第120話 アシュタルテ生誕4


「うぬぅ!」


 魔王がそう唸るのと、飛来した十字架に囚われるのはほぼ同時であった。


 その隣で、叶える大悪魔シトリーも同時に十字架に囚われる。

 叶える大悪魔シトリーはその純真な顔を怒りに歪めると、そのまま姿を消した。


 危機を感じ、魔王の命令から離れ、自己帰還したのである。

 ソロモン七十二柱の大悪魔たちは単体で天使たちの蔓延る地に乗り込めるほどの戦闘力と自己治癒能力があるが、それでも魔王ほどの自己治癒能力はないのである。


「みたか、俺の能力を! 叶える大悪魔シトリーを退治したぜ!」


 それを見てとった魔法剣士リッキーが、ガッツポーズをしながら叫んだ。


「おまけにこっちには不死者アンデッドの聖女がいるんだよ! 誤算だったな! ハッハッハ」


 勇者エドガーの言葉に、アリアドネが小さく唇を噛んだ。

 

「愚か者どもめ」

 

 だが魔王は囚われの状態でありながらも、不敵に笑ってみせた。


「こんなものは二度と効かぬ! ――〈逆流の13クロノサーティーン〉」


 魔王が囚われの状態から一言言葉を発しただけで、なんと魔法を完成させた。


 事前に詠唱を完成させた魔法を保持していたのである。


 〈逆流の13クロノサーティーン〉 は自分の状態を13秒前に戻すことができる魔法である。


 魔王が今回〈聖なる十字架ホーリークロス〉に対抗するために、いにしえの魔法を蘇らせ、準備してきていたのである。


 古代の書物を紐解けば、〈逆流の13クロノサーティーン〉 は詠唱5分、再詠唱時間が15時間と非常に長く、使い所が難しいためにそれほど普及に至らなかったとされている。


 だが【詠唱保持】が可能な魔王にとっては、その難点はたやすく解消できていた。


 〈干渉者はいません。13秒前に回復します〉

 

 魔王の脳裏にアナウンスが鳴り響く。


 魔法はすぐに効果を発揮し、皆が目を疑う光景が展開された。

 なんと魔王の身を拘束する十字架が、音もなく消え去ったのである。


「なにを!?」


「どういうことだ!?」


 予想外の妙手に、一行が驚愕する。


「どうだ? 〈聖なる十字架ホーリークロス〉の連発はできまい?」


 してやったりと、魔王の顔が喜悦に歪んだ。


「次はこちらの番だ。……Γίνε πιο σκληρό κορμί από πέτρα……」


 魔王が悪魔の言語を素早く紡ぐ。


 直後、魔王の体が紫色に染まった。


「むぅ」


 ラインハルトが目を瞠る。


 魔王が使ったのは【魔神硬化】である。


 自身の超越した自己回復能力ゆえに普段はほとんど使う必要がなかったが、自身の物理・魔法防御力を45秒間だけ大幅に上げるものであった。


「Ως απάντηση στην κλήτευση……」


 さらに魔王の詠唱は続く。

 

「魔王め。新たな力を身につけて……」

 

 ラインハルトが忌々しげにつぶやく。


 〈逆流の13クロノサーティーン〉などという能力は、以前にはなかった。

 今までは〈聖なる十字架ホーリークロス〉で難なく終わりを迎えることができていたのである。

 

 それはすなわち、魔王が繰り返す討伐によって成長していることを意味していた。


「どうする、御仁!」


 真っ青になったエドガーがラインハルトを見る。

 何度も練習してきた予定の流れが崩されたのである。


「――簡単な話だ。我らが先に力でねじ伏せるまで!」

 

 うぉぉ、と雄叫びを上げて、ラインハルトが自ら魔王に突貫する。

 トブラも狂戦士の能力を発動しながらそれに続き、魔王に斧を振り下ろす。


「よっしゃ、やってやる!」

 

 リッキーやエドガーもそれに倣い、次々と魔王に攻撃を仕掛けた。

 

「μου ο δολοφονώντας το άτομο……」

 

 魔王は攻撃に応戦しながら、詠唱に意識を集中させる。

 さばききれずに魔王の体を打つことがあっても、強化された体はそれをものともしない。

 

「ぐぼあっ!」

 

 その時、横薙ぎにされた魔王の一撃をトブラが受け、ばっさりと裂かれた胸から凄惨なまでに血が吹いた。


 呻きながら大地を転がるトブラを、慌てた様子でコモドーが手当てに向かう。

 

 詠唱を続ける魔王は、いよいよその口元に笑みを浮かべた。

 そこで皆がはっと気づいた。

 

 何かが足元からやってくる気配を感じたのだ。

 

「まさか……新たになにかを呼び出している!?」


「……まずい、まずいぞ!」

 

 リッキーと勇者エドガーが仕掛けながら、恐慌状態に陥る。

 

 彼らの推測は正しかった。

 魔王は新たな下僕を呼び出そうとしていたのである。


 やってこようとしていたのはソロモン七十二柱の一つ、獄炎の炎の龍悪魔、博識なる呪殺者グラシャ・ラボラスである。

 

「あーあ。せっかくなのにこのまま死んだら、嫁にいけないねぇ」

 

 リタがのんびりとした口調で言いながら、苦笑する。

 

 それが聞こえたのか、ラインハルトがふおぉ、と吼えながらいっそう力強く剣を振るった。


 しかし魔王の胸板を斬りつけるも、致命傷を与えるには至らない。

 

「もうやるしかないねぇ」

 

 リタが懐から赤く光る宝石を取り出し、左手に握った。

 続けて右手の杖を突き出し、慣れた詠唱を始める。


  宝石は詠唱を聞き取ったのか、すぐに反応して赤白い煙を発し、それをリタの腕に絡ませ始める。


 まるで触手を伸ばすかのように。


 そして間もなくして完成した魔法は。

 

「――〈聖なる十字架ホーリークロス〉!」

 

「なにっ」

 

 魔王がぎょっとする。

 そうしていた間にも、現れた輝く十字架に磔にされる。


 詠唱が途切れ、すぐそばまでやってきていた博識なる呪殺者グラシャ・ラボラスが、ゆっくりと去っていく。

 

  「な、なぜ……」


 魔王だけではない。

 仲間たちが一斉にリタを振り返る。


「いまだ、やっちまいな!」


 そう叫んだリタの中では恐ろしいことが起きていた。


 リタが触媒とした赤宝石は『再詠唱石』と呼ばれる古代王国期の古代遺物アーティファクトで、再詠唱時間リキャストタイムをゼロにする効果がある。


 が、強力な効果ゆえにそれだけでは終わらない。

 その代償として使用者の寿命を奪うのである。


 寿命の代償は一定ではなく、再詠唱リキャストを求める魔法のレベルによって異なる。


 しかし今、再詠唱したのは魔王すらも封じ込める強大な魔法。

 ラインハルトとの幸せな生活を前にしながら、これを使わねばならなかったリタの苦悩はもはや言うまでもない。


「すげぇ! そんなことできんの!?」


「お見事! 今だぁぁ―!」


 仲間たちが沸く。

 時を同じくして、【魔神硬化】の効果が終了し、紫に変色していた魔王の体がもとに戻った。


「――おのれぇぇぇ!」


 磔にされたまま、魔王が怒りに吼えた。


「いくぞぉぉー! ――【輝く刺突ラディアントブラスト】――!」


 エドガーが高々と跳ぶと、魔王へと急降下する。


 勇者エドガーのみが使える、自身が光の槍となって相手を貫く強烈な突きである。

 あらゆるものを貫くとされるが、戦いの最中に一度きりしか使えないため、使い所が非常に難しい。


「うおぉぉぉ!」


「――ぬはぁっ!?」


 光属性のその一撃が、動けなくなった魔王の胸板に大きな風穴を開けた。


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