第255話 史実


「……おのれ!」


 これでも、剣速が足りないのか――!


 そうして11連撃目で、ケビンがとうとう、力んだ一撃を放つ。

 ラモは、それを見逃さなかった。


 ラモの姿が、突如として消え去る。


「なに!?」


 ケビンがぎょっとする。


 攻撃に意識が全て行ってしまい、相手の動きを感じとるのが遅れた。

 慌てて周囲を見回すが、どこにも見えない。


「どういうことだ……」


 ケビンの剣が、十一連で止まる。

 頭が真っ白になっていた。


重圧の害グラビティ・ハザード】は強力な引力をもたらし、相手の行動を大きく制限する。

 その影響下ならば、普通は回避どころか、首を回すこととて困難なはず。


 まさか姿を消しさるなど。

 いったいどうやって……。


「……こ、これは」


 そこで、はたと気づく。

 自分の剣に宿っていた光の球が、いつのまにかなくなっていることに。


 やられた、と思う間もなく。


「――終わりだ」


 ケビンの首にひんやりとしたものが当てられた。


「き、貴様……!」


 ケビンが歯をぎりっ、と鳴らした。

 もはやケビンは、身じろぎもさせてもらえない。


 そう、ラモはいつのまにかケビンの背後をとっていたのである。


 至極簡単な話であった。

 ラモはいつでもケビンの強化状態【重圧の害グラビティ・ハザード】を無効化できたのである。


「諦めろ」


 ラモはケビンを背後から押さえ込んだまま、右手の剣を叩き落とした。


 ケビンの手首は先程の取り回しで相応に負担がかかっており、たったそれだけのことに抵抗できなかった。


真実の剣ソード・オブ・ライト』がラモに蹴り飛ばされ、地面でくるくると回りながら、離れていく。


「くそっ」


 ケビンが聖職者らしからぬ様子で、つばを吐き捨てた。


 それを見て取ってか、やっと事態が飲み込めてきた観客たちが、ざわざわとし始める。




    ◇◆◇◆◇◆◇




「――ふざけるな!」


 ガシャーンという、陶器が石畳で派手に割れる音。

 教皇チャピンが手にあった甘酒を足元に叩きつけていた。


「おいお前、答えろ!」


 チャピンはすぐそばにいた大司祭の男に食ってかかる。


「史実では、シグムントは裏切り者にやられるのか」


「…………」


 チャピンの周りにいた誰もが、言葉に詰まる。


「答えろっつってんだよ!」


 チャピンがテーブルを蹴飛ばすと、その上にあった高級なグラスや皿が落ちて派手な音をたてた。


「……も、申し訳ございません!」


 大司祭の男は料理まみれの床に土下座しながら、必死に謝罪を繰り返す。


「地下聖堂で準備を始めるんだ! 僕がこの手でぶち殺してやる!」


 チャピンは顔を真っ赤にして、VIP席から出る。


「あの野郎……そしてあのエルフ女め、もう許さないぞ……!」


 怒りで顎を震わせながら、チャピンは地下への階段に早足で向かった。


「下手に出てりゃ調子に乗りやがって……」


 チャピンはかぶっていた『教皇の帽子』をむんず、と掴むと、壁に投げつけた。


 国を救ってほしいなら、まずそういった態度を示すべきである。


 楯突くなど、もってのほか。


「絶対に側室にして、足元に侍らせてやる……見てろよ」


 チャピンは短い脚を回すようにして、階下へと急ぐ。

 自分の機嫌を損ねて何もいいことはないのだということを、あの女に徹底的に教えてやらねばならない。




    ◇◆◇◆◇◆◇




 闘技場観客席では、誰もが唖然とした表情を浮かべていた。


「ま、負けた……?」


「正義の勇者様が……」


 ケビンの剣が遠くに蹴り飛ばされると、ところどころで始まっていたざわつきが、闘技場全体に広がった。


 そのざわめきが、今までと比較にならないほどに大きかったのは当然の結果といえよう。

 司会者が告げたシナリオで倒されるべき裏切り者が、正義の勇者を完封してしまったからである。


「………」


 当の司会者は唖然としたまま、すっかり言葉をなくしてしまっている。


 それだけに気づくことはなかった。

 自分のふりまいた言葉のせいで、ケビンではなく、ラモをいっそう引き立たせてしまったことに。


「お……おおぉぉ!?」


「す、すげーぞ!」


 俄然盛り上がったのは、レイシーヴァ王国の観客席。

 さきほどまで闘技場の空気に完全に呑まれていた彼らは、一転して熱狂し、総立ちになっていた。


「――ラァモ、ラァモ!」


 観客席からその名を連呼する、興奮した声が高なり始める。


「おのれぇぇ……!」


 ケビンが奥歯をぎりぎりと噛んだ。

 この盛り上がりが許せなかった。


 この『世界決闘大会』という場は、常に自分が主人公だった。

 過去を振り返っても、そうではなかった大会など、一度もないのだ。


「ハンクス様」


 そこで闘技場内にひとりの男が現れ、審判に駆け寄る。

 男は審判に耳打ちすると、すぐにそこから立ち去った。


「ダウン、離れて!」


 直後、審判の男が勝敗の決まったはずの二人に駆け寄った。


 そしてラモの肩を掴むと、ケビンから強引に引き剥がす。

 ケビンはとっさに片ひざをついて、ダウン状態を取っていた。


 ラモが指示された通りに離れると、審判の男は立ち上がったケビンに拾った剣を渡しながら、小声で何かを囁いた。


「…………」


 ケビンがわからぬほどに小さく頷く。


「おい、レイシーヴァ王国の男」


 次に審判の男はラモに近づいた。


「違反行為の疑いがある。両手を上げ、じっとしていろ」


 そう言うと、審判はラモの背後にまわる。

 ラモが眉をひそめながらも、言う通りに両手を上げた。


「さて、仕切り直しだ」


 そんなラモの正面では、ケビンが真実の剣ソード・オブ・ライトを構え、笑っていた。


「違う場所でな」


 そのケビンの言葉と同時に、ラモの胸の短剣が力強く輝き始めた。


 ラモの顔が険しくなる。


 ケビンがニヤリ、と笑った、次の瞬間。

 ラモとケビン、そして審判の男がその場から忽然と姿を消していた。




   ◇◆◇◆◇◆◇




「サクヤくん!?」


 観客席に座っていたアリアドネが、血相を変えて立ち上がった。

 内心の動揺を表すかのように、その銀色の髪が風でせわしなく揺れる。


 圧倒的な強さを見せつけ、優勢だったサクヤ。

 もう彼の勝利は揺るがないと、今の今までアリアドネは確信していた。


 しかし全てを覆す事態がおきた。

 審判がやってきて二人を引き離したあたりから、サクヤの胸の短剣が輝き出したのである。


 目を凝らすと、サクヤの顔は苦痛に歪み、みるみるうちに青ざめていくのがわかった。


 だが、この変化に気づいているのは自分だけだった。

 他の者たちは、そもそも短剣自体が最初から見えていない。


「――もうやめて!」


 アリアドネが悲痛な声で叫びながら、観客席の前方へと走り出す。


 戦いどころではない。

 胸の短剣が目覚め、深達し始めている。


(あの人の命が……!)


 アリアドネの胸で、心臓がどくん、どくんと跳ね始める。


 見ないようにしていた、最も恐れていたこと。

 それが今、起きようとしている。


「いや、サクヤくん!」


 失いたくないという気持ちが高まると同時に、様々な感情が彼女の心に溢れた。


 悲しさ、寂しさ、切なさ。

 そして、抑えていた愛。


 当然、指輪がそれを感知しないはずがなかった。

 それは急激に力を増し、彼女の右手の人差し指を締め付け始める。


 ギリリ、と指に食い込む指輪。

 つつつ、と彼女の指を伝って、血が流れ落ちる。


 しかしアリアドネはその激痛すらも忘れ、サクヤを想う。


「サクヤくん!」


 最前列まで来たアリアドネは、構わず柵から身を乗り出そうとする。


 サクヤが今、死に直面しているのは、紛れもない。

 自分が短剣を掴む方法を見つけられなかったせいなのだ。


 この身を盾にしてでも、戦いは止める。

 どんな罰を受けることになっても、構わなかった。


 だが、その時。

 動いたのは、対戦相手ではなかった。


 サクヤと対戦相手を引き離した審判の男。

 その男がラモの背後でニヤッと笑うと、懐に手を入れたのである。


 そして、光り輝くものを取り出した、と思うや。


「え……」


 アリアドネが絶句する。

 ラモが一瞬のうちに、審判とともに姿を消していたのだ。


「ど、どういう……こと……」


 アリアドネはまばたきも忘れ、呆然と立ち尽くす。


 観客席が再び騒然とし始める中、アリアドネははたと我に返り、頭を働かせる。


 このように一瞬で姿を消す方法を、自分はひとつだけ知っている。


『帰還』である。


 だが通常の帰還では、このようにまたたく間には発動しない。


「『祝福帰還』…………いや、違う……」


 言いながら、自分ですぐに首を横に振って思い直す。

 ただの『祝福帰還』のはずがない。


 ラモと審判に加え、相対していた対戦相手の男までもが、姿を消しているからだ。


 あれは領域エリアに作用する、超希少アイテム。


『領域祝福帰還』。


「まさか……そんなものを、今ここで……?」


 そこまで理解して、アリアドネは背中がぞわりとした。


 値がつけられないほどの超希少アイテムを審判役の男が持っていて、なんのためらいもなく使った。


 そう、これは彼らにとって、意図されていた流れなのだ。


「――皆さん、静粛に!」


 ざわざわとする観客席をなだめるように、司会の男が拡声水晶を通して叫ぶ。


「只今、状況を確認しますので、騒がずにその場でお待ち下さい――」


 ”我が信徒よ”


 その司会の声に重なって、アリアドネの頭には、いつぞやの声が響いていた。


 アリアドネが、はっとする。


 ”転移窓ゲートを開く。奴らを追うのだ”


 アリアドネにしか聞こえていないのは、周りを見れば明らかだった。


「……ヴィネガー様?」


 アリアドネが空を見上げる。


 ”急がねば、かの者は殺される。さあ、そなたの力で止めよ”


 その言葉と同時に、観客席の柵を越えた先の宙に、蒼色に輝く楕円形の転移窓ゲートが出現した。


 明らかに目を引く異様な輝きが現れても、やはり周囲の観客たちはなんの反応もない。


「サクヤくん!」


 アリアドネは迷わなかった。

 かつてないほどに締め上げる指輪の存在も忘れ、銀色の髪を振り乱して柵を乗り越え、現れた転移窓ゲートに向かって、飛ぶ。


 転移窓ゲートをくぐった瞬間、眩しくて目が開けていられなくなる。

 同時に、身体は温かいものに包まれた感じがした。


 彼女が吸い込まれた後、現れていた不思議な転移窓ゲート自体もかき消すように消え去った。



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