第155話 ミエルのネックレス


「それはもしや、ミエル様の……」


「そうなのです。今朝お母様が下さいました」


 そう言ったフィネスは、初めてカルディエに笑みを見せていた。

 そう、これは聖女ミエルが製作したとされ、世で最も強大な力を持つ『退魔のネックレス』である。


「良かったですわね。まだまだ先だと思っておりましたわ」


「ええ」


 とても長い時間でした、という言葉は、フィネスは口にしなかった。


「これから身に付けようと思うのですが」


「はい」


 本当に良かったですわね、とカルディエは目を細めて繰り返す。


「注意して見ていてもらえますか」


「……は?」


 カルディエが眉をひそめ、怪訝そうな顔をする。


「どういう意味ですの」


「万が一、私になにか異変が起きたら、助けて欲しいのです」


「……異変……ですか?」


 カルディエが訊ね返す。


「そうです」


「どうしてネックレスをそんなに警戒されているんですの?」


「………いろいろ考えてみたのですが」


 フィネスは小さく口ごもった後、カルディエに伝えた。

 前に持っていた光の聖女ジェニファーの『退魔のネックレス』が壊れた過程に、疑問を持っていることを。


「……フィネス様。踏んで割ったのではなくて、ですか?」


「ええ。もしかして……大きな力に負けた結果なのではと」


「大きな力に……?」


 そこでカルディエが、その意味に気づいた。


「まさかフィネス様、その身に『呪い』かなにかが?」


 非常に希少な品ゆえにあまり知られていないことであるが、 『退魔のネックレス』は打ち破りきれない害悪に触れた際、割れてしまうのである。


 フィネスは首を横に振った。


「ステータスには何も表示されていません」


「それなら……」


「それでも……なにか胸騒ぎがするのです」


「……フィネス様……」


 カルディエが困惑した表情を浮かべる。


 当然と言えよう。

 普通に聞けば、フィネスの言っていることはあべこべな話なのである。


 ステータスに何も表示されていないのなら、それは状態異常を背負っていない。

 つまり、『退魔のネックレス』は発動するはずがないのである。


「ごめんなさい……言いたいことはわかります」


 フィネスは視線を逸らした。


「……でも、折り入ってお願いしたいのです」


「それで、そんな格好をなさっているのですか」


「まあ、そうなります」


 フィネスは恥ずかしさを誤魔化すためにか、肩にかかっている黒髪を後ろに払った。


 そう、フィネスは外出するわけでもないのに、鎧を身にまとっている。

 純白の中で、ところどころにあしらわれた赤の線が気品を与える、至高の一品。


 技術が再絶頂にあった古代王国期に製作されたとされる「第一の戦乙女ブリュンヒルデの鎧」である。

 先日のアリザベール湿地の功績を讃えて、国王エイドリアンがフィネスのために取り寄せた魔法の鎧であった。


 そして、言うまでもなくその腰には、愛剣の聖なるアントワネットが吊り下げられている。


「………」


 カルディエがそんなフィネスを見たまま、小さくため息をついた。


「……わかりましたわ。ただお傍で見守りするだけでいいんですわね」


「ありがとう、カルディエ」


「この紅茶でも飲んで、まったりしておりますわ」


「ええ、そうしていてください」


 フィネスが顔をほころばせた。




 ◇◇◇




 ――いよいよだわ。


 そう思うと、胸がとくん、とくんと高鳴り始めた。

 落ち着かねばと、フィネスは努めて深呼吸をする。


 自分の想像通りであれば、これで知ることができるはず。

 あの時、忘れることを予期していた自分が、何を伝えようとしていたのかを。


「それでは」


 そう言ってフィネスは、ミエルのネックレスを身につけた。


「………」


 流れる、静寂。

 そんな中、二人は固唾を呑んで見守る。


 ……とくん、とくん、とくん……。


 互いに無言のまま、さらに数秒。


「………」


 やがて、フィネスが目をぱちくりさせた。


「何も起こりませんね……」


 カルディエがはぁ、と息を吐き、強張らせていた身体の力を抜いた。


「ほらやっぱり、フィネス様のいつもの……」


 カルディエが再び紅茶を口に運ぼうとした、その時。


「……え?」


 カルディエの手から、カップがするりと落ちる。

 カシャーン、と陶器が割れる音が室内に響いた。


「フィネス様!」


 カルディエが緊迫した表情で、フィネスの首元を指す。

 フィネスの胸元で、ミエルのネックレスがふわふわと持ち上がっていたのである。


「……あっ……!?」



 フィネスがほっそりとした顎先を、胸につけるようにした直後。


 目を開けていられないほどの蒼白い光。

 灯していた魔法の明かりをたやすく塗り潰すほどの光量。


「――フィ、フィネス様!」


 そう、彼女の胸元のネックレスが発動し、猛烈な光を放っていたのである。


「……あっ!」


 それと同時に、フィネスの黒髪が上へと舞い上げられる。

 空気の渦が、彼女を取り巻いたのである。


「――だ、大丈夫です! そのまま傍にいてください!」


 フィネスが即座に叫ぶ。


(やはり……)


 動揺しているカルディエに反して、フィネスは驚いてはいなかった。

 いや、むしろ自分が思い描いていた通りになりつつある事態に、興奮を隠せなくなっていた。


 その時である。


〈制作者:【光の聖女】ミエルによる【退魔のネックレス】で、効果中の【ティラデマドリエ変換】に拮抗しますか?〉


 フィネスの頭の中に、アナウンスが流れた。


「やはり……!」


 フィネスの顔に確信が満ちた。

 想像していた通り、自分は力の支配を受けていたのだ。


 あの時、自分は先々代の聖女ジェニファーの『退魔のネックレス』でこの力【ティラデマドリエ変換】と戦い、破れた。

 そして、何らかの理由で記憶を失ったのだ。


「――拮抗します!」


 フィネスが聖剣アントワネットを抜くと、高らかに叫ぶ。


「フィネス様!」


 カルディエも立ち上がって剣を抜いた。


 荒れ狂い始めた風が室内のカーテンをはためかせ、頭上のシャンデリアを大きく揺らしている。


 窓枠がガタガタと鳴り、嵌められたガラスがいつ割れてもおかしくないほどに歪んでいる。


 二つの力のぶつかり合い。

 ネックレスに込められたミエルの聖なる力が、大悪魔の変換に抗っているのであった。


 そして、互いが拮抗した瞬間。

 それは突如、フィネスにもたらされた。


「………!」


 フィネスの目が、ふいに見開かれる。


「……さ、サク……?」


 すぐにその目に、涙が溢れた。

 フィネスがアントワネットを落とし、その右手で口元を押さえる。


 フィネスの頭に、失われていた記憶が鮮明に蘇っていたのだった。


「……あの方が……あの方が、サクヤ様……!」


 感激のあまり、フィネスの身体はがたがたと震え始めた。


「フィネス様!? サクヤ様がどうかしたのですか!」


 ことの成り行きが全く理解できないカルディエが、フィネスに近寄ろうとする。


「――うっ!?」


 バチッと音を立てて、青白い光が弾けた。

 カルディエが後ろ向きに吹き飛ばされ、背を打つ。


「――くっ、フィネス様!」


「大丈夫です! そこに居てください」


 再び立ち上がって剣を構えるカルディエに、フィネスは叫んだ。


「フィネス様、まさかこれが『大きな力』なのですの!?」


 窓枠がバリバリと立てる音に負けない声量で、カルディエが叫び返す。


「――ええ! でも大丈夫です、もうすぐ終わるはずです!」


 フィネスは剣を拾い直しながら、感じ取っていた。

 ミエルのネックレスがその「大きな力」を支配下に置こうとしているのを。


 実際に、フィネスの思う通りになっていた。

 やがてシャンデリアの揺れが穏やかになり、荒々しかった風がその力を弱める。


(そういうことだったのね……)


 フィネスは大きく息を吐いた。

 今、フィネスは全てを理解していた。


 あの時、自分は聖女ジェニファーのネックレスで、この記憶を一時的に取り戻したのだろう。


 だが抗いきれずにネックレスは壊れ、再びその記憶を失う。


 事前にそうなることを理解した自分がいたのだろう。


 机の引き出しをひっくり返して鉛筆を取り、あんなふうに必死になって書き殴ったのだ。



 サクヤ様はあの少年


 サクヤ様は学園祭で出逢っている


 あの少年を招聘して


 あの少年と結婚して


 そして、お母様のネックレスをつけて。



 あれを書いた自分は知っていたのだ。

 このネックレスをつけることで、求めていた人と繋がることができることを。


 眩しいまでの光を放っていたネックレスと、室内を吹き荒れていた風が、徐々にその力を失い始めた。


「……フィネス様……?」


 まだ緩やかに風が吹く中、カルディエが恐る恐る近づき、声をかけてくる。

 今度は光で退けられることもなかった。


「やっとわかりました……」


 フィネスは乱れた黒髪を直し、頬を流れていた涙を拭く。

 そして幸せに満ちた笑顔を浮かべた。

 

 それは間違いなく、今まで生きてきた中で一番の笑顔だった。


「ミエル様にお礼と、居場所をお伝えしなければなりませんね」


「……フィネス様?」


 不思議そうにするカルディエにフィネスが微笑む。


「……まさかフィネス様……」


「ええ。わかりました。サクヤ様の所在が――」


 フィネスが頷き、嬉しそうにそう告げた時だった。



 ――コノテイドデ、ワラワセルナ。



 そんな声が、フィネスの脳裏に響いた気がした。

 フィネスが、はっとする。


 その瞬間。


 ――パキィィン!


 フィネスの首元で、ネックレスが悲鳴を上げた。


 〈製作者:【光の聖女】ミエルによる【退魔のネックレス】での拮抗に失敗しました。【ティラデマドリエ変換】が再構築されます〉


「えっ……!?」


 フィネスの顔が蒼白になる。


「フィネス様!」


 それと同時にミエルのネックレスが、ばらばらと足元に崩れ落ちた。

 まもなくして、フィネスの頭の中で、次々と姿を失くし始めるもの。


「うそ!? ……い、嫌!」


 フィネスが悲鳴を上げた。


 そう、起き始めていた。

 戻ったばかりのフィネスの記憶が、再び失われ始めたのである。


「嫌ぁぁ――!」


 フィネスが両手で頭を抱え、髪を振り乱す。


 嫌、嫌……!

 こんな大切なことをまた忘れてしまうなんて……!


「フィネス様! どうされたのです!」


 だがその時、聞こえてきたカルディエの声。

 それは紛れもなく、救いであった。


 フィネスは、はっと我に帰った。


 ――そうだ。


 この事態は、決して虚をつかれたものではない。

 自分はこうなることも予想していた。


 同じ轍を踏まないよう、カルディエにいてもらったのである。


 だがそうしている間にも、フィネスの記憶が次々と曖昧になっていく。


「――カルディエ、よく聞いて!」


 フィネスは必死に叫ぶ。


「フィネス様!」


「サクヤ様は、サクヤ様はあの方なのです――!」


 さっきまではっきりと思い出せていたその微笑んだ顔は、すでに霞んでいる。


「――あの方!? あの方とは――」


 カルディエが叫び返す。


 消えていく、その姿。

 その笑顔。


「あの方……嫌、嫌ぁ……!」


 あぁ、誰だったか……。

 わからなくなって……。


 だがその瞬間、フィネスの脳裏におぼろげだが、浮かび上がるものがあった。


「―――!」


 それは紛れもない。


 強く、ひたすらに強く想い続けたゆえであった。

 はっとしたフィネスは、それにしがみついた。


 そしてすぐさま、割れんばかりに絶叫した。


「――第三学園の、あの少年なのです――!」



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