第54話 閃光

 円蓋天井に覆われた闘技場内の熱気は凄まじい。

 擂鉢状に設けられた観覧席が、薄靄掛かって見える程だ。

 粘度すら感じ取れそうな熱気の中で、貴族達は汗に塗れて歓声を上げる。

 待ち侘びているのだ。

 皆、人造乙女同士による、血に彩られた闘争を待ち侘びている。

 演壇に立つ初老の男は、対峙する二人の名をコールし終えると一呼吸於き、改めて声を発した。

「――本仕合のルールはふたつ! 損壊沈黙即敗北! 或いはコッペリアによる敗北宣言! このふたつを以って、決着となります!」


 レオンは、入場門脇の待機スペースから闘技場を臨みつつ思う。

 こんなルールに何の意味があるのかと。

 

 オートマータの多くはその内面に、ある種の制約が設けられている。

 余程の事が無い限り、主の命令――その願いを叶えようと行動する。

 魂の憑代である『エメロード・タブレット』に、そう刻み込まれている為だ。


 故に戦闘用オートマータ――コッペリアの大半は『グランギニョール』の場に於いて、自身の命が燃え尽きるまで戦おうとする。

 主の願いを叶える為に。

 つまり、己が意志で敗北宣言を行うコッペリアなど、存在しないに等しい。

 『敗北』を宣言する事で、主の期待に背く事など出来ない、そう考えるのがオートマータだ。結局のところ『グランギニョール』の本戦は、決死決着以外ほぼ有り得ない、非情なルールとなっていた。


 試合開始直前だった。

 演壇の男が叫ぶ。


「それでは、お互いに構えて!」


 しかし、グレナディは構える様子を見せない。

 朱色の鞘に納まった長刀に、手を伸ばす事もしない。

 両腕は身体の横に垂らしたままだ。

 身に纏うダークグリーンのコルセット・ドレスも揺らがない。


 タイトな白いドレスを纏ったエリーゼもまた、動かない。

 両腕を前に垂らしたまま、一切構えを取ろうとしない。

 あまつさえ携えたロングソードは、鞘の上から両手で握っている状態だ。

 これでは剣を抜くにせよ払うにせよ、一旦握り直さなければ何も出来ない。


 互いに構えを取らぬがままに対峙し、見つめ合う。

 否――グレナディの両眼は塞がったままだ、見つめ合ってもいない。

 それにしても、目許を覆う布を取らぬままに仕合うつもりか。

 にも拘らず、その事を不審がる観客はひとりもいない。

 いつもの事――これがグレナディのスタイルなのだ。

 

 やがて、観覧席に居並ぶ貴族達の声が低く、小さくなって行く。

 会場内の空気が、享楽的な物から緊張感に満ちた物へと変化する。

 チリチリと音を立て、気配が張り詰めてゆく。

 二人とも動かない、微動だにしない。

 ただ、その瞬間のみが刻々と近づき続ける。 

 時間が凝縮され、圧縮されてゆく。

 そして。


 ◆ ◇ ◆ ◇ 


「始めぇっ……!!」


 演壇に立つ男の絶叫が、円形闘技場内に響き渡った。

 同時に観覧席から低く響く、どよめきの声。

 歓声や叫びでは無い、どよめきだ。

 理由は一目瞭然だった。

 両者共に、動こうとしなかった為だ。


 いや、両者共に動かない、そういう事は決して珍しい事では無い。

 相手の出方を伺う為、互いにけん制し合い、動く事が出来ない――そういう事は、間々ある事だ。

 しかしこの二人は、構えすら取らず、その場に立ち尽くしているのだ。


 エリーゼは両手を前にロングソードを携えて、真っ直ぐに立ったまま。

 グレナディも両手を横に垂らし、左手に握る長刀も鞘に納めたまま。

 何故動かないのか。

 何故構えないのか。

 その行為が有利なのか、動かない事にメリットがあるのか。

 その理由が解らない。

 故に観覧席の貴族達は、どよめいているのだ。


 一〇秒が過ぎる。

 二〇秒が過ぎる。

 そして三〇秒に差し掛かった時、グレナディが口を開いた。


「……んんー、後の先を取る、という事でしょうか? それとも後手に回っての見を選択したんでしょうかね?」


 グレナディは微笑みを絶やす事無く、楽しげに呟く。

 程良く脱力した立ち姿は、驚くほどに自然体だ。

 更に言葉を続ける。

 

「事前に聞いた話ですと、エリーゼは奇妙な飛び道具を使うとかなんとか。にも拘わらず後手を取ろうと? 飛び道具の利を活かさぬ理由は何でしょうかね? どんな策があるのやら。その策が吉と出るか、凶と出るか、ふふっ……」


 グレナディは口許を綻ばせたまま、ゆっくりと歩き始めた。

 警戒している様子も無い、庭園を散策する様な足取りだ。

 向かい合う二人の距離は六メートル、その距離が少しずつ縮まる。 


 朱色に塗られた長刀の鞘は未だ左手に握られ、体側に垂らされている。

 右手も同じく無造作に垂らされ、長刀の柄へ指を伸ばす様子は見られない。

 携えた長刀の長さは一八〇センチに届く、この刀をグレナディが振るえば、恐らく二・五メートル近くにまで、切っ先が届くだろう。

 つまり、あとほんの数歩で、グレナディの間合いへと至る。

 更に一歩、更に一歩、更に。


 次の刹那。

 エリーゼの両腕が、驚くべき速度で跳ね上がる。

 白い軌跡を指先が描き、同時に微かな風切り音が空間を刻む。


 直後、耳を劈く金属音が響き、グレナディの周囲に、小さな火花が飛び散る。

 前方に二つ。

 左右に二つ。


 その長大な刃は、何時の間に抜き放たれたのか。

 観覧席に居並ぶ貴族達は、誰一人としてその瞬間を目視出来なかった。

 

 グレナディの左手は、朱色の鞘と共に真横へ払われていた。

 右手には白々と光る得物――グランド・シャムシールが握られていた。 

 肩口の高さで水平に奔った、横一閃。

 飛び来る四本のスローイング・ダガーをグレナディの刃は、一瞬にして薙ぎ払い、叩き落していた。

 

 エリーゼが携えていたロングソードが、音を立てて足元へ落ちる。

 得物を放棄したエリーゼの両腕は、弾ける様に左右へと伸びた。

 その姿は、向かい合うグレナディの構えとも似ていた。

 が、すぐさま力強く、両腕は前方へと引き戻される。

 同時に、耳鳴りを思わせる細い風切り音が響く。


 エリーゼは空間を慰撫するが如くに、両腕を靡かせた。

 繊細な指先も軽やかに波打つ。

 気づけばエリーゼの背後に、半透明の球体が四つ、浮かび上がっていた。


 空中に静止し、銀色の輝きを乱反射させる球体。

 それは地面に落下する事無く宙に留まり、高速で旋回し続ける、鋼鉄製のスローイング・ダガーだ。

 エリーゼの背中に装備された特殊武装『ドライツェン・エイワズ』――そこから撃ち出されたフック付きワイヤーにて、大腿部に巻きつけられた革製の武装ホルダーより射出された物だった。


 エリーゼは直立したまま、左右の腕を緩やかに漂わせ、躍らせる。

 ワイヤーを操り、空中に浮かぶスローイング・ダガーを制御しているのだ。


 その正面ではグレナディが、抜刀した姿勢のまま立ち止まっている。

 エリーゼまでの距離は、僅か三メートル。

 あと一歩踏み込めば、グレナディの刃が届く距離だ。

 艶やかなほくろが似合う口許には、未だ微笑みが浮かんでいる。

 そのまま楽し気に告げた。


「飛び道具……の使い方では、ありませんでしたねえ……」


 グレナディは手にした長刀を、ゆるりと朱色の鞘へ納める。

 これほど長大な刃が、ごく自然に納刀される様は奇異ですらある。

 やがて朱色の鞘を手に両腕を垂らすと、再び無防備な立ち姿を見せた。


「近距離から鞭の様にワイヤーを用いた、打撃の如き刺突……筋力差を補う為でしょうかね? それともスローイング・ダガーを場外へ弾かれぬ様、用心したのでしょうかね? そもそも飛び道具は使いづらいルールですからねえ……いずれにせよもう、互いの刃が届く間合いですよ? 次はどうしましょうかね?」


 口許の笑みを絶やす事無く、世間話の様にグレナディは言う。

 向かい合う両者は既に、加撃可能な距離にて足を止めている。

 動けば即、互いに命を狙い合う事になる距離。


 しかし両者には違いがある。

 己が周囲に四本のダガーを配置し、臨戦態勢を維持しているエリーゼ。

 一方のグレナディは、納刀した状態での半ば棒立ち。

 余程の自信か。

 或いは誘いか。


 エリーゼは落ち着いた表情を崩す事無く、緩やかに両腕を漂わせている。

 澱みの無い流れる様な動き――から一転。

 両の腕は閃光の如き鋭さを以て、前方へと振り下ろされた。


 一瞬の間も置かず、エリーゼの背後に在る四つの球体が呼応する。

 特殊ワイヤーとフックを介して繋がる、四本のスローイング・ダガーだ。

 ダガーは風を切り裂く高音と共に、銀光となって波打ち弧を描いた。


 二本のダガーが地を這う様にうねり、グレナディの足元を狙う。

 残る二本はグレナディの胸元、そして胴体へと伸びる。

 距離は僅かに三メートル。

 瞬きすら叶わぬ間に、ダガーはグレナディを捉えるだろう。

 

 ――が。

 瞬きすら叶わぬ筈の間隙を縫い、グレナディは素早く踏み込んだのだ。

 その一足で、あろう事か下段より跳ね上がろうとする二本のダガー――そこに繋がるワイヤーを、纏めて踏みつけていた。

 同時に抜刀、放たれた逆袈裟の斬撃は、胴体と胸元、この二か所へ迫るダガーを斬り落としつつ、そのままエリーゼの顔面を裂こうと閃いたのだ。


 空中にて火花が縦に二つ明滅するよりも早く、エリーゼは背後へ跳躍する。

 『ドライツェン・エイワズ』のワイヤーを用いた後方への牽引だ。

 グレナディの振るった長刀の切っ先を辛うじて躱し、距離を取ろうとする。


 グレナディは一切逡巡する事無く追い縋り、滑る様に前へ出た。

 斬り上げた流れのまま身体を捻り、振り向きざまの斬撃に繋ぐ構えか。

 しかしその行動を妨げたのは、エリーゼが地に落としたロングソードだった。

 引かれる様に跳ね上がり、鞘から半ば抜け出た刀身が行く手を遮ったのだ。


 柄頭と鐺に、ワイヤー付きフックが掛かっていた。

 痛打にならずとも、牽制としては十分だろう。


 にも拘らずグレナディは止まらない。

 身を捻りつつ、左手に握った朱色の鞘でロングソードを弾いていた。

 そのまま背面に旋回、更に激しく、不自然な程に仰け反る。

 限界まで伸ばされた右腕にて、グランド・シャムシールによる横薙ぎ一閃。

 宙を飛び退るエリーゼの胸元に、一筋の紅いラインが滲んだ。


 同時に仰け反ったグレナディの喉元ギリギリを、五本目のダガーが通過する。

 跳ね起きたロングソードの影から――グレナディの側から見れば、恐らく死角となる位置から飛来したダガーだった。

 それが易々と回避された。

 直後、朱色の鞘が再び動き、宙に在るダガーを強かに打ち据え落とす。


 ワイヤー牽引による大きな跳躍を見せたエリーゼは、闘技場の床に敷き詰められた石板の上へ、爪先から音も無く着地する。

 相対するグレナディまでの距離は、七メートルほど。

 グランド・シャムシールの切っ先に裂かれた胸元から紅く滲んでいる。

 タイトな白いドレスを纏っているだけに、痛々しく映る。

 それでもエリーゼの表情には、些かの変化も見られない。

 静かな眼差しで、グレナディを見つめている。


 グレナディの表情にも変化は無い。

 試合開始前より口許に浮かべていた笑みも変わらない。

 右手にグランド・シャムシール。

 左手に朱色の鉄鞘。

 ダークグリーンと黒のコルセット・ドレスを纏った優美な姿にも乱れは無い。


「――なるほど、エリーゼはとっても手先が器用なんですねえ、グレナディ、ちょっぴり驚きましたよ?」


 グレナディは楽しげに囁き、手にした長刀をゆるりと鞘に納める。

 カチン……という、澄んだ金属音が響いた、鍔と口金の噛み合う音だ。


「左様でございますか」


 エリーゼは落ち着いた声音で応じつつ、空間を慰撫する様に両腕を躍らせた。

 改めて三つの光球が、エリーゼの背後に浮かび上がる。

 先の攻防でグレナディに踏みつけられた二本のワイヤーは『ドライツェン・エイワズ』のアームに備わったワイヤー・カッターの機能で切断、既に新たなフックが取りつけられている。

 

「だけれど、なんだか思い切りが悪いですねえ? 出方を伺う、様子を見る、複数攻撃からの搦め手……その奇妙な武装の特性なんですかね? それとも必殺の意志が無い? 何れにしても、そんな腰の引けた攻撃じゃ、私には勝てませんよ?」


 黒い布で目許を覆ったグレナディの笑み。

 グランギニョール序列四位は、未だ僅か程も揺らいではいなかった。

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