第77話 義肢
レシプロ蒸気駆動車のヘッドライトが、診察室の窓越しに見えた。
ヘッドライトは帯を引き、そのまま『ヤドリギ園』の敷地内へと滑り込む。
机に向かっていたカトリーヌは、診察椅子から立ち上がった。
壁に掛かる時計の針は、夜の一〇時半を指し示していた。
出立前にエリーゼが告げた帰宅予定時刻を、三時間も過ぎている。
何かあったのだろうか――その想いを否定しつつ、ずっと待っていた。
シスター・ダニエマと共に、何度も見直した書類を改めて確認し続ける事で、気を紛らわせていた。
それでも、覚悟はしていた。
それがゲームやショーの類いでは無いと、理解していたからだ。
エリーゼとレオン先生は、文字通り命を賭けている……そう理解していた。
命懸けで『ヤドリギ園』を維持する為の、資金を稼いでいるのだと。
――だけど、本当は何も理解出来ていなかった。
◆ ◇ ◆ ◇
修道服の上からショールを羽織り、カトリーヌは外へ飛び出す。
シスター・ダニエマも足早に、カトリーヌの後を追う。
建物脇に停められた駆動車は二台。
うち一台から、シャルルが降りて来るところだった。
近づく二人の姿に気づいたシャルルは、軽く目を伏せ言った。
「――副園長、シスター・カトリーヌ。こんな夜更けに申し訳無い」
フロックコートを着込んだシャルルの表情は険しい。
カトリーヌとシスター・ダニエマも、胸元に右手を添えると目を伏せ、短く挨拶の言葉を口にする。
その時カトリーヌは、もう一台の駆動車から降りる男達に気づいた。
黒いスーツを着込んだ彼らに面識は無い、シャルルの使用人かも知れない。
ただ――胸の奥がざわめくのを感じた。
レオンの姿も、エリーゼの姿も見えない。
やはり何かあったのだろうか。
不安を覚えるカトリーヌに、シャルルの声が響く。
「仕合には勝利した――ただ、エリーゼはメンテナンスを受ける必要がある」
カトリーヌは口を噤んだまま、耳を傾ける。
シャルルは心苦しげに言い淀み、逡巡する様子を見せる。
しかし、おもむろに告げた。
「冷静に聞いて欲しい――レオンが仕合中の事故で重傷を負った。命に別条は無い。既に応急処置も終えて容態は安定している……」
「……」
重傷を負った。レオン先生が。
心臓が、激しく乱れ打ち始める。
シャルルの言葉が続く。
「ただ……義肢が必要なんだ。レオンが言っていた、『ヤドリギ園』で義肢を保管している、保管場所と持ち出す際の手順は、シスター・カトリーヌに伝えてあると。サイズ等は、このメモに記載してある……」
「――義肢を必要としているのは、レオン先生ですか……?」
カトリーヌは掠れた声で、可能な限り冷静に尋ねた。
シャルルは小さく頷いた。
「そうだ……」
夜の闇に沈む景色が、虚ろに歪む。
血の気が引くのを感じ、眩暈を覚えた。
足が震え、立っている事が辛くなる。
気づけば、ぐらりとよろめいていた。
シャルルとシスター・ダニエマが、咄嗟に手を差し伸べようとする。
――が、カトリーヌは何とか持ち堪えた。
胸もとへ手を添えると小さく、大丈夫です……と言って目蓋を閉じる。
大丈夫です、大丈夫ですから。
そう言いながら、静かに深呼吸を繰り返す。
大丈夫、大丈夫です――。
――でも本当は、泣いてしまいたかった。
あまりの残酷さに、耐え切れないと思った。
何故レオン先生が、義肢を必要とするほどの怪我を負うのか。
義肢を必要としているという事は、どういう事か。
何を想像しても、悲惨な状況しか思い浮かばない。
シスター・ダニエマに縋りついて、泣いてしまいたかった。
何故、どうして……そう言って、シャルルを責め立て、問い詰めたかった。
だけど、それは出来ない。
エリーゼの言葉を、思い出していた。
エリーゼは、私を好ましいと、レオン先生を好ましいと言っていた。
『ヤドリギ園』に愛着を感じると、子供達を憎からず思うと言っていた。
エリーゼはそう言って――ただそれだけの事で、命を賭けて闘っている。
レオン先生も同じだ。
地位でも、名誉でも、金銭でも無く。
『ヤドリギ園』の子供達の為に、エリーゼと共に闘っている。
『事に於いて他が為を願う、打算無く他者の利を選択する』
そう教えてくれたのは、エリーゼだったか。
それがどういう心得であるのか、深くは解らない。
それでもひとつだけ、心に誓っている事がある。
事に於いて、胸を張れる自分でありたい。
再び目蓋を開いたカトリーヌは、シャルルを見上げて言った。
「――メモを、見せて頂けますか?」
その声は微かに震えていたが、はっきりとした口調だった。
シャルルは胸元から用紙を取り出すと、カトリーヌに手渡す。
メモの内容に目を通したカトリーヌは頷く。
「すぐに、義肢を用意致します、中でお待ち下さい――」
その言葉を聞いたシャルルは、少し迷う様子を見せながら口を開く。
「……『特別区画』の専門家が言っていた、義肢を運び出す際、難度の高い準備が必要だになると――後ろの二人は『錬成機関院』より派遣された技師だ。レオンの義肢を解析して、持ち出せる様に出来る」
カトリーヌは僅かに逡巡したが、小さく首を振って答えた。
「いえ――レオン先生が錬成された義肢は特殊な仕様で、通常の手順では持ち出せない物です。留意すべき点については、しっかりと教わっていますから、解析するより私が準備した方が早い筈です……」
「そうか――」
マルセルの顔を立てて連れて来た技師達だが、元よりレオンはシスター・カトリーヌに頼むつもりだった。その判断は尊重すべきだろう。
シャルルは『錬成機関院』の技師二人に詫びると、駆動車の中で待つ様に伝えた。技師の二人はその言葉に即応する。レオンとマルセルの関係を知っているだけに、重責は回避したいという気持ちがあったのだろう。
カトリーヌとシスター・ダニエマは、一礼を残して歩き出す。
シャルルも後に続き、そのまま施設の正面玄関をくぐった。
◆ ◇ ◆ ◇
『ヤドリギ園』の薄暗い廊下を少し歩けば『マルブランシュ練成医院』の木製プレートが掛けられた診察室へと辿り着く。
カトリーヌはシャルルとシスター・ダニエマに椅子を勧めると、自分は各種錬成機材が並ぶ隣室へ向かう。
目的は部屋の奥に設置された、大型の蒸気圧縮式冷蔵保管庫だ。
数字入力式の鍵を解除すると、戸棚から分厚い革手袋を取り出して嵌め、保管庫の扉を開く。
冷気で満たされた保管庫の内側には、レオンが修理を請け負った各種義肢パーツと共に、金属ケースに密閉された義肢が複数収納されていた。
カトリーヌはシャルルより受け取ったメモを確認しながら、適切なサイズと型式が刻まれたケースを選択する。
ケースは冷え切っており、表面には白く霜が張っている。
取り出したケースを作業台へ乗せると、慎重に開封する。
そこには、上腕、前腕、手首と、三分割された義肢が、ケース内側の固定具にセットされた状態で納められていた。
ケースを取り外し、義肢に異常が無い事を確認したカトリーヌは、コネクタ付きゴムチューブを、それぞれの義肢パーツに取り付けてゆく。
各パーツ毎に八か所、合計二十四本のチューブを繋ぐ、更にチューブの逆側に付属する金属コネクタを、足元のエーテル製剤濾過器へと接続する。
濾過器を作動させ、義肢パーツそれぞれに濃縮エーテルを注入する。
一〇分もすると、義肢パーツ内に濃縮エーテルが隈無く行き渡り、循環し始める。その様子を確認したカトリーヌは、コネクタを義肢に固定、ゴムチューブのみを取り外す。次いで金属ケースの底面に、濃縮エーテルを循環させ続ける為の『簡易濾過装置』を取りつけ、新たに用意したチューブを介し、二十四か所全てのコネクタと接続する。
固定具にガラスケースをセット、その上から改めて金属ケースを被せて密閉、ケース内側にも濃縮エーテルを充填する。
一連の工程を経て、レオンが錬成した義肢は接続施術可能な状態となる。
半ば凍結した義肢に、気泡等発生させる事無く濃縮エーテルを注入し、適切に循環させる工程は、難易度の高い作業だ。
しかしカトリーヌは一週間ほど前、特殊仕様の義肢についてレオンより詳しく学び、その取扱いを習得していた。
基本的な錬成に関する知識があり、一般的な義肢なら的確に扱えるカトリーヌを、レオンが助手として重用し信頼しているのは、義理や情からでは無く、純粋に技量が優れていると考えての事だった。
全ての作業を終えたカトリーヌは診察室へ戻ると、シャルルに声を掛ける。
「恐れ入ります、義肢を収納したケースの運び出しに、お力をお貸し願えますか?」
「ああ、解った」
シャルルは快諾すると、椅子から立ち上がる。
そのまま隣室へ立ち入り、カトリーヌに促され手袋を嵌める。
「この金属ケースをキャリーカートへ乗せて頂ければ。ケースは冷えていますから、お気をつけ下さい――」
重厚な金属ケースが、キャリーカートへ乗せられる。
シャルルはケースをベルトでカートに固定しながら、口を開いた。
「これをレオンの担当技師に渡せば良いのかな?」
「いえ、あの、そのケースですが管理が難しくて、なので……あの……」
シャルルの問いに対しカトリーヌは、何度も口籠りながら目を伏せる。
が、意を決した様に顔を上げた。
「ダミアン卿、お願いがあるのですが……よろしいですか?」
「構わないよ、出来る限り対応するつもりだ」
真剣な面持ちのカトリーヌにシャルルは頷く。
カトリーヌは言った。
「私も……『特別区画』へ、連れて行って下さいませんか?」
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