第99話 慈悲深き勇者
「お前たちの努力が足りないことを棚に上げるな」
しかしアラービスは鼻で笑った。
それを見たレジーナが大きくため息をつく。
「ピョコちゃん、もう聖木は焚べなくていいわ」
「は、はいっ」
ピョコがまさにそうしようとしていたところで、手を止めた。
「考えは変えません。【第三相浄化】は明日にします」
レジーナが静かだが、有無を言わせない口調で言った。
「くだらん奴らだ。俺のこの力を見ておきながらまだ怖気づいていると!?」
アラービスが、我慢ならずに大声を張り上げた。
それでもレジーナは臆せず、口を開く。
「アラービス様が凄いのは十分わかりました。ですが私たちは決して失敗できないのです。ここにいる皆の命がかかっているのですよ」
「失敗など起こり得ない。お前の目の前にいる人間が誰か、もう一度考えろ」
「……そういう問題ではないでしょう」
「ならどういう問題だというんだ。俺が納得するように説明してみせろ。お前にはその義務がある」
「………」
レジーナたちが顔を見合わせる。
皆はもういい加減、アラービスと言葉をやり取りするのに疲れたようだった。
「ちっ。……まあいい。広い心で明日まで伸ばすのは妥協してやる。だが【第三相浄化】は必ず実施しろ。怖じ気づいてやめるなどとぬかすなよ」
「…………」
レジーナの背後に立つフィネスたちの顔に、厳しい表情が宿る。
「なぜか、訊いてもよろしくて?」
「なぜか、だと?」
カルディエが訊ねると、アラービスはにやけそうになった笑みを噛み殺し、教えてやろう、と前置きした。
「アリザベール湿地は」
それはまるで準備されていたかのようなスピーチだった。
「積年に渡り、過去の冒険者どもに意気地がなかったせいで、野放しにされ続けてきた。つまり、未来の子どもたちに負の遺産を残し続けたとも言える。そんな臆病さが今、こんな事態を起こしていると考えるだけで、俺の胸は日々千切れるように痛むのだ」
「………」
レジーナはすぐに眉をひそめた。
よくそんなことを白々しく言う、とレジーナは感じていた。
一般には知られていなかったが、魔王討伐以降、アリザベール湿地の浄化の打診が水面下で勇者アラービス(と聖女ミエル)宛にされていたのである。
依頼元はもちろん、魔物の影響を受けていたレイシーヴァ王国。
レジーナの勤めていたリラシス大地母神エリエル第一神殿は、同盟国たるレイシーヴァ王国負傷兵の受け入れもしていたため、日頃からそういった話も耳に入っていた。
だが依頼は当時、にべもなく断られ、冒険者を募るも集まらず、結局浄化を延期した経緯がある。
「未来の子供たちのために、一日でも早く、この俺が負の歴史に終止符を打つ」
アラービスは髪を掻き上げ、白々しい態度で言葉を締め括った。
未来の子供を思って日々千切れる思いをするなら、この延期はなんだったのか、とレジーナは喉元まで言葉が出かかった。
「絶対の自信があると?」
口を閉ざしているレジーナの横で、カルディエがもう一度アラービスに訊ねる。
「なければこんなことは言わん。俺を信じろ。勇者の名にかけて誓ってやる。【第三相浄化】は1分で終わらせてやる」
「………!」
皆が耳を疑う。
なかでも最も衝撃を受けていたのは、ゲ=リ。
そこまで言い切る勇者に強い感動を覚えていた。
「神に与えられた勇者の力を信じろ。そうすれば、未来の子どもたちは笑顔になれる」
言い切ったアラービスは颯爽と背を向け、アリザベール湿地に向き直る。
アラービスがここに来た本当の理由は簡単である。
【第三相浄化】は困難を極め、過去に成功した例はわずか。
それだけに、アラービスが手伝って浄化に成功すれば目立つ。
しかも浄化対象はかねてより問題となっていたアリザベール湿地。
世間では間違いなく勇者アラービスをもてはやす。
偉大なり、勇者アラービス。
慈悲深き、勇者アラービス。
再び轟くことになる名声に、去っていった聖女ミエルが自分を見直すはずと、傷心したアラービスは信じて疑っていないのである。
「アラービス様」
そんなアラービスの背中に、声がかかる。
「
フィネスだった。
「なにを根拠にそう言う」
振り返ったアラービスがフィネスをぎろり、と睨んだ。
「いえ、根拠はないのですが……」
フィネスは言い淀む。
うまく言葉では言い表せないが、剣を取り巻く負の力のようなものに寒気を感じて、フィネスはさっきから気になっていたのである。
「なら黙れ。勇者に進言するなど百年早い」
◇◇◇
鉄串に刺された満月鳥の肉から、香ばしい香りが立っている。
焚き火を囲んだ皆の顔が、下から暖色に染められている。
「初めてきちんと話しましたけど、そのギャップに驚きました」
「わたくしはあきれましたわ。なんと偏屈で心の狭い男なんでしょう」
言葉を選んだフィネスに対し、カルディエはストレートだった。
「勇者という人物には人間性も備わっていると、我々が勝手に誤解していただけだ」
「そうかもしれませんわね」
「言葉を挟むべきか迷ったが」
そこでフィネスたちの後ろに立っていたヘルデンも、渋い顔をしたまま言葉を挟んできた。
「残念ながら我らも全く同感だ」
後ろに居並ぶ兵士たちも異論はない様子で立っている。
「………」
皆がそのまま黙りこんだ。
フィネスたちはアラービスのひととなりを耳にしていなかったわけではない。
当然、ある程度は自己中心的な言動を予想していた。
が、正直これほどまでとは思っていなかったのである。
「……みんな、ちょっと言いすぎだよ」
しかし、ゲ=リはただ一人、それに反対する。
「ゲ=リさん?」
隣にちょこんと座っているピョコが、青いお下げを揺らして振り向く。
「聞いただろ? アラービス様は第三相を一人でやってのけるおつもりだったんだ。きっと第一相で放ったあの力を回復させるために、第二相は休まなきゃいけなかったんだよ」
「……本当にそうかしら」
「続きを急かしたのはあいつだぞ? それにそれならそうと事前に我々に言うべきだろう。パーティプレイをなんだと思っている」
カルディエとフユナがすぐに反論した。
とくにフユナの言はもっともである。
一度始まれば逃げることは許されないうえ、失敗すれば湿地から追い出された
遊びとは違う。
始まってからできない、では済まされるはずがないのである。
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