決闘遊戯(二)
第34話 入場
闘技場へと続く石造りの通路を、エリーゼは素足のまま静かに歩く。
小さな身体を包むのは、ゴート風に仕立てられた、タイトな純白のドレスだ。
何枚もの布地を重ねて作られた膝上丈のスカートに、ボディースーツ、美しい刺繍が施されたボディス・コルセットの背中は、大きく開いていた。
露出した白い背中には、銀色に輝く円盤状の機械式戦闘機『ドライツェン・エイワズ』が固定されている。
白くしなやかな両腕――細い手首と、肘部に巻きついている物は、円形金属プレート付きの黒い革ベルトで、繊細な一〇本の指にはそれぞれ、指貫状の指輪が嵌められている。
すらりと伸びた両の脚――その上腿にも、腕と同じく黒い革ベルトが巻きついており、そこには小型のスローイング・ダガーが左右合計十八本、ホルダーに納まっている。
更に、前方へ垂らした両手が携える得物は、一六〇センチを超える長大なロングソードだった。横に寝かされ、鞘の上から握られている。
全てはエリーゼの要望通りに取り揃えられた、武装の数々だった。
歩き続けるエリーゼの後ろには、レオンとシャルルの二人が、その後方にはシャルルの従者達が続く。
レオンはエリーゼの介添人として、入場門脇の待機スペースで仕合を見届け、シャルルは衆光会の代表として、従者達と共に観覧席から観戦する事となっている。
入場門へ向かう途中、シャルルは傍らのレオンに囁いた。
「つい今し方、闘技場の掲示板で、仕合の確定オッズを確認して来た。正直……芳しく無い」
俯いたまま語るシャルルの表情は暗い。
「喜捨投機会館での一件、マルセル氏の介入で、オッズが大きく動いたらしい。確定オッズは『ナヴゥル=1.45』『エリーゼ=2.75』……初回の仕合でこの倍率はまずい、当初の予定通りに行きそうもない」
それは、レオンが二日前に懸念した通りの結果だった。
常勝無敗のコッペリアであり、現レジィナである『オランジュ』を練成した天才ピグマリオンのマルセルが、息子であるレオンを『宿敵』と評したのだ。
ピグマリオン・マルセルの血統。
『宿敵』という言葉の重さ。
多くの貴族が、マルセルの発言を考慮してベットしたか。
或いは……マルセル自身が、莫大な金額をベットしたか。
その可能性も考えられる。
そしてもし、マルセルが『エリーゼ』に大金をベットしたという噂が広がっていたなら。
この急激な変動も、十分在り得る。
しかし現状、どういう対処も取れない。
レオンは、前を向いたまま答える。
「まずは勝つ事だ……その上で勝ち分を全てベットし続ける――目標金額に届くまで、繰り返す」
レオンの言葉に、シャルルは口を開き掛けて――止めた。
自分が憂慮している内容など、レオンも既に把握しているだろう。
エリーゼの仕合数を最小限に抑える事が出来なくなった――その事実について、だ。
シャルルも『ヤドリギ園』救済の為に、五〇〇万クシールという金額をベットしている。
レオンと比べれば小額だが、それは貴族であるが故に、シャルルの裁量で自由に使える資財が限られている為だ。領地の運営管理費用、国体維持費用の名目で求められる供出金……それでもシャルルは自身が使える限界まで、この賭けの為に資金を拠出していた。
それをレオンの出資金に加算すれば、二五〇〇万クシールになる。
当初の倍率……『12.25倍』のオッズであれば、この一仕合で三億に届く払い戻しが期待出来たのだ。
勝ち方にも因るが、その後の仕合でオッズが下がったとしても、二戦目、遅くとも三戦目には、負債を全て返済出来る筈だった。
その計算が狂った。
更に、エリーゼの仕合回数が問題となって来る。
エリーゼの身体は、戦闘用に作られていない。
筋力も、瞬発力も、耐久力も、戦闘用のオートマータには及ばない。
とはいえ『ドライツェン・エイワズ』という、画期的かつ変則的な武装の導入に、勝利の可能性を見出していた。
但しそれは短期決戦を前提とした話だ、連戦など想定していなかった。
しかし、初戦から大幅にオッズが下がった現在、エリーゼを連戦させる以外に、負債を返済する手立てが無い。
戦闘用で無いエリーゼの身体が、どれだけの連戦に耐えられるのか。
しかも負債の返済期限は半年と区切られている為、短いスパンでの連戦が必要になる、メンテナンスに必要なインターバルが、取れない恐れも出て来る。
状況の悪さに、シャルルもレオンも、押し黙る事しか出来なかった。
◆ ◇ ◆ ◇
闘技場へ近づくにつれ、様々な音の響きを強く感じ始める。
管弦楽団の奏でる、勇壮な旋律。
スチーム・オルガンの哀切な響き。
観客席を埋め尽くしているであろう、貴族達のざわめき。
それらの音が渾然となり、押し寄せて来るのを体感する。
やがてエリーゼは、巨大な鋼鉄製の扉の前で足を止めた。
高さにして三メートル程――入場門だった。
従者の一人がシャルルに近づき囁くと、シャルルは頷く。
そしてレオンとエリーゼに告げた。
「あと数分で入場だ、俺は観覧席に向かう」
レオンは解ったと答え、エリーゼも前を向いたまま小さく頷く。
シャルルはエリーゼの白く儚げな美貌を暫く見つめ、やがて息を吐きながら言った。
「頼んだよ、エリーゼ。気をつけて……」
「はい」
エリーゼは肩越しに振り向くと穏やかに微笑み、すぐに正面へと向き直る。
そのまま軽く俯き、目蓋を閉じる。
レオンは眼前の鉄扉を見上げつつ、呼吸を整える。
人々のどよめきが、楽団の奏でる音色が、扉の向こうから伝わって来る。
分厚い鋼鉄の扉越しに、人々の発する熱気が滲み出して来る。
それは興奮であり、享楽であり、欲望であり。
どれほどの感情が、闘技場内に渦巻いているのか。
どれほどの感情に曝されながら、エリーゼは戦う事になるのか。
程無くして。
仕合開始の時刻が訪れた。
◆ ◇ ◆ ◇
地響きを伴う轟音と共に、鋼鉄製の扉が左右に大きく開け放たれた。
途端に圧倒的な音の奔流を、レオンは体感する。
見よ! かの者を見よ! 現世に降り立ちし戦乙女の姿を見よ!
崇めよ! かの者を崇めよ! 練成の奇跡に現れし戦乙女の勇姿を崇めよ!
我らが聖女・グランマリーに仕えし兵!
我らが聖女・グランマリーが遣わせし兵!
この世の悪意に抗う花ぞ! この世に光をもたらす力ぞ!
それは絶叫にも近い、怒涛の混声合唱だった。
激しく昂ぶり、爆ぜる様に響き渡る歌声だった。
いっそ禍々しいとさえ思える歌声が、アリーナ一面に降り注ぐ中。
エリーゼは真っ直ぐに歩き始めた。
入場口脇の待機スペースへと移動したレオンは、その白い後姿を見送る。
鈍く光る戦闘機『ドライツェン・エイワズ』を装着した小さな背中は、些かの怯みも感じさせない。
ロングソードを両手で保持したまま、エリーゼはアリーナに敷き詰められた石板の上を、裸足で悠々と歩き続ける。
広大な円形闘技場は、興奮と歓喜の坩堝だった。
階段状に設けられた観覧席は、派手に着飾った貴族達で埋め尽くされている。
紳士も淑女も皆それぞれに喜色満面、拳を握り締めては声を張り上げている。
彼らを煽り立てるのは、オーケストラ・ピットの管弦楽団が奏でる重厚な楽曲であり、目許を仮面で隠したドレス姿の女が紡ぐ、高くて深い歌の旋律だ。
玲瓏と響く女の歌声は、貴族達の音声と混じり合い、絢爛な意匠が施された石柱を伝い、精緻な石像が配された円蓋天井にまで響き渡る。
振るいし刃で闇裂き給え! 七花八裂砕いて散らせ!
振るいし力でもたらし給え! 慈悲と慈愛と安寧秩序!
我らの誓いを聖女に捧げよ! 我らの祈りを聖女に捧げよ!
偉大なるかなグランマリー! 聖女に我らの叡智を示せ!!
闘技場中央付近にまで進み出たエリーゼは、おもむろに立ち止まる。
そしてアリーナの熱気を掻き混ぜていた管弦楽団も、静かに演奏を止める。
束の間の静けさに、しかし場内の熱気は引く事など無かった。
皆が皆、次なる戦乙女――コッペリアの入場を待ち構えているのだ。
一呼吸、二呼吸の後。
獰猛とも思える交響曲が、オーケストラ・ピットから沸き返る。
更に並み居る貴族達が一斉に席から立ち上がり、両手で耳を塞いだ。
この行為がいったい何を意味しているのか、その答えは直ぐに解った。
観覧席最前列から闘技場へ向けて、複数の大砲が迫り出して来た為だ。
それはアリーナを取り囲む様に弧を描き、数十メートル間隔で並んでいた。
上方へと突き出された砲門の数は、全部で八つ。
全てにアラベスク風の金装飾が施されており、儀礼用の空砲である事が解る。
不意に、濃紺のドレスを纏った女が白い喉を晒して天を仰ぎ、両手を広げる。
直後、号砲が放たれた。
凄まじい爆音に大気が震える。
濛々たる爆煙が、闘技場に白く立ち込める。
闘技場に立つエリーゼは、微かに眼を細めつつ、周囲に視線を送る。
管弦楽団の演奏が激しさを増した。
目許をマスクで隠した女は天を仰ぎ見たまま、高い声で歌い始めた。
失う事を恐れよ! 途切れる事を恐れよ!
立ち上がりて刮目せよ! 死を司る精霊を迎えよ!
煌めく様に透き通った女のソプラノに続き、貴族達が一斉に声を上げる。
この一連の流れは、観覧者が皆で共有している定番の『約束事』なのだろう。
見よ! かの者を見よ! 死を司りし戦乙女の姿を見よ!
死に際を朱に彩りし戦慄の戦乙女! その勇姿を拝め!
エリーゼの向こう正面に設けられた、巨大な鉄扉が音を立てて開放される。
その奥から、黒のレザースーツを身に纏った娘が、悠然と進み出て来た。
ショートにカットされた頭髪は黒、宝玉の様に煌めく瞳は赤。
口許には酷薄な笑み。
ナヴゥルだった。
一九〇センチ近い長身は、息を飲む程に艶かしく輝いていた。
豊満かつしなやかな身体のラインが、美麗なS字を描き出している。
同時に、レザースーツ越しでも見て取れる筋肉の隆起は、驚くほどに力強い。
ノースリーブの肩口から露出した両の腕も逞しく、左には焔の刺青が、右にはグランマリーを讃える聖句が刻まれている。
更に肘から先――前腕から指先までを覆うのは、鈍く光る金属製の外殻だ。
中世代の騎士が着用していた様な、籠手の如き強化外殻は、複雑な蛇腹構造と可動式調節ギアを有し、エーテル動力を経て淡い発光現象を示しつつ、白い蒸気を吐き出している。
その金属外殻の手で保持し、肩に担ぐ得物は、巨大な戦斧――ハルバードだ。
長大にして重厚、切先から柄尻まで余す所無く鋼鉄製であり、長さにして二・五メートル、重さにして三〇キロは超えていそうな、規格外の武装だった。
我らが聖女・グランマリーに仕えし兵!
我らが聖女・グランマリーが遣わせし兵!
悪意を刈り取る死の精霊! 邪悪を滅する鋭き刃!
暴威を恐れよ悪逆の咎人! 四分五裂に散り果てよ!
楽団の演奏と貴族達の合唱が降り注ぐ中、ナヴゥルは悠々と歩く。
前方に注がれる視線は、真っ直ぐにエリーゼを捕らえている。
口許の笑みは消えない。
エリーゼを侮っているのか、或いは自身の技量に絶対の自信があるのか。
アリーナの中央まで進み出たところで、ナヴゥルは足を止める。
対峙する二人の距離は六メートルほど。
「またこの手合いか……」
嘲りを含んだ声音が低く響いた。
ナヴゥルだった。
「愛玩人形風情を何度も死地へと送り込む、貴様らの飼い主はいよいよ以って奇矯よなあ? いかれた趣向で愉しむ事が趣味なのか?」
唇の端を吊り上げて嗤ったナヴゥルは、肩に担いだハルバードを右腕で軽く旋回させ、足元の石板へ柄頭を降ろした。
「ふーっ……まあ良い。クズの用意したガラクタ以下のかませ犬とはいえ、作法を踏まえる必要はあるのだろうよ……我が名はナヴゥル。前世は暴虐と死を司る悪意の精霊『ナクラヴィ』。遍く全てを踏み散らし殺す……貴様も名乗れ」
エリーゼは軽く眼を伏せて応じた。
「暴虐と死を司る精霊でございますか……。私はエリーゼと申します。前世は夜鳴ウグイス……ナハティガル。求道者を惑わせし精霊にございます」
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