第49話 真衣の決意 その2

 母の車に乗ったところまでは良かったが、そこからは自分の意識とは無関係に身体がガタガタと震え出した。中学校は、近所だから車で行けばすぐに着く。しかし、この時の私にはその短い距離すら永遠のように感じた。


「ねえ、真衣。やっぱり今日は……」


「真衣先生、おはようございます。今日はよろしく……って、お前、大丈夫なのか?」


 校門前に車を停めてもらったが、身体が動かない。行きたい気持ちはあるのに、動けない。そんな私を察したのか、母が何か言いかけたところで、校門まで瀬川が迎えに来ていた。

 瀬川に大丈夫かと聞かれた私は、ようやくはっと我に返り、自分が何をしに来たのかを思い出した。そうだ、お姉ちゃんの代わりに指導に来たのだ。ここでやっぱり行けませんでしたってなったら、私はきっと二度とここには来られなくなる。それじゃあ、お姉ちゃんのために何にもできない。引き返すなんて、絶対にダメだ。


「大丈夫。久しぶりに車に乗って、ちょっと酔っただけだから。母さん、行ってくるね」


 私はまだ震えの残る身体に、心の中で鞭を打ち、心配そうな顔で見つめる母親と別れた。


「……お前、本当にいいのかよ。これさ、ボランティアなんだし、そんなにお前が無理してまでやることじゃあ……」


「無理してでもやりたいの! 私が……私をずっと支えてくれたお姉ちゃんにできることなんて、そんなに多くない。その中でも、きっと吹奏楽部のことをお姉ちゃんは心配してると思う。私なら……私ならきっと役に立てるはず。元は学生指揮として、顧問の先生が来るまで指揮したりもしてたんだから」


 スコアが読めて、一通り指揮ができ、合奏を主導することができる。それだけで、瀬川がやるよりもずっとマシでしょう? と私はわざとおどけたように笑って言った。瀬川は、尚も心配そうだったが、それ以上は何も言わずに私を音楽室へと案内した。






 私は、高校でのいじめから、二度と関わらないと思っていた吹奏楽部に意を決して足を踏み入れた。だが生徒の反応は、良い意味で私の予想と全然違った。


「あ、真衣先生ですね! 結衣先生が、いつも真衣先生のことを話していたんですよ! オーボエの天才だって! 結衣先生はリード楽器が苦手だから、オーボエだけじゃなくて、リード楽器を何でも吹ける真衣先生は凄いって!」


 自己紹介の後、お姉ちゃんが残した彼らのルーティーン通りに指示を出した私は、一旦解散したところでたくさんの生徒に囲まれた。瀬川がお姉ちゃんが亡くなったことを事前に伝えてくれていたらしく、私が代わりに来ても泣き出す子はいなかった。むしろ、お姉ちゃんが私のことを毎回のように話し、オーボエのことはもちろん、スコアを見ながら譜読みするのも大抵一緒にやって、ああでもない、こうでもないと二人で相談していたことも生徒たちは知っていた。

 だからこそ、知らない先生が来た、ではなく、一緒に音楽を作ってきた先生が来た、といった反応だった。お姉ちゃんが色々話していてくれたおかげで、生徒たちは私のことを始めから信頼してくれ、一生懸命こちらの指示に応えようとし、集中して合奏に臨んでいた。






「真衣、今日はありがとな。朝会った時は辛そうだったし、心配だったけど……今日の合奏、まるで結衣さんが指揮してるみたいだった。

子どもたちもさ、俺が指示出すときとは目の色が違ったし。やっぱ、お前ら姉妹はすげえよ。音楽のことは相変わらずわかんねえけど、あれがとんでもなく大変なのは俺もわかってるからさ」


「ううん、私こそ。これが無かったら……お姉ちゃんのためじゃなかったら、ここまで必死で家から出なかったもの。今日の指導だって、結局お姉ちゃんと生徒のみんなに助けられちゃった。やっぱり、学生指揮と正規の指揮者は背負う責任が違うね。お姉ちゃん、こんなこと毎週やってたんだ……はあ、疲れた……」


「くくっ、この部屋使っていいから、ちょっと休んどけよ。生徒ももう帰ったし、俺お茶でも淹れてくるからさ」


 控室として用意してくれた会議室の椅子に座り、緊張感から解放された私は、どっと来た疲労から思わず机に突っ伏してしまった。そんな私をいたわるように声をかけた瀬川は、鍵は開けたまま、部屋の扉を閉めて職員室へと戻って行った。


 突っ伏したまま、ついうとうとしていたところで、ズボンのポケットに入れておいたスマホが突然震えた。


「んー? 母さんかな……」


 そう思った私は、久しぶりに動かしたことで乳酸が溜まった右腕を何とか動かし、スマホを掴んで机の上に置いた。そして、その画面をつけた。


『アプリの新着情報があります』


「は? 通知は全部切ってあるはず……。いや、まさか、お姉ちゃん!」


 私は驚きに疲労を忘れ、勢いよく身体を起こすと、慌ててスマホを操作してあの乙女ゲームのアプリを開いた。






「はあ……? 女神ハルモニアの使徒? なにそれ……?」


 アプリを開くと、やっぱり登場人物の説明書きが変更になっていた。前回と一緒だ。私は慌てて登場人物一覧のページをめくり、一番最後の『ソフィア=結衣・ヘンストリッジ』のページを開いた。しかし、その変更内容は私の想像とは全く違い、混乱してしまった。


「ええと、5歳で呪いを受けた後、女神ハルモニアの使徒になる? その後何度も命を狙われる? へ? なんでお姉ちゃんが狙われるの? 女神の使徒って何なの?」


 私の中で、ソフィアは完全にお姉ちゃんになっていた。そのお姉ちゃんが、元々予定されている運命よりも早くから命を狙われるらしいのだ。他人事には思えない。


「いや、それ以前に、ソフィアって悪役だけどモブキャラのはずでしょ? モブってこんなハードな人生送るの? もうヒロインか、せめて悪役のメインで良くない?」


 女神の使徒ってことは、何か任されるんだろう。それをやらなきゃいけないのに、命まで狙われるのか。しかも……


「せっかくそこで生き残るのに……やっぱり追放されて殺され……、え、ちょっと待って!」


 説明文を途中まで読んで、私はつい声を荒げてしまった。なぜならそこに書かれていたのは、


『悪役メインであるドロッセル・ボールドウィンの策略により、ヒロインを虐めた全ての所業の罪を被せられ、貴族院を追放されるだけでなく、国外追放及び修道院へと幽閉される』


 そうだ。ソフィアは元々おバカな悪役モブだ。そして、悪役にはメインがいてそいつが本当に性格の悪いやつだったのは覚えているんだけど、まさか全てをモブに押し付けるなんて……

 

『のちにソフィアの無実が判明するが、既に修道院へ送られる途中で盗賊の襲撃に遭った後であり、ソフィアは命を落としてしまう。

これに怒った女神ハルモニアは、ミネルヴァ王国の管理と祝福を放棄し、国内は急速に荒廃していく。また、ヘンストリッジ辺境伯爵家が領民を含めて一斉に反旗を翻し、国内は長い内戦状態へと突入することになる』


「え? ちょっと、待って。このゲーム自体、悪役の断罪とドロッセルとの婚約破棄でハッピーエンド。そこまででゲームは終了のはずでしょ? なんで、こんな、まるでその先もあるみたいな書き方……」


 いやいや、それ以前に、お姉ちゃんがこのままだと無実の罪で殺されてしまう。その後の国なんてどうでもいいし、ソフィアが本当にお姉ちゃんかどうかはわからない。でも、もし本当にお姉ちゃんだったら? お姉ちゃんは何にも悪いことしてないのに、また誰かに殺されるの? そんなの許せない。


 私は何とかできないかと、アプリの画面を登場人物紹介からプレイ画面へと戻したが、


「ああもう! なんでプレイできないのよ! いつまでメンテナンスしてんのよ……一体、どうすればいいのよ……」


 以前と変わらないメンテナンス画面にいらいらし、スマホを握る手を震わせながらそう零したところで、瀬川が部屋のドアを開ける音がした。


 私は慌ててスマホの画面を切り、ポケットに戻した。その後は、瀬川が淹れてくれたお茶を飲みながら、来月の演奏会の打ち合わせをしたが、頭の中は惨殺される予定のソフィアのことでいっぱいだった。

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