第81話 学年末実技試験5

 


 最初は少しずつでわからないくらいだったが、登り道になったので、「四天の山」の麓に来たらしいと、スシャーナは理解した。


 相変わらず森の中で、周囲の景観に全く変化はなかった。


 森の中では魔物も出るが、食用となっている鳥やうさぎたちも時折、姿を見せるようになった。


 うまくうさぎを仕留めたチームが、魔法で焼け焦げたそれをかかげ、「食糧ゲットだぜ―」と大盛り上がりしている。


「すごいですっ……」


「いいなぁ食糧……」


 スシャーナと、口に指を咥えたピョコが羨ましそうに見ていると。


「見つけたよ」


「え?」


 いつの間にかサクヤも一匹だけだが、うさぎをゲットしていた。


「うそ! どこにいたの」


「足元にいたよ」


 ぐったりとしたうさぎを掴んで、にっこり笑うサクヤがいた。


「サクヤさん、すごいですっ!」


 ピョコが青いおさげを揺らして、ピョコピョコ跳ねる。


 しかしうさぎはまるで人形のようで、血も出ていない。

 矢もナイフも刺さっておらず、ただぐったりしたうさぎがサクヤの手の中にある。


 いったいどうやって、とスシャーナが訊ねると、ただ眉間のところを叩いて仰向けにしただけだよ、と言う。


「うさぎ類は仰向けが弱いんだ」


「……サクヤン、なんでそんなことを知っているの」


 スシャーナは貴族たちが通う学園予備校でもポエロと一位二位を争ってきた。

 当時は第一学園に入る者たちよりも成績は良かった。


 なのに、その自分が知らないことを、サクヤはいろいろ知っている。


「とにかくこういう生活が長いからね」


 サクヤがうさぎを懐に仕舞いながら笑ってみせた。




 ◇◇◇




「……あれ、水の音?」


「それっぽいね」


「はいっ、自分もそう思いますっ!」


 歩くにつれ、ゴォォ、という水の音が小さく聞こえ始めた。

 道沿いに立てられた木の看板には、「濁河あり釣り注意」と書かれている。


 列がちょうどそちらに折れ曲がる。

 ついていくと、土色の水を轟々と流す巨大な川に出くわした。


 川は大きなくの字を描いて、道から再び離れていく。

 流されてきたのだろう、川岸には折れた木が折り重なるように積み重なっていた。


「この川は立ち入り禁止だ」


 近くで見張っていた兵士のうち、頭頂が禿げ上がった兵士が釣り竿を担ぎながらスシャーナたちに告げた。


 この大きな川は「濁潤河」と呼ばれており、夏、秋、冬は澄んだ川だが、春先だけ雪解けの水が入り、水かさが増えて周りの土砂を洗い、濁流となる。


「汚れたからって足を入れるなよ。『水酔魚みずよいぎょ』に喰われるぞ」


 まさにそうしようとしていた生徒が、青い顔になって後ずさった。


 水酔魚は肉食で、年中この川に棲んでおり、濁流となっていることもあって、今の季節だけは舟で渡ろうとする者も見られない。


「うえぇ……」


 生徒たちが悲鳴を上げた。


 確かに少し離れた岸に打ち上げられた熊らしき亡骸が、不自然な虫食いを受けたような、異様な姿を晒していたのである。


「水酔魚……」


「こわいですっ」


「釣れると美味いんだがな」


 中年の兵士がさおで釣る真似をしながら言った。


「お、美味しいんですか?」


 スシャーナは不思議そうにゲ=リに目を向けた。

 しかしいつも説明してくれる先輩も知らないようだった。


「水から出ると凶暴性を失い、ただの食用魚になるから水酔魚というんだよ。特に珍しくない。リンダーホーフにも、リラシスの川にも棲んでるよ」


 そこでサクヤが説明してくれた。


「た、食べるの?」


 スシャーナが恐る恐る聞く。


「白身魚で癖がなく、うまい。僕は塩と唐辛子と刻んだ大蒜にんにくをかけて、刺身で食べるんだ」


 サクヤは、聞いていないのに食べ方まで教えてくれていた。


「へ、へぇぇ……」


「じ、自分、ちょっと信じられません……」


 ゲ=リとピョコが遠巻きで、恐る恐る濁潤河を覗き込んでいる。


「サクヤン、大蒜にんにく好きなの」


「うん。けっこう好き」


 サクヤは流木の乾いている幹をばりばりと無造作に剥いて、懐に入れながら言う。


「ところでピョコ、これとか少し持てるかな」


「持てますっ。パーティストレージに入れておきますねっ!」


 サクヤはついでに足元の、何に使うのかわからないただの石をピョコに拾わせていた。


「何に使うの」


「後でちょっとね。こんなありふれた石でも、必要な時に探したら見つからないものなんだ」




 ◇◇◇




 不思議なことに夕方になると、空の立ち込めていた雲がどこかに消え、陽が姿を現していた。

 雲が晴れて現れた北東の四天の山の頂に、登り行く月が重なっている。


 夜、魔物は活発になる。


『魔物討伐学』で一番最初に習うくらいの常識である。

 それゆえか、西日が赤く染まり始めた早い段階から、歩いていた列が広がるように散って、野営の準備を始めた。


 そこには木々を伐採し、踏みならしたらしい小さな広場があった。

 徒歩で四天の山方面に入る蛾尾がびたちが、野宿するために切り開いた場であった。


 もちろん徒歩パーティの全員を収容できるほどには広くなく、さっそく場所を取り合って言い合いになったり、落ちている枯れ枝を奪い合ったりする光景に、スシャーナは顔をしかめた。


「暗くなる前にそこの木で天幕を張れ」


「おい、そこ俺たちが先にとった木だぞ」


「急げ、火ぐらいおこすぞ」


『野営学』の授業では、野営の準備に早すぎるということはないと生徒たちは習う。

 できることは早いうちからしておき、食事を済ませたらさっさと休む。


 酒を飲んだり、夜遅くまで騒ぎ立てるなどは、言うまでもなくタブーと教えられる。


 今回、学園は『野営』が採点対象であることをあえて公表しているのも、生徒たちが夜になって悪乗りしないよう、予防線を張っているのである。


 野営する場所は広場の他にもいくつかある。

 沢の近く、背の高い木の下、洞穴。


 しかし広場内は人気スポットになっており、生徒たちがひしめき合って、露しのぎの天幕を張っていた。


「どうしよう、広場のスペースがなくなってしまったわ」


 奪い合うのがあまり得意ではない、いや正確に言えばしたことがないスシャーナが、サクヤを不安そうな目で見る。


 スシャーナたちの目には、今や場所取りを終え、広場で這いつくばって火をおこそうと躍起になっている生徒が数多く映っている。


 しかしサクヤは広場じゃなくて全然大丈夫だよ、と笑った。


「今日は風があるし、空に筒抜けている広場は、どうしてもにおいが上に抜けるから」


 本来はやめたほうがいいと思うんだけどな、とサクヤは暗くなりつつある空を見上げながら言った。


「そうなの?」


「木々が多少なりとも頭上に葉を広げている方がいい」


 葉は予想以上ににおいを緩和してくれるんだ、とサクヤが言う。


 魔物の大半は嗅覚が鋭敏であることは知っていたが、そこまでは繋がらなかった。

 スシャーナがちらりと見ると、ゲ=リも初耳のような顔をしていた。


「においで大鴉オオガラスが来るってこと?」


「そう思うよ。さっき飛んでいたし」


 ミザリィの空には「ハイエナ大鴉」という魔物が現れる。


 ハイエナ大鴉は嗅覚が優れるほか、夜目が利き、死角からとびかかって獲物を襲い、食い漁ることで知られている。


 実は開始時、空騎獣を駆って発っていった三年生たちも、そのほとんどが昼前に着地し、地面を歩いている。


 累武のように速度が出るか、大鴉の上を越えていける竜のような空騎獣でないかぎり、この危険地域を乗り越えることはできないのである。


「それなら、どこがいいかしら……ともかく急がないと」


 スシャーナが慌てた様子であたりに目を向ける。

 ピョコもしゃがんで目を凝らして、良さげな場所を必死に探している。


「あそこなんかどうかな」


 サクヤが指さしたのは、広場から少し森側に入った、何の変哲もない茂みだった。

 腰までの丈の高い草で覆われている。


 その付近は、まだ誰も場所取りをしていなかった。


「待って、森の中で野営?」


「いや、正確にはきわだね。ちょっと見てみよう」


 そう言って、みんなでそちらに向かう。


「……あ……」


 近づいてみると、そこには大きめの倒木が表面を削られ、三本並べて置かれていることにスシャーナは気づいた。


「この上に横になれそうだ」


「地べたに直接寝なくて済むのね。あたし、ただの茂みにしか見えなかったのに」


蛾尾がびたちが使った場所なんだと思う」


「サクヤくんよく見つけたね。誰が見つけるかなと思っていたんだけど」


 早々にゲ=リが唸った。

 いや、サクヤンはともかく、ゲ=リ先輩は本当に気づいていたのか怪しい、とスシャーナは眉をひそめる。


「じゃあそろそろ張世ちょうよを出してもらおうかな」


 サクヤがここで脈絡なくスシャーナの騎獣を出せと言う。


「え? ここで乗るの?」


「いや、乗りはしないんだけど」


 出してくれればわかるよ、とサクヤが笑う。


「………」


 よくわからなかったが、サクヤンの言うことだから、とスシャーナは素直に聞いて、張世ちょうよを出した。


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