第47話  力でねじ伏せられないならば

「ソフィー、先ほどは素晴らしい『お勤め』を見させてもらった。ありがとう。それでのう……もうじき戻らねばならん時間じゃが、その前に話しておきたいことがあってな」


 祈りの塔での演奏を終えた私は、穏やかな表情だがその目に強い光を宿したシウヴァ卿の希望で、屋敷戻った後みんなで応接室に来ていた。両親とお爺様が不思議そうな顔をしているあたり、これはヘンストリッジ家の予定にはなかったことらしい。私も何を話すんだろうとドキドキしながら、シウヴァ卿の言葉を待った。


「ふう。アラン、レイモンド、そしてエリアーデも付き合わせてしまってすまぬな。だが、今言っておかねば……いや、恐らく儂らが言っておかねば、ずっと気づかぬかもしれぬと思ってな」


 全員がソファーに座ったのを見計らって、シウヴァ卿がおもむろに口を開いた。


「まずは、気づいておったかわからんが……ソフィーには謝りたい。そなたが快く申し出てくれたことに、我らが難色を示したことじゃ。理由あってのことじゃが、可愛い孫を困らせたかと思ってな。すまなかった」


「え……?」


 私は突然のことに、驚いてまともに返事もできなかった。びっくりして両親の方を見るが、両親も何のことかわからないらしい。


「よくわからんようじゃな。ソフィーは、さっき儂らに『演奏する』と言ったことは覚えておるか?」


「はい。確かにそう言いました。神獣ですが、私の中では楽器のようなものですから……」


「ちなみに、『演奏する』のは基本的に楽師の仕事じゃが、楽師の身分に関してどれくらい知っておるかの?」


 よくわかっていない私たちに、お爺様が一つ一つ丁寧に話し始めた。楽師の身分に関しては、お父様とお爺様が王宮の楽師塔に行ったときに教えてくれたから……


「……あまり身分が高くない、とは聞きました」


「ふうむ。それは、誰と比べて身分があまり高くない、と思っておるかの?」


 私はそこまで聞いて、はっと目を見開いた。確かに、私はこの国の身分の基準がわからない。つい、地球上での基準として、王族とかがいるとしたら一般市民くらいだと思っていた。しかし、ここは明確に身分差がある国だ。そこで私の考えが貴族の一般常識と違ったら……?


「……わかりません。ただ、貴族はやりたがらない仕事だと聞きました」


「そうか。それはその通りじゃ。つまりな、楽師というのは、この国では貴族が最もやりたくない仕事の一つであり、貴族から差別される仕事でもあるのじゃ」


 だから、とシウヴァ卿は言葉を続ける。


「間違っても、上位貴族であるソフィーが、『演奏する』などと口にしてはならん」






 この国では、身分を大きく分けると貴族と平民、それから契約奴隷および犯罪奴隷の3つに分かれる。その中でも、貴族に序列があるのはもちろんだが、仕事によっては平民の中にも序列があるらしい。


 その平民の中の身分差がある仕事の一つが、楽師なんだそうだ。そもそも楽師を雇うような場所は、王宮か貴族くらいだ。だが、そういったところには、『使用人』の中にも序列がある。楽師はいわゆる使用人の中に含まれるそうだが、その扱いはあまり良くないらしい。


「平民が就ける仕事はいくつもあるが、食べ物を生み出すわけでも、家を建てるわけでも、病気を治すわけでも、命を張って戦うわけでもない。身の回りの世話をしてくれるわけでもなく、ただ毎日毎日演奏しておるだけ。もちろん、我らの舞踏会や茶会などには欠かせないが、それも毎日あるわけではない。

 だからかもしれぬが、使用人たちの中でもあまり重要視されておらず、貴族は絶対にやりたがらない。王宮や上位貴族の屋敷だと、下位貴族の令嬢が侍女見習いをしたりするであろう? そういったこともない故な。楽師の立場は非常に弱い」


 誰もがじっとシウヴァ卿の話に耳を傾けている。私はごくりとつばを飲み込みながら、次の言葉を待った。


「我らは演奏されることはあっても、自ら演奏など決してしない。我ら貴族が、厨房に立って料理などしないのと同じじゃ。

今は平和な世の中だが、だからこそ良からぬことを考える阿呆どもはたくさんいる。たった一言の間違いを、鬼の首でも取ったかのように声高に叫び、非難する者……残念ながら、おぬしの生きていく貴族の世界は、人の形をした魑魅魍魎の蠢く嫌な世界じゃ。

 だからのう、言葉にはよく注意を払わねばならぬ。ヘンストリッジ家は、気に入らぬことは力で全てねじ伏せてきたから……こういったことは、あまり気にしてなさそうだと思ってな。だが、ソフィーに同じことはできん。だから、ソフィーは力だけでなく、頭も使って生きていかねばならん」


「ふうむ、イーサン。お前の考えすぎではないか? そんな、『演奏する』って言ったか、お勤めかなどと、そこまで聞いておる者がおるかのう? 儂は全く気にならんがな! がははは!」


「レイモンド、だからダメなのですよ。あなたのような振る舞いは、白の魔力持ちにはできないのですから。ソフィーには、真っ当な貴族として生きていけるように教えてやらないといけません」


 イーサンと呼ばれたシウヴァ卿の話に、レイモンドお爺様が口を挟むが、エリーゼお婆様がそれをぴしゃりと否定する。私は、イーサンお爺様が一生懸命説明してくれたことを頭の中で整理し、なんとなく話が見えてきた。


「イーサンお爺様。つまり、私は『演奏する』ではなく、『お勤めする』と言うべきであり、同じことをするにしても、どの言葉を選ぶかが時に重要になってくるということでしょうか」


「おお、そうじゃ。ソフィー、儂が言いたいことをよく掴んでくれたのう」


「ううむ……これは、盲点でしたね……」


 私の返事に上機嫌になるイーサンお爺様を他所に、今度はお父様がこめかみに手を当てて、困ったように唸っている。


「ああ、ソフィー。いや、うちは元々武を尊ぶ一族だろう? だから、ソフィーを一流の騎士にすることは我々にもできる自信がある。でも、お義父様の言う通り、ソフィーはそれだけじゃだめだ。貴族として世の中を渡っていくために、力以外のものも手に入れないといけないだろう。

 ただ……うちで雇っている家庭教師も使用人もみな元々平民で、我々もそういったことには疎いし、付き合いのある貴族はほとんどいないし……どうしたものか……」


「やっぱりねえ。どこのお茶会に顔を出してもエリアーデはいないし、あなたたちの話も出てこないから、また領地に引きこもってるんじゃないかと思ったら……そういうところで、色々手を回したり、繋がりを作っておいたりって、エリアーデにも散々教えたはずなのに……」


「えっと……?」


 ため息をつきながら話すお父様に、エリーゼお婆様がお母様を責めるような目で見ながらぐちぐちとこぼす。要は、私の一言からシウヴァ夫妻は、私が貴族としての常識を学んでいない、あるいは学べる状況にないことを察したということだろうか。そして、それは戦うことでこの地位も領地も守って来たヘンストリッジ家からすれば、そもそも「それ何?」という状態だったということかもしれない。


 本当なら、楽師の身分が低いとか、この立場で演奏するって言えないとか、抗議したいことはいっぱいある。でも、シウヴァ家のお爺様やお婆様が悪いわけではない。むしろ、彼らは私が恥をかく前に気付き、こうして教えてくれたのだ。感謝すべきだろう。

 それより、いつか楽師の地位向上もやらねば。音楽を職業としてやっている人が、その身分を虐げられるとか許せない。音楽家は専門職だ。良い音楽を奏でるのは、一朝一夕でできることではなく、努力したからと言って誰にでもできることではない。もっと評価されてもいいはずだ。


 私が頭の中でぐるぐると考えを巡らせているうちに、大人たちの話はどんどん進んでいたらしい。気づいたら、私に話が振られていた。


「あ、すみません、考え事をしていて……」


「もう、ソフィー。あなたに関わることなのよ? だから、あなたの専属侍女にシウヴァ家の侍女で、貴族出身の者を一人迎えてはどうかって話よ。そうすれば、あなたの普段の生活や言動を見て、一般的な貴族はどうか、あるいは上位貴族ならどうすべきかを学びやすいんじゃないかしら?」


「へ? 専属?」


 お母様が、ちょっと不満そうにしながらも、私にもう一度説明してくれた。なるほど、専属侍女なら私と基本的にずっと一緒にいるし、ちょっと気が付いたことでもその場で指摘しやすいだろう。お世話というよりは、教育係の意味合いが強いかもしれない。それはいい考えだと思うんだけれど……。私は心配になって、ふとリタの方を見た。リタは私の視線に気が付くと、にっこりと笑い返してきた。それを見た私は彼女に軽くうなずき、みんなへと向き直った。


「わかりました。ぜひ、お願いしたいです。ただ……私には、今リタという専属侍女がいます。彼女を含め、この屋敷の使用人は現在全員平民出身であり、中には孤児院で育ち、努力して力を付けてここまで来た者もいると聞いています。

 私にとっては、お父様、お母様、お爺様だけでなく、この屋敷の皆が家族だと思っています。彼らを見下さず、一緒にやっていこうと思っていただける方にお願いしたいです」


 そう言って頭を下げた私を、シウヴァ夫妻は驚いたような顔で見つめたあと、ふっと表情を緩め、


「ふふふ、顔を上げてちょうだい。なんとまあ、民を大切にするヘンストリッジ家らしい言葉ね。わかったわ、その条件で募集をしてみましょう」


「ふん! あとは、うちの使用人は闘えなければならんぞ! いざとなったら領主一家とともに闘えること、これがヘンストリッジ家の採用基準の一つじゃからのう!」


 穏やかに了承してくれたエリーゼお婆様に、レイモンドお爺様がとんでもない注文を付けていたが、お父様が止めてくれていた。そのあとは、大人同士で侍女派遣の計画を詰め、そのお礼にヘンストリッジ家の騎士団の一部をシウヴァ家に派遣し、合同訓練を行う話をして、この日の面会は終わった。






「リタ、大丈夫かな? リタが嫌なことされないか、私は心配だな」


 シウヴァ夫妻を見送ったあと、自室に戻った私はリタにそう声をかけた。正直、私はこの優しくて、表裏の無いリタが好きで、家族以外なら一番信頼しているのだ。貴族出身の侍女とか、来てくれるのはありがたいけど、平民だからってリタをいじめたりしないか心配だった。もしそんなことになったら、シウヴァ家のお爺様とお婆様には申し訳ないけど絶対につまみ出そう、と固く決意していたが、


「ふふふ、お嬢様は心配しすぎでございます。あのシウヴァ侯爵様が直々にご紹介になるのです。紹介された方も、勤め先は上位貴族のご令嬢であり、次期辺境伯候補であり、女神ハルモニアの使徒なのです。そんな職場で、滅多なことはできませんよ。

 お嬢様は、私の心配よりも、ご自分の心配をなさいませ。きっと、一挙手一投足まで注意が飛んでくるでしょう。私たちが見ているのは、あくまでヘンストリッジ領で通用するかどうかですから……きっと、学ぶことがたくさんありますよ」


 リタがあっけらかんと言うのを聞きながら、私は納得すると同時に顔が青ざめていくのが分かった。確かに、やばいのは私の方だ。強ければなんとかなったヘンストリッジ家に、所謂本物の上位貴族の常識を教えに来る人がやってくるのだ。ありがたいけど、大変なことになりそうな気しかしない。


 人選と準備に一ヶ月ほどかかると言っていたお爺様だったが、今の私にはそれがまるで執行猶予のように感じられ、嬉しいはずなのにとても憂鬱な気持ちになってしまうのを抑えられずにいた。

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