第246話 戻った従者たち
(サクヤ様……)
フィネスは自分の並んだ膝に視線を落とす。
フィネスは一抹の不安を拭いきれずにいた。
記憶を失っている間に、フローラこと、フローレンス王女と恋に落ちたりしていないだろうか、と。
フローラを助けるということは、そうなるということに他ならない。
レイシーヴァ王国では、とりわけ強い男性が好まれる国民性がある。
説明していたフローラ自身もそうであったことを、幼少からの付き合いがあったフィネスはよく知っている。
フローラは側室行きが決まってからは、毎晩血を吐くほどに苛まれていたという。
それほどの悩みを、サクヤが阻めば、どうか。
(……こんなの、考えるまでもないわ……)
フィネスがミニスカートの裾を、両手でぎゅ、と握った。
フローラが惚れ込まないはずがないのだ。
自身との結婚を心から望むに違いないし、それだけの英雄なら、王宮も力づくでそうしようとバックアップに動くことだろう。
「………」
すでに手遅れになっていないだろうか。
この会えなかった数ヶ月の間に……。
奥手な自分と違って、フローラは昔から異性に対して積極的に関わることのできる人物だった。
サクヤに惚れていれば、すでに心を打ち明けて、逆プロポーズまでしているかもしれない。
(サクヤ様……)
想えば想うほどに、不安は強まるばかりだった。
「フィネス様!」
そんな思考をカルディエの声が打ち破る。
「……は、はい?」
「渦が!」
カルディエが指をさして立ち上がる。
フィネスも思わず立ち上がっていた。
二つの風の魔法が、ラモの立っている場所を残忍に襲っていた。
サクヤの姿は砂塵にまかれ、すでに見えない。
◇◆◇◆◇◆◇
観客がどよめいている。
闘技スペースの大地から砂塵が撒き上げられ、観衆の視界を遮っていた。
「おい、どうなった」
「見えねぇぞ……」
レイシーヴァ王国の代表者を見ようと、誰もが前のめりになって闘技スペースを見下ろしていた。
やがて、ゆっくりと時間をかけて砂煙が晴れていく。
誰もがそのもどかしさに耐えながら、目を凝らし続ける。
そして。
「――おおぉ!」
レイシーヴァ王国の観客席から、力強い歓声が上がる。
ラモは悠然と立っていた。
無傷で、一歩も、動くことなく。
「どうして……」
ローレライが目を疑っている。
「初めて見ました。
ラモは嬉々として言った。
「……〈
ローレライは言葉が途切れ途切れになってしまう。
「ど、どうして平気で居られるの!」
半ば発狂気味に発せられたローレライの言葉に、ラモはあいまいに笑った。
説明するまでもないが、三体の大悪魔は今、完治した姿でラモに憑いている。
数ヶ月前の光の神の教会との戦いにおいて、彼らはその身に深い傷を負い、魔界の深部へと還った。
そして、日数をかけてじっとその身を癒やしていた。
それぞれが強い憎しみを全身から吐き出しながら。
最初に
そう。大悪魔たちは壮絶な憤怒で満たされている。
彼らは復讐をなさんとしてここに舞い戻り、今日という日に歓喜し、息巻いているのである。
精霊の王程度で、主を失わせるはずがなかった。
「まだやります?」
ラモは肩をすくめながら言った。
「くっ……」
ローレライがじり、と後ずさる。
彼女は彼女で、奥の手として水の上位精霊クラーケンを呼び出す術を残している。
しかしクラーケンは範囲攻撃に優れている精霊で、単体へのダメージ効果を見れば、さきほどのジンの〈
もちろん、目の前の男が属性【風】に対して特異耐性を持っていた可能性もあるが、この余裕ぶりを見ると、自分の考えはただの希望的観測にしか感じられない。
「………」
ローレライは小さく唇を噛む。
イザヴェル連合王国において、ローレライの名を知らぬ者はいない。
今まで強者と噂される者が居れば、一人残らず手合わせをし、その全てに勝利してきた。
相手がどんな武器を持ち、どのような名声を持っていようとも戦って勝利してきた。
ローレライにとって唯一の負けは、かつてこの大会の決勝で戦った、
だから、ローレライは今ここにある現実が信じられなかった。
――今まで名も知られていない一介の男に、なにもさせてもらえないなど。
「なら、剣で勝負よ」
ローレライは細身の剣を取り出すと、右手に持ち、半身に構えた。
彼女の手にあるのは、『水精霊のレイピア』という古代の剣である。
銀色の刀身は水色に輝く淡い光をまとっており、細く、先端は鋭く尖っている。
「あなたの武器は何?」
「一応、剣が好きです」
「出さないの?」
「うーん、構えたくないというか……」
「……呆れた。あなた、一国を背負ってるんでしょ?」
ローレライが言葉通りにため息をつく。
「そうですけど」
「なら全力を出しなさいよ」
「出してますよ。でも、武器はなくてもいいかな」
「ふぅん……」
ローレライが不敵に笑う。
「私は容赦はしないけど――!」
ローレライが跳んだ。
獲物に襲いかかる豹のような、敏捷な動き。
「やぁぁぁ――!」
ローレライはラモの直前でもう一度地を蹴ると、女性らしい柔らかさで体全体をバネにして、鋭い突きを放った。
それを、ラモは上半身だけを傾げて躱す。
「かかった!」
ローレライの顔に笑みが浮かぶ。
直後、彼女のレイピアが姿を変え、刃を剥き出しにする。
この剣は突きに特化しているように見せかけているところが曲者で、斬撃もたやすく成すのである。
「甘かったわね!」
ローレライが剣となったそれを握り直し、斬りかかる。
しかしラモは想像を越えた柔らかさで上半身を反らし、それを躱す。
「なっ!」
読みを覆されたのは、ローレライの方であった。
ラモの軟体ぶりは、まるでタコ。
「――の、逃さない!」
それでもローレライは剣の軌道を強引に変え、再びラモの胴を斬らんと振るう。
「終わりよ――」
ムキになったローレライは気づかなかった。
この時、自分の意識が攻撃だけに集中してしまっていたことに。
「――えっ!?」
ローレライの背筋が凍りついた。
剣はどうしようもなく、空を切る。
「………ど、どこに」
ラモが、視界から消えていたのだ。
あたりを見回せど、どこにもいない。
「いない……」
気配はおろか、音すらもない。
ただ自分の心臓だけが、どくん、どくんと跳ねている。
「こっちですよー」
「――きゃっ!」
突然背後から声をかけられ、ローレライは髪を振り乱してその場で跳ねた。
「……ど、どうやったの、今の」
跳び退いたローレライが、真っ青になった顔のまま、剣を構え直す。
「種明かしは試合の後でいいですか」
ラモは小さく肩をすくめた。
◇◆◇◆◇◆◇
「すごい……ラモくん……」
イシスはいつ立ち上がったのかも知らぬまま、闘技スペースで戦う男に、目を奪われていた。
胸の前で祈るように組まれた両手は、小刻みに震えている。
「……なんかさ、イシスの彼氏、ヤバくない?」
「うん、ヤバい」
「うちらでもわかるじゃん、ヤバすぎるって……」
その横では、イシスの姉たちが驚きを通り越した顔を見合わせている。
「……すごい……」
イシスは、ひたすら同じ言葉を繰り返すしかなかった。
その手に、紅芋を2つ握りしめながら。
アーノルドと戦っていたあの時も、あまりの強さに我を忘れて興奮した。
しかし今は舞台の大きさが違う。
相手は各国代表。
観客も大勢いて、応援の声の飛び交い方は想像を絶するほど。
自分ならこの空気にのまれて、動くことすらできないかもしれない。
なのに、ラモは自分たちのような素人でも理解できてしまうほどに、相手を翻弄している。
「かっこいい……ラモくん……」
そんなラモに、イシスはただただ、胸を熱くするだけだった。
隣で焼き芋を頬張って笑っていたラモくんが……。
こんな大舞台で戦えるほどの強者だったなんて。
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