第7話 損壊

「お取り込み中のところ失礼します、レオン先生。衆光会の方で、先生のご友人と仰る方がお見えです」


 青い修道服を纏った老シスターは、静かに傍らの青年を紹介した。

 青年はブラウンのフロックコートを着込み、トップハットを手にしている。

 ウェーブの掛かったダークブラウンの頭髪と、同じ色の瞳。

 歳はレオンと同じくらいだろうか。

 品の良い面長の顔立ちだが、どこか憔悴している様にも見える。

 青年はおもむろに口を開いた。

 

「久しぶりだね、レオン」


 そう言って、レオンの傍へと歩み寄る。

 レオンは回転椅子から立ち上がると、笑みを浮かべて右手を差し出した。


「本当に……二年ぶりかな? 元気だったか? シャルル」


 レオンはそう言うと、二人のやりとりを見守るカトリーヌと老シスターの方へ向き直った。


「紹介するよ、彼は古くからの友人でシャルル……シャルル・ニコラ・マール・ダミアン男爵だ。衆光会に所属している」


「まあ……わざわざご足労頂きありがとうございます。この教会で助祭を勤めております、カトリーヌと申します……」


 カトリーヌは背筋を伸ばすと、胸に手を当て目を伏せるという、グランマリーの教えに習った姿勢で、謝意を口にした。


 衆光会といえば、労働者の地位向上と児童福祉、庶民生活の改善を目指すという名目を掲げて発足した政治団体で、『ヤドリギ園』の運営にも深く携わっている。そこに属する貴族となれば、改まった態度になるのも当然だろう。

 シャルルと呼ばれた青年は微笑むと、畏まらなくても結構ですよシスター、と告げた。


「事前連絡もせず、申し訳ありません……。危急の事態ゆえ、どうかご容赦の程を。レオン先生の助力を仰ぎたく、押しかけてしまいました……」


 シャルルの声が静かに響く。

 しかし、そこに不穏な物を感じ取ったレオンが口を開いた。


「……どうした? 何かあったのか?」


 低い声で発せられたレオンの質問に、シャルルは口篭った。

 しかしすぐにレオンを見据えて言った。

 酷く沈痛な面持ちだった。


「ああ……もうレオンにしか頼めないんだ……」


 老シスターが、不安そうにしている子供達に声を掛ける。

 あなた達は表に出ておいでなさい、レオン先生はまだお仕事があるから。

 シスターの声は優しいものだったが、空気の重さを感じ取ったのか、子供達は不満を洩らす事無く、大人しく部屋を後にする。

 老シスターは子供達の背を部屋の戸口で見送ると、やがて部屋の外へ向かって静かに声を掛けた。


「お入り下さい……」


 カラカラカラ……という、車輪の転がる乾いた音が響き、負傷者を搬送する為のストレッチャーが数人の男達に押され、戸口から部屋の中へと運び入れられた。

 レオンは息を飲んだ。

 そこには、包帯と添え木で応急処置を施された、小柄な娘が寝かされていた。

 亜麻色の頭髪も、閉じられた両目も、血の滲む包帯で覆われている。

 『グランギニョール』で死闘を繰り広げていた娘だった。

 束の間の沈黙。

 やがて、微かに震える声でレオンが訊ねた。


「……アーデルツなのか?」


「……そうだ」


 レオンの質問に、シャルルが答えた。


 老シスターが、立ち尽くしているカトリーヌに小さく囁いた。

 私は表で子供達を落ち着かせて来ます……。シスター・カトリーヌ、レオン先生の助手としてサポートを頼みましたよ。

 老シスターはそう伝えると胸に手を当て、小さく祈りの言葉を呟く。

 そのまま静かに戸口を抜け、部屋を後にした。

 レオンはストレッチャーを押して来た男達に話を聞きながら、娘をベッドへと移動する。


 ……事故で? ……裂傷箇所の止血処置に二次エーテル製剤輸液を行ったのか? 一般技師と医師の判断か、解った、あとはダミアン卿に訊く、こちらへ移してくれ、身体は揺らさない様に、そうだ……ゆっくり降ろして……。


 作業を終えた男達にシャルルが告げた。


「搬送、深く感謝する……後は私に任せてくれ。一人は先に衆光会会館へ戻り報告を頼む。残りは、すまないが車で待機してくれ」


 シャルルに促され、男達も部屋から退出する。

 レオンは傍らに立つカトリーヌへ、診察準備の指示を出した。

 

「シスター・カトリーヌ、『アリス』を起動してくれ、構造解析が必要だ。それと義肢用の二次エーテル製剤の準備も頼む。血液混合希釈はしない、この子はオートマータ(自動人形)だ。但し血管の配置も反応も人間と同じだ、通常通りの処置で応用出来る。念の為に煮沸消毒済みのツールの用意も頼む、ここの設備で治療出来るとは思えないが……」


「オ、オートマータ? 確認しますが、希釈用血液要求の緊急電信は不要ですか?」


「しない、検査次第でルートを取る。まずはアナライザーを」


「は、はい!」


 何時に無く真剣なレオンの声音、そして『オートマータ』という言葉に、カトリーヌは一瞬戸惑う様子を見せたが、すぐに平静を取り戻し、診察机の脇に設置された、スチーム・アナライザーを起動した。


 スチーム・アナライザー・アリス……『蒸気式小型差分解析機』とは、小型電算システムであると同時に、生体エーテルの流れや義肢等の内部パーツを音響測定する事も可能な、練成技師用の医療用解析機器だった。

高さ六〇センチ、幅奥行き共に四〇センチ程の金属フレーム内に、四〇本程の円柱型金属ドラムと、大小様々なギア及び極小シリンダー群が複雑に絡み合う様は、異様に精密なオルゴールを思わせる。


 カトリーヌが二次エーテル製剤の準備を行う横で、レオンはベッドの下に据え置かれた精製酸素吸入器を起動し、ガラス製の酸素吸入マスクを取り出した。そのまま娘の口許を覆う様に装着すると、革製の細いベルトでマスクを固定する。

 更にレオンは娘の首筋に指を当て、脈を計る。

 指先から伝わる弱々しい脈動に、レオンは硬い声で問い掛けた。


「シャルル、何があった? 彼らは事故だと言っていたが……この傷は普通じゃない……」


 レオンの質問に、シャルルは苦しげな表情を浮かべる。

 しかし振り絞るように言葉を紡いだ。


「二時間ほど前……彼女はグランギニョールの条件戦に敗北した……」


「なっ……!?」


 グランギニョール、その言葉にレオンの顔色が変わった。

 シャルルは言葉を続ける。


「条件戦は完全決着の約定だったが……意識を失ったアデリーを見殺しに出来ず、俺が助命を嘆願した……。しかしそれが原因で、調整を頼んでいたピグマリオンに治療を断られてしまった、聖戦を穢す行為だと……。止血と、必要最小限度の応急処置だけは行ってくれたんだが……内部構造の修復は出来ないと断られた。他のピグマリオンにも頼んだが同じだった。力を貸して欲しい……もう彼女の『親』である君にしか頼めないんだ……」


「なんて事を……」


 レオンは怒気の孕む声音を隠す事無く作業を続け、カトリーヌが起動したスチーム・アナライザーに、何本ものエーテル測定用ケーブルを接続した。

 更に接続されたケーブルのコネクタを、ベッドの上で動かない娘の四肢、首筋、頭部に埋設されていたソケットへ差し込む。

 作業工程の途中、レオンは娘の手足に、測定用ソケット以外の外部端子接続ソケットが、複数増設されている事を確認した。


「……この子の身体は戦える構造じゃなかった、タブレットに宿る魂も『ドリアード』だ、闘争を好む性格じゃない。何より、君には彼女を使用人として引き取って貰った筈だ。なぜコッペリアなんかに仕立てた?」


 体表に穿たれたソケットを見つめるレオンの表情は、酷く険しい。

 普段、決して周囲に見せる事の無い怒りの形相に、傍らのカトリーヌも困惑の色を隠せない。

 問い詰めるレオンに答えようと、シャルルは口を開き掛け――しかし、不安そうな様子を見せるカトリーヌの視線に気づき、口をつぐむ。

 暫く押し黙っていたが、やがてシャルルは、目を伏せたまま低く答えた。


「……衆光会の要請を受けたんだ、グランギニョールへの参加基準を満たしているなら頼みたいと。アデリーはそれに応えた、私は戦えると言って……俺だって止めたさ、でも……」


「何を言ってるんだ! つまり衆光会の権威を示す道具にしたって事か? あれほどコッペリアにするつもりは無いと言ったのに……! あんな博打の駒に……!」


 レオンは吐き捨てるように言った。

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