明目張胆
第88話 鉄球
円形闘技場に集まった観客は、ごく僅かだった。
華美な刺繍が施された赤紫の修道服を纏う男達、これが一五名ほど。
客席最前列の上段に設けられた、関係者用ボックス席へ横並びに座している。
彼らは『枢機機関院』より派遣された、幹部職員達だった。
皆、皺深い老齢の顔に汗を滲ませ、拳を握り締めている。
闘技場で行われているコッペリア同士の戦闘を、食い入る様に見つめていた。
『枢機機関院』幹部職員達が座る、ボックス席の向かい側。
入場門脇の待機スペース。
そこには、漆黒の修道服を纏う『マリー直轄部会』の男達が立っていた。
人数は二名のみ。
一人はピグマリオンの資格を有する、眼鏡を掛けた司祭。
残る一人は眉間に深く刻まれた皺が特徴的な、痩身のランベール司祭だった。
ランベール司祭は眼前の鉄柵に肘を乗せ、闘技場で行われている仕合の行方を見守っていた。
今、行われている仕合は、貴族達を集めてのギャンブル興行では無かった。
歓声も声援も無ければ聖歌も無い、オーケストラによる演奏も無い。
会場内には、グランマリー教団の関係者しか存在しなかった。
いわゆる『予備戦』――この仕合は二ヶ月後に開催される、エリク・ドミティウス・ドラージュ・ガラリア皇子主催の『トーナメント戦』に参加させるコッペリアを決める『予備戦』だった。
序列上位のコッペリアを招集して行うこの『トーナメント戦』には、『不動の序列三位』が確約されている『枢機機関院』代表のコッペリアも参加可能だ。
しかし、活動内容の機密保持を優先すべく仕合参加を望まぬ『マリー直轄部会』と、新たな利権獲得を目指して仕合参加を望む『枢機機関院』との間で、対立が発生した。
しかも『マリー直轄部会』所属の『コッペリア・ジゼル』が『錬成機関院』所属の『コッペリア・ルミエール』と行ったエキシビジョン・マッチにて重傷を負った事から、更に事態は悪化してしまう。
結果的に『枢機機関院』と『マリー直轄部会』は、何れも己が主張を譲らぬまま、双方が選出したコッペリアを戦わせる事で、問題の解決を図ろうとしたのだった。
◆ ◇ ◆ ◇
その娘は、端正な顔立ちをしていた。
しかし前方を見据える緋色の眼差しは、硬質にして冷徹な光を帯びていた。
無造作にたなびき揺らぐ長い頭髪は真紅、その煌きは焔を思わせた。
『枢機機関院』を代表するコッペリア――その魂は『サラマンダー』。
『コッペリア・フラム』だった。
身体つきは女性的な優美さに満ちているが、弱さは微塵も感じられ無い。
光沢を帯びた、真紅の金属製ブレスト・プレートを装備していた。
両手両脚を覆うガントレットとグリーブも同じく真紅。
いずれも複雑精緻な蛇腹構造を有し、ブレスト・プレートにも精密な分割加工が施され、身体の動きを些かも阻害せぬ造りとなっていた。
更には全身から立ち昇る、白い蒸気。
身に纏う軽鎧は、ただの鎧では無く『強化外殻』という事だ。
右手に握られた得物は、鋼鉄製のモーニングスター。
鈍く光る四〇センチ超のグリップには、聖女グランマリーを讃える聖句が刻まれており、そこから伸びる長大な鎖には、砲丸大にして重さ四キロ超の星型鉄球が繋ぎ留められていた。
モーニングスターはフレイル同様、遠心力を活かしての打突攻撃が一般的だ。
だが、フラムは違う。
手にしたモーニングスターを、鞭の様に振るうのだ。
膝に溜めを作り、低く構えたフラムは、右腕を巧みに躍らせる。
すると彼女の周囲を鋼鉄の鎖が、蛇の様に波打ちながら旋回する。
更に、鎖の先端に繋がれた星型鉄球が、闘技場の床で弾けて火花を散らす。
鎖の長さが、通常のモーニングスターとは決定的に違う為だ。
優に三メートルはあるだろう。
それを自在に振るう事で、鎖と鉄球は複雑な軌道を描くのだった。
音を立ててうねり、風を引き裂き、火花を撒き散らす鎖と鉄球。
変幻にして自在、そして獲物を狙うが如く、獰猛に蠢く。
その獰猛な蠢きを、冷たく光る漆黒の双眸が捉えていた。
フラムの正面――距離にしておよそ五メートル。
瞳の色と同じく、漆黒の修道服を纏った長身のシスターだ。
腰まで届くウェーブ掛かったロングヘアもまた、同じ漆黒。
冴え冴えと光る刃の如くに、研ぎ澄まされた美貌。
両腕を左右に垂らし、両脚は肩幅に開き、真っ直ぐ立っている。
その両手に握られている得物は――細く長い針だ。
長さは四〇センチ程もあろうか。
伸ばした親指と曲げた人差し指で摘まむ様に、真下へと垂らしている。
剣呑な動きを示す鎖と鉄球を前にして、驚くほどの自然体。
『マリー直轄部会』所属――その魂は『バジリスク』。
シスター・マグノリアだった。
闘技場中央で対峙する二人は、互いに相手を見据えている。
戦闘が開始され、既に三分。
いずれも相手に一太刀、浴びせるには至っていない。
見合ったまま、動かずにいた訳では無い。
激しい攻防の末、拮抗状態に陥っている訳でも無い。
――ふと。
モーニングスターを操るフラムの身体が真紅の帯を引き、前方へ流れた。
深く、激しく、一歩前へと踏み込んだのだ。
同時に、真紅のガントレットに覆われた右腕が、跳ね上がる。
鋼鉄の鎖が唸りを上げて、激しく波打つ。
鎖に繋がれた星型鉄球が鉄色に滲み、圧倒的速度で前方へと撃ち込まれた。
唸りと共に飛来する星型鉄球。
マグノリアは右へ半歩、踏み込む。
流れのままに上体を反らす。
小さな動きだ――直後。
放たれた星型鉄球は、マグノリアの修道服を僅かに切り裂き、疾走り抜ける。
が、間髪入れずに、フラムの右腕が踊る。
鉄球を繋ぐ鉄鎖が大きく波打ちうねり、回避したマグノリアの頭部を狙った。
対するマグノリアは、緩やかに上体を仰け反らせ、追撃の鎖をやり過ごす。
フラムの腕が強く引かれると、放った鉄球がそのまま引き戻される。
それはマグノリアを背後から狙う一撃となって、襲い掛かる。
死角を突くこの攻撃も、マグノリアは流れる様な足取りで回避する。
星型鉄球の張り出した鋭角な鋲が、僅かに黒衣を引き裂いたのみだ。
流血は無い。
圧倒的な回避能力だった。
かつてエリーゼと対峙したナヴゥル、グレナディの二人にも比肩し得る――或いはそれを凌駕しかねないほどの技術だ。
その後も、次々と繰り出される星型鉄球を、確実に回避し続ける。
不規則に波打ち、妖しげに螺旋を描く鉄鎖すら回避する。
紙一重を見切る、数十分の一秒を見切る。
マグノリアのそれは、まさに神懸かりだった。
そして、ここまでの三分間。
マグノリアはフラムの攻撃を、ただひたすらに回避し続けている。
一切攻撃に転じようとはせず、回避に徹しているのだ。
フラムの攻撃は、決して様子見というレベルには留まっていない。
初弾から全てが致死を狙う強烈なものだ。
それら全てを、マグノリアは確実に回避している。
或いは攻撃を捨て去ったならば、回避も容易いと感じるかも知れない。
しかしマグノリアの姿勢は、両腕を垂らした仁王立ちなのだ。
フラムの攻撃に対し、構えてすらいない。
完全なノーガードだ。
攻防に際し、一切構えを取らぬ――それでは相手の攻撃を誘導する事も、相手の攻撃に制限を設ける事も出来ない。
構えとはガードである。
ガードの厚い場所を避け、薄い部分を狙う、それが攻撃の基本と言える。
逆に言えば、構えを取り、ガードを上げる事で、相手の攻撃位置を想定する事が出来る、或いは攻撃を誘導する事も可能だろう。
防御、回避とは、構えた状態でこそ、正しく機能する行動なのだ。
にも拘らず、完全なノーガードで回避に徹するなど。
相手に思うが侭、好きに撃ち込ませ、それら全てを完璧に捌き切るなど。
よほどの実力差が無ければ、成立しない事だ。
それが今、成立している。
苛烈極まるフラムの連続攻撃を、マグノリアは捌き切っている。
それほどまでに、フラムとマグノリアの間には、実力差があるという事か。
『枢機機関院』の幹部職員達は、観覧席で声を失っている。
汗に塗れ、拳を固めるばかりだ。
まさかフラムの攻撃が通用しないのか?
『蛇の女王』と呼ばれたシスター・マグノリア。
二〇年前、『レジィナ』の称号を得たコッペリアだ。
とはいえ二〇年も前の話だ。
そして錬成されたのは、二〇年どころの話では無い。
更に前の――先代教皇専属の錬成技師が錬成した筈だ。
それはもう、骨董品ではないか。
にも拘わらず、何故これほどに、何故こうも強いのか!?
皆、焦り、動揺の色を隠せない。
――が、マグノリアを見据えるフラムの瞳に、揺らぎは無い。
実力差に焦りを覚えている様子など、微塵も無い。
燃える様に赤い頭髪、燃える様に赤い強化外殻。
しかしその瞳は、冷静かつ冷徹そのものだ。
思考を読ませぬ為か、或いはそういう性質故か。
もしくは未だ、全力を出してはいないのか。
対するマグノリアの表情にも変化は無い。
冷たく輝く漆黒の瞳が、フラムの紅い姿を映している。
両腕を左右に垂らした無構え、無造作かつ無防備な立ち姿。
こちらも思考が読めない、何が狙いであるのか掴めない。
『枢機機関院』の代表を決める『予備戦』。
勝敗の行方は未だ見えなかった。
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