学校で体調不良になった生徒たちを多く見て、そういえばそんな季節だったかと思い出す。今日は二月三日、節分だ。つまり季節の分かれ目なわけで、邪気が生じやすい。人々が体調を崩すのはだいたい、邪気が悪さをしているからだ。私はそうした悪いやつらを打ち倒す仕事をしている。

 今回の依頼は怨霊の浄化だ。同業者から教えてもらったのだけど、悪さをする前に倒さなければならない。……なんだけど、厄介な相手を見つけてしまった。いちおう闇をまとっていたから鬼ではあるのだと思う。だけど、何度刃を振るっても、札を投げつけても倒れない。それどころか表をおおっている闇を晴らす気配すらない。これはいったいんなんなのだろう。私はほとほと困り果てた。すると、相手が以下のような言葉を吐いた。


「手を組まないか? 俺にも殺したいやつがいるんだ」


 いちおう、人間の敵になる気はないらしい。しかし、どうしたものか。いくらおとなしい存在だからといって、野放しにしてもいいのか。まあ、いいや。利害は一致しているし、私たちは行動を共にすることを決めた。

 道中、やけに濃い邪気を感じる。退魔師の目から見ても薄い闇にまぎれるようにして、毒が広がっている。怨念だ。私はすぐさまそちらへ足を滑らす。


「なにが目的? なにに恨みを持っているの?」


 慎重に尋ねた。すると相手は答える。


「殺してやる。私をこんな風にしたやつらを」


 声を聞いて眉をひそめた。まさかと思った。だけど、気のせいである可能性も考えて、声をかけ続ける。


「なにがしたいのかは分からないけど、恨みを晴らすことだけはやめたほうがいいわ。だって、そんなことをしたらあなただって同列に堕ちるだけだもの」

「ハ? 今さらなに言ってるのよ。あたしだってね、いままで悪いことばっかりやってきたのよ。そんなの、いちいち気にしてどうするのよ」


 やはりかと思った。だけど、それはそれ。私は遠慮なく刃を振るう。途端に闇が弾けた。あっと背に控える鬼が声を出す。そこから現れたのは少女だった。私のよく知る、昔のクラスメイト。

 だけど、今更彼女のことなんて気にすることはない。私は札を投げつけ、すれ違う。瞬間、少女は身にまとっていた闇ごと弾け飛んだ。


「おい、ありゃなんなんだ。お前いったい……」


 鬼がそばによってくる。私はあくまで口を割らなかった。ただ淡々と、目的の場所を目指す。


 そしてやってきたのは墓場だった。ここが邪気の元となった場所だ。今はよくてもいずれは邪気は形を持って、鬼となる。私は急いで歩いて、濃い闇のほうへ赴く。後ろからゆっくりと彼がついてくる。オバケに怯えるようにビクビクと墓石を眺めながら、彼は息を呑んだ。やがてたどり着いたのは一つの墓。まだ新しく作られたもののようだ。そして、そこに書かれた名前を見て、鬼は声を上げた。さらにとなりへと目を滑らせ、彼は固まった。


「俺の、俺が殺した……」


 唇を震わす。

 声に出しながら彼がまとっていた闇が晴れていく。

 私は溜め息をついた。どうやら互いのゴールはここだったようだ。とにかく、私は札を投げつけて浄化をほどこす。途端に墓がおおっていた黒い霧も一気に晴れた。


「くわしく聞かせてもらうわ。あなたはいったい、なんなの?」

「ああ、教えてやる。だがそのかわり、お前のほうも口を開けよ。お前の過去、教えろよ」


 一度、口を閉じる。

 互いの目線がぶつかり合う。

 私はあくまで冷静に相手の視線を受け流したあと、目をそらす。


「いいわ。だから、答えて」


 私の言葉を聞き取って、相手が口を開く。


「俺、復讐鬼だったんだ。俺は自分の大切なやつを殺された。犯人は見つからず、自分の力で探し出した。けど、結果は相討ち。俺は死んだ。つまり俺は、死人。ただの亡霊だった」


 唇を震わす。

 闇の中から人間らしい肉体が姿を現す。だけど、やはりその肉体は本物ではない。本体はすでに焼かれた後なのだろう。

 ひとまず彼の正体は知った。ならば後はこちらの番だ。


「私はあなたよりもきっと、醜い存在」

「え?」


 顔を上げる。鬼は眉をひそめた。


「私はいじめられっ子だった。小学生だったときにいじめられて、その恨みをずっと持ったまま過ごしたのよ。そしてついに高校になったときに相手と出会った。

 だけど、あれはなにも覚えていなかった。そればかりか私の両親を、周りの人をバカにした。だから、カッとなって、刃を向けたの。

 そのときに悪魔が現れた。彼は言った。『お前も同類だ』と。そして、悪魔と出会った者は殺されなければならないらしい。それがルール。それを捻じ曲げる代わりに私は契約を交わした。

 それが退魔師としての力。相手は同じ邪気から生じた鬼を倒してほしかったらしい。自分と同じ存在は二人もいらない。おまけに悪さをしてこちらの評判を落とされたくはないってね」


 後悔はない。

 私に残された道はそれしかなかった。ただ、それだけなのだから。


「続けるつもりか?」

「ええ?」

「解放されないつもりか?」


 うつむく。

 なにもない。なにも、求める者なんてない。だって、これが私の罪なのだから。


「許さない。そんなの、絶対に許さねぇよ」

「なによ。あなたになぜ、入れ込む理由があるの? 私たちは無関係の存在なのに」

「無関係? そりゃあ、ねぇぜ。だって俺とお前は同類だったんだろ? 同じ罪を背負った存在。いや、それは違うな。お前はまだ、なにもやっていない」


 視線と視線がぶつかり合う。


「連れて行けよ。そいつの元へ。知ってるんだろ?」

「分かった」


 彼の言葉を聞いて、私は悪魔の元へ向かった。

 鬼は悪魔と直接あって、私を解放させるつもりだ。それは成し遂げられるとは思っていない。それでも、連れて行くしかないと考えた。

 そして、ついに対面する。そこにいたのは黒い髪と翼を持った青年だった。見た目だけなら二十代前半のように見えるけれど、実年齢は果たして何歳くらいなのだろう。


「なるほど、交渉がしたいと。ならば簡単だ。貴様の役割がなくなればいい。それを成すには邪気が発生しうる可能性を消せばいいのだ」

「と、いうと?」

「貴様も分かっているだろ。邪気とは鬼の発生源だ。その邪気は人間たちの悪しき心より生じる。つまり、だ。鬼の発生を止め、退魔師の仕事をなくすには、感情をなくせばいい」

「できるのか?」


 いぶかしむように少年は悪魔を見据える。

 邪気……悪しき心――私が最も消し去りたかった要素だ。

 だけど少年はそれを認めなかった。それだけはありえないと。叫ぶように言葉を繰り出した。


「感情を消すだと? それはできない」


 まっすぐに言い切った。


「感情を消せば悪意なんてなかったことになる。誰も苦しまずに済む。それは事実よ」

「だとしても、俺はイヤだ。そんな未来、きてほしくはない」

「だけど、そうでもしなければ争いなんてなくならない。悪意に満ちた、そんな世の中でいいの?」

「いい。悪意がある。醜い。だからどうした? それでいいんだ。それが人間なんだよ」


 くっ。

 唇を噛む。


「たとえ汚いところがあったとしても、それを押し流せるだけの善意があれば十分なんだよ」


 だとしても、私はそれを認められない。だって私は醜い。誰にも認められなかった。悪を浄化することしか許されない存在。それでよかった。そうであらなければならなかった。


「どうして? 私はもう取り返しのつかないことをした。この罪を償うことなんて」

「お前はもう十分やったよ。だってお前は人を救ってきたじゃないか」


 息を呑む。

 頭を巡ったのはいままでの日々。たくさんの仕事。依頼を受けて悪を倒してきた出来事の数々。その積み重ねが今になって津波のように心を襲う。


「でも、私は、私は」

「いいんだ。そんなの分かっている。それでも俺はお前に救われてほしい。だって、俺は人を殺した。お前に出会わなければこの世から解き放つことなんてできなかった。お前にはまだ続きがある。だったら、ここで終わりにしてくれ。そうでないと、俺はこの世から旅立てない」


 私は受け入れる。

 契約が崩れた。

 あれ? どうして?

 契約が解けた。そんなの、ありえない。私は光に満ちた空間で目を丸くする。


「やっぱりだ。契約は形ないもの。罪悪感につけこんだものだ。つまり、それを薄めてしまえば、いい」


 舌打ちが響く。

 どうやら今回に関しては鬼に軍配が上がったようだ。

 私は人間に戻り、満たされた鬼は消える。


「ありがとう」


 声がした。

 最後に聞いた、人間に戻った鬼の声。

 それはこちらのセリフだ。

 だけどその言葉は相手に届くまもなく、この場から消えた。

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