第41話 それぞれの思惑 その1

「フランじいちゃ……じゃなかった、神官長。先ほどの件の書面ですが、国内全ての祈りの塔へ飛ばし終えました。返信期限は三週間後の今日にしてあります」



 ヘンストリッジ家が王都の祈りの塔を去った後、神官長フランチェスコは執務室へ戻り、神官見習いたちに手を借りながら、うず高く積まれた書類を一枚一枚処理していた。そこへ、先ほどまでフランチェスコを支えていた少年神官であり、彼の曾曾孫が息を切らせながら戻って来た。



「ふおっ、ふおっ、ふおっ。ご苦労じゃった、フランシス。まだ見習いを終えたばかりと言うのに、仕事をこんなに素早く一人前にこなして……子どもの成長は早いものじゃのう! 

 じゃが、フランじいちゃんはいかんな。それでは儂のことか、フランシスコかフランソワのことかわからんではないか! お前からすれば、みんなフランじいちゃんじゃからのう! ふおっ、ふおっ、ふおっ!」



 執務室の椅子に座ったまま顔を上げたフランチェスコは、曾曾孫の顔をいたずらっぽい笑顔で見て、独特な笑い声を上げながら返事をする。え、突っ込むところはそこなの? とでも言いたげなフランシスを他所に、フランチェスコはその表情をさっと真剣なものに変えて続けた。フランシスが戻ってきたことで、それまで手伝いをしていた見習いたちが退室していく。



「それで? 同じ白の魔力を持つ者として、お前は今日の件についてどう思った?」



「……私は……。いや、僕は貴族じゃないし、ほんのちょっとだけど、白の魔力しかないけれど、魔力があるだけマシだと思ってた。使い方だって、貴族院で習うことができないからどうせ使えないけど……それでもいいって」



 フランシスはフランチェスコと二人きりになったことを確認すると、執務机の前に立ったまま、言葉を崩してぽつりぽつりと話し始めた。



「でも、使徒様は僕と同じ白の魔力持ちなのに、まだ小さい子どもなのに神獣を扱ってた。グレゴリウスからの連絡には、使徒様は神官じゃないのに毎日神獣を使ってお勤めまでしてるって」



 フランチェスコは、椅子に腰かけたままうんうんと頷きながら曾曾孫の話を静かに聞いている。フランシスは話しながら段々俯いていたが、急に顔を上げると執務机を両手で叩いて身を乗り出しながら、



「フランじいちゃん、僕、悔しい! 白の魔力持ちにできることなんだったら、僕だってできるはず! 神官見習いとしてずっとここでお勤めをしてきたはずなのに、どうして! どうして……僕は神獣に気づかなかった? それとも、僕じゃだめなの? 

 ねえ、じいちゃん。僕だって……、僕だってハルモニア様の役に立ちたい! 使徒様と一緒に仕事がしたい! お願い、フランじいちゃん!」



 フランシスは真剣なまなざしで必死に訴えた。肩まで伸びたさらりとしたストレートの濃紺の髪が揺れ、若菜色の眼を潤ませている。フランチェスコは、彼の訴えに少し驚いた表情を浮かべたが、すぐに満面の笑顔になり、



「ふおっ、ふおっ、ふおっ! あの場ですぐにお前のことを言うのは憚られたが……儂の思っていた以上に、お前は神官としての適正があるのかもしれんのう! 

 今日の話にあった通り、白の魔力持ちの人数は使徒様に報告する予定じゃ。むろん、無理強いはなさらんとは思うが、少なくとも神官の中で一人は使徒様に協力できそうな者がおってよかったというものじゃ」



「え、じゃあ……?」



「儂の側人など、見習いを含めて誰でもできる。しかし、使徒様のお手伝いは限られた条件を満たす者だけじゃろう? しかも、ハルモニア様とこの国、そして世界のためなのじゃ。どちらが優先かなど、言わずとも知れたことだと思わんか?」



 期待に顔を輝かせるフランシスに、フランチェスコは穏やかに続ける。



「儂のことは心配いらん。それよりも、側人の仕事をこのひと月で何人かに引き継いでおくことじゃ。使徒様のお手伝いをするお前を途中で呼び戻したくないからな。ふおっ、ふおっ、ふおっ!」



「ありがとう、じいちゃん! 明日には、見習いも側人用の訓練でじいちゃんに付けるようにするね!」



 心底嬉しそうなフランシスの顔を優しい笑顔でフランチェスコは見守っていた。そして、フランシスははっと時計を確認し、次の仕事場へとフランチェスコを連れて行こうと神官長の側に寄り、彼を支えて立ち上がらせた。



「使徒様のお手伝いがどのような形になるかわからんが……もしもお前の手が空いたら、またこうして儂を助けておくれ。お前はよく気が付き、しっかりと周りを見ていてくれる。こうして安心して儂の身体を任せられるのは、本当は……お前くらいじゃからなあ……」



 「褒め言葉じゃぞ」と付け加えるフランチェスコに、フランシスはとても嬉しそうな顔で頷いた。そして彼に付き添って扉まで歩き、二人で執務室を後にした。








「おとーさま、おかえりなさいませ! きょうは、さいしょうのおしごと、はやくおわったのですか?」



 ソフィーたちが帰ったその日、夕日が沈む頃。王宮のすぐ近くにある大きな屋敷で、一人の女の子が使用人に囲まれ、母親に付き添われて父親を出迎えたところだった。



「おお、ドロッセル、ただいま帰ったぞ。いい子にしていたかい?」



 幼稚園児くらいの少女を抱き上げながら、父親が爽やかな笑顔で返す。少女は、「もちろんです!」と得意げに胸を張り、頭の左右で結んだ、きつくカールのかかったストロベリーブロンドの巻髪を揺らしている。そして、くりくりと丸くて大きな茶色の眼をさらにかっと開くと、



「そういえば、おとーさま! エティエロおうじとはおはなしできましたか? エティエロおうじは、おうさまになれそうですか? ドリーは、おうひさまになるならエティエロおうじがいいの!」



 ドロッセルは父親の腕の中でバタバタと両手両足を動かしながら、勢いよくまくしたてた。彼女の暴れ具合を見かねたドロッセルの専属侍女が、父親から彼女を受け取り、地面に静かに降ろす。しかし、ドロッセルはその大きな目で侍女をきっと睨みつけ、「気安く触らないで! この無礼者!」と侍女を思い切り突き飛ばした。侍女が床に倒れるのを横目で見つつも、何事もなかったかのように父親はドロッセルの目の前でかがみ、彼女の頭を撫でながら話を続けた。



「まあまあ、ドリー、落ち着きなさい。今朝、エティエロ王子に偶然お会いしたから、我がボールドウィン公爵家はあなたを応援していますとお伝えしておいたよ。これでよかったかい?」



「まあ! ありがとうございます、おとーさま! こうしゃくけってとってもえらいんでしょう? おとーさまがみかたなら、きっとエティエロおうじはつぎのおうさまです! そして、つぎのおうひさまはわたしなんでしょう? ねっ、おとーさま!」



「ああ。大公、公爵、侯爵家には、王子と年の近い女の子はいないからね。確か、ヘンストリッジ辺境伯爵家には、ドリーと同じ年齢の女の子がいたはずだけど……あそこはその子が跡取りだから、王妃にはならないはずだよ。ドリーが筆頭候補に間違いないさ」



 父親が娘ににっこりと笑いかけながら話すが、ドリーは「ヘンストリッジ?」としかめっ面で呟くと、



「おとーさまが、たたかいいがい、のうがないっていってたきぞく? おうひさまは、おバカにはつとまりません! ドリーはかしこいです! おうひさまにふさわしいです! もし、そのこがこうほになっても、ドリーはまけません!」



 父親が「ヘンストリッジ辺境伯爵家の子は王妃にならない」と何度言っても、自分以外の上級貴族の女の子の存在を初めて知ったドロッセルは聞く耳を持たず、怒りとライバル心をむき出しにした。そして、それまでは笑顔の中に困ったような表情を浮かべて様子を見ていた母親が、再度暴れだしそうになったドロッセルを他の侍女たちと数人がかりで回収し、「ダイニングに先に向かっております」と言い残して行ってしまった。



 父親は、尚も癇癪を起して暴れるドロッセルを無表情で見送ると、執事とともに自室へ戻った。






「全く。ドリーのやつ、一体どんな躾をしたらあんなじゃじゃ馬に育つんだ? 話は聞いていないし、暴れるし、猛獣もいいところだ!」



 現ボールドウィン公爵は、夕食のために自室で着替えながらぶつぶつ文句を言う。ドリーに見せていた表情とはがらりと変わり、自分以外のあらゆるものを見下したような、冷たく、そしてけだるげな表情を浮かべている。部屋には執事と身の回りの世話をする侍女の二人だけを残し、あとは人払いしてあるようだ。



「はあ、普段家にいない俺は、『ドリーに優しく、何でも願いを叶えてあげる優しいパパ』っていう役だって言ってんのに。おい、シーファ。ドリーを『ちゃんと人間にしろ』って教育係たちに伝えておけ」



 シーファと呼ばれた執事服の中年男性は、「かしこまりました」と言って礼をする。しかし、言うだけ言ってあとは興味ないと言わんばかりに彼に見向きもせず、ボールドウィン公爵は侍女に残りの身支度を整えさせながら大きな独り言を言い続ける。



「でも……まあ、あれくらいアホな方が『人形』としては使いやすいか。ドリーが、お茶会で罵倒してきたエティエロ王子をなぜ気に入ったのかと思ったが……まさかあの見た目に惚れたとはな。

 はははっ、あいつは見た目の美しさと血筋は一番だが、中身はからっぽの愚かな王子だ。……どちらも『俺のための人形』として相応しい」



 「ドリーの願いを叶えるのなんて、ついでだ」と続けながら、身支度を終えた公爵は姿見で身だしなみを確認し、部屋の扉に向かって歩き始めた。急に動き出した公爵に、執事と侍女が慌ててついて行く。



「さあ、レドニウス。俺がお前の最愛の妻の一人息子を踏み台にしたら、お前は一体どんな顔をするんだろうなあ?」



 低いどすの効いた声で呟くと、彼は扉の前で勢いよく後ろを振り返り、



「いいか、ここで聞いたことは他言無用だ。俺の可愛い人形にも、余計なこと吹き込むんじゃないぞ?」



 そして、にやりと黒い笑みを浮かべると、扉を開けて部屋の外に一歩出た。部屋から出た公爵の顔には、先ほどまでの爽やかで優し気な笑みが張り付いていた。








「ほほほ、それじゃあようやくソフィア嬢に会えたのかい。王子たちもその子と仲良く話をしていたとセバスから聞いているよ。よかったじゃあないか、レド」



 夜のとばりが降りた王宮のとある一室で、国王レドニウスは彼にそっくりの白髪の女性とワインを嗜んでいた。



「ええ、お婆様。あの子はとても興味深い。私の『予見の眼』をもってしても、未来の見えない子でした。こんなことは初めてですよ。彼女がどんな可能性を秘めているのか、気になって仕方ありません」



「余計なことはしてはいけないよ。お前の大好きなレイモンドに嫌われても、私は知らないからねえ」



 知性の女神メティスの加護で手に入れた『予見の眼』は、レドニウスが実際に目にした生き物の行く末を、映像として見ることができるものだ。予見は変わることもあるが、そもそも予見できないことがなかったレドニウスは、ソフィアに驚き、強い興味を持っていた。

 しかし、祖母に痛いところを突かれ、ぐっと歯噛みする。両親を既に失っているレドニウスにとって、祖母は子を持つ親や国を背負う国王という立場を忘れて話ができる、数少ない人物でもある。



「わかっていますよ。それで、今日はソフィア嬢のことをお聞きになりたいと私を呼び出されたのですか?」



 レドニウスは、人払いをした祖母の自室のソファーに身を預けながら、ワイングラスに入った赤ワインをほんの少し口に運ぶ。お婆様と呼ばれた女性も、その白髪から伺える年齢にはおよそ見えないほど、背筋がぴんと伸びた美しい姿勢と所作でワインを口に運んだ。



「そんなわけないだろう? ソフィア嬢のことなら、お前を呼ばなくてもあちらこちらから情報がやってくるさ。彼女は今や時の人。世界で初めてのハルモニア様の使徒で、且つ現役でお勤めをしている唯一の使徒だそうだからね。そりゃあもう、あちらこちらで貴族たちが彼女の噂をしているもの。

 今回は彼女のことじゃなくて、宰相ザカリーのことだよ。ボールドウィン公爵家の現当主でお前と幼馴染の」



「ああ、あいつがまた良からぬことを企んでいるでしょう? 大丈夫、『見えて』いますよ」



 祖母の言葉にかぶせるように、レドニウスが口を開く。「そうかい、さすがは予見の眼だねえ」と表情を緩める祖母を安心させる様に、彼は言葉を続けた。



「あいつは、仕事の能力は超一流なのですが、私のことが大嫌いですからね……私のことが絡むと本当に面倒なことばかり起こして。本当なら宰相を変えたいところですが、あいつほど、安定して高い質で素早く宰相の仕事をこなせそうな人材が今のところいないのです。まあ、他人から見えないところで、私だけが個人的に迷惑を被るだけならまだ我慢しますが……」



 ふう、とため息をつきながら手に持っていたグラスをテーブルに静かに置き、腕を組んだレドニウスがその金色の眼を細めながらにやりと笑みを浮かべる。



「私以外の人間を巻き込むなら、私だってあいつに容赦しませんから。フローラの一件で多少気を遣ってやっていますが、そこまで行けば話は別です。

 まあ、とりあえずしばらくは、様子見を兼ねてあいつに騙されたふりをしてやろうと思っています」



「はあ。私に言わせれば、お前もザカリーも子どもの時からちっとも変っていないよ。お前の方が、レイモンドに扱かれたおかげでちょっとましになった程度さ。

 いいかい? お前は世間じゃ賢王だなんて言われているようだけれど、この国の平和はお前ひとりで作ったわけじゃない。ということは、崩れた時にお前の力だけでは取り戻せないということでもある。

 ザカリーのことは一旦お前に任せるけれど……お前たちの私的な問題に、決してこの国や他の者たちを巻き込むんじゃないよ。特に、私の可愛い曾孫たちに何かあったらそれこそ許さないからね」



 いたずらっぽく笑うレドニウスに、いつものことだと呆れつつも彼の祖母は強く釘を刺しておくのは忘れない。その後もしばらく他愛のない話をしたあと、レドニウスは廊下で控えていた護衛とともに部屋を後にした。






 レドニウスを見送った後も、白髪の女性は優雅な仕草で、ワインを一人嗜んでいる。



「レドもザカリーも、昔は似た者同士、とても仲良かったのにねえ。ぶつかりながらも、二人で支えあってこの国を良くしたいって言っていたのに。まあ、それは表面上成し遂げているようにも見えるけれど……やっぱり、フローラを取り合ったのが良くなかったのか……」



 ため息をつきながらワイングラスをテーブルに置くと、彼女は革張りのソファーに深く座り直した。そして、しばらく目を閉じて何事かを考えるようなしぐさをしたあと、意を決したように目を開け、右手をパチンパチンと二度鳴らした。

 すると、灯りを幾分か暗くしてあった部屋のあちこちの陰から、紺色の長衣を纏い、様々な長さの黒髪に、顔には陶器のような素材でできた真っ白な楕円形の仮面を付けた、人のようなものが次々に浮き出てきた。その仮面には、艶のある黒文字でそれぞれギリシャ数字が書かれている。



「お前たち、仕事だよ。

 I、II、III、IV、Vはそれぞれ第1王子から第5王子までを陰の中から警護しなさい。VI、VII、VIIIは王宮の巡回、及び不審な人物や動きがあればその場で捕縛すること。IX、Xはレドの警護、XIは私の警護、XIIは自由に動いてIからXIまでの情報をまとめ、私に適宜報告しなさい。期間はまずは1年。途中で配置換えや期間を変えるときはXIIに連絡させよう」



 彼女の指示を聞き終わると、仮面の人型は黙ったまま一斉に恭しく頭を垂れ、そのまま元居た陰の中に吸い込まれるように消えていった。



「この国を、王子たちを守りたいのはお前だけじゃないんだよ。お前の『眼』を疑うわけじゃあないけれど……。もうとっくに引退した身でレドには悪いが、今回は私も手を出させてもらうよ」



 彼女はそう小さく呟くと、テーブルに飾られている男性が描かれた小さな姿画を手に取った。そして、「あなたとの約束ですからねえ」と微笑むと立ち上がり、姿画を置いて侍女を呼んだ。



 灯りに照らされた彼女の影は、わずかに紺色がかった黒色に変わっていた。

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