第215話 魅せるルイーダ
先程までの扱いとは一転し、ラモにあてがわれたのは、王宮の
他国の王、もしくはそれに準ずる者が来訪した際に使用される客室である。
広々とした部屋が6つ連結し、すべてに意匠の凝らされた家具や調度品が置かれ、部屋のひとつはロンドの名の通り、舞いの見世物を行う広間になっている。
他、浴室には白大理石から削り出された大浴槽が併設、食堂には石焼、蒸し、
「サクヤ様。なさりたいことはございますか」
微笑を浮かべた二人の侍女が畏まりながら、右往左往するラモに声を掛ける。
この部屋には世話をする侍女が二名、常駐しているのである。
「ラモと呼んでください」
「承知いたしました。ではラモ様。なさりたいことはございますか」
「あー、お風呂に入りたいんですが」
「承知いたしました」
侍女が近寄り、両側からラモの服に手をかけた。
「じ、自分でやります! マジ大丈夫ですから!」
少年は侍女の手伝いを丁重に断り、這々の体で豪勢な浴室に逃げ込む。
「外でお待ち申し上げます。なお、本日のご夕食はささやかながら晩餐会となりますので、のちほどお迎えに上がらせて頂きます」
「わ、わかりました」
真反対の生活ばかりだったラモは、どうにもこの扱いに慣れなかった。
「入浴後のお召し物はこちらに置かせて頂きます」
侍女たちは遠くからそう付け加えて、下がっていった。
「ふぅ」
やり過ごし、安堵のため息をつくラモ。
足の裏に触れる、つるつるとした白大理石がヒンヤリとしている。
「さて……うわっ」
湯気で満ちた浴室内に目を向け、ラモは驚きに目を見開く。
見事な光景だった。
石壁に彫られたライオンの口から溢れ出す湯が大理石の道を流れ、浴槽に流れ込んでいる。
どうやら湯は濾過されて汲み上げられ、循環しているようだった。
大浴場としての設備ならまだしも、部屋に備え付きの浴室でここまで尽くすとはラモの想像を超えていた。
もちろん、賓客待遇に予算を割いてはいるものの、『死に体』と呼ばれるほどの国である。
ラモでなければ、この部屋での待遇は実現しなかった。
そう、フローレンスは全てをかけて、ラモ獲得に尽くしているのである。
「ふぅ」
体を洗い、ひとりで入るにはもったいないほどの大浴槽に浸かりながら、ラモは満足そうに笑みを浮かべた。
「ドブ掃除人にここまでしてくれるなんて……」
当のラモは、まだ勘違いしていた。
「違う。僕はそれだけのことをしたんだ……ドブ掃除界の快挙なんだ」
ラモは清々しい表情になり、遠くを見るように視線を移す。
「それにしても……」
ここまでして僕に頼むのだ。
王宮のドブ掃除は相当困難を極めるということに違いない。
誰も為し得なかったことを、僕は任されようとしているのだ。
「………」
ラモは湯船の中で、両手の拳を握りしめた。
――やってみせる。
そうやって浴室を満喫した後、用意された白シルクの衣服に袖を通し、浴室を出る。
「なんだか落ち着かないなぁ」
ラモは頬をぽりぽりと掻く。
イシスの家も大きくて広かったが、自分の居場所は決まっていた上に、やることをたくさん見つけられたので、今のような持て余した感覚はなかったのだ。
上質すぎる衣服に馴染めないまま、広い室内を無意味にうろうろし、最後はベッドの上にごろりと転がった。
「あーおなかすいたな……」
ぐぅぐぅと鳴り続けるおなかをなだめつつ、天蓋を眺める。
「楽しみだな……ささやかな晩餐って」
そんな事を考えながら、軽くうとうとし始めたところで、扉のノックの音に起こされた。
「ラモ様。晩餐の準備が整いました」
「あ、はい」
ラモは先程の侍女に従って、ヒンヤリとした空気の王宮内をてくてくと歩く。
しばし歩き、背丈の倍ほどもある観音開きの扉で立ち止まると、侍女がノックする。
「サクヤ様をお連れしました」
「入れ」
ギィィ、という音とともに扉が開けられると、そこには大きなシャンデリアが飾られた赤いカーペットの敷かれた大広間があった。
10メートル以上もある横長のテーブルに着席していた50人以上――いずれも国の重鎮と思われる――が一斉に立ち上がり、笑顔で拍手を始める。
「………」
とっさに愛想笑いを返すラモは、しかし青褪めていた。
いや、全然ささやかじゃない。
この国のドブ掃除人って、こんなにも地位が高いのか?
「サクヤ殿。こちらへ」
宝石を身に着け、エルフらしい耳をつんと立て、この上なく美しく着飾った王女フローレンスが微笑を浮かべながら、自身の向かいの席を手で指し示す。
ラモに用意されていたのは、王女の真向い。
「ささ、冷めぬうちに」
フローレンスの隣で同じように手を伸ばして着席を促すのは、先程の物騒な姿と異なり、ゆったりとした衣服に着替えたヘルデンである。
「わ、わかりました」
が、すぐに自分に言い聞かせ、毅然とした。
――臆してはならない。
自分は世界レベルの掃除人なのだから、と。
「失礼します」
ラモが席につく。
同時に並んだ豪勢な食事を目にして、とうとう感極まった。
実はこの数日は重労働に比して小さな弁当しか買えず、空腹を我慢し続けての日々だったのである。
「気に入っていただけると良いが」
フローレンスも着席し、二つ折りにしたナプキンを膝にかける。
「……これ、いただいて、いいので?」
ラモは潤んだ目のまま、目の前のフローレンス王女に訊ねる。
王女はその気持ちの全てを受け入れるように頷いた。
「先程の非礼を改めて詫びよう。代わりと言ってはなんだが、心ゆくまで召し上がってほしい」
フローレンスが洗練された笑みを見せるや、ラモは大きく口を開けた。
「えっ……」
「……は?」
周りに居た重鎮たちが目を見開く。
ラモは、逆流する滝のように食べ物を口に吸い込み始めたのだ。
熱い冷たい、液体固体関係なく、食べ物が次々とその口に舞い込む。
そして呼吸をするように、骨や串などがぷぷぷぷぷ、と吐き出され、皿に整然と並んでいく。
「………」
その嘘のような食べ方に、周りが絶句する。
開始数十秒で、ほとんどの皿から食べ物が消え去っていた。
「な、なんという大食漢……間に合わんぞ!」
ヘルデンがぎょっとしてフローレンスを見る。
フローレンスは侍女サリアから、目前の惨状の説明を受けていた。
「姫」
ヘルデンが問いかける。
もちろんそれは、国の食糧事情を鑑みてのことであった。
この晩餐は上辺だけ見れば豪勢なものだが、その実、痛々しいまでの空元気で執り行われているのだ。
「……構わぬ。ここは出し惜しみをするところではない」
フローレンスが追加の料理を出し続けるよう、許可をする。
「はっ。急ぎ料理の追加を手配してくれ」
頷いたヘルデンが脇に控えていたルイーダを呼びつけると、早口でそう告げた。
ルイーダはわかっていたかのように笑むと、いつものように「かしこまりました」と会釈して下がっていく。
そして。
「どうぞご遠慮なく」
信じられないことに、ほとんど待たずに侍女たちが別の料理を少年の前に次々と並べてみせた。
「おぉ……」
これには一同が安堵の表情になる。
ヘルデンも、脇で無関係の人のように控えているルイーダに、そっと親指を立てた。
客人を料理なしで待たせるなど、決してあってはならないことだからである。
「おお!」
新たな料理に、ラモが目の色を変える。
そして再び始まる吸い込み。
「――地下からミエチェとピクルスを。それからミカたちに寝かせてある子羊の肩肉を全部ソテーし始めるよう伝えて」
ルイーダが料理を並べて下がっていく侍女に駆け寄り、そっと伝える。
そうやって、負けじと出され、これでもかと並べられていく山盛りの料理。
「おおお!?」
また感激するラモ。
「………」
一方、ルイーダは鋭い眼光でラモの食への動きを観察する。
こうなると、他の誰も手出しができない。
ラモとルイーダの一騎打ちである。
「うまい!」
吸い込みながら歓喜するラモ。
しかし、味わっているようには到底見えない。
「ルイーダ……」
ラモに気圧されたヘルデンが若干不安げな表情になりながら、視線を向ける。
ルイーダはそれに、人気女将だった頃を彷彿とさせるような微笑を返した。
「――シチューを大皿で。その次は明日用に作っておいたトマトソース煮込みをお出しして」
ルイーダは、淡々と侍女に指示を続ける。
「おおおぉ!」
底なしのように出てくる料理に、重鎮たちが喝采を上げ始めた。
そして皆が確信し始める。
この勝負、ルイーダなら勝ってくれるかもしれない、と。
やがて。
「食べたぁー」
ストップがかかったのは、ラモであった。
椅子にもたれかかり、満足そうに天井を眺める。
「おお……」
「……終わった……」
どこからともなく拍手が起きた。
本当に、ルイーダが勝利したのだ。
拍手に包まれながら、ルイーダは例によって、無関係だったかのように立ち去っていく。
「ルイーダに褒美をとらせよ」
「承知しました」
安堵のため息をついたフローレンスが、ヘルデンに囁く。
ルイーダのもたらした勝利は、計り知れないほどに大きい。
ラモを満足させたことで、この重大な局面において、フローレンスは物が言いやすくなっているのである。
「ヘルデン」
フローレンスが始めるぞ、と合図をする。
「はっ。……ところで私を覚えておりませんかな? 以前、アリザベール湿地でお会いしておりますが」
口の周りがトマトソースだらけになっているラモに、まずヘルデンが切り出した。
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