第48話 衝動
壁一面を占有する巨大な『蒸気式精密差分解析機』――スチーム・アナライザー・ローカスが、白い蒸気を淡く漂わせながら、静かに稼働していた。
高度な演算と情報処理、音響解析を行うこの機器は、頑強な金属フレームと、三〇〇を超える長大な金属ドラムで構成されており、高等錬成技術の粋を集めて人造されたオートマータのメンテナンスには、必要不可欠な代物だった。
レオンはアナライザー・ローカスと繋がるタイピングボードの前に座り、バックアップしておいたエリーゼの身体情報を『記録用ギアボックス』から引き出すと、備え付けの錬成用生成器に自動入力してゆく。
錬成用生成器とは、各種機器と強化ガラスを組み合わせて造られたケースで、それは人ひとりが十分に納まるサイズの、巨大な水槽を思わせた。
水槽の内側は、透明度の高い薄紅色の希釈エーテル製剤で満たされており、損傷したオートマータをそこへ浸せば、アナライザー・ローカスの音響システムと、ボックス内に刻まれた数式概念が作用し、損傷個所の再錬成が促される仕組みとなっている。
酸素吸入器のみを装着したエリーゼは、生成器の中に身体を沈め、静かに目蓋を閉じている。
全身の負傷が完全に癒えるまで、恐らく五日ほど掛かるだろう。
その間エリーゼは、微睡の中で過ごす事になる。
意識が覚醒した状態で五日間、動かずにいるという状況は苦痛だ。
故にオートマータの負傷を治療する際には、音響システムの麻酔を応用し、睡眠状態を維持するという方法が一般的だった。
レオンは入力状況を確認しつつ、生成器に取り付けられた伝声管に向かって話し掛ける。
「――問題が無ければ、この後、音響睡眠の設定に取り掛かるつもりだ。傷口を塞ぐ為の置換錬成に、五日ほど掛かる。ただ……筋肉と関節部、神経網に生じたダメージは拭えない。重篤な状態では無いにせよ、本来ならきっちりインターバルを設けて対処すべき消耗だ……でも今は状況的に厳しい。置換錬成時の自己再生能力向上に結果を委ねる」
「はい、お任せ致します」
希釈エーテル製剤の中に身を横たえたまま、エリーゼは答える。
液体の中ではあるが、酸素吸入器を介して音声を聞き取る事が出来た。
レオンはアナライザーからタイプアウトされるデータに目を通し、エリーゼの身体状況を確認していたが、ふと手を止め、顔を上げて口を開いた。
「エリーゼ。僕には戦闘や闘争の知識が無い、だからこの発言は間違っているかも知れないし、出来ない相談なのかも知れないが……それでも聞いて欲しい」
薄紅色の液体に沈むエリーゼを見遣りながら、レオンは続ける。
「――出来る限りで良い、自分の身体を気づかってくれ。今回の怪我と症状は、やはり危険だ。無謀な連戦も控えて欲しい。二週間後に仕合を決めた理由は聞いたが……理屈として理解出来ても、納得出来ないんだ」
自身の都合でエリーゼを戦わせておきながら、勝手な言い草だとは思う。
故に、レオン自身はもう、どの様に謗られても構わないと考えている。
錬成技師の責任から逃れたが為、この事態を招いたとのだと感じている。
しかし、レオンとマルセルの因縁に巻き込まれ、エリーゼに命運を託さざるを得無くなった『ヤドリギ園』のシスター達、孤児達は違う。
『ヤドリギ園』の皆は、何の打算も無くエリーゼを迎え入れてくれたのだ。
その想いを、顧みて欲しかった。
レオンの言葉にエリーゼは、暫くの間沈黙し、やがて答えた。
「――オートマータの魂は、人の願望、人の理想、人の畏れ、人の憧憬……それら人の想いに、妖魔精霊の名が与えられたものでございます。ですが本来それらは形無きもの、人の裡にのみ有り、人の裡でのみ作用する筈のもの」
「……」
揺らめく薄紅色の液体に沈み、目蓋を閉じたままエリーゼは言葉を紡ぐ。
レオンは黙って耳を傾ける。
「形無きモノに真という実は無く、故にオートマータの裡は伽藍洞<がらんどう>……それでも誇らずにはいられない、妖魔精霊として、人に望まれた我であると、人に求められた我であると、その様に在るのだと、己が存在を示し、誇りたい、己が存在を遍く人々に知らしめたい……その衝動を、オートマータは空虚な胸の裡に抱えている……」
「……」
エリーゼの言わんとしている事は、理解出来る。
オートマータとは、妖魔精霊の現身であり、その性質は伝説伝記の通りに現れる――学習院で習い覚えた言葉だ。
錬成技師達は皆、そう理解しているからこそ、コッペリアの錬成に際し、力と闘争を強く望む精霊妖魔に大きな価値を見出し、その魂をエメロード・タブレットに刻み込もうと、躍起になっている。
制御が難しく、危うい物であると知りながら、力と闘争を望むのだ。
恐らくエリーゼの魂も、実際には『ナハティガル』などでは無く、力と闘争を望む類いの妖魔精霊なのだろう。
それ故の強さであり、特異性なのかも知れない。
「――それはきっと、私も同じ。その様に望む心が先に有り、ご主人様に述べた理屈と損得を後に打算した……そう言えるのかも知れません」
己が衝動と、衝動を正当化する理屈が噛み合ったが為の行動、という事か。
オートマータの錬成技術を持つ者として、飲み込まざるを得ない部分でもある。
ただ、それでも。
「解った……でも、出来得る限り、自重して欲しい――」
エリーゼの言葉にレオンは首肯し、その上で改めて口を開いた。
「僕も君の言う打算を、そして矛盾を抱えて、君に無謀を強いている――いや、僕はもっと性質が悪いのかも知れない。だけど『ヤドリギ園』のシスター達、シスター・カトリーヌや、孤児達は違う。皆、純粋にエリーゼを想っている。そこに何の打算も損得も無い。その事は覚えておいて欲しい……」
紅色の揺らめきに融けたまま、エリーゼは動かない。
が、やがて穏やかに応じた。
「ゆめ忘れる事はございません。ご主人様の想いも、『ヤドリギ園』で出会った皆の願いも、決して、違えて受け取りは致しません――」
◆ ◇ ◆ ◇
特別区画と一般居住区を隔てる、巨大かつ堅牢な石造りの城壁。
物々しい城壁の内側には、都市部までの街路を彩る、豪奢な外周庭園が広がっている。
幾何学模様のペーブメントに瑞々しい常緑樹、花壇に彫像、白亜のガゼボ。
その施設は、広大な外周庭園からほど近い、都市部郊外に建てられていた。
白い漆喰で仕上げられた、大規模な石造の建造物。
壁と同色の白い屋根は、漣の様に連なるなだらかな切妻屋根。
錬成技師の互助団体『シュミット商会』の本部施設だった。
鋳鉄パイプが配管された壁は、パイプごと輝く様な白に塗り込められている。
平屋建てで二階が無く窓も無い、錬成技師の工房としては一般的な外観だ。
ただしそのサイズは、レオンが所有する工房の軽く三〇倍はある。
大掛かりな宗教施設、或いは古代の埋葬施設を思わせた。
しかし『シュミット商会』に所属する数多の錬成技師が集い、高度な錬成作業が行える施設ともなれば、必然的にこのサイズとなるのだろう。
現在、特別区画内でも、最も活動的な新興勢力のひとつとして、貴族達から支持を集めている団体だけの事はある。
そんな巨大施設『シュミット商会』本部施設の中心には、天井の無い、広々とした空間が設けられていた。
青々とした芝生が敷かれ、光の中でトネリコの木立が影を落としていた。
所々にシロツメグサの群生が広がり、低木と花壇が見えた。
花壇の脇には、ガーデンパラソルと木製のベンチ、噴水も配置されている。
そこは、緑豊かな中庭――本部施設の中心に造られた中庭だった。
自然な風合いと、落ち着きを感じさせる、良くデザインされた中庭だ。
中庭の周囲には、意匠の施された石造りの白い列柱が見える。
列柱は等間隔に建ち並び、二〇メートル四方の空間を綺麗に切り取っていた。
穏やかな日差しが降り注ぎ、トネリコの木の梢が風にそよぐ。
木の根元には、白いワンピースを纏った年若い娘が八人。
皆それぞれに見目麗しく、艶やかなブラウンの髪は、腰に届くほど長い。
芝生に座ってシロツメグサの花を摘み、器用に束ねて花冠を作ってみたり。
或いは傍らに座る娘の頭に手を伸ばし、その花冠を被せてみたり。
長い髪に摘み取った花を、そのまま編み込む様にして微笑む娘もいる。
それは学習院に通う女学生が、無邪気にはしゃいでいるかの様な光景だった。
そして、そんな楽し気な時間を過ごす娘たちの様子を伺う様に。
その婦人は、ひとり離れた場所で、ひっそりと佇んでいた。
フリルに彩られた薄緑色のブラウス、濃紺のショールとロングスカート。
頭にはスカートと同色の小さなトーク帽。
すらりと身長が高く、身体のラインは優美にして豊満、かつ流麗だった。
綺麗に結い上げたライトブラウンの髪が美しく、白いうなじもまた美しい。
きめ細かな肌、高い鼻梁。
仄かな笑みを形作る紅い唇、口許に小さなほくろ。
大人びた気配と、妖艶な魅力に溢れている。
但し、その目許には視界を遮るかの様に、黒い布が巻かれていた。
目が見えていないという事なのだろうか。
何よりも目を惹くのは、その白い手に握られた、長大な刀剣だろう。
柄頭から鐺(こじり)まで、一八〇センチはある。
緩やかに弧を描く曲刀であり、刀身は細く、朱色の鞘に納まっていた。
果たして一息に抜き放つ事が出来るのかどうか、疑わしく思える長さだ。
「――グレナディ、そこにいるのかい?」
ふと、男の声が中庭に響いた。
婦人は静かに振り向くと、穏やかな声音で応じた。
「はいはい、グレナディはここにおりますよ? ヨハン。どうかしましたか?」
『シュミット商会』警備部担当。
グランギニョール序列、現在第四位。
『コッペリア・グレナディ』だった。
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