第104話 調査

 さして広くは無い部屋だった。

 部屋の中央には、古びた木製のローテーブル。

 テーブルの周囲には、色褪せたソファーセット。

 足元に敷かれた絨毯は臙脂色で、これもやはり古びていた。

 とはいえ汚れや痛みは目立たない、良く手入れされている。

 部屋の壁に飾られているのは、聖女・グランマリーの肖像画。

 杖と蛇に翼をあしらった紋章が、部屋の戸口に刻みつけられている。

 そこは『ヤドリギ園』の応接室だった。


「――『ヤドリギ園』周辺の土地売却問題については『在俗教区長』も、捗々しい返答が出来ず心苦しいと、そう申しておりました……」


 青い修道服を纏った、年若いシスターがそう告げた。

 二十代半ばほどか、鼻の辺りにそばかすが散っている。

 彼女の隣りに並ぶのは、温厚そうな壮年の司祭だ。

 がっしりとした身体付きで、眼鏡を掛けている。

 いずれも『在俗区会本部』からの使者であり『ヤドリギ園』園長が行った補正予算の陳情を受け、意見交換を行いたいと訪ねて来たのだった。


「いえ――この度の陳情は、在俗区会の負担を顧みぬものであり、区長のご心労もいかばかりかとお察し致します。ただ『歯車街』一帯に暮らす全ての労働者が、行き場を失いかねない状況にある事を知って頂きたく、繰り返しご連絡させて頂いた次第です」


 静かに応じたのは『ヤドリギ園』の園長――シスター・ララだった。

 皺深い横顔に、鎮痛な思いを滲ませている。

 園長の隣りで険しい表情を浮かべているのは、シスター・ダニエマだ。 

 四人はローテーブルを挟み、向かい合う形でソファに座っていた。


 この度の問題を『在俗区会』の職員と話し合うのは、初めてでは無い。

 既に二度、園長は『在俗区会本部』を直接訪問し、陳情を行っている。

 そして『在俗区会』側からも一度、視察の職員が訪れている。

 しかし、状況に変化は無い。


「はい……私共も八方手を尽くすべく、検討してはいるのですが……」


 今回、派遣されて来たシスターの口ぶりも、歯切れが悪い。

 とはいえ責める事など出来ない、『ヤドリギ園』周辺の土地――その売却費用は、四億八〇〇〇万クシールという途方も無い金額なのだ。

 伏し目がちに園長の様子を伺いながら、年若いシスターは続けた。


「……ところで今回の問題に際して、『衆光会』が『ヤドリギ園』に、特別な援助を行っていると聞き及んでいます。その内容について確認させて頂いても宜しいですか?」


「特別な援助――」


 その言葉を受けて園長は、すぐに思い至る。

 『衆光会』に所属しているダミアン卿の申し出を受け、『グランギニョール』にて資金を獲得しようとしている件だ。


「――はい、予てより『ヤドリギ園』は『衆光会』のお力添えで成り立っております。知る限りの事をお伝えしましょう」


 園長は応じる。

 頷いた若いシスターは、穏やかな口調で切り出した。


「まず――『ヤドリギ園』の為、『衆光会』に所属するダミアン男爵が、同会所有のオートマータを『グランギニョール』に参加させておられるとか。仕合で見込まれる喜捨投機運用益を、土地売却の代金に充てようとしている……そうですね?」


「はい、仰る通りです。『衆光会』のダミアン卿に、ご尽力頂いております」


 園長は嘘偽り無く答える。

 『グランギニョール』自体、グランマリーの教えに背く物では無い。

 『グランギニョール』を管理運営している団体は『枢機機関院』だ。

 『在俗区会派閥』と同じく、グランマリー教団に属する団体である。

 そこに問題は一切無かった。

 再び頷いた若いシスターは、更に言葉を続ける。


「そして『衆光会』のオートマータを直接管理されているのは、『ヤドリギ園』で診療所を運営している錬成医師……レオン・ランゲ・マルブランシュ氏であり、該当するオートマータの錬成も、マルブランシュ氏が行ったと聞いておりますが……これも事実でしょうか?」


 園長は僅かに沈黙し、二度、三度、小さく首肯する。


「そうですね……『衆光会』が所有するオートマータ――エリーゼさんですが、実質の管理者は仰る通り、当園で働いているレオン先生です。そして管理の都合上、エリーゼさんは、この『ヤドリギ園』で生活しております。ただ、先ほどのお話に補足するなら……」


 以前、エリーゼを『ヤドリギ園』で預かると決めた際に、レオンより聞かされた事の経緯を、園長は伝える。

 エリーゼの身体はレオンが錬成したが、その『魂』が刻まれた『エメロード・タブレット』は、機能不全の状態で放置されていたオートマータより移植されたものであり、レオンはグランマリーの倫理規定に基づき、エリーゼを救済すべく『エメロード・タブレット』の移植を行ったのだと――その様に説明した。


 園長の説明に、若いシスターは傍らの司祭に視線を送る。

 司祭は鷹揚に頷き、シスターは改めて口を開いた。


「機能不全の状態で放置されていたオートマータ……ですか。そのオートマータの『エメロード・タブレット』を、レオン・マルブランシュ氏が救済したと。ところで、その機能不全のまま放置されていたオートマータですが、元はどなたの所有だという話は、聞いた事はございませんか?」


 その言葉を受けて園長は、微かに首を傾げる。


「いえ……レオン先生曰く『ある錬成技師が秘匿していた』とだけ……。そして、その錬成技師を法的に裁く事は難しいと、そう仰っていました。確かにピグマリオンは、グランマリー教団の『枢機機関院』から、錬成倫理的な部分で優遇、擁護されている面があります。そういった現状を踏まえての発言でしょう……」


 若いシスターの隣りに座る司祭が、そっと眼鏡の位置を指先で整える。

 そして、低く通る温厚な声で尋ねた。


「失礼ながら――レオン・マルブランシュ氏のお父上は、マルセル・マルブランシュ氏だと聞き及んでおります。件の機能不全を起こしたオートマータ……その主である錬成技師がマルセル氏である……と、いう様な話は?」


「いいえ、そういう話は聞いておりません」


 園長は小さく頭を振り、否定する。

 司祭は優しく微笑み、解りました――と、頷く。


「……そうですか、いや失礼。マルセル氏といえば『錬成機関院』とも『枢機機関院』とも良好な関係にある名士です。今回の件で何か力添えを、とも思ったのですが……そういうワケにもいかんのでしょうね」


 その後『ヤドリギ園』の運営状況について、幾つかの質問が投げ掛けられ、園長はその都度、真摯に対応を続けた。

 やがて『在俗区会本部』の二人は得心した様に頷き、ソファから立ち上がる。


「――お聞かせ頂いたお話は『在俗教区長』に必ずお伝え致します。問題解決に向けて『在俗区会本部』でも協議を重ねておりますので、今しばらく結論が出るまでお待ち下さい」


 若いシスターは口許を綻ばせつつ、そう告げた。

 園長とシスター・ダニエマは、胸元に手を添えると頭を下げる。


「どうか宜しくお願い申し上げます――」


 ◆ ◇ ◆ ◇


 子供達の楽しげな声が響く『ヤドリギ園』の前庭。

 使者として訪れた二人を、園長とシスター・ダニエマは外まで見送る。

 二人は笑顔で謝意を述べつつ、建物脇に停めた黒い蒸気駆動車へ乗り込む。

 低い駆動音と共に車は走り出し、そのまま幹線道路方面へと向かった。


「確認出来た話は、おおよそ想定の範囲内でしたね……わざわざ出向いて調査する必要、ありました?」


 程無くして駆動車の後部座席、年若いシスターが傍らの司祭に尋ねた。

 司祭は温和な表情を崩す事無く、低い声で答える。


「もちろん。想定の正確さを測る為にも、意見交換は必要だ。何より直接対話する事で、感覚として理解出来る事がある」


「ローカ司祭は、先ほどの二人と話して、何か感じました?」


 シスターは、更に質問を重ねる。

 司祭――ローカ司祭は、前方を見据えたまま、淀み無く応じた。


「園長も、副園長も、何も知らないというのは事実だろう。嘘を吐いている様子も無い、隠し事をしている様子も無い。純粋に孤児院の行く末を案じている。つまり我々が知りたい事柄には関係していない――恐らく状況は、シスター・マグノリアの仮説通りだ」


「私もそう思います」


 事も無げに答える若いシスターを、ローカ司祭はちらりと見遣る。

 言葉を続けた。


「――確認しよう。半年前、『衆光会』のオートマータ『アーデルツ』が『グランギニョール』に参加して損壊。『アーデルツ』の製作者はレオン・マルブランシュ。同時期にレオンは『機能不全を起こし放置された』オートマータを発見、救済措置を行っている。これについては治安官事務所にも記録があった……園長の証言と一致する内容だ」


 治安官事務所の記録――それは四ヶ月前、シスター・カトリーヌと共に外出したエリーゼが、路上で二人組の強盗と遭遇、これを制圧した事案についての記録だ。そこにエリーゼの管理者として事情聴取を受けた、レオンの発言が残されていた。

 シスターは頷く。


「機能不全のオートマータを放置した……とされる錬成技師は、レオンの父親――マルセル・マルブランシュ……と考えて正解でしょうか。錬成技師の優遇は事実でも、法的に裁く事が難しいほどとなれば、それなりに大物でしょうし」


「レオンは練成機関院付属の学習院を『自主退学』という形で卒業した後、すぐに『一般居住区』へ移住している。親交のある錬成技師は殆どいない、例外は『ベネックス創薬科学研究所』の所長くらいだろう。損壊したオートマータ……というより、該当する『エメロード・タブレット』と接触する可能性、そして後の状況までを考慮するなら――マルセルである可能性が高い」


 司祭は眼鏡の位置を指先で整えながら、答える。

 シスターは司祭に視線を送り、口を開く。


「シスター・マグノリアの仮説が正しければ――三〇年前に彼女が『ウェルバーグ公国』で確認したというオートマータ『エリス』――そこに、この一件が繋がると?」


「ランベールとシスター・マグノリアは、そのつもりで内密に調査を進めているが、問題視しているポイントはそこじゃ無い。禁止された錬成技術――『タブラ・スマラグディナ』の拡散だ」


「マルセルが『タブラ・スマラグディナ』の拡散に関与している?」


「……そうだな、『錬成機関院』と『枢機機関院』のどちらにも影響力を持ち、多くの貴族、錬成技師から支持を集めている。問題が発生した場合の揉み消しは楽なポジションだ、注視すべき人物だろう」


 瓦礫に埋もれた様な『歯車街』の悪路から、幹線道路へと滑り込んだ蒸気駆動車は、速度を上げつつ『特別区画』方面へと走り続ける。

 ローカ司祭は言葉を続けた。


「今回の件には『ガラリア帝国軍』内部の人間も絡んでいると、ランベールは睨んでいる。エキシビジョンで『シスター・ジゼル』を損壊に追い込もうとした『錬成機関院』所有のオートマータ、あの一件を踏まえての事だ――私も同意見だ。故に軍への協力要請は出来ず、我々が独自に動くしかない」


「政治絡み、貴族絡み、軍隊絡みの案件は、何時だって難航する、証拠は隠蔽され、証人は口を閉ざす。我々『マリー直轄部会』は、地道に状況証拠を積み上げて行くしか無い、何時もの事と言えば、何時もの事ですが……」


 そう応じたシスターの言葉に、司祭は短く息を吐いた。


「シスター・マグノリアの『違和感』と『直感』、『針』で得た情報は当てになる――しかし、この調査が軍の要請で無い以上、無茶は出来んし、彼らの協力も期待出来ない。貴族や軍、『錬成機関院』相手に面倒事は避けたいが――とりあえずは……」


「とりあえずは?」


「……『ヤドリギ園』で受けた陳情を『在俗教区長』に伝える」


「ですね」


 やがて『マリー直轄部会』より派遣されて来た二人は、口を噤んだ。

 黒い駆動車は低い音と共に、西陽の差す街道を走り続けた。

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