第47話 悲嘆

 シャルルが思わず口にしてしまった『アデリー』の呼び名。

 その気持ちは、レオンにも理解出来る。

 予てよりシャルルは、エリーゼにアーデルツの面影を重ねている節があった。

 レオンよりも長くアーデルツと共に暮らしていたのだ、情が湧いて当然だ。


 それだけにシャルルは、忸怩たる想いを抱えているのだろう。

 身を削り、仕合を行うエリーゼに対し、プラスにならない言葉と感情をぶつけてしまった――そういう負い目を感じているのかも知れない。


 束の間の沈黙。

 それでもシャルルは、再び口を開いた。

 エリーゼが謝意を口にした以上、引き摺るべきでは無いと判断したのだろう。


「二週間後の仕合に関してだが……何と言うべきか、因縁めいた話がある。有益な情報では無いのかも知れないが、事実のひとつとして、二人に話しておいた方が良いのかも知れない……」


 ただ、続く言葉は何処か判然としないものだった。

 歯切れの悪いシャルルの物言いに、しかしレオンは何かを感じ、先を促した。


「――どういう話だ?」


 シャルルは小さく頷き応じる。


「次回対戦する事になった『シュミット商会』の代表――ヨハン・ユーゴ・モルティエについてだ」


 ヨハン・ユーゴ・モルティエ。

 もとより新進気鋭の若手錬成技師として、注目を集めていた男だ。

 そして、利便性、実用性の低さ故、殆ど普及しなかった『電信』『電話』システムに、生物学的アプローチにて独自の改良を加え、驚くべき技術革新をもたらし、その功績を以て、錬成技師としての地位を不動のものとした。

 今では錬成技師互助会である『シュミット商会』代表としても、広く知られており、『革命児』或いは『アデプト・マルセルの再来』とも称される彼の名は、ピグマリオンを目指さなかったレオンの耳にも届いていた。


「以前話した通り『アデリー』の定期メンテナンスは『シュミット商会』に依頼していた。ただ――その際『アデリー』のメンテナンスを直接担当し、実際に手掛けていたのが、ヨハンだ。『シュミット商会』の代表が、『アデリー』のメンテナスを行っていたんだ」


「あのヨハンが……」


 レオンは小さく、その名を口にする。

 『アーデルツ』のメンテナンスを行っていたヨハンのコッペリアと仕合う――確かに因縁めいた物を感じる。

 

「そうだ。俺は高名な錬成技師が『アデリー』のメンテナンスを請け負ってくれたと、単純に喜んでいたんだが……今の状況を踏まえて当時を振り返れば、色々と気になる事もある」


「気になる事?」


「まずヨハンは、『アデリー』の作者がレオンだという事を知っていた。その上で彼は、当家――ダミアン家と、マルセル氏との繋がりを、事ある毎に訊いて来たんだ。俺は関係性を否定したんだが、とにかくヨハンは、随分とマルセル氏に執心……むしろ心酔している様だった」


「……」


「なにより『アデリー』に直接『グランギニョール』への参加を促したのがヨハンだ。『衆光会』のルイス卿が怪しいのは、以前代理人に会った時に、確認出来たが……こうなってはヨハンも疑わしい。『アデリー』の身体検査を行った上で、参加が可能だと告げたんだ、戦闘用じゃ無いが、身体性能が高く『強化外殻』を使用すれば戦えると、そう言っていた」


「……そうか」


 エリーゼの背中に並ぶケーブル・コネクタを取り外しつつ、レオンはシャルルの話に耳を傾ける。

 同時に、シャルルの懸念事項を凡そ理解しつつあった。

 それは恐らく二点。

 ひとつは、ヨハンとマルセルの繋がりについて。

 もうひとつは『アーデルツ』の身体情報についてだろう。


 ヨハンが、錬成技師として殆ど無名である筈のレオンの名を知っており、ダミアン家とマルセルの繋がりについて確認したとなれば、これまでの経緯から考え、マルセルによる何らかの『仕掛け』ではないかと訝しんで当然だろう。マルセルとヨハンが裏で繋がっていると仮定するなら、マルセルの指示を受けたヨハンが『アーデルツ』の身体情報を調べていた……そういう風にも考えられる、という事か。


「俺は錬成技師じゃないから、詳しい事は解らない。ただ、そういう事実と繋がりがあった事を伝えておきたかったんだ」


「ありがとう、参考になったよ。シャルル」


 但し、いずれの懸念も憶測に過ぎない。

 シャルルの発言が、歯切れの悪いモノだった事も頷ける。

 それに、マルセルとヨハンが裏で繋がっていたなら、ヨハンが自ら、マルセルの名を出して、ダミアン家との繋がりを確認するというのもおかしな話だ。

 マルセルとヨハン――この二人の繋がりは、やはり無いのかも知れない。

 

 しかしそれでも『シュミット商会』のヨハンが、『アーデルツ』のメンテナンスを行っていた事は事実だ。

 シャルルが不穏な物を感じるのも理解出来る。

 今となっては対応出来ないが、気に留めておくべき事柄なのかも知れない。


「――恐れ入ります、ダミアン卿。質問してもよろしいでしょうか?」


 レオンの隣りで、エリーゼが声を上げた。

 すぐにシャルルが応じる。


「構わないよ、エリーゼ」


「ヨハン氏の『コッペリア・グレナディ』……仕合に際し、自身の前世を何と宣言していたか、ご存知ありませんか?」


 それはナヴゥルとの仕合を前に行った質問と、同じ内容だった。

 シャルルは答える。


「ああ、覚えている――『コッペリア・グレナディ』の仕合は、アデリーが参戦していた時、実際に見た事がある……『慈愛と闘争の精霊・ラミアー』、そう宣言していた。手にした武器は非常に長い刀だ、現在の序列は四位。特徴的だったのは、両の目を黒い布で塞いでいた事だ、目隠しだと思うが良く解らない……奇妙な感じだった」


「左様でございますか……ありがとうございます」


 エリーゼは感謝の言葉を口にすると、目蓋を閉じた。

 顔色が良くない。

 恐らく音響測定の結果以上に、疲労を感じているのだ。

 応急処置は、既に終了している。

 レオンはシャルルに、エリーゼ移送の準備を頼んだ。

 

 ◆ ◇ ◆ ◇


 工業地帯に程近い貧民居住区――『歯車街』の夜は暗い。

 風の無い日は、星など一切見えない。

 工場の煙突から立ち昇った煤煙が上空を分厚く覆っている事に加え、エーテル水銀式の街灯も、街路に殆ど設置されていない為だ。

 不法投棄された廃材とガラクタに埋もれた様な場所だ、行政はまともな管理など行わない。

 しかし『歯車街』一面に、雑然と連なり広がるバラック小屋からは、微かな明かりが漏れ出している。それは『歯車街』の住人が、工業地帯より不法に配管を繋げて盗み出した、工業用濃縮エーテルの灯りだ。

 そんな小さな灯りが無数に散らばり、夜の『歯車街』を埋め尽くす有様は、天地逆の不思議な星空を思わせる。

 シャルルを乗せた黒塗りのカブリオレ型蒸気駆動車が、錆とオイルの臭いが漂う星空を走り抜けて『ヤドリギ園』に辿り着いたのは、夜の八時を少し過ぎた頃だった。


「エリーゼからの伝言です……治療の為、帰宅出来なくなりました、約束を守れず申し訳ありません……そう伝えて欲しいと頼まれました」


「そうなんですね……」


 診療所にてシャルルを出迎えたカトリーヌは、椅子から立ち上がると出来る限り平静を装いつつ、静かに頷いた。

 厳めしい顔つきの大柄なシスター、副園長のシスター・ダニエマも、カトリーヌの傍らに歩み寄る。

 シャルルは眼を伏せたまま、謝罪の言葉を口にする。


「すみません、良い知らせでは無くて。先ほどお伝えした通り、仕合には勝利したのですが……」


「いえ、ダミアン卿が謝る様な事では……」


 貴族という立場でありながら、報告の為にわざわざ『特別区画』から『歯車街』まで訪ねて来てくれたのだ、その事に感謝すべきなのだろう。

 でも今は、その事以上にエリーゼが気掛かりで。

 治療と言っていた、つまり怪我をしているという事だ。

 どういう状況なのか、どうしても気になってしまう。


「その……エリーゼの怪我の具合は、どうなんでしょう?」


 答え難い事を質問していると、自分でも思う。

 軽い怪我であるなら、卿の口調も表情も、もう少し違った物になる筈だ。

 そうと解っていても、訊かずにはいられなかった。

 シャルルは顔を上げて、答える。

 

「……軽い怪我だとは言えないのですが……ですが、重傷ではありません。意識もはっきりとしていましたし、それにレオンもついていますから。工房で治療に専念すれば、すぐに恢復すると……」


 カトリーヌに対しての気遣いが感じられる言葉だった。

 仕合での負傷という事実を、なるべく感じさせない言葉を選んだのだろう。

 しかし、それが逆に辛く感じられてしまう。

 事実は変わらないのだ。

 エリーゼが戦い、負傷し、帰る事が出来なくなったという事実は変わらない。

 ならばせめて。

 せめてなにか。


「――ダミアン卿、何か私に出来る事は、ございませんか?」


「出来る事……ですか……?」


 気づけばカトリーヌは、胸元に右手を添えて、申し出ていた。

 差し出がましい事かも知れない。

 でも、何もせずにいる事なんて出来ない。

 何か役に立てる事は無いか、自分に出来る事は無いか、そう思って。


「私にも出来る事があれば、エリーゼの為に何か出来る事があれば……」


 言いながら、そんな事があるのだろうかと考えてしまう。

 今はレオンに代わり、診療所を管理する事こそが望まれている筈で。

 でも、そうと解っていても、耐えられなくて。


「お願いです、私に出来る事があれば、どうか……ダミアン卿」


 エリーゼは私の知らぬところで戦って、傷ついて。

 そんなエリーゼの為に、私は何もしてあげる事が出来なくて。

 それは解っていたのに、解って、納得していた筈なのに。


「私も、エリーゼの為に、何か……どうすれば……」


 声が震え、掠れた。

 息苦しくて、つらくて。

 

 そんなカトリーヌの肩を、シスター・ダニエマがそっと抱き寄せる。

 カトリーヌはシスター・ダニエマの胸に顔を埋め、声も無く泣いた。

 シャルルは俯き、声を掛ける事も出来なかった。

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