第82話 学年末実技試験6

 

「じゃあそろそろ張世ちょうよを出してもらおうかな」


 サクヤがここで脈絡なくスシャーナの騎獣を出せと言う。


「え? ここで乗るの?」


「いや、乗りはしないんだけど」


 出してくれればわかるよ、とサクヤが笑う。


「………」


 よくわからなかったが、サクヤンの言うことだから、とスシャーナは素直に聞いて、張世ちょうよを出した。


 現れた体長二メートル弱の小さな象は、パォー、と一声鳴くと、おもむろにあたりの草を嬉しそうに食み始めた。


「食べてる……」


「かわいいですっ!」


 ピョコが張世ちょうよの背中を撫でながら寄り添う。


 張世ちょうよは一応魔物に分類されているが、遭遇しても人を襲うことがない、性格が極めて穏やかな種である。

 調教された張世ちょうよは鈍足なものの、丈夫でスタミナもあり、長旅の荷物運搬に用いられることがある。


「じゃあ火をおこそう」


「え? 張世ちょうよは?」


「少しこのまま放っておく。食べ続けるだろうから」


 餌を与えるためだったのだろうか。

 スシャーナは少し腑に落ちないものを感じながらも、お尻を振って食べ続ける張世ちょうよから視線を逸らす。


「ピョコ、さっき拾った石でここにかまどをつくろうか」


かまど……あ、はいっ、じゃあ自分それやりますっ!」


 蒼いおさげを揺らしながら、ピョコが言われる通りにしゃがんで、取り出した石を丁寧に重ねて積み上げ始める。


 なるほど、さっき川辺で拾ったあの石はそうやって使うのね。

 確かに平べったくてまるっこい石は積むのに最適。


 竈まで作っているパーティは他にいなかったが、見るからに好ましいのがスシャーナにも理解できた。


 宿泊研修の時のような、恵まれた環境での火おこしと違い、今は森を抜けていく西風が吹いており、火がつけられずに困っているパーティが随所にあったからである。


「へぇぇ」


 そんなことを考えている間にも、サクヤンはまた、手元でなにかしている。


「何してるの」


「麻ひもをほぐすんだ。やってみて」


 そう言ってスシャーナにも一本くれた。

 言われた通りにほぐすと、細い繊維が髪の毛みたいに現れて、くしゃくしゃの大きな玉になった。


「上手だね、スシャーナ」


「あ、ホント?」


 なんかうまくできただけで、こんなことがおもしろい。


「〈着火ティンダー〉の魔法で火をつけることはできても、その火を落ち着かせるにはコツがあるんだ」


 そう言って、サクヤはスシャーナの手からほぐした麻ひもをもらう。

 その時に互いの手が触れ合って、スシャーナはどきん、とした。


 共通魔法コモンマジックの〈着火ティンダー〉は指先ほどの火を生み出す魔法である。


 だが室内でろうそくに火をつけることはできても、風のある外での火おこしはなかなかどうして難しい。


「このほぐした麻ひもに火をつくと、その下に重ねたこの皮に火がつく。この皮の火が安定したら、枯れ枝に火が移る。最終的に太い枯れ枝の火が安定したらOKだ」


 じゃあココのところに魔法を頼むよ、とサクヤがスシャーナに言った。


「わ、わかったわ……〈着火ティンダー〉」


 そう言って、スシャーナはピョコが作ってくれた竈の前にかがみ込むと、言われた通りに麻ひものほぐしたものに火をつける。


 サクヤが言った通り、まずほぐした麻ひもの束にしっかりと火がついた。

 そして樹皮に、枯れ枝にと火が移りながら、火が黒い煙と特有の香りを吐いてはぜ始める。


 なんだろう。


 サクヤの出した樹皮はやけに燃え方がいいのがスシャーナにも理解できた。


「サクヤン、それ……」


「ああこれ、さっき剥いた白樺の皮。よく燃えるんだよ」


 白樺の皮を使った灯火を「華燭」って特別にいうんだよと、また新たな知識をくれる。


「サクヤン、すごいわ……しかも枯れ枝もこんなに拾ってあったのね」


 後ろを振り返ると、枯れ枝が山のように積まれていた。

 その手際のよさに、感嘆の声が止まらない。


「すごくないって」


 いや。十分すごいと言われるレベルで実践慣れしてる。

 こういう人、かっこいいって思う。


 結局、自分たちのところの火が一番最初にモウモウと猛ったのは、至極当然の成り行きだとスシャーナは思った。


 当然目立って、周りのパーティが次々と火を貰いに来た。


「ありがとう、サクヤ」


「うそーこんな真っ赤に燃えてるの、もらってもいいの?」


「どうぞどうぞ」


 サクヤは気兼ねなく彼らに火を配ってみせる。

 やがて、自分たちの野営ポイントに人だかりができるのにも、そう時間はかからなかった。


「……この火のついた薪を下にするのか?」


「そう。乾いた細い枯れ枝にまず火を移してね」


 竈に向かったサクヤのまわりに、生徒が集まっている。

 わからない生徒には、他の学園であれ、分け隔てなく詳細に説明していた。


 そして、やってきたその中に予想外の人物がいた。


「……ポエロ? あんた、先行ったんじゃないの」


 ポエロはローブを着た上に、不自然に首に布を巻いた、不審な姿をしている。

 いや、首だけではない。


 布で目から下を覆うように、顔の下半分まで布を巻いている。

 寒いのだろうか。


「う、うるせー。徒歩組が心配になって一緒に移動することにしただけだ」


「ていうか何その格好」


「うるせぇ寒いんだ」


 そう言って、伏し目がちになりながら、火をもらって去っていく。

 ポエロは当然、ありがとうも言わない。


 それが気になったのかもしれない。

 瞬きするほどの間だが、サクヤがポエロに鋭い視線を向けていたのが、スシャーナにはわかった。


 でも、あんなに先行していたのにどうしてだろう。

 スシャーナは不思議で仕方なかった。


 スシャーナはのちに知ることになるが、ポエロたちはあれから渡された帰還水晶で谷底から脱し、「第一アクセスポイント」と呼ばれる、スタート地点から5kmほど進んだ非常用帰還ポイントに飛ばされて、学年末実技試験のやり直しとなっていた。




 ◇◇◇




 すでに空には星が瞬いている。

 ミザリィの夜は晴れ渡ることがあるのだと、スシャーナは初めて知った。

 広場で野営をしているパーティがいくつか共同で大きな焚き火を作り、その周りを囲んでいる。


 こんな森であんなに大きな火をつくってどうするんだろうと、スシャーナは不安を感じていた。


 たしかに魔物は火を恐れると授業では習ったのだが。


「ほい、できたよ」


 そんな間にも、サクヤが竈の上で湯気の上がる鍋をゆるく混ぜている。


 本当はもっと早くできていたのだが、他の生徒たちが火をもらいに来て、説明まで求めるためになかなか手をつけられなかったのである。


「サクヤン、さっき狩ったうさぎって使ったの」


「あれはとっておく。狩った動物は僕たちで食べずに村に提供したいんだ」


 どのみちこの辺りで血抜きはできないしね、とサクヤンが付け加える。


「……血抜きできない? ああそっか」


 そう。血は魔物を呼ぶ。

 言われてみれば、授業で習ったあたり前のことだった。


 でも言われるまで気づかない人もいるんじゃないかしら。


「ほい、どうぞ」


 真っ赤な、梅の干したものを最後に載せて、サクヤは湯気の上がる大きい器を、自分に差し出してくる。


 湯で戻した干し飯に拾った山菜を細かく切って添え、干しエビと黒煮豆、塩干しした海藻をパラパラとふりかけ、茶漬けのようにしてくれたものだった。


「す、すごーい……」


 簡素ながらもなにか、考え込まれた一品だった。


「その貝は……?」


 スシャーナが指を指す。

 使い終わったらしい貝の殻が、鍋の外に避けられているのが見えた。


「ああ、この貝は殻に栄養があってね」


 煮込むと貝の持つ滋養がスープに移るのだという。

 もちろんスシャーナには初耳だった。


「へぇ、案外いけるじゃないか。梅の味が気に入ったよ」


 ゲ=リ先輩もスプーンで掻き込みながら、驚いていた。


「ありがとうございます」


 サクヤが照れたように笑う。

 焚き火の明かりに染まっているせいか、若々しいはずのその顔がすごく精悍に見えた。


「毎日食べたいくらいさ。母さんも梅が好きだから教えよう」


「サクヤさん、美味しいですっ! スープとしても」


 ピョコのスプーンも止まらない。

 確かに梅以外に唐辛子も効いていて、あっさりしているけど続けて食べ続けたくなる味だった。


「ピョコがいるから、わざわざ干さなくても食糧はたくさん詰めるんだけどね」


 サクヤは今まで、そうやって食糧を干して荷を軽くし、旅の間の食事をしていたと説明していた。


 なるほど、と思った。

 ていうか旅って簡単に言うけど、あたししたことないし。




 ◇◇◇





「――うえぇっ!」


 これで4回目だった。

 ポエロは四つん這いになり、食べ飲みしたものをすべて口から戻してしまっていた。


「……い、いったいどうしたんだよ、ポエロ」


「さっきから随分と寒がるし……絶対変だぞ」


 バヤとボヤが困惑する。


 第一アクセスポイントから出直しとなり、徒歩集団から大幅に遅れて到着となったポエロたちだったが、幸い、広場に割り込むことができ、火も起こすことができていた。


 だがやっとありついた食事のはずが、ポエロがさっきから食べられないのである。

 食事はボヤの両親が持たせてくれた、豚挽肉の腸詰めとパンを炙ったもので、ポエロも好物だった。


「……俺、やっぱりもう食事はいいわ。ちょっとその辺散歩してくる」


 口を水でゆすいだポエロは立ち上がると、足で地を蹴るようにして吐物に土をかける。


「さ、散歩って、ポエロ……昼間みたいに魔物に襲われたらどうすんだよ」


「ポエロ、食べれてもいないのに、さすがにあぶねぇよ」


 バヤとボヤがポエロの腕を掴んで引き留めようとする。

 しかしポエロはその手を乱暴に振り払った。


「うるさいっ! 俺に触るな!」


「……ぽ、ポエロ?」


 バヤとボヤが、呆然とする。


「もう、一人になりたいんだよ!」


 そう叫ぶと、ポエロは広場を横断するようにして走り去った。





 ◇◇◇





 忍び寄っていた恐怖が、如実に姿を現す。

 不安に心が押し潰されて、息が絶え絶えになる。


「どうしよう、母ちゃん……!」


 ポエロはひとり、茂みの中にしゃがみ込み、鼻からも涙が滴るほどに泣きじゃくっていた。


 今は夜だから、まだみんなには気づかれていなかった。


 でも、明日の朝になったら。

 明るいところで見られたら、隠しきれない。


 絶対にみんなに気づかれる。


 ポエロは袖をまくり、月明かりで照らされた自分の右腕を見る。


 最初は虫に刺されたような小さな点だった。

 消えてくれと願い続けたそれ。


 だがそれは無情にも不気味な紫斑に変化し、見る間に広がり始めた。


「……やべぇよ……どうしよう」


 顎がガクガクと震えている。


 もはや、右腕だけではなかった。

 今や紫斑は地図状となり、冷酷に現実を告げるかのように、全身に出現していた。


「母ちゃん……!」


 寒いと言って布を首に巻いているのは、嘘である。

 顔にまで現れてきた紫斑をひたすらに隠すためだった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る