第187話 ここは……?


 緩やかな朝の日差し。

 頭上で小鳥たちが競うようにチュンチュン、と啼いている。


「おまたせ」


 おろしたての冬服制服に袖を通した少年が、寮の玄関口で待っていた少女に駆け寄った。


「うん」


「ねぇ、いい加減元気出しなよ、お姉ちゃん」


 少年が、少女の背中を少々強めに叩いた。


「またあの人のこと、考えてたんでしょ」


「……うん」


 お姉ちゃんと呼ばれた銀髪の少女は、虚ろな目のまま、小さく頷いた。

 彼女はアリアドネであり、少年は弟のミロである。


「あの人はそんな簡単に死んだりなんかしないよ。僕を助けてくれた神様なんだよ」


「うん……そうだよね」


 アリアドネは弱々しくも同意する。


「魔王相手でも死ななかったくらいだものね」


 アリアドネは澄みきった晩秋の朝空を見上げ、 独り言のように言う。


「さ、行こうよ。 遅れたらリベル先生が一日中冷たいんだ」


 そう言って、ミロが歩き出す。

 そうね、と頷いたアリアドネが、弟に寄り添う。


 教師リベルは、ミロのクラスの担任である。


「お姉ちゃん、フラレた時はあんま気にしてなかったのに」


「ことの重大さが違うでしょ」


「僕ならいなくなるより、フラレる方が傷つくけどなぁ」


 歩きながら、ミロは近くにあった小石に歩みより、それを爪先で蹴った。

 小石は3度地面を跳ねて、植えてある木の根元にぶつかる。


「あれはね……たぶん心のどこかで、わかってたのよ」


 その小石を一緒に目で追いながら、アリアドネが小さく呟いた。


「なにを?」


「力で上回ろうと、あの人には敵わないんだなって」


 ふいにやってきた横風に銀髪をもてあそばれて、アリアドネは右手でそれをなだめた。


「あぁ、決勝で戦ったあの綺麗な女の人?」


 そう、とアリアドネが頷く。


「お姉ちゃんさ、押してばかりだからダメだったんじゃないの? こんなに美人なんだからさ、たまには引いたりしてみた方がよかったんじゃない?」


 その言葉に、アリアドネは顔に小さくだが、笑みを浮かべた。


「バカね。あたしは引いたらそのまま忘れられてしまうわ」


「そうかな……」


 そう言って、再び小石を蹴るミロ。

 小石は今度、全く違う方向に転がっていった。


「それに」


 アリアドネはそんな元気のあり余る弟が急に愛おしくなり、ミロの頭を撫でながら、口を開いた。


「あたし、そばにいられるなら、やっぱり二番目でもいい」


「え、いいの?」


「うん。いいの」


 アリアドネが柔らかく微笑む。


「………」


 ミロがはぁ、とため息をつく。


「お姉ちゃんのその考え方、イマイチわかんないんだよなー……」


「ミロもいつか理解できるわ」


「……え? そう?」


 ミロが目を丸くして訊ね返す。

 そんなミロを見て、アリアドネがくすっと笑った。


「うん。誰かを好きになりすぎたら、ね」


 おはよー、とアリアドネの同級生が挨拶をして、二人の横を駆け抜けていく。

 二人はおはよう、おはようございます、とその背中に声をかける。


「ふーん……ところでお姉ちゃんって、今日はいつもくらいに終わるの?」


「そうね……野外授業もないし」


 アリアドネが人差し指を顎に当てて、空を見上げる。


「じゃあ寮のロビーで待ってるから来てよ。たぶんミザル先生から『魔物発生学』の宿題が出るから」


「うん」


「『競争淘汰』のとこ、参考図書も借りられてて一人じゃ大変なんだよ……もうやめてほしいよ」


「あたしも自信ないから、一応スシャーナさんに聞いておくわね」


 そう言いながら、姉弟らしい二人は学園の校舎内へと入り、 靴を履き替えていった。




 ◇◇◇




「……おかしい……」


【解析】を使い終えた男は、不可解な表示に首を傾げていた。

 黒いスーツに赤と黒の派手なネクタイを締めた青髪の男が、生徒たちが通りすぎていく学園の玄関前に堂々と立っている。


 だが生徒たちは誰一人として、その姿に気づいていなかった。


「……なぜとうの昔に死んだ人間が、ここで……」


 ひとりは第四代勇者パーティの一員で、魔王に捕らえられ、殺害されているはずである。

 もうひとりは、不治の病で寝たきりのまま、それよりも前に死亡したはず。


 いずれも二百年以上前の死の宿命。


 なにゆえこの時代に、生きている?


「………」


 男は小声で詠唱し、別の魔法を完成させた。


 すると多岐にわたる人物が男の脳裏に鮮明に描かれ始めた。

 男はアリアドネとミロが残していった思念を探っているのである。


「こいつではない……」


 浮かんでは消え、浮かんでは消えていく人物を、男は丁寧に取捨選択していく。


 そして。


「……こいつですか」


 その中に、ひとりだけ毛並みの違う人物がいた。

 その男はアリアドネとミロの両方に関わっている。


「この男……」


 今、この時代を生きているはずの人間なのである。

 にもかかわらず、その人物は不可解にこの二人の過去に関わっている。


「まさか『時の旅』で二人の命を……いや」


 言いながら、男はありえませんね、と自分の考えを否定した。

 時間圧を回避する術は、現代においても発見されていないのである。


「だが、ならどうやって……」


 男が腕を組み、思案を始めた、その時であった。


「む!?」


 男の頭に警告が鳴り響いた。

 男ははっとして、なにもない背後を振り返る。


 設定しておいた人物に何者かが近づいた際、鳴るように仕掛けておいた警報魔法が作動したのである。


「――イシス!」


 とたんに険しい表情になった男は、近くにあった木の陰に飛び込んだ。




 ◇◇◇




「………」


「………!」


 誰かが僕を揺すっている。


「……ですか! しっかりしてください!」


 だんだん声がはっきりと耳に届き始めた。

 草の香りが鼻をついている。


 僕は目を開ける。


「……よかった! 大丈夫ですか。こんなところで倒れているから」


「………」


 霞んだ視界の中で、鳶色の瞳をした少女が、僕を覗き込んでいる。

 誰だろう、この人。


「はじめまして。私、イシスと言います!」


 僕の不思議そうな視線に気づいたのか、少女は笑顔で名を名乗ってくれた。


 十二歳くらいだろうか。

 瞳の赤よりややくすんだ赤茶色の髪を後ろで束ねている、まだ幼い少女だ。


 前髪はまっすぐ横に切り揃えられている。


 華奢で体は僕よりも小さいのに、背中には体に見合わない大きな籠を背負い、山菜や枯れ枝などが積まれているのが見える。


「ここは……」


 僕は上半身を起こし、あたりをきょろきょろと見回す。


 意識がだんだんはっきりしてきて、ここは森の中だ、ということに気づいた。

 でも、なんだかいろいろなことが思い出せない。


「話は後にして、ひとまず私の家に来てください。 もうすぐ暗くなるし、ここは危険な魔物がウロウロしているんです」


 少女が、僕に水袋を差し出しながら言った。


「ありがとう」


 水を目にして、自分は喉がカラカラだったことに気づく。

 ごくん、と飲んだ水は、すぐに体に染み込んでいく感じがした。


「立てますか? 怪我はありませんか」


 と、重そうな籠を背負いながら、肩を貸して支えてくれる。


「ありがとう」


 体を動かしてみて、軽いめまいと肩と腰に痛みがあったけど、動けないほどではなかった。


 僕はイシスという少女に支えられて、歩き始める。


(ところで、僕……?)


 あれ……俺、じゃなかったっけ?


 でもこの話し方、口が覚えてるんだよね……。


 森から出ると、空が赤紫に染まっていた。

 夕陽は間もなく終わり、もうすぐ暗くなる。


 いったい何日、僕はここに倒れていたんだろう。

 倒れた時のことも、その前のことも思い出せない。


「通りすがりに、ここから倒れているのが見えて」


 そんなふうに考え込む僕の横でイシスが振り返り、森の中を指差した。


「怖かったけど助けに来てよかったです」


 そう言って微笑んでくれる。

 幸いにも僕が倒れていたのは、森の入り口から見える位置だった。


 さらに言えば、彼女は危険を承知で森に入り、僕を起こしに来てくれたということになる。


「ありがとう。命の恩人だ」


「いいんです」


「大丈夫そうだ、ひとりで歩けるよ」


 僕はイシスから離れて、一人で立ってみる。

 めまいはまだ消えないが、倒れるほどではない。


 それを見たイシスが、よかった、と笑ってくれる。


「ところで、名前はなんておっしゃるんですか」


「……名前? うーん……」


 なんだっけ……。

 僕の名前って……。


 やばい、こんなことすら思い出せない。


「あの……?」


 イシスが丸い目で僕を覗き込むように見ている。


「自分の名前、思い出せなくて」


「え!? もしかして記憶喪失ですか!?」


 イシスが本当にあるんだ、と目を丸くしている。


「そうなるかも」


 まさか我が身に起こるとは。


 なんだっけ、名前……。

 なんとなく、「ら」がついた気がするんだけど……。


「ラマ……」


「ラマ?」


「いや、ラモだったかな」


 なんとなく、本当になんとなくだけど、しっくり来る気がする。

 とりあえずこれでいいや。


「はい、わかりました。ラモさんですね」


「うん……あ」


 そこで僕の鼻は、風にのってきたかすかな体臭を捉えた。


 イシスの肩越しに、さっきまでいた森の中に目を向ける。

 そこで何かが動くのを目にした。


「ゴブリン……」


 そんな言葉が僕の口をついて出る。


 たまたま口が勝手に紡いだから言えたけど、思い出して言ってみろと言われたら、できなかったかもしれない。


「え!?」


 その名前に反応して、イシスがぎょっとする。


「ど、どこに!?」


 イシスが僕の右腕にしがみつきながら、あたふたし始める。


「あそこ。ゴブリンで合ってる?」


 さっきまで僕たちの居た場所あたりに、四、五体のそれが草陰から姿を現している。

 まだこちらには気づいていないように見えた。


「は、早く……!」


 イシスが言葉も満足に発せられなくなりながら、僕の手を引っ張った。


「逃げっ、逃げ……!」


「逃げるの?」


 訊ねると、イシスは血の気の引いた顔で、こくこくと何度も頷いた。


 そっか、逃げた方がいいのか……魔物だもんね。

 いまいち危機感を感じないのは、頭がどうかしているせいかな。


 僕はイシスの背中の籠を代わりに背負うと、ふたりで一目散にその場から逃げ出した。



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