃーんと衣装を見せる。
「普通に似合うな」
「でしょ?」
「ああ、これならバレやしない」
「本当に? そのあたりはきちんと厳し目に判定しないと困るわよ、私が」
でも、似合っているのならなによりだ。褒められたような気分だし、いい感じだと思う。
「衣装って私がもらってもいいの?」
「ああ」
「じゃあ、お菓子と交換で」
「ダメだ」
ええーと内心で愚痴る。
いいじゃない、少しくらいもらっても。
もじもじと指同士をつつき合わせていると、少年が口を開く。
「菓子は取っておいたほうがいい。重要なタイミングで使うときがくるかもしれない」
「例えば、どんな?」
「俺の口からはなにも伝えない」
「ひどいわ」
おかしいわね、伝えない理由はないはずなのだけど。まあいいわ。無理に聞く必要はないものね。それに、重要なアイテムだというのなら、あげちゃうのももったいない。だけど、一つくらいはいいんじゃないかしら、あげても。
私がそんなことを考えていると、唐突にコツコツという足音が聞こえてきた。見ると、骸骨紳士が洞窟からこちらへやってくる。なんだ、彼か。なんだか、肩の力が抜けちゃった。だけど、冷静に考えて。私をこの世界――仮にハロウィンワールドと名付ける――につれてきたのは彼よ。文句を言う資格はあるんじゃない。特に私はひどい目にあったのだから。
「あなたね、いったいなんてことをしてくれるのよ。こっちの身にもなってみて」
「悪ィね。俺は君ら人間の心情なんて興味がないんだ。自分の欲――僕の場合は気まぐれとかいたずらをしたいって気持ちだね。そいつを満たせれば十分だ」
「ある意味最低な人だわ」
「おうとも。仲間にもよく言われるよ。第二の生を受ける前からそうだった。結果、命を落とす羽目になったが、それはそれだ」
自業自得ね。きっと復讐に遭ったのだわ。
すると、なにやら少年が無言になった。なにかしら。彼はなにを考えているのかイマイチ分からない。普通の人間じゃなさそうだし、ハロウィンワールド出身っぽいのに妙によくしてくれる。相当な善人か、もしくはなにか悪巧みをしているのか。前者ね。根拠はないけど、断言した。
「あ、そうだ。君の持ち物に細工をしてもいいかい?」
「細工? って、うわああ。いきなりなんてことを」
声がして振り向くと、テーブルに置いた飴が全てカードに置き換わっていた。
「どうしたの、これ? ひょっとして、全部、食べちゃったの?」
「そうさ」
「やめてよ。重要なものだって聞いたんだけど」
私が頭を抱えて髪を振り乱すと、相手は愉快そうに笑いだした。
こっちはまったく愉快じゃないんだけど。
「からかうのもその辺にしておけ。だからお前は殺されるんだぞ」
「自業自得とはいえ、それとこれとは関係ないよね?」
相手は一呼吸置いた後、落ち着いた口調で言葉を繰り出す。
「安心するといいさ。別に食べたわけじゃない。ほら」
カゴの上に手をかざす。すると、たちまち飴がカゴの底に出てきた。
「うわぁ、なにこれ。どこから出したの?」
「出したわけじゃない。最初からあったのさ」
「最初から? そりゃあ、最初から入れてあったわよ。あなたが余計なことをしたせいで消えちゃったけど」
私が真顔で問い詰めようとすると、骸骨紳士はノンノンと白い指で横に振る。
「カードにしたのさ」
「カード?」
「ああ、かさばるだろ? だから飴玉全部まとめたってわけ」
「余計かさばらない?」
じとーっと相手を見つめる。
「束にしてまとめちまえばいいのさ。そうすりゃ、なんとか持ちあるける」
ふーん。とりあえず、カゴの中に置いた飴玉をかき集めて、ポケットに入っていたヘアゴムで止める。はー、普通はこんなことのために使うんじゃないんだけどね。アクセサリーよ、アクセサリー。
それはともかくとして、今の私には目的があるのよね。
「ねえ、案内してよ」
「お、外の世界に出る気かい?」
「そうじゃなくて」
首を横に振る。
「この世界を見て回りたいの」
「は?」
少年が眉をひそめる。
「だって、楽しそうな場所じゃない」
「や、だけどさ」
「いいから」
今度は私が彼の腕を引っ張る。
「がんばれよー、
後ろから声がした。
「あなた、焔って言うの?」
「あいつが勝手につけた名前だ」
「本名は別にあるの?」
相手は無言だ。
「教えないつもり? ずるいわ」
骸骨紳士のことは無視して足を進める。洞窟を出た。外は暗い。満月のまぶしさが異常だから、なんとか生活ができそうね。
この世界は常に夜なのかしら。だとすると、太陽が恋しくならないのかしら。いくつかの生物も絶滅してるんじゃないかしら。
そんなことを考えながら、草原を歩く。
「おい、そろそろ離せ」
「ああ、そうだった」
私は彼の腕を離す。歩くのに夢中ですっかり忘れていたわ。
それから私たちは付かず離れずといった距離で歩く。
最初にたどり着いたのは青く清らかな泉だった。まあ、こんな場所現代じゃ見かけないわ。いえ、探せばあるかもしれないけれど、近くにはない。少なくとも、私は見た記憶がなかった。
今もまばゆい光が水の底から放たれている。月光を反射しているのかしら。どちらかというと水自体が青白く輝いているようにも見えた。
とりあえず、これも記念よね。私は骸骨紳士から受け取った白紙のカードを手にすると、泉に投げ入れた。
すると、カードは水の色に染まって、中央に泉の絵が浮かび上がる。簡易的な写真の出来上がりだ。中身は瓶でイラストになっているだけなのが惜しいけれど、これはこれで情緒があるわ。
次に訪れたのはカボチャ畑だった。夜の闇で温かみのある色をした野菜が笑っている。声はしないけど、その顔は間違いなく邪悪な笑みを浮かべているわ。
まあ、ハロウィンといえばカボチャだものね。普段はなんてことのない見た目なのに、こうも集まっているところを見ていると壮観だし、なんだか不気味だわ。
さて、今回も写真に収めるわよ。私は無地のカードを手に、カボチャに当てる。すると、カードにカボチャが印刷された。
これで二枚目だわ。ぞくぞくと記念品が集まりつつある。これを現世に持ち帰れたら、きっといい思い出の品として見せびらかせるわね。
カードを回収した私は次の場所へと向かう。
歩きながら、彼に問いを投げる。
「ときにあんなにたくさんのカボチャ、なにに使うのかしら?」
「売るんじゃないのか」
「じゃあ教えてよ。どういうところで食べられる? カボチャを使ったスイーツとかは?」
甘いものは好きだもの。特にカボチャは野菜ということもあってカロリーが低そうね。いくらでも食べてもよさそうというか、罪悪感も薄い。
「あれは食べるというより、本命は別にあるからな」
「本体?」
「ああ、土の中に宝石を隠してるんだとさ」
「えー、ウソ。そんなものあったんだ」
仰天する。そうと知っていたら、掘り返したのに。残念だわ。
「あ、でも、それならそれで危なくない? だって、あんなところに宝石を埋めるなんて、無防備でしょう」
「いや、これが大丈夫なんだ」
「どうして?」
「カボチャが埋まってるから」
ん? 首をかしげる。
「カボチャが魔除けになってるのさ。だから、魔物は寄りつかない」
「へー」
そうなんだー。
カボチャにそんな効果があったなんてね。でも、魔物が寄り付かないというのなら、逆にいうと人間なら近づいても平気ということよね。ちらっと後ろを振り返る。橙色の畑はすでに遠ざかっていた。
私は首を横に振る。いいえ、掘り返すなんてそんなマネはしないわ。持ち主もいるのでしょうし、持っていったら困るでしょう。私はテクテクと歩いて、次の場所へと進んだ。
そしてやってきたのは墓地だった。月の光も差し込まない、薄気味悪い場所だわ。薄い色をした土の上にはたくさんの墓標が立っている。幽霊も死ぬのかしら。それとも、リスポーン地点のようなものかしら。ほら、現世の人間が死んだらこちらに来て、墓から再生するような感じで。
墓場は魔物たちの寝床にもなっているようで、隅のほうにはネズミやウサギなどの小動物が丸まって眠っている。墓の周りにはふよふよと青白い火の玉が灯る。
「怖くないのか?」
「ううーん、夜とはいっても、結構見ているものね、墓地なんて」
肝試しと称して墓の周りをぐるっと巡った覚えもあるわ。だからホラー耐性はあるつもりなの。だからハロウィンの世界は私にとっては楽園なのよね。怖い怖い言いながら、その怖さが癖になるような感覚よね。例えるのなら、ホラー映画が好きな人みたいな。
「あなたはどうなの?」
「俺は、ちょっとな」
そう言って、彼は複雑な表情で目をそらした。
墓地は苦手なのかしら。ちょっと意外ね。火の玉なんて、彼と同類みたいなのに、不思議なものだわ。
かくして時はゆったりと流れていく。
永遠に月夜のこの世界。いつのなったら日は昇るのかしら。それとも永遠に闇に閉ざされたままなのか。時間の流れがいまいち把握できないから、不思議な感覚になる。
現世に出たら、一分ほどいたはずが、数十年経過していたなんてことになるのかもしれない。だとすると、怖いわね。
いっそ、同じ世界に留まっていたほうがいいかもしれない。そうよ、永遠に、彼と一緒に。それはなんて幸せなことなのかしら。
そう思っていたとき、不意に影が頭上を旋回する。同時にふわふわと白い影が揺らめく。乾いた土の上を獣が駆けていった。バッと相手を目で追う。彼らは私たちの前に立ちふさがるような形で、集合した。
「仲間から聞いたのだ。貴様の正体、見破ったり」
上空から箒に乗った魔女がこちらを指す。
仲間、正体。どういうこと?
突然の出来事に私の頭は置いてけぼりを食らう。
「気付かれないんじゃなかったの? しっかりコスプレしたのに」
「甘いな。やつの裏切りに気づかぬ貴様がにぶい」
裏切り? つまり、私は誰かに裏切られたということ? おかしいな。そんな人、いままでに会った覚えはないわ。まさか、彼が裏切ったりなんてしないだろうし、だとすると、ほかに誰が……? いいえ、確かにいたわ。私に接触を求めて、クローゼットの中身を提供したであろう人物が。
「あいつか。骸骨野郎」
「そうなのだ。あんな野郎を仲間につけようとしたおろかさを知るがいい」
ああ、骸骨紳士の言う仲間って目の前に立つ三体だったのね。
そうと最初から分かっていたのなら、警戒はしたわよ。そもそも、彼のせいでハロウィンワールドに出てきちゃったわけだし、もっと疑うべきだったわね。
クローゼットの中身を提供したということは、つまり好きな格好を着させる気満々だったとも取れる。そのためだけに私をこちらの世界に引き込んだのね。本当にムダな遊びをしたものだわ。
「さあ、鏡よ鏡。テメェの真実を見やがれ」
獣男がカードをかざす。次の瞬間、地上に鏡が現れた。鏡は私の姿を映し出す。そこには女子高校生の私が立っていた。
これが私。
瞬間、魔女の格好が弾け飛ぶ。元の普通の少女に戻ってしまった。なんだか、魔法が解けてしまったような気分だ。
「さあ、処刑のはじまりだぜ」
真っ先に獣男が動く。私はキュッと身を縮めて、目をつぶる。すると、彼が前に飛び出す。焔が剣をかざす。刃の峰を使って獣男を弾き飛ばす。
つづいて襲いかかるは氷の剣。頭上から降り注ぐはあられのようなつららだった。大地からもトゲのように氷が生える。逃げ場も氷の壁が封じる。
万事休すか。
そう思う私の前で、焔は魔法を披露する。彼が剣をかざすと炎があふれて、氷を一気に溶かす。炎の前じゃいくら効果の高い氷だろうと、意味はない。
炎は魔女まで届く。箒が上昇する。かろうじて避けきった。さらに襲いかかるは火の玉だ。相手は浮遊しながらじんわりと焔に迫る。
だけど、彼もあわてない。的確に攻撃を避けたあと、剣を向ける。剣の先から炎が生まれる。相手は火の玉を繰り出す。しかし、炎はその火の玉を飲み込む。
私は少年の戦いぶりをぼうぜんと眺めていた。これが魔物同士の戦いなの。人間の私が出る幕がない。下手に動けば、巻き添えを食らって、死ぬ。
違う。
私を守るために戦っている。
彼のおかげで生きている。
私と彼は本当に住む世界が違うのね。心の距離を感じて、切なくなった。
「なぜ、庇うのだ?」
「知らねぇのか? かばったやつも罪に問われるんだぜ」
幽霊もケラケラと笑いながらあたりをただよう。
「脅しか。悪いが通用しない」
彼は冷静に答えた。
「元より俺は罪人だ」
途端に私の心に大きな波が立った。
彼が、罪人? そんなはずがない。だって、彼は優しかった。ハロウィンの世界に迷い込んで右往左往していた私を導いた。そんな彼が悪い人だなんて、思えなかった。
いえ、だからこそなのかもしれない。私たち側からすれば善でも、それはこちらの世界からすれば悪になる。
だけど、そんな私の思いとは真逆のことを、目の前にいる少年が話した。
「俺は、罪を犯した。この世界でお前たちの仲間を殺したのは、この俺だ」
心にひんやりとした風が入り込んだような気配がした。
彼が、殺した? 魔物を? 彼らの仲間を。
衝撃で言葉を失う。息すら忘れていた。
「ようだ。貴様だ。ならばこの仇、私が撃たせてもらおう」
上から氷が迫る。
炎には勝てないでしょう。そう思った矢先、一撃が墓場にいた小さな動物たちに当たる。
あたりで衝撃の音が響いた。
途端に弾かれたように私はそちらを向く。
なんだかイヤな予感がして、反射的に駆けた。
追ってくるのは氷のつらら。だけど、私には届かない。後ろで炎上の音がした。背後で熱を感じる。彼が防いでくれたのだわ。
その隙に私は墓場の隅まで移動する。足を止めると、血を流して倒れている小動物がいた。なんともむごい傷だろう。たかがつららとはいえ、彼らにとっては致命傷だ。
なんとか治す術はないかしら。
ちょうど、頭をよぎったのは、菓子のことだった。骸骨紳士は言っていたわね、特別な力を秘めていると。ならば、使ってみるのも一つの手でしょう。
私はガサゴソとカード入れを取り出して、無数にあったカードから一枚取り出す。復元と唱えると、本物のキャンディーに変わった。包装紙をめくると飴玉が表に出る。私はそれをつかんで、小動物の口に放り込んだ。半ば、丸呑みするような形だ。
さあ、どうなるか。
祈るような思いで結果を待つ。すると、体から光があふれる。それはあっという間に体全体に広がって、傷を治した。
なんてパワーなのだろう。致命傷だったはずなのに、あっという間に無傷に戻る。今はキュイキュイと鳴いて、身だって起こせる。
チョロチョロと歩き回る姿を見て、ほっとひと息つく。
「なにをしているのだ」
上から魔女が迫る。
「見ての通りよ」
「ふん。それで善人を気取るつもりか? だが、生者は生者。貴様は悪に違いない。そうやって油断させて、もさぼり食うつもりだろう」
ケラケラと上空から魔女が笑う。
相変わらずの態度だ。周りに寄ってきた獣男も幽霊と目を合わせて、難しそうな顔をする。私の行動がどんなものであったとしても、きっと彼らは人間を許さないのでしょう。
私も彼らに認められようとは思っていない。それでもなんだかむなしくなる。だって、このまま、誤解が解けないまま全てが終わるなんて惜しいでしょう。たとえ難しいことだったとしても、仲良くなりたいじゃない。
同じ生きているものならば、動物だろうが魔物だろうが、心を通わしてもいいんじゃないかな。
なおも渋る三人に対して、どこからか声が届く。
「いい加減に許してやるといいさ。この俺が言っているのだからね」
見上げると、崖の上に骸骨紳士がいた。彼は器用にギリギリのところに足を引っ掛けて、こちらを見下ろしている。
落ちないのかしら。
そう思った矢先に彼は飛び降りる。見事な着地を披露して、悠然とこちらへ向かってくる。
「彼女は悪いやつじゃないさ。それは俺が保証してやるよ」
「俺の言葉や行動を信じる必要はない。だが、そいつのことは信じてもいいだろう。お前らの仲間なんだから」
二人の言葉を聞くと、三体はそれぞれ顔を見合わせる。そして、不満げに顔を歪めたあと、魔女が代表として声を張り上げた。
「よかろう。だが、私は扉を開ける。猶予を与えるだけだ。二度と戻ってくるな」
魔女はぐるりと空を飛んで、去っていく。獣男や幽霊も彼女に続いて、大地を飛んだりはねたりした。
かくして私は扉を開けて元の世界に戻るかわりに、二度とこちら側へは戻れなくなってしまったのよね。どうせなら、ハロウィンの世界に留まるのもよかった。だけど、私はもうこちら側にはいられなくなったときた。きっと、彼女たちがそれを許さないでしょう。
少し、無念だわ。でも、私は思い出した。昔の出来事を。
「ハロウィンの日に行方不明になった男の子がいたの。彼、私の幼馴染だった。ひょっとして、あなた? あなたがあの人たちの仲間を殺した人間だとしたら、元人間なんでしょ?」
熱のこもった瞳で彼を見つめる。焔は瞳をそらした。
「きっと、そうだ。でも、僕は罪を犯した。殺したんだ」
「ううん、あなたはそんな人じゃないわ。私、知っているもの」
「でも事実なんだ」
「分かってる。だから言って。どうして、そうなったのかを」
私は彼を見つめ続けた。
すると、焔は渋々口を開いた。
「悪魔に呼び出しを食らって、食べられそうになったんだ。だから、近くに落ちていた剣で戦った。火事場のバカ力ってやつだよ。油断していたところをなんとかやっつけた。そのかわり、俺はこの世界の連中を敵に回す羽目になった」
なるほど、これが自業自得というやつね。
「いいわ。あなたなら、だから一緒に行きましょう」
彼の手を取る。しかし、焔は首を横に振った。
「以来、俺はその悪魔から呪いを受けた。おかげで人間をやめて、今では炎を生み出す魔物と化した」
彼はつらそうな顔をして、語る。
「呪いが俺をこの地に引き止めている。なにより人間でもない俺がこの世界から抜けたところで」
迷う彼に私は迫る。
「だったら、呪いを解けばいいのよ」
「軽く言うが、お前な……」
あきれたような表情を見せる彼。でも、私は本気なのよ。
「呪いの原因って要は怒っているってわけよね? なら、その荒ぶる魂を静めてしまえばいいのよ。簡単なことじゃない」
「軽く言うが、あれはムリだ」
「大丈夫、なんとかなるわ」
私は彼の腕を引っ張って、墓地を巡る。
「ここに誰か、埋まってる?」
「ああ、俺が殺したやつなら、きっと」
一つひとつ確かめるように見ていく。すると、見つかった。
墓参りのときだ。何度もやったようにお参りをする。線香も花もないけれど、祈りなら通じるわ。私たちは手を合わせた。心の中で祈祷を唱える。そこに水を差すように、骸骨紳士が近くに寄ってきた。
「悪いんだけどさ、多分それ、意味ないんだわ」
彼は気まずそうに文字通り骨となった腕で頭をかく。
「どうして?」
「墓参りっていいことじゃない」
「や、それがね。もうすでに恨みは晴れているのさ」
しばし、私は固まってしまった。
どういうこと? 恨んでいるから呪いがかかっているんじゃないの?
「あのな、善意で呪いをかけたんだよ」
「ん? なんで、善意で?」
意味が分からないわ。
「それにどうしてそんなことが分かるのよ。本人でもないくせに」
「分かるさ。殺された本人が許してんだよ? そりゃあ、説得力しかないよね」
しばし、彼の言葉にあっけに取られて、口をぽかんと開けて立ちすくむ。次に焔に視線を合わせる。彼はなにやら言いたげな顔をして、目をそらした。
「つまり、あなたなの? 殺されたのって」
ほうしんした状態で言葉を吐く。
「なによ、やっぱり自業自得だったじゃない」
「やっぱりってなにさ? 言っとくが、俺は殺されるつもりで呼んだんじゃないんだよ。なんかちょっかい出してやろうかなーって軽いノリでやったら、こうなっただけでさ」
「それを自業自得って言うのよ」
なんなのよ、この元悪魔は。一丁前に骸骨紳士に転生しちゃって。
全ての元凶は彼だったのね。これはも少し反省してもらわないと気が済まないわ。
「転生した俺は焔につきまとったのさ。やつといろんなところに遊び回って、本質を知った。こいつ面白ぇなって思ってさ」
「彼、面白いところなんてあったの?」
眉をひそめる。
「知らないさ。でも、普通にいいやつってことは分かったのさ」
「もう少し自分の発言に責任を持ちなさいよ」
面白いと言いながら、「知らん」ってどういうことよ、まったく。
「それで、私たちはどうするべきなの?」
「どうするもなにもな。僕が許しても、この地に残った怨念と呪いは消えないのさ。完全に分離しちゃってるものでね」
「えー、なにそれ。あなたが責任取ってよ」
「無茶言うじゃないよ」
うーん、参ったわね。完全に万策尽きたわ。お墓参りがダメなら、あとはなにかしら。浄化のプロでも呼ぶ? でも、魔界にそんな人は来ないでしょう。その道のプロを現世から呼び出すしかなさそうね。
そんなことを考えていると、不意に墓地のほうから黒い渦が湧き出した。
「ゲエエエ」
骸骨紳士が叫んで、私の陰に隠れる。
「なによ、どうしたのよ?」
答えつつ、彼を見やる。
そのとなりで焔が剣を構えた。
「アレだ、アレ。僕の元の魂さ」
「え、アレが?」
もう一度黒い渦に視線を戻す。
さすがはハロウィンワールドといったところかしら。ただの怨念と化しても凄まじい破壊力を持つ。出現しただけで墓が次から次へと崩れていく。まるで闇の魔法みたいに。
もしくは怨念だからこそなのかもしれない。形を捨てたからこそ、ここまでの力を発揮できるのかも。
なんて、冷静に観察をしている場合じゃないわね。逃げなきゃ。そう思った矢先に黒い渦が焔に飛びかかる。
「あっ!」と叫んだ。もしくは叫ぼうとした。逃げてと伝えようともした。だけど、間に合わない。彼の体を炎がつつむ。
なにが起きるのか分からない。だけど間違いなく、なにかが終わることは確かだ。完全な炎と化して人間としての姿すら失ってしまうのかもしれない。
それはいけない。元の姿を知っているからこそ、私はそれを止めなくてはならない。
カードを引っ張り出す。見つけた。泉の水を閉じ込めたカードだわ。
私は復元と唱える。水が出現する。私はその前に流水状にかわりつつあるカードを投げつけた。
炎へ命中する。水が体を浸す。炎が消える。中から現れた少年は、昔の彼とよく似ていた。
「それは清めの水だね」
骸骨紳士が言った。
だけど、彼の声は耳を抜けて脳を通らずに出ていった。それくらい、感激している。テンションが上がった。目には涙すら浮かびそうだった。
「やっぱり、そうね。あなたじゃないの」
過去の情景が思い浮かぶ。黄昏に染まった町を二人でよく歩いたものだわ。今ではすっかりそんなことはできなくなったけれど、今だけは彼とも思い出なら目の前に立っている。
「まさか、呪いが」
彼は自らの手のひらを見た。
「君、本当は呪いを甘んじて受け入れただろ? あえてこの罪を受け入れようってさ。でも、もういいのさ。この僕が許した。ならばもう好きにしてくれ。ほら、そのために彼女を呼んだんだしさ」
少年の茶色い瞳がこちらを向く。
彼に向かって私は確かにうなずいた。
「俺、君と一緒に行くよ」
「分かった。じゃあ、私も」
そのとき脳内に直接語りかけてきた者がいた。
『扉が開けたのだ。すぐそばに出現するのである』
不機嫌そうに通話を切っていった。
声を聞いた直後にそばに扉が開く。現実世界で見たものと同じタイプだ。私は顔を見合わせる。そこへ迫るは黒い影。彼の体を離れた黒い渦が私たちを狙う。
私たちは手を繋ぐ。うなずきあって、扉の奥へ飛び込んだ。
そして、走る。ひたすら駆ける。後ろから黒が追ってくる。
私はカードからカボチャを取り出す。それを相手へ向かって投げつける。カボチャが光を放つ。
一時的に黒い渦の勢いが止まった。だけど、もうじき、追いつかれる。
私は前を向いた。つないだ手は離さない。いよいよゴールが近い。間が少しずつ狭まっている。
行け行け。イッケエエエ。
心の中で叫ぶ。そして私たちは勢いにまかせて飛び込んだ。
気がつくともとの世界に戻っていた。いまだに世間はハロウィンの最中のようだ。月は丸くて夜だから暗い。ハロウィンワールドとあまり変わりはないけど、戻ってきたという実感が湧くのは、見慣れた町並みのせいかしら。
退屈な日常でも彼と一緒に過ごせるのなら問題はない。たとえ冬がとなりに迫る時期であろうと、彼の心がそばにいるのなら、寒くなんてない。
今、新しい自分になれたような気がする。ハロウィンの世界での旅や冒険を通して、なりたい自分になれたように思えた。
いよいよ止まっていた時が動き出す。ならばもう、言ってしまえ。あの日――行方不明になった当日の夜、永遠に言えないと思った彼への気持ちを。
「ねえ、私……ずっとずっと、ずっと、言いたかったことがあるの」
秋と冬の境目に立って、私は今、自分の気持ちを打ち明けた。
「ずっとあなたが恋しかったって」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます