第124話 やりましたっ!
剣の国リラシス。
紅の王宮二階、第二王女私室内、水の間。
暖気がやっと朝の室内にも手を差し伸べ始めた春である。
コン、コココン。
例によって扉を決められた合図でノックする音が響いた。
だが、応じるはずの王女の声はない。
「おかしい……」
右手の甲を扉に向けたまま、カルディエはひとり首を傾げる。
同僚でこういう時に顔を見合わせることのできるフユナは、今日は不在にしている。
リラシスで行われる記念式典のための事前打ち合わせでリンダーホーフ王国に出ているのである。
「フィネス様」
二回目。
「フィネス様?」
「…………」
扉越しにかける再三の声に、返事がない。
王女はこの時間、部屋にいるはずである。
そもそも
「………」
いつもならフィネスの身を案じたカルディエの顔は険しくなり、こんな間も惜しんで、いつぞやのように扉を蹴破って飛び込むのだが、今日はそうはしなかった。
思い当たるフシがあったのである。
フィネスは先日から、ちょっとおかしくなっている。
もちろん身体的におかしいのではない。
心の方である。
「――フィネス様!」
扉の前で、カルディエが大声を張り上げた。
どうせ窓のそばに座り、あの時重ねたくちびるを思い出すように指でなぞりながら、うっとりしているのだろう。
あれから何度、恋のため息とともに聞かされたことか。
――サクヤ様は私たちの前に颯爽と現れて、魔王を簡単にねじ伏せ、
ねぇカルディエ、信じられますか?
……私、もう無理です……。
カルディエは、はぁー、とため息をついた。
「――いるんですわよね! わかってるんですわよ!」
カルディエが怒声を発する。
すると、図星と言わんばかりに、中から、ガタッ、という音がした。
「……は、はい?」
カルディエの怒鳴り声に、扉の奥から今気づいたような、か細い声が帰ってきた。
ほら、やっぱりいるし。
「……早く開けてくださいませ」
カルディエが低く、そして冷たく言い放つと、ややしてからガチャリ、と音がして扉がゆっくりと開く。
扉の隙間から、親に叱責されるのがわかっている子供のような顔をした少女が、伏し目がちにカルディエを見ていた。
「か、カル――」
「また全然聞いてませんでしたわね」
「………」
フィネスがうつむいた。
「入りますわよ」
「……ええ、どうぞ」
甘い紅茶の香りが室内に漂う整然とした部屋に、鎧を鳴らしながらカルディエが入る。
「座ってください」
「では失礼しますわ」
カルディエがいつも座る席に腰を下ろし、無言で正面に座るフィネスをみやる。
「…………」
フィネスはカルディエの言わんとすることが手に取るようにわかったらしく、目を合わせずに脚をもじもじさせた。
「……大事なご連絡があったのですけれど」
カルディエが独り言のようにぽつり、と呟いた。
だがフィネスに聞こえるくらいにはと、声量は完全に計算されている。
「大事な連絡?」
フィネスが長いまつ毛を揺らすようにして、瞬きをした。
「……でもそのご様子ですと、今はお耳に届かないでしすわね。また今度に致しますわ」
「……え?」
「大層お喜びになる話かと思いましたのに。まことに、まことに残念ですわ」
カルディエはそんな捨て台詞を吐き捨てると、立ち上がってくるりと背を向けた。
そしてこっそりと、にやり。
「……よ、喜ぶ!? いったい何ですか」
ほら、かかった。
「いえ。そんな、ノックも聞こえないくらいにお仕事に夢中なご様子では、お伝えしたくともできかねますわ」
カルディエはさも残念そうに言う。
「いえ! 仕事などではなく、ちょっとぼーっとしていただけで……」
「……ぼーっとしていた?」
カルディエが振り返り、鋭い視線でフィネスを見る。
「まさか、ぼーっとして、わたくしのノックを聞き逃した、とか言いませんわよね?」
「………」
フィネスは顔を赤くしてうつむいた。
「だ、だから大丈夫です……。どんなお話なのですか、カレー」
「か、カレー!? 今、わたくしのことをカレーと呼びましたの!?」
カルディエが目をひん剥いた。
「ご、ごめんなさい! カルディエと言おうとしたら、なにか短縮してしまって……」
「――その縮め方はひどすぎますわ!」
「ごっ、ごめんなさいカルディエ!」
フィネスがしどろもどろになって謝罪する。
「………」
さらに三度謝って憤然としたカルディエをやっと説得し、座らせ、フィネスも椅子に再び腰をおろす。
「そ、それで?」
話を促した。
「…………」
しかし、当然のように流れる重い沈黙。
ふいにカルディエが小さく咳払いをすると、んんっ、と喉の調子が良くないふりをする。
「あー、わたくしちょっと今日は喉の調子が……」
これでは言いたくとも言えませんわ……とカルディエが呟いた。
「こ、紅茶でいいかしら!」
フィネスは慌てて立ち上がると、例の魔法のポットに淹れておいた紅茶をカップに注いで、カルディエに差し出した。
甘党であることも忘れず、砂糖は多めに添えて差し出す。
「……そんな。催促したみたいでなんだか申し訳ありませんわ」
カルディエは建前だけで恐縮して見せる。
「いいのです。これで喉を潤して下さい」
フィネスは微笑み、懇願するようにカルディエを見る。
「その……それで連絡とは?」
カルディエは砂糖を二ついれると、聞こえないふりをして、紅茶の香りをゆっくりと楽しみ、軽く口をつける。
「あー美味しいですわ」
「よかったです」
「………」
「………」
しかしカルディエがその後、なにも言わなかったため、しーん、と静まり返った。
「カルディエ?」
「はい」
「大事な連絡とは? 早く教えて」
「……わかりましたわ」
フィネスが十分にそわそわしたのを確認して、意地悪が達成できたと知ったカルディエは、吹き出すように笑うと言った。
「フィネス様。念願のものが手に入ります」
「……え?」
フィネスが目をパチクリさせる。
「皇后様がネックレスを下さるそうですよ」
「……えっ?」
「欲しいとおっしゃってましたでしょう? ミエル様の『退魔のネックレス』ですわ」
そこでやっと、フィネスは言葉の意味を理解した。
「……うそ、お母様が?」
フィネスが驚きと歓喜の入り交じった顔になる。
一度つかんだ宝石は放さないと言われている母なだけに、フィネスは想像もしていなかったのである。
もちろんフィネスは毎日のように母と顔を合わせ他愛のない会話はしている。
しかし宝石の話はタブーとなっており、訊ねることすらできずにいた。
「アリザベール湿地の浄化がそれだけ国益になったということでしょう。苦労した甲斐がありましたわね」
そこでなるほど、とフィネスは頷いた。
確かにあの浄化は大変だった。
もう一度やれと言われたら、さすがにフィネスと言えど躊躇するかもしれない。
「本当にくださるのですか」
「正式には『建国記念の式典』が終わってからになるそうですが、先程、他の方もいる前で仰っていましたし、間違いはありませんわ」
カルディエに太鼓判を押されると、フィネスは飛び上がりたい気分だった。
いや、今着ている膝上の緑のワンピースの裾が軽くめくれ上がるくらいには、すでに跳び跳ねていた。
「やりましたっ!」
「ふぃ……フィネス様?」
あまりの喜び具合に、カルディエが目を瞬かせる。
「フィネス様がそんなに物欲を丸出しにされるなんて珍しいですわね」
ちくりと刺すようなカルディエの物言いも聞こえなかった。
(これで……)
謎が解けるかもしれない。
あの時、あの晩、自分があんな風に書き残した理由。
記憶がなくなっている自分が、いったい何を伝えたかったのかを。
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