第21話 暴走の代償

「……あの、お父様にお母様、お爺様、あとグレゴリウスも。ハルモニア様なら、もうお帰りになられましたよ?」



 私は、この一面見渡す限り、誰もが土下座というか地面にひれ伏している状況が居たたまれず、椅子から降りてリュフトシュタインから離れた。そして、一番近くの最前列の席にいた両親とお爺様、そしてグレゴリウスに声をかけた……のだが。



 私の言葉を聞くや否や、その四人の中でいち早く、いや勢いよく顔を上げたグレゴリウスが、その両手で私の肩をがっしりとつかんで真剣な表情で問いただすように聞いてきた。



「ソフィア様! い、今、ハルモニア様とおっしゃいましたよね? 本当ですよね? やっぱり……あの神々しいお姿、目も眩むような輝き、あの美しい装飾の施された指揮杖……ああ、ああ、なんということでしょう! 神にお仕えする身として、叶うことなら生きているうちにいつかは、と思っていましたが……まさか、本当にハルモニア様のお姿を目にすることができる日が来るなんて……! ああ、なんという偶然! なんという幸運! なん……」



「……あの、グレゴリウス……?」



 グレゴリウスは、私の両肩を掴んでひとしきりぶんぶんと振ったあとは、その両手を広げて高く上げ、放っておいたらいつまでもいつまでも一人で喋っていそうな勢いでまくしたてていた。

 よほどハルモニア様に会えたのが嬉しかったのか、まるで好きな芸能人に会えた熱狂的なファンのようだ。おーい、グレゴリウス。そろそろ帰ってこーい。



「……あのね、みんなにハルモニア様から言われたことを伝えなくちゃいけないんだけど……」



 私は、両親とお爺様、それから、ハルモニア様の名前を聞いて素早く帰ってきたグレゴリウスの四人を見渡して話す。とりあえず、女神の使徒となったことと、そのお仕事として毎朝7時にどこの祈りの塔でもいいからこのリュフトシュタインをさっきみたいに演奏して、この世界の調和に協力することになったことを伝えた。



「なんと! これは一大事です! 女神の使徒が現れ、毎日祈りの塔でお勤めをするなんて! こうしてはいられません、今すぐ国内の全ての祈りの塔に連絡を入れなければ! 申し訳ありませんが、私はここで失礼させていただきます!」



 私の話を聞くと、すぐにグレゴリウスはこう言い残し、もはや領主夫妻も騎士団たちもまるで眼中に入っていないかのように、軽く礼だけして白い長衣をはためかせながら走り去ってしまった。

 私の話にも、グレゴリウスの様子にも呆気に取られていたヘンストリッジ家のみんなだったが、私はこれ以上人の注目を浴び続けているのが恥ずかしく、精神的にも辛かった。なので、詳しい話は屋敷に帰ってからすると伝え、半ば無理矢理祈りの塔からみんなを連れて出ることにした。



 









「さあ、ソフィー。屋敷に着いたわよ。……え? ちょっと、ソフィー! しっかりして!」



 祈りの塔を出たところで、ようやく遠い世界に意識を飛ばしていた両親やお爺様が戻ってきた。だが、戻ってきたところで、塔の前で長々説明なんてできない。だから中で話した通り、帰ってから説明すると言うと、そばにいたお母様が待ちきれないと言わんばかりに私を担いでひらりと馬に飛び乗り、そのまま騎馬を駆ってあっという間に屋敷に帰ってきた。



 突然馬を駆ったお母様に慌ててみんなが着いてきて、早く帰って来られたのはよかった。しかし、屋敷に到着して馬から降ろされた私は、目は開いたまま糸の切れた操り人形のようにぐしゃりと地面に崩れ落ちた。やっぱりもう限界だった。いや、思ったよりも持った方か。



「……大丈夫、です。リュフトシュタインに……魔力を、たくさん、食べられた……だけ、です」



 そう、そもそもリュフトシュタインを弾く前だって、大量に魔力を食われて立っているのがやっとなくらいだった。

 それなのに、楽器が弾けることで完全に暴走した私は、椅子に座って少し節約できた分を含めて、残った二割ほどのありったけの魔力を手足、特に手の指の身体強化に回し、無理矢理ソフィーの身体に言うことを聞かせて演奏したのだ。

 それでも、本来の自分の身体で弾く身体の感覚や演奏の質には到底及ばなかった。手の指なんて、打鍵の際に指の関節がぐにゃぐにゃしないように支えるので精一杯で、私に言わせれば弾くというより鍵盤を押しただけだ。

 しかし身体強化が無ければ、いくら私が頭の中でひゃっはーしたところで、鍵盤楽器の経験の無いソフィーの身体でいきなり演奏するなんて、絶対に不可能だった。



 魔力を全て使い切ったのか、いくら身体強化で身体を支えようとしても魔力に反応がない。完全にガス欠みたいだ。それに、なんだか眠たくなってきた。まだ、みんなに説明しなきゃいけないことがたくさん……



「なるほど、魔力切れだね。ソフィー、これを飲んで少し休むといい。説明なら落ち着いてからで大丈夫だから」



 地面に崩れ落ちた私を優しく抱き上げ、お父様が何か液体のようなものを私の口に流し込んでくる。ほんのり甘くて温かいそれを飲み干すと、すぐに身体の芯からぽかぽかしてきて、私の意識はあっという間に沈んでいった。











 夢も見ない、ソフィーにも会わないくらいにぐっすりと眠り、その後目が覚めると、私は自室のベッドの中にいた。そばにいたリタがすぐに私に気付き、「皆様をお呼びしますね」と言って部屋を出て行った。



 えっと……私は朝からみんなと一緒に祈りの塔に行って、そしたら壁に魔力を吸われて、その壁からパイプ…じゃなかった、リュフトシュタインが出てきて、それを夢中で弾いてたらハルモニア様が降りてきて、いつの間にか女神の使徒になってて……



 私はふう、と長く息吐いた。ため息をついたら幸せが逃げるよ、とか言うけど、ため息をつきたくもなるわ! ここ2週間せっかく平和に過ごしてたのに、なんでいきなり女神の使徒とかそんな物騒なものになっちゃってるのよ……女神ハルモニアのためならやるよ、やるけどさ。

 でも死にたくないから、王子の目に留まりそうな目立つことはできればやりたくない。ただでさえ呪いのことで既に目立っているかもしれないのに……女神の使徒とか絶対やばいでしょ。

 グレゴリウスのあの様子といい、もう王国全土に言いふらされてそうだもん。ああ、もうほんと目立たずひっそりと生きていたいのに!



 私は頭の中でぶつぶつ文句を言いながら身体強化を使い、身体を起こして手足をゆっくりと動かしてみる。うん、魔力は回復しているみたいだ。ちゃんと動く。でも、両手の指は無理矢理動かした影響が大きかったからか、どの指も腫れて、ちょっと突き指みたいになっている気がする。

 試しにちょっと指を動かしてみる。え? なにこれ、めっちゃ痛いじゃん! なんだか、指の筋肉とか筋とか関節とかひたすら痛めつけました、みたいな感じだ。回復した魔力で身体強化を強めてみる。いや、全然意味ない。ちょっと動くようになりそうな気配はあるけど、身体強化は痛めたところを治したり、痛みを取ってくれるわけじゃなみたいだ。



 演奏中はアドレナリン出まくりだったからか、ハルモニア様がいてそれどころじゃなかったからか、ここまで悲惨な状況になっていることに全く気付いていなかった。

 そりゃ、ソフィーの身体に無理をさせた自覚が少しはあるけど、私としてはあの曲も、ものすごくゆっくりなテンポにして弾いたし、負荷をかけないようにだいぶ手を抜いたつもりだった。それなのに、たった1回の暴走……いや演奏でこんなに痛めてしまうのか。

 ……明日から毎日2曲も弾くのにどうすんのよ、これ。ああ、一難去ってまた一難。

 ハルモニア様から一回引き受けたのに、今更身体痛めちゃうので弾けませんとか言えない。目の前に楽器があるのに、痛いから弾かないとか私にはできない。ああ、もうどうしたらいいのよ。ほんと辛い、ぐすん。



 魔力は回復したが、思った以上にボロボロになった身体を自覚して、勝手にショックを受けていたところで、リタが両親とお爺様を連れて戻ってきた。



「おお、ソフィー。無事に魔力は回復したか? さっきはいきなり倒れてびっくりしたぞ、けがはなかったかの?」



「もう起きても大丈夫なの? 眠ってから1時間も経ってないし、本当にちゃんと回復したの? 無理しちゃだめよ?」



 ベッドの中にいる私に、お爺様とお母様がほっとしたような、でも少し心配そうな様子で次々に声をかけてくる。リタはドアのそばに控え、お父様は二人の後ろで私の姿を微笑みながら見ている。



「魔力は大丈夫みたいです。お薬ありがとうございました。倒れたけがは擦り傷くらいです。でも、リュフトシュタインを無理して弾いたから、手の指が痛くて動かなくなってしまいました」



 私はそう言いながら両手をみんなに見せる。手の指が少し赤くなって腫れ、炎症を起こしているのがわかる。それを見たお母様が私の手にそっと触れ、



「ちょっと見せてね。まあ、あの大きな楽器を演奏するのはそんなに大変なのね、とても痛そうだわ。これなら……うーん、こんな感じでどうかしら? ソフィー、まだ痛いところある?」



 お母様の手が触れたところが淡く光り、私の身体が優しい光に包まれた。そして、その光が収まるころには、倒れて擦りむいたところも、ボロボロになって腫れた私の指も元に戻っていた。



「もしかして、これって『回復魔法』ですか? すごいです! ありがとうございます、お母様!」



「うふふ、どういたしまして。こう見えて、怪我に対する回復魔法は得意なのよ。生きてさえいれば大抵の怪我は治せるわ」



 おお、初めて間近で魔法を見た。すごい! 本当にあっという間に治った。確かにこんなのがあるんだったら、医療があんまり発達してないのも頷ける。だって、回復魔法の方が圧倒的に便利だもん。誰でも使えるわけじゃないんだろうけど。

 それに、お母様は結構凄腕の回復魔法の使い手らしい。怪力ハグで騎士万歳のイメージしかなかったから、意外だ。

 ただ、今後毎日ずっと治療してもらうわけにはいかない。一からソフィーの身体を演奏に耐えられるよう、早急に鍛えなければならないだろう。そんなことを考えながらお母様に改めてお礼を言った私は、3人に改めて今日のことを詳しく説明した。












「なるほど。あの壁から出てきたものはリュフトシュタインという神獣なのか。そして、あれをソフィーが毎日養って且つ演奏するのか……かなり大変な仕事だな」



「あら、すごいじゃない、女神の使徒だなんて! 他の神様の使徒は、今までにも存在したっていう記録は残っているみたいだけど、ハルモニア様は初めてなんじゃないかしら? とっても名誉なことだわ!」



「ふむ。さすがは儂の孫じゃな! アラン、ソフィーが女神の使徒となったこと、陛下へ速やかに報告をせねばならんぞ」



 一通り説明をする中で、なんでリュフトシュタインが弾けるのかとか、あの曲はどこで知ったのかとか、説明できない部分は全部ハルモニア様が教えてくれたことにした。お仕事がんばるんだから、それくらいは許してほしい。多少辻褄が合わないところがあったはずだが、誰も突っ込んでは来なかった。



 3人ともそれぞれの反応を示している中で、お爺様がとんでもなく余計なことをお父様に言った。うう、やっぱり報告しちゃうのか。そりゃしますよねえ……はあ、ますますあと2週間後に王宮に行くのが嫌になってしまう。



 王宮のことを考えて、一人で勝手に落ち込む私に気付いて励まそうとしたのか、お母様が思い出したように手を叩き、明るい声で言い出した。



「そういえば、ソフィー。今日のお昼はちょっと豪華にって、急遽料理長にお願いしたのよ! 疲れてお腹も減ったでしょう? これからみんなで食べにいきましょうよ。続きはランチをしなからでもいいじゃない?」



「おお、そうだったな! それに今さっき届いた、ソフィーに見せたいものもあるんだ。楽しみにしてておくれ」



 あれ? なぜか今日のランチはご馳走らしい。確かに、朝ごはんから何も食べてない。倒れて一時間弱くらい寝ていたみたいで、今は13時くらいだ。言われてみれば、お腹が空いた。

 せっかくソフィーに見せたいものもあるそうなので、爆睡中のソフィーに一応声をかけておく。







 私は返事の代わりに頷きつつ、回復した魔力を使って身体を支え、両親とお爺様に連れられて屋敷のダイニングに向かった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る