第167話 連合学園祭2-8


「甘いわねぇ」


 飛び出したすぐ左横に、木剣を持ったまま腕を組んだヴェネットが立っていたのだ。

 ヴェネットが腕を解き、研ぎ澄まされた表情になると、一気にヤスさんに斬りかかる。


「――し、【集約】!」


「なにっ」


 直後、マリリンさんの【集約】が放たれた。

 彼女のこのスキルは無詠唱で発動でき、相手の虚をつくことができるのだ。


「……な、なによ、これぇ!?」


 ヴェネットは壁に張り付いた魔法の玉の力に囚われ、後方の壁際に引っ張られて、見事にヤスさんから引き剥がされた。


「――おおぉ!?」


「お見事っ!」


「ナイスだ!」


 先生方が立ち上がって歓喜する。


 僕も拍手していた。


 僕ならこの第三の待機スペースに放っただろうな、と思う。

 ここの無関係なみんなを巻き込んででも、ヴェネットを場外に引っ張り出すことができたからだ。


 だが奥の手を後先の迷いなく放ったところは素晴らしい。

 こういう思い切った判断は、できる人とできない人がいる。


 ヤスさんのピンチを救っただけでも、上出来といえよう。


「おのれっ」


 移動不能となったヴェネットが、初めて余裕をなくした顔になる。


「今よっ、ヤス!」


 マリリンさんが叫びながら、彼女自身もその拳で、横からヴェネットに殴りかかる。


 バキッと音をたてて、ヴェネットの頬をマリリンさんの拳が捉え、ヴェネットの頭が反った。


「おおぉ――!」


 やられっぱなしだっただけに、このスカッとさせられる一撃に第三学園の観客席が沸き立った。


「よっしゃ、くらえぇぇ――!」


 続けてヤスさんが鍬を持って襲いかかる。


 フユナ先輩は玉に自身も引き付けられるリスクを警戒しているのか、動かずにいる。


「ヤース、ヤース!」


「マリリン、マリリン!」


 テンションの上がった第三学園の観客席から、名を呼ぶ応援が始まった。


(今しかないな)


 僕は一歩下がり、踵を返した。

 早くしないと手遅れになる。


「先生、中堅のお二人が遅いので、僕もトイレを見てきますよ」


「お? おぉ、頼む」


 今のうちにトイレから出られなくなっている中堅の二人に接触して治癒してくるのだ。




 ◇◇◇ 




「腰抜けがー!」


「正々堂々と戦えー!」


「お前みたいなやつ、負けて当然だぁぁ!」


 闘技場は立ち去った時とは一転、罵声が飛び交っている。

 帰ってきてみると、フユナ先輩とヴェネットが、背を向けて逃げるヤスさんを追いかけ回している。


 マリリンさんにいたっては、すでに闘技場にいなかった。


「なんてことだ……もう副将までも倒されそうじゃないか……」


 僕と一緒に戻ってきたリベル先生が、その光景を目にしてショックを受けている。

 帰ってきた僕たちに気づいたゴクドゥー先生は、厳しい表情で首を横に振った。


「……あの野郎、非難を覚悟で時間を稼ごうとしてやがる……」


 ゴクドゥー先生がその声を詰まらせた。


 あの後、魔法の玉に囚われたヴェネットを二人がかりで始末に行ったが、魔法の効果を見定めたフユナ先輩が動き、妨害されたらしい。


 身動きできないヴェネットを一方的に攻撃できた、またとないチャンスだったが、そのせいで完全にタイミングを逸したという。


 その後は自由になったヴェネットが加わり、2対2。


 そうなると当然、劣勢は否めなかった。

 相手は最強剣の継承者とそれを争った者だ。


 ヤスさんの【鍬術】は変則的でフユナ先輩を苦しめたらしいが、マリリンさんの武術は一般的なものに毛が生えた程度のもので、ヴェネットにはほとんど通じなかった。


 それでも、2回目の【集約】をなんとか放つことができたという。

 だが、これは撃たされたというべきものだった。


 見事に看破されて躱された後は、「お返し」とヴェネットにスキル後硬直を狙われ、マリリンさんが倒された。


 その後はヤスさんが吼えながら鍬を振り回して牽制し、頑張ってくれていたらしい。

 だがあのフユナ先輩とヴェネットを前に、一人で戦えるはずがない。


 だから今、恥も外聞もなく逃げ回って、時間を稼いでいる。


 仲間の参加を確実なものにするために。

 少なくとも僕と先生たちはそう思っていた。




 ◇◇◇




「男のくせに逃げ回るとか最低じゃん」


 ヴェネットがイライラした様子で、ヤスの背中に向かってなじる。


「関係ねぇんだよ」


 ヤスはスキル【短距離移動ブリンク】と【急加速スピードブースト】を使い、小刻みな移動を繰り返して二人から巧妙に逃げて回っていた。


短距離移動ブリンク】は五メートルほどの距離をほぼ瞬間移動するものであり、【急加速スピードブースト】は三秒間移動速度を瞬間的に三倍まで引き上げるものである。


 いずれも七秒おきに使用可能であり、逃げに特化するとさらに厄介で、フユナとヴェネットは完全に翻弄されていた。


「面白い職業だ。剣が当たらないとは」


 追いかけながらフユナが感心する。


「あんた、ここにいったい何しに来たの」


 捉えられない悔しさを誤魔化すかのように、ヴェネットもあざ笑う。


「この罵声が聞こえないとか、どんだけなの」


「そうやって笑っていられるのも今のうちだぜ」


 ヤスは 【短距離移動ブリンク】をしながら告げた。


「俺を倒せたとしても、後にはとんでもない奴が待っている」


「……なに」


 フユナが手を止め、急に真顔になった。


「俺はこうやって、そいつの心が始動するのを待っているのさ」


「はぁ? これなんの話」


 ヴェネットが意味分かんない、とその顔を不快そうに歪めた。

 だがヤスの口は止まらない。


「あいつが動いたら、お前らは誰一人として勝てない」


「誰のことを言っている」


 フユナはヤスの話を聞き流すことができなかった。


「フユナ、お前にわからないはずがないだろう」


 ヤスが【急加速スピードブースト】をかけながら、ニヤリとした。


「お前が唯一、第三学園で勝てない奴だぜ」


 ヤスがヴェネットの間合いから逃げ去る。


 ヤスは今、ハッタリをかましているのではない。

 決して根拠もなく言っているのでもない。


 そう、第三学園の中で、ヤスだけは特別だったのだ。




 ◇◇◇




「そっちはどうだった」


 ゴクドゥー先生がヤスさんを目で追いかけながら、僕に問いかける。

 僕が答える前に、リベル先生が険しい表情で首を横に振った。


「だめだ……あの子達、トイレから出てこれないと言ってる」


 リベル先生が困惑した表情を浮かべていた。


 僕も〈疾病退散〉をかけようと思ったが、ふたりはトイレにこもったまま、どうにも姿を見せてくれなかった。

 この魔法の類は病を持つ者に直接触れる必要があるのだ。


「テレサ先生なら、なんとかできるだろうか」


 回復学のテレサ先生は、まだルイーズたちの治療にあたっているようで、こちらに戻ってきていなかった。


「無理だと思いますね」


 ゴクドゥー先生の言葉に、リベル先生は即座に首を横に振った。


 その言葉に嘘はない。

 光の神ラーズの信徒には、〈疾病治癒〉の魔法はないのだ。


 病は休息をせねばならない体に訪れると説き、取り去っていい病など何一つないとしている。


 そのため、ラーズを国教としているセントイーリカ市国の民が病に困った際には、ひっそりと出国して隣国の他の神殿に駆け込むのが裏の慣習となっている。


「どうにもならんか……」


 ゴクドゥー先生が口の両横に手を当て、意を決したように叫ぶ。


「――ヤスぅ! もういい!」


 逃げ回るヤスさんが、肩をぴくりとさせたのが僕にはわかった。


「ヤスぅ!」


「――まだです!」


 ヤスさんが叫び返した。


「無理しなくていい! あいつらは戻ってこないんだ!」


「ヤスくん、もういいのぉ――!」


 ゴクドゥー先生に続き、マチコ先生も声の限りに叫んだ。


 ――しかし。


「――俺はそれを待っているんじゃない!」


 ヤスさんが叫んだ。

 そしてこちらへと視線を向ける。


「……ヤスさん……」


 僕はそれ以上言葉を発することができなかった。


 そう、ヤスさんは僕を見ている。





 ◇◇◇




「無理しなくていい! あいつらは戻ってこないんだ!」


「ヤスくん、もういいのぉ――!」


 教師ゴクドゥーに続き、教師マチコも声の限りに叫んだ。


「――俺はそれを待っているんじゃない!」


短距離移動ブリンク】してヴェネットから離れたヤスが、跳びながら大声を張り上げた。

 そしてフユナたちから目を逸らし、第三学園の待機スペースへと視線を走らせる。


 ヤスはそこに立つ、ひとりの少年に目を向けた。


「聞けぇ! お前は誰よりも強い!」


「………」


 第三学園の待機スペースに居る者たちが、キョロキョロとする。

 その言葉の意味が理解できない上に、誰に向かって告げられているのかもわからなかったのである。


 だが一人だけ、ヤスから目を逸らさなかった者が居た。

 黒髪の少年である。


 そして、ヤスはその人物に向かって叫んだ。


「――その力、俺だけは忘れずに覚えているんだぁぁ――!」


 目を向けられていた少年が、はっとする。


 そう、ヤスはたったひとり、忘れていない存在だった。

 皆が忘れ去っている二つの出来事を。


 自分だけが忘れていないことを知っても、今まで内に秘め、そうと言わなかっただけなのである。


「――『大将』で来てくれ! サ――」


 その瞬間であった。


 ズン、という衝撃が、ヤスの体を襲った。

 その動きが、止められる。


「くぉ……」


「やっと捕まえた、この坊主猿」


 木剣を突き出した姿勢のまま、くふふふ、と満足げにヴェネットが笑った。


「うぐぅ……」


 ヤスの顔が苦痛にゆがむ。

 その体は、くの字になっていた。


 ヴェネットにそのみぞおちを突かれていたのである。


「ごふっ」


 口から血を吐き、足をがくがくと震わせながらも、ヤスはダウンすまいと懸命に立っていようとする。


 顔を上げたヤスは、それでも黒髪の少年を見ていた。


「……サ……サク…………」

 

「――雑魚は寝てな」


 ゴン、という音。

 ヴェネットに側頭部を打たれ、ヤスはとうとう倒れ伏した。




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