第59話 挑発

 二人は七メートルの距離を置いて、対峙している。

 遠距離攻撃用の武装を装備したエリーゼに、多少分があるのかも知れない。

 が、グレナディの実力を考慮するなら、その有利も誤差の範囲だろう。

 遠過ぎず、近過ぎず、直ぐにでも刃を交える事が可能な距離だった。


 エリーゼは、逆立つロングソードの柄頭に爪先立っている。

 身に纏うドレスも、プラチナの頭髪も、溢れ出す紅の色に染まっている。

 全身至る所に、裂傷を負ってしまったが為だ。

 それでもグレナディを見つめるピジョンブラッドの瞳に、些かの濁りも無い。

 怖れの色も、憔悴の色も無い、静かな眼差しだった。


 対するグレナディは、左右の腕に傷を負っている。

 肩から、二の腕から、濃縮エーテルの紅が染み出している。

 ダークグリーンのドレスに合わせた、ブラウスの袖が紅く濡れている。

 深い傷では無いが、グレナディの表情からは笑みが消えている。

 右手のグランド・シャムシールを軽く振るいつつ、逆手から順手へと握りを切り替える。左手の鉄鞘も同じく、鯉口に近い部分を順手で握る。

 ドレスの裾を波打たせつつ、グレナディは口を開いた。


「……エリーゼは前回の仕合で『コッペリア・ナヴゥル』に勝利したと聞き及びました。ですが実際に刃を交え、疑念を抱きましたよ。この程度で、あのナヴゥルに勝てるものかと。どの様な手品を用いて勝利したのかと。……理由が解りました」


 エリーゼは黙したまま、両腕を肩の高さに掲げると、緩やかに振るう。

 直後、エリーゼの背後に、六つの光球が浮かび上がる。

 ワイヤーで制御され、高速旋回し続けるスローイング・ダガーだ。


 その動きに呼応する様、グレナディは歩き始める。

 足音が響かぬ程に、緩やかな歩みだ。

 両手に携えた長刀と鉄鞘は、左右に開かれている。

 一見、無造作にも見える姿だが、これは既に臨戦の構えだ。

 抜刀の状態で、エリーゼの攻撃に備えている。


「この『グランギニョール』には、秩序と礼節を保つ為のルールがある。ルールが無ければ血生臭い私闘に過ぎません、ただの暴力に堕してしまう事でしょう。ルールあればこそ、血塗れの決闘は神聖さを帯び、聖戦足り得る……」


「決闘は、神聖な物でございますか?」


 グレナディの言葉を遮る様に、エリーゼは小さく尋ねる。

 グレナディは足を止めると、低く答える。


「仕合前にも言いましたよね? グレナディの愛しき主・ヨハンが、そこに在るなら神聖であると。解りませんか? 決闘が神聖なのでは無く、主が為に仕合い、主が為に尽くす事が神聖なんです。ルールは神聖さを担保するもの、主が為の神聖を維持する為の規律です、それがコッペリアというものでしょう」


 ロングソードの柄頭に立つエリーゼを見遣りながら、グレナディは続ける。


「――にも拘わらずエリーゼは、ルールを侮り、ルールの穴を突く事で、姑息に勝ちを拾おうとしている。ルールを侮辱し、己が主をも侮辱している……」


「話が見えません。ルールは遵守しておりますが」


 エリーゼは表情を崩す事無く、静かに応じる。

 静かというより、何の感慨も籠らぬフラットな声音だ。

 空間を慰撫して踊る両腕だけが、熱を帯びている様に思える。


「……そのダガーですよ。何故、そうも平然と射出する事が出来るのか。観覧席へ弾かれぬと確信しているのでしょうか。もし、そう思っているのなら……その判断が浅ましく、嫌らしい。闘争の場を穢し、貶めているとしか思えない」


 グレナディの口調から、表情から、これまでの鷹揚さが消えていた。

 そんなグレナディを見据えたまま、エリーゼは事も無げに告げた。


「――先ほど、手抜きで仕合うなと聞き及びましたが」


「コッペリアとしての誇りはありませんか?」


 吐き捨てる様に問うグレナディの声が震えた。

 怒気と嫌悪が、言葉に滲み出していた。

 対してエリーゼは、一切揺らぐ事無く答えた。


「闘争の場で、何を取り繕う必要がございましょう。勝利を得るべく己が全てを吐き出すばかりにございます。出し惜しみは一切致しません。それとも……」


 口角が、つ……と上がった。

 妖艶な微笑みだった。

 六つの光球を操る繊細な指先が、しなやかに躍る。

 微かに含み笑いつつ、エリーゼは囁いた。


「……手加減して欲しいと?」


「死ねっ……」

 

 明確な殺意を示す言葉と共に、グレナディの姿が朧に霞んだ。

 床に敷かれた石板が、高い音を立てて砕ける。

 それは人智を超えた加速だった。

 両手に構えた長刀と鉄鞘が、闘技場の床面に火花を散らして光を放つ。


 対するエリーゼは後方へ大きく跳躍する。

 同時に両腕を、力強く打ち振るっていた。

 背後で高速旋回する六本のダガーにて、迎撃の構えか。

 そうでは無かった。

 ダガーは前方へ撃ち出される事無く、旋回したまま、ぐっと高度を上げる。

 繋ぎ止めるワイヤーから解放されたのだ。

 フリーとなったワイヤーは、瞬時にエリーゼの大腿部に巻かれたホルスター付きベルトへ伸びる。そこからフックを用いてスローイング・ダガーを五本、一気に抜き出していた。


 疾駆するグレナディの視界に、十一を数える光球が浮かび上がる。

 全てが高速旋回するスローイング・ダガーだ。


「……っ!!」


 グレナディは、胸の奥から嫌悪が込み上げて来るの感じた。

 もはや隠す気配すら無い。

 ワイヤーで制御し切れ無いダガーであっても、エリーゼは躊躇無く射出する。

 観覧席に居並ぶ貴族達への配慮はおろか、己が主に対する気遣いも無い。

 信じ難い蛮行だ。


 エリーゼは『ドライツェン・エイワズ』から紡ぎ出された六本のワイヤーを用いて、十一本のダガーに次々と干渉、ジャグリングの様に制御している。

 驚くべき技術ではあるが、挑発されている様にも、嘲られている様にも思える。

 いずれにせよ、ここで退く事など出来無い。

 六本が十一本に増えたとして、防げぬ事は無い。

 全ては見えている、把握しているのだ。

 その上で、ヨハンより授けられた『神経網』が的確に反応するならば。

 恐れる事など無い。

 このまま突っ切り、エリーゼを仕留める。


 グレナディの突撃は、紛う事無く電光石火。

 身に纏うドレスの色が空間に融け、ダークグリーンに滲み出している。

 跳躍で距離を取ろうとするエリーゼとの間合いが、瞬く間に潰される。

 グランド・シャムシールの間合いまであと僅か。

 直後、空中にて旋回し、留まっていたダガーが、一斉に放たれた。


 十一本のうち投擲された五本が、グレナディの胸元へ殺到する。

 残る六本はワイヤーに引かれ、激しい曲線を描きながら四方から迫る。


 強烈に射出されたダガー群は、空間を切り裂かんばかりの勢いだ。

 が、グレナディは、それら全ての挙動を見据えている。

 正面から見据えている。

 真横から見据えている。

 後方から見据えている。

 ダガーまでの距離を、位置を、速度を、正確に把握している。


「無駄っ……」


 激しく上体を捻り上げたグレナディは、一気に空中へと身を躍らせた。

 一呼吸の間も無く縦横自在に白刃が閃き、朱色の鉄鞘が迅速に疾走り抜ける。

 硬質な金属音が響き渡り、複数の火花が飛び散り弾けた。

 飛来するダガーの悉くが、撃ち落とされる。

 弾雨と見紛うばかりの連射でさえ、刃で凌ぎ、掻い潜る。

 圧倒的精度、圧倒的運動性能。

 グレナディは、着地するエリーゼを間合いに捉えると、手の長刀を左肩へ担ぎ上げる、渾身の袈裟に斬り落とす構えか。


 対するエリーゼはグレナディの猛追を前に、上体を大きく仰け反らせた。

 逆立つロングソードの柄頭の上、驚くほどに優美、かつ柔軟な動きだ。

 その挙動は先の攻防でも見せた、下段からの斬撃を狙う動きだった。


 袈裟斬りと逆袈裟、二度目の交錯だ。

 一度目はグレナディが逆袈裟を受け流しつつ斬り込み、ワイヤーの防御壁で防がれたものの、手傷を負わせている。

 この距離、このタイミングであるなら。

 一度目と同じく斬り込める筈だ。

 ――しかし。


「ちっ……」


 ロングソードごと背面へと倒れるエリーゼの両腕が、激しく踊っていた。

 グレナディは歯を軋らせる。

 『天眼通』の視界に、再び後方より迫る十一本のダガーが映り込んでいた。


 先程と状況は同じだ――しかし、明らかに距離が近い。

 十一本全てのダガーがワイヤーで制御されていたなら、或いはこの素早い反撃も可能であるのかも知れない。しかし撃ち出されたダガー十一本のうち五本は、ワイヤーでの制御が成されていない、射出されたダガーなのだ。

 制御の及ばぬダガーを弾き飛ばされたなら、即反撃とはいくまい。

 先の攻防と同じく、床に散らばるダガーを回収し、使用したなら、多少のタイムラグが発生して然るべきだ。


 ――が、その瞬間をグレナディは目視していた。

 ワイヤー制御の成されていない、射出されたダガー五本を叩き落した直後。

 エリーゼはワイヤーで制御していたダガー六本を、一斉に射出していた。

 これによりフリーとなったワイヤーは、風切り音と共に激しくうねり、撓み、そしてあろう事か、グレナディが叩き落としたダガー五本を、空中にて絡め取ったのだ。そこから更に跳ね上げると、ワイヤー先端のフックで捉え、改めて攻撃に使用したのだった。


 空中に跳ね飛ばされた五本のダガーを、ワイヤーにて絡め取る。

 直後、フックを用いて五本とも射出する。

 ――それも攻撃行動と回避行動を取りながらだ。

 ジャグリングの様な技術、どころでは無い。

 明確に神業――『魔法』と見紛うほどの神業だろう。


 この驚愕の技を以て、グレナディは理解した。

 エリーゼは、容易く勝利出来る相手では無い。

 身体的な能力に問題はあっても、その精密動作性は本物だ。

 ヨハンより授けられた『神経網』……その原型を有しているだけの事はある。


 しかもその上で、勝つ為なら狡猾かつ老獪な手口をも行使する。

 ワイヤーでの制御が成されていないダガー射出にしてもそうだ。

 相手の心理を利用した、危うい攻撃である。

 どの様な精神性を有しているのか。

 危険な相手であり、迂闊な行動は避けるべきだと思う。


 故に、ここで深追いは不味い――グレナディはそう判断していた。

 強引に押し込めば、或いは大打撃を与える事も出来よう。

 しかし、下からの斬撃に加えてダガーの弾雨だ、共倒れの危険も高い。


 ヨハンを想えば、勝利は絶対だ。

 ヨハンがレオンより上である事を、明確に証明せねばならない。

 共倒れは無意味。

 ならばここは防御に重点を置きつつ、出来得る範囲での加撃を狙うべき。


 グレナディは突撃を止め、右脚を支点に上体を捻る。

 そのまま身体を旋回、横一閃を放ちつつ、左の鉄鞘を大きく振るった。

 エリーゼの斬り上げを牽制すると共に、後方からの多角攻撃に備える形だ。

 ただ、牽制とはいえ、グレナディの横一閃は一撃必殺である。

 タイミングのずれた半端な逆袈裟であれば、その軌道を捻じ曲げ、斬り捨てるに足る威力を秘めている。

 後手に甘んじた、おざなりな対応では無い。


 一瞬の後、グレナディの周囲に夥しい数の火花が咲き乱れた。

 飛び来るダガーを薙ぎ払い、確実に弾き飛ばしている。

 鉄鞘と長刀を用いて、空間に神速の螺旋と、光の明滅を描き上げる。

 斬撃が躍り、旋風が巻き起こり、刃が荒れ狂う。

 先の攻撃と違い、手傷を追う事無く完璧に防ぎ切ってのける。

 グレナディの精密動作性もまた、神域に達しているのだ。


 ――が、エリーゼに必殺の横一閃は届かなかった。

 あろう事か空振り、エリーゼが下段からの斬撃を選択しなかったが為だ。

 逆袈裟を狙う構え、それ自体がフェイントだったのだ。

 予め後方へ飛ばした回避用ワイヤーを用いて、エリーゼは背面へ大きく倒れ込んだ状態から跳躍、グレナディと一気に距離を取り、直接交戦を避けたのだ。

 ダガーの乱打に紛れたか、回避用ワイヤーの行方を把握し切れなかった。

 それ故に易々と戦線の離脱を許してしまったのだ。


 それでもグレナディは、エリーゼに追い縋ろうとする。

 しかしそれが叶わない、前進が儘ならない。

 撃ち払った筈のダガーが、繰り返しグレナディの行く手を阻む為だ。

 叩き落としたダガーを、舞い踊る特殊ワイヤーが絡め取っては射出を繰り返す、二度、三度と牙を剥く。

 

 射出攻撃の命中精度は、回数を重ねる毎に落ちてゆくが、無視は出来ない。

 有り得ぬ角度から連続して襲い掛かるダガーは危険だ。

 結局、エリーゼとの距離を詰めるには至らない。


「おのれっ……」


 グレナディは全てのダガーを叩き伏せ、荒々しく息を吐きながら顔を上げる。

 その顔色は芳しく無い、ただし疲労では無く、苛立ちと嫌悪に因るものだ。


 グレナディから九メートルほど離れた位置に、エリーゼは逃れていた。

 逆立つロングソードの柄頭を爪先で捉えて直立、静止している。

 全身に負った裂傷は、変わる事無く紅色の濃縮エーテルを吐き出している。

 軽い負傷である筈が無い。

 それでもエリーゼは、一切苦痛を感じさせない。

 むしろ――口許には淡い笑みすら浮かべている。

 それはいったい、どういう種類の笑みであるのか。


「精妙な動きですが、踏み込みが浅く、見切りも早い――」


 銀の弦を爪弾く様な、美しく透き通ったエリーゼの声。

 グレナディは、全方位から刺す様にエリーゼを睨みつけた。


「――それでは私の命に届きません」


 口許を綻ばせたまま、エリーゼは愉しげに告げる。

 両腕を左右に大きく広げると、十一個の光球が背後に舞い上がった。

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