第七部

第186話 プロローグ


「――おい、誰かが死んでるぞ!」


「クソ、賊のやつら、とうとうここまで来たのか」


 村人たちが手に思い思いの武器を持ち、草露にまみれながら、叫び声のあった方へと走る。


 ところどころに朝靄が残るものの、晴れ渡った早朝。

 村人たちは険しい表情で、今日も各村の周囲の見回りをしていた。


 辺境ゆえに平和だったこの近辺は、最近手のひらを返したように物騒になっていた。

 離れた街道沿いに潜んでいた山賊たちが夜盗と化して、この近辺にやってきては、人を襲うようになっていたのである。


 だがこの周辺の村落には、冒険者を雇う金銭的余裕はなかった。

 いや、この国の中で、そんなことができる村などごく少数に違いない。


 そうと知っているから、夜盗が蔓延る。


 村人たちにできることはせいぜい王国に困窮を訴える手紙を書くくらいだが、そもそもその手紙を預かる馬車が往来しない。


 結局、周囲の村々で相談した結果、協力して自警団をつくり、こうやって見回りをすることになった。


 今年21歳になったエミリーも、持ち前の正義感からクワを片手にその列に加わっている。


(知らない人だったらいい)


 エミリーにとって、病死以外の亡骸と対面するのは初めてのことだった。


 この付近で殺されたとしたら、きっと同じ村の人だろう。

 だとすると今回が、この村からの初めての犠牲者となる。


(痛かっただろう)


 せめて自分たちがきちんと弔ってあげないと、とエミリーは固く決意する。


「もう少しだ」


「そこの右側、ぬかるんでいる中にヒルが居るから気をつけろ」


 自警団の者たちが夜露に濡れた草をかき分け、びしょ濡れになりながら進む。

 今日は思っていたより、足が冷たくない理由は不明だったけれど、エミリーにとってはありがたかった。


(でも……)


 歩きながら、エミリーは思案していた。


 なぜ夜中に出歩いたのだろうと思う。

「賊が現れているから夜は絶対に出歩くな」と、村長からあれほど注意されていたのに。


「………」


 しかしそういう自分も実は昨晩、月を見ながら帰ってきたクチである。

 もちろんそんな非常識な時間ではないが。


「うふ」


 思い出して、頬が熱くなる。

 首にかけた碧と白のネックレスを、指先で遊んだ。


 自衛団で周囲の村々の交流が増えたおかげで、エミリーは隣村で愛しい男性を見つけることができていたのだ。


「あぁ、ひどい……」


「……この傷、山賊じゃないぞ」


「若い女か、誰だ」


 皆が倒れた人の周りを囲んでいる。


(若い……?)


 エミリーははて、と思う。

 予想していたのは、最近行方の知れなくなっていた2つ隣の家のお婆さんだった。


 だとしたら、西の村の聞き分けのない栗毛のあの子だろうか。

 それとも朝早くに山菜をとる北の村の……。


「襲ったのは山賊じゃなくて、ただの狼だろうさ。ここに咬創もある」


「それにしては全然食い荒らした様子がないぞ」


 誰かが反論する。

 確かに狼ならよほどのことがない限り、腹を肥やすまで獲物から離れないはずだ。


「ふーむ。よくわからないな……」


「ともかく移そう。みんな手伝ってくれ。狼たちが戻って来ないうちに村に運ぶ」


 自警団のリーダーの男が、周りの者達に声をかけた。

 エミリーも手伝おうと、亡骸と対面する覚悟を決め、思いきって人垣の前に顔を出す。


 そうやって目を向けた亡骸。


「………」


 エミリーが硬直する。

 そのまま、亡骸から目を離せなくなった。


「――ひっ!」


 エミリーは仰け反りながら、後ろに倒れ込んだ。

 倒れた血まみれの亡骸は、確かにまだ若い女性。


 よく知っている顔。

 その首には、 ネックレスが強引に奪い去られた跡があった。


「……どう……して」


 そう、目を開けたまま事切れていたのは、エミリーだった。


 はっとして回りを見る。


 そこで気づく。

 声をあげたのに、誰も、今の自分を見ていない。


 まるで、存在していないかのように。


 来た時から無視されているような気がしていたのは、ただの気のせいではなくて……。


「――失礼」


 言葉を失い、座り込んでいるエミリーの横に、誰かが立っていた。


「エミリー・クリストファー21歳。死亡日時は昨日の21時18分。死因は咬創からの出血」


 エミリーがはっとして、そちらを見る。


 そこには黒いスーツを着て、赤と黒のネクタイまで締めた青い髪の男が立っていた。


 目はぎょろっとし、頬骨の出た、特別魅力的に見えない顔立ちだが、衣服のせいか端正に見える。


「エミリー・クリストファーはあなたですね?」


 男は無表情のまま、静かに言った。


「………」


 エミリーはなんとか頷く。


「死後の水先を案内しますノットです。私が来たからにはもう心配ありません。さ、こちらへ」


 ノットと名乗った男がエミリーの背中に手を添え、立たせる。


「あ、あの……」


「ご安心下さい。今、他の人間には私やあなたの姿は見えませんし、声も届きません。認知できるのは死んだ者だけです」


 その言葉に、エミリーが涙目になった。


「私……本当に……?」


「はい、間違いありません」


 ノットは無表情で頷いた。


「いつ……ど、どうして……私、全然覚えてない……」


 エミリーは顎を震わせる。


「あなたは清く正しく生きてこられた。だから覚えていないんです」


 ノットがクスリとも笑わない横顔を見せるようにしたまま、静かに告げる。


「……え?」


「随分と時間が経ってしまったので、詳しい話は向こう・・・でさせてください。さ、参りましょう。温かい晩餐を用意してあります」


 ノットはエミリーの背中を押すようにして、歩みを進めようとする。

 だがエミリーはどうしても納得がいかず、ノットの手を払い除けた。


「こ、ここに残ったらどうなるの」


「………」


 ノットは打たれた手をさすりながら、エミリーを見る。


「私、この世界に残る。この状態で居られるんでしょ?」


 何ら変わりない自分がここに在るだけに、エミリーは死んだということがなかなか実感できなかったのだ。


「そうでもありません」


「な、何が起きるっていうの」


 強気に物を言うエミリーを、ノットは無表情で見つめた。


「留まれば、天国からも地獄からも見放され、悲しみに囚われた魔物と化すでしょう」


「……えっ……」


 エミリーが唖然とする。

 そう、それは巷で知られる『悲哀の幽女バンシー』と呼ばれる魔物を意味していた。


「私も二度と迎えに来ません。次に迎えに来る者がいるとしたら、恐ろしく格下の者になります」


「……格下?」


「はい。せっかく良い人生を送られたのに、オススメしませんよ」


「……わ、わかった……わかったわよ」


 その言葉でエミリーはようやくノットに従う気になった。


「さ、行きましょう」


「ま、待って! 最後に……せめてショーンにお別れを」


 エミリーが涙ながらに懇願する。

 ショーンとはもちろん、エミリーが愛し合っていた男性のことであった。


 だがノットは顔色を変えず、ただ首を横に振る。


「それに関しても心配ありません。その時間は後で必ず与えられます」


「えっ……」


「さぁ、行きましょう。ここはもはや、あなたにとって居ていい場所ではないんです」


「せ、説明してよ」


「だから、その時間すらないんですよ」


「もう……なんなのよ」


 ノットの強引な案内のもと、エミリーはとうとう他の村人たちから離れた。


「――!」


 その刹那だった。

 ノットが険しい表情になり、後ろを振り返る。


「――くそ、囲まれたぞぉ!」


「ガルル……」


 エミリーも目を見開いていた。


 なんと、自警団の者たちが襲われ始めたのである。

 狙っていたかのように茂みの中から現れた狼たちの数、三〇体以上。


「びびるな! 所詮下等種だ! 威嚇し返せ!」


 リーダーの男が叫んだ通り、狼は「ダイアーウルフ」と呼ばれる下等種であった。

 村人たちが力を合わせれば追い返せる程度の魔物であり、数が多くともそれほど恐れることはない。


 だが。


 エミリーたちの立っていた場所からは、見えていた。

 狼たちの背後に、目を疑う存在が居たのを。


「……あんまり派手にやるなよ。本番は今夜なんだからよ」


「わかってますって。キラーウルフは出しませんぜぇ、アニキ」


 エミリーは背筋がぞわりとしていた。

 そこには薄汚れた格好の男たちが三人もいたのだ。


「……さ、山賊だわ……!」


 こんな村のそばにまで、山賊が来ている。

 そう、ここにいるウルフは全て、彼らに使役されているということである。


 そう知った瞬間、エミリーの頭の中で、さっきの謎が氷解していた。


 ――自分の亡骸が、食い荒らされずに残っていた理由。


 もし狼だけなら、そうはいかないはずなのだ。


 考えれば、剥ぎ取られたネックレスだってそうだ。

 このネックレスに狼が興味を示すはずがない。


(自分は山賊に殺されたのだ……)


 だが自警団の皆は、まだそれに気づいていない。

 手がかりとなるエミリーのネックレスの存在自体、そもそも誰も知らない。


「誰も気づいていないわ……どうしよう」


 エミリーは死んでいるのに、顔から血の気が引いていくのがわかった。

 狼だけだと思ってこのまま戦えば、絶対に犠牲者が出る。


 それだけでは済まないだろう。

 のちには、手薄になった村も襲撃を受ける。


 この山賊はキラーウルフを使役できるようなことを言っていた。

『人喰い狼』と言われるキラーウルフが出てきたら、うちの村では誰も……。


 エミリーは隣に立つ男の腕を掴み、すがった。


「ノット、お願い。村の人達を――」


「――それは掟破りです」


 全てを聞く前に、ノットは振り返りもせずに拒絶した。


「あなたなら助けられるんでしょ!」


「………」


 ノットはそれについては否定しなかった。


「ねぇ、ノット!」


「私はただの水先案内人。人の生死には関わることができません」


「お願いっ、私はどうなってもいいから! 地獄に堕ちたっていい! みんなを助けてあげてよ!」


 エミリーが泣き叫ぶ。


「………」


 ノットが無言のまま、エミリーの顔を振り返る。


「ねぇ! 私のせいでみんなが死んじゃうの! お願いだから、助けてよ!」


「………」


 ノットは小さくため息をついた。


「できるんでしょ! お願い――!」


「目を閉じていなさい」


「……えっ……」


 エミリーがはっとする。


「――早く。見てはならぬものが来ます」


 ノットの声が、研ぎ澄まされていた。


 エミリーが固く目を瞑ったのを確認し、ノットは懐から白く細長いものを取り出した。


「……まぁ『掟破り』は一回も二回も同じですか」


 そう独り言を呟くや、ノットはそれを口に当て、素早く吹いた。

 ピロロ………という、場にそぐわない澄んだ音色が、辺りに響く。


 ノットの手にあるのは、横笛である。

 しかし、ただの笛ではない。


 古代龍種エンシェントドラゴンの牙を削って作られた、『龍牙笛・不帰かえらず』。


 死を喚ぶ笛である。


 ――刹那。


「キィーッヒッヒッヒ!」


 何も知らずにふんぞり返っている山賊たちの頭上に、笑い声とともにぬっ、と現れる三つの大鎌デスサイズ


 現れたのは、骸骨の顔を漆黒のフードの奥から覗かせる不気味な存在。


 死神が三体であった。

 その手の大鎌デスサイズがゆっくりと持ち上げられた。


 そして。


 ――ヒュン。


 三つの首が、ごろりと地を転がる。


「――ひぃ!?」


 また尻餅をつきそうになったエミリーを、ノットは慣れた様子で支える。


「見てはならぬと言ったでしょう」


 ノットはやれやれ、とため息をつく。


「エミリー。どうか他言は無用に」


「あ、ありがとうノット」


 エミリーは支えてくれたノットにしがみつくようにして、その頬にキスをした。

 ノットはぽりぽり、と反対の頬を掻く。


「さ、こちらです」


 笛を仕舞い、ネクタイを直したノットは何事もなかったように、エミリーをエスコートして再び歩き始めた。

 彼らの歩く先には、いつのまにか緩やかな大河が現れていた。


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