第52話 譲歩
瀟洒な造りの部屋だった。
高級ホテルの一室を思わせる程に、広々としていた。
配置された家具調度品も、上質な物で揃えられている。
壁は精緻なアカンサス模様、落ち着いた色彩の風景画が飾られている。
高い天井で緩やかに旋回するのは、木製のシーリング・ファンだ。
エーテル式白色灯はシャンデリア風に造られ、穏やかな灯りを燈している。
窓の無い部屋だが、不思議と圧迫感は感じられない。
そこは円形闘技場の地下に設けられた、参加者専用の控室だった。
部屋の中央には、開閉式の間仕切りが設けられており、通路に近い側が応接スペース、奥がコッペリアの調整用スペースとなっている。
エリーゼは部屋の奥側に設置された、診察用の簡易ベッドに腰を下ろし、音響測定による構造解析を受けていた。
小さな身体に纏うのは、ゴートでタイトな白いドレスだ。
プラチナの長い髪は三つ編みに、そのまま後頭部で丸く束ねられている。
一〇本の繊細な指には、裁縫用の指貫にも似た金属の指輪。
しなやかに伸びた両腕――その肘と手首には革ベルトが巻かれ、金属プレートが取り付けられている。
指輪と金属プレートは、特殊武装『ドライツェン・エイワズ』から射出される、フック付きワイヤーを操作する為の装備だ。
『ドライツェン・エイワズ』は、ワイヤーを撃ち出す八本の金属アームを収納した状態で、エリーゼの背中に装着され、薄緑色に淡く発光しつつ、仄かに蒸気を漂わせていた。
エリーゼの傍らでは、ラウンジスーツ姿のレオンが机に向かっている。
スチーム・アナライザー・アリス――『蒸気式小型差分解析機』を用いて、エリーゼの身体状態を確認しつつ『ドライツェン・エイワズ』の再調整を行っているのだ。
しかし、その表情は険しい。
アナライザーからタイプアウトされた解析結果が、思わしくない為だ。
錬成用生成器を用いた、負傷の治療と再錬成は完全と言えた。
――が、骨格と神経網、筋線維に、未だ幾許かの損傷が残っている。
負傷個所の再錬成だけでは完調に届かない、不足だったのだ。
『グランギニョール』で仕合うコッペリアが、内部パーツに深い損傷を負った場合、パーツ交換の施術を行う事が一般的だ。程度が軽微な場合には、長期のインターバルを取り、自己再生能力の低さを時間で補おうとする。
しかしエリーゼには、その猶予が与えられなかった。
僅か二週間では、生体パーツの交換を行っても、身体に馴染まない。
施術自体が、間に合わない可能性もある。
インターバルを取るにしても、やはり一ヶ月は必要になる。
故にレオンは、深刻な負傷のみを治療し、体内に生じた手の施しようの無い摩耗は、自然治癒に任せる事を選択したのだ。
確かにオートマータの自然治癒能力は低い――とはいえ、再錬成措置を行った直後であれば、一時的に自然治癒能力の上昇が期待できる。
レオンはその選択に賭けた。
が、結果は芳しく無かった。
毎日の様にエリーゼのメンテナンスを行い、回復の状態を確認していたが、見積もりの甘さが、数値となって現れていた。
ただ、即座に損壊へと繋がる様な、深刻な問題で無い事だけが救いだ。
それでも楽観視は出来ない。
故にレオンは、ギリギリまで『ドライツェン・エイワズ』の調整を行い、エリーゼの身体に掛かる負荷を減らそうと、手を尽くしているのだった。
ふと、控室のドアをノックする音が響いた。
レオンが応じるとドアが開く、シャルルだった。
シャルルはレオンが問うより先に、口を開いた。
「いや……まだ開始時間じゃない、第二仕合が終わったところだ」
仕合が近づけば、当家の者が知らせてくれる事になっている――。
そう言いながら上着を脱ぐ。
何処か疲れた様子で、シャルルはソファに腰を下ろすと言葉を続けた。
「先日のレオンと、ベネックス所長との会話が気になってね……念の為に、あの人が錬成したコッペリアの仕合を確認したんだ。仕合前に、余計な真似かとも思ったんだが……」
控えめに、シャルルは申し出る。
仕合直前に話して良い内容かどうか、気を使っているのだろう。
エリーゼが静かに応じた。
「いいえ、有益な情報です。ありがとうございます、ダミアン卿」
「――そうだな、ありがとうシャルル」
レオンも謝意を口にすると、シャルルは小さく頷き、切り出した。
「仕合時間は一〇分強、ベネックス所長の『コッペリア・ベルベット』が勝利した。ただ……」
シャルルは報告の途中で言い淀む。
その表情は物憂げだ。
「……端的に言って、酷い仕合だった」
「酷い?」
レオンは聞き返す。
真剣で斬り結び、決死決着が望まれる『グランギニョール』に於いて、酷く無い仕合など無かろうという想いがある為だ。
シャルルは続ける。
「相手は序列七位の『コッペリア・ガニアン』――オグルの化身だと宣言していた、体格が大きく力に秀でたタイプで、武装はロングメイスだった。序盤はガニアンが押していた、小柄な『コッペリア・ベルベット』は素早い身のこなしを武器とするタイプに見えたが、短剣を手にしたまま、懐に入る事も出来ずにいた」
口調が重い。
酷い仕合と言った、その内容と関係があるのか。
「仕合開始から八分が経過した時、ガニアンの攻撃がベルベットの頭部を捉えた。決定的な打撃に見えた。ベルベットは頭部から流血して倒れた。誰が見ても、素人の俺が見ても解るくらい……酷い負傷と流血だった。それでもガニアンは、動かないベルベットの傍に近づき、止めを刺そうとした……」
元よりシャルルも『グランギニョール』を好む性格では無い。
熱の籠らない口調で続けた。
「……ベルベットの顔は半ば潰れている様に見えた、どう見ても動ける怪我じゃ無かった。なのにガニアンが近づくと、いきなり起き上がり、その脚と腰に、短剣を突き立てたんだ。姿勢を崩すガニアンに、ベルベットはしがみついた。ガニアンは振り解こうとしたんだが、それを無視してベルベットは何度も刺突を続け、床に組み伏せたガニアンを、そのまま仕留めた……」
凄惨な内容だ。
シャルルは憂鬱そうに眉根を寄せたまま、言った。
「俺はそれほど多くの仕合とコッペリアを見たわけじゃないが……『コッペリア・ベルベット』は何処か異常だったよ、何というべきか……獣の様だった。レオンから聞いていた、ベネックス所長の印象とは、そぐわない気がした。個人的な印象に過ぎないが」
「そうか……」
シャルルの報告にレオンは頷く。
『そぐわない』という言葉は、レオンも同感だった。
むしろ――事の真相を知った今となっても、未だ信じられない。
ベネックス所長には、子供の頃から可愛がられた記憶しか無い。
悪い夢を見ているかの様だと思う――しかしこれが現実だ。
戦闘用に錬成されたオートマータ『コッペリア・ベルベット』が存在し、凄惨な戦いを繰り広げたという現実が在る。
ベネックス所長の、ほんの一面しか知らなかったという事か。
その時、静かな口調でエリーゼが質問した。
「――ダミアン卿、『コッペリア・ベルベット』は、自身の前世を何と宣言していたか、覚えておられますか?」
何度か耳にした、いつもの質問だった。
治療の際に、エリーゼが告げた言葉を思い出す。
妖魔精霊の類いは、人に望まれた『己という存在』を誇りたいのだと。
その想いが、行動や発言となって現れる事を、エリーゼは示唆していた。
つまり、どういう種の妖魔妖精であるか理解出来れば、ある程度は行動が予想出来る、という事なのだろう。
シャルルは答える。
「覚えている……『コッペリア・ベルベット』は自身を『レギオン』だと宣言していた。『怨嗟のレギオン』だと」
「レギオン……」
レオンは小さく繰り返す。
古代言語にあった通りならば『軍団』を意味する言葉だ。
しかし、そんな名称の精霊妖魔が存在するのか。
「ありがとうございます。ダミアン卿」
エリーゼは目を伏せ、感謝の言葉を口にする。
そしてベッドの上に並べられた、革ベルトに手を伸ばした。
傍らの革ベルトは二本。
ベルトにはそれぞれ八つずつ、レザー・ホルダーが取り付けられていた。
ホルダーには全て、鋼鉄製のスローイング・ダガーが収められている。
エリーゼは膝を立てると、その白い上腿部に革ベルトを巻きつけ始めた。
シャルルはレオンを見遣ると、改めて口を開く。
「もう一つ、伝えたい事がある……オッズの件だが、構わないか?」
エリーゼの前で、オッズの話をしても大丈夫かと訊いているのだ。
レオンは頷くと、確認する様に言った。
「構わない、倍率は幾らで確定したんだ?」
闘技場に出れば、嫌でも掲示板に表示された倍率が眼に入る。
ここで知るのも、闘技場で知るのも、大差無いと判断したのだ。
シャルルは告げた。
「エリーゼの倍率が1・25倍、グレナディ2・45倍、分けが44倍だ……」
「――そこまで」
薄々気づいてはいた。
しかしこれはもう、僅かな仕合数で資金を回収する事など望めない。
マルセル、ラークン伯、ベネックス所長。
マルセルの扇動に乗せられた貴族達。
莫大な金額が、エリーゼにベットされたのだろう。
勝利して得られる金額は、報奨金合わせておよそ八七〇〇万クシール。
必要金額の五分の一にも満たない。
この状況を自力で打開するには、エリーゼが連勝を続けるしか無い。
仮に、この倍率が維持されるならば。
単純計算であと八仕合だ、八回勝利を重ねる事で目標金額に辿り着く。
しかし約束の期限まで、既に残り五ヶ月を切っている。
五ヶ月の間に八仕合、それこそ二週間毎に仕合を組まねばならない。
それだけでは無い、勝てば勝つほどオッズは下がる傾向にある。
八仕合では済まない可能性の方が高い。
エリーゼに適切なメンテナンスを、施せなくなる可能性が出て来る。
シャルルが言っていた通り『衆光会』で改めて出資者を募るか、『在俗区派閥』に援助を乞う――そういう活動も行うべきなのだろう。ただ、期待は出来ない。それが有効なら、そもそも『衆光会』の資金繰りが苦しくなるという状況に陥っていない筈なのだ。
「仕合には必ず勝ちます。そして――必要資金四億八〇〇〇万クシールを回収する術は、必ずあると思います」
穏やかな声が、沈鬱な表情を浮かべるレオンとシャルルの耳朶を打った。
両脚の上腿部に、黒い革ベルトを巻き終えたエリーゼだった。
そのままベッドの縁に立て掛けた、ロングソードへと手を伸ばす。
「術……と言っても、何か手があるのか?」
レオンは顔を上げて聞き返した。
揶揄するつもりも、否定するつもりも無かった。
純粋に、そんな方法があるのかと気になったのだ。
「二週間前にお話した通りでございます。確実とは言えませんが、事の発端がご主人様のお父上であるなら、こちらの状況を打開するに足るギリギリの譲歩が提示される……その可能性は低く無いと感じます。そしてベネックス所長も行動を始めたとなれば、ここに何某かの機会が設けられる筈――そう感じるのでございます」
言いながらエリーゼは、そろりと鞘からロングソードを抜く。
冷たく光る薄い刀身に、紅い瞳が映り込んでいた。
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