第78話 学年末実技試験2
「おい」
「なによ」
その背中に乗っているのは、予想通りポエロであった。
後ろに重なるように連れの坊主の少年、バヤとボヤが乗っている。
「歩きかスシャーナ。だせーな」
「あんた、運動音痴の癖にそんな騎獣、乗れるの?」
さっそく絡んでくるポエロにスシャーナも言い返す。
見た目も美しいこの坐皇を購入するとなれば、金貨30枚超。
下手をすると、下級の空騎獣が買えてしまうほどの値段である。
一般に騎獣というのは、自分で野生のそれを捕まえて馴らすのではなく、【調教師】がスキルで馴らしたものを購入する。
だが、スキルがなければできないかと言えば、そうではない。
たとえば坐皇の調教ならば、脂ののった牛の肋肉を炙って香りをもたせ、毎日、同じ時間に与え続けることから始まる。
最初は遠くから投げ、日を追うごとに距離を縮めていくが、それだけで数週間をかける。
ある程度懐けば、その体躯に触れさせてくれるようになるが、背に跨ることを許すまでが坐皇は特別長く、その後も牙を折る難関があり、半年かかっても調教できない例もある。
その一方で、高レベルの調教師なら、一週間程度、下級でも1ヶ月とかからない。
それゆえ、自分で調教する例は1%にも満たないと言われている。
「そうやってチンタラと進むがいい。俺たちはソッコーで村につくからな。早さも評価のひとつなんだぞ」
それを聞いた隣のサクヤが軽く吹き出した。
「何がおかしいんだてめぇ」
「やめておいた方がいい」
しかしポエロは、鼻で笑う。
サクヤの言葉を僻みととったようだった。
「ふ、貧乏人。坐皇に乗りたいんだろ? 乗せてやろうか」
「ていうかあんた、さっき陸騎獣で行く集団が出発したでしょ。どうして一緒に行かないのよ」
「あれは二年だろ。俺達とは行く場所が違うっつーの」
ポエロが見下ろしながらへっへ、と笑う。
「方向が一緒なんだから、途中までご一緒させてもらえばいいじゃない。ミザリィでそんなことやってたら、死ぬわよ」
「『土の神』使いの俺が死ぬわけねーよ」
ポエロが自信満々に言い放つ。
「で、乗りたいんだろ、スシャーナ。乗せてやろうか?」
「あんたね、みんなの視線に気づかないの? 道塞いでて邪魔なの。行くならさっさと行けば?」
スシャーナの言葉の通り、じとり、とした視線が、周囲からポエロに注がれていた。
今ここに残っているのは、徒歩を決めているチームばかりである。
「くく。
スシャーナの顔が、軽く青ざめた。
「騎獣がいれば逃げられたのに、って泣くんじゃね?」
「違いない」
バヤとボヤの言葉に、アハハハ、とポエロが笑う。
「後で俺たちに泣きつくなよ、スシャーナ」
そんな捨て台詞を吐いて、ポエロたちは去っていった。
「……あーもう。相手にするだけで疲れるわ」
「誰かに構ってほしいんだろうね」
まるで動じていないサクヤが、スシャーナには頼もしかった。
「そうだわ。あたし、一応
もちろん騎乗できるが、その動きはゆっくりで移動手段として用いることはほとんどない。
「いや、今は必要ないと思う」
「ねぇサクヤン、どうしてうちはみんなで乗れる大きな馬にしなかったの」
スシャーナの家でも、騎獣はいくつか取り揃えていた。
しかし事前にサクヤに相談したら、いろいろある中でも
「急ぐといいことがないから」
「どうして? 評価だって早く着いた方が……」
「すぐにわかるよ」
サクヤが笑った。
◇◇◇
「ひゃっほー!」
「最高の気分だ!」
街道を颯爽と駆け抜けていく白い騎獣、坐皇。
ポエロたちはぞろぞろと歩く貧乏な生徒たちを抜き去り、かつてない爽快感に満たされていた。
「見たかよ、あのスシャーナの顔!」
「見た見た、助けてくださいって顔だった!」
「マジわろた!」
ポエロたちが高笑いする。
内心、脅かしてもまるで動じなかったサクヤに苛ついたのは、少なからずあった。
だが困っても乗せてやるものか、と心に決めると、ポエロは晴れやかな気持ちに戻ることができた。
「ポエロ、そろそろ止まんねーと」
「あ、そうだな、あいつを忘れてた」
そう言って
「……で、あんたたちはこのまま進むの?」
馬に跨がり、遅れてやってきた三年生の女子が、冷めた声音で疑問を呈する。
彼らに付き添っている上級生である。
ポエロは当然のように頷いた。
「地図さえあれば道はわかるんだから、さっさと駆け抜けちまえばいいんだよ」
「本当に駆け抜けるの? 森なんだけど。止めた方がいいんじゃないの?」
彼女はもう一度訊ねた。
上級生は一年生の方針に口出しすることができないが、危険行為の抑止はできる。
「ははぁ、さては先輩、こういう高級な騎獣に乗ったことがないなあ?」
「魔物はね、坐皇の速さについてなんてこれないって」
「どうせやばい奴は『事前掃討』してるじゃんよ」
ポエロたちが喜悦に満ちている。
「わかりました。危険すぎるので私、引き返しますんで」
何度もミザリィの土地を経験している上級生の忠告なのだから、一年生はたいてい従う。
しかし今のように一年生が従わない場合、上級生は自己犠牲までして、その無謀な行為に付き合う必要はないとされている。
「なに」
そう言って三年生の女子は小さな花火を上げて合図し、出発地へと引き返した。
「……なんだよあの女。興醒めだな」
「いけすかねぇと思ってたんだ。ブスだしさ」
ポエロとボヤがぼやく。
「どうせ貧乏な生まれで、ポエロの坐皇も初めて見たような顔だったよね」
「俺たちの高尚な考えについてこれないんだろ」
「あはは、ちがいないや」
ポエロたちはもちろん、気にもとめなかった。
◇◇◇
「――よし、突っ込むぞ!」
「おぉ!」
「ヒャッハー!」
坐皇が勢いを増し、地図の通りにひとつ目の森に突っ込んだ。
彼らは目的地をただ地図上で直線で結び、その最短距離を行こうとしていた。
早く着くことで、得点を稼ごうとしているのである。
もちろんそれがどれだけ無謀な考えか、三人の誰ひとりとして理解していない。
「アハハハ!」
ガサッ、という音とともに森に突っ込んだ途端、ポエロは一気に視界が暗転した。
真っ暗だった。
緑の濃密な香りに、普段嗅ぐことのない異臭が色濃く混じっていて、小さな嘔気がポエロを襲う。
「……へっ! なんだよこの臭い」
ポエロはそれを笑い飛ばそうとする。
しかしその時、ウォアァァ……という誰かのうめき声が近くから聞こえてきた。
「――だ、誰だ!」
背筋がぞっとして、そっちに目を向けるが、まだ目が慣れずに見えない。
幸い、坐皇はお構いなしに風を切って走り、そのうめき声の場所からは早々に遠ざかった。
「おい、聞いたかよ」
「い、今の……なんだよ……」
「たぶん
「やべ、俺吐きそう、止めて」
「お、俺も」
バヤとボヤが力ない声で言う。
「ば、馬鹿、止めたら今の
初めて出遭った
彼らの顔からはすでに笑みなど吹き飛んでいる。
頭をもたげる不安。
早々にも、ポエロの脳裏では警笛が鳴っていた。
これ、戻ったほうがいいんじゃ……?
ポエロの鈍感な感覚においてさえ、この森の中は危険が潜んでいるように感じられたのである。
が、スシャーナに啖呵を切った手前、どうしてもそれが躊躇われた。
「だ、大丈夫だよな……ここ」
ポエロは気休めでしかない言葉を口にする。
「………」
バヤとボヤからは返事がない。
嘔気を堪えるのみで、二人にはもはや会話する余裕が無いのである。
「うわ」
「まただ……」
坐皇が進むにつれ、再び、何かが腐ったようなにおいがし始めた。
今度のは、草木のにおいが消え去るほどに臭い。
ポエロたちの目は、まだ闇に慣れない。
「アブブブ……」
「ヴァアァ……」
今回はさっきよりも近くからうめき声が聞こえてきた。
ただ反射的に顔をそちらに向けた、その時。
「ひっ!?」
ポエロはぎょっとした。
頬に、焼けるような痛みを感じたのだ。
幸い今回も坐皇は勢いを緩めずに駆け抜け、その場をすぐに抜けることができた。
「……うぅ」
坐皇の背に掴まりながら、バヤとボヤが吐いている。
しかしそんなことはどうでもよかった。
「………」
ポエロは、今だに痛みを発する頬を触れた。
ぬるっとする感覚。
血が出ている。
「………」
ポエロの額に、汗が浮かんできた。
今のはまさか、
「今の……」
目が馴れておらず、どちらの
いや、違う。
きっと木の枝かなにかにあたって擦り傷になっただけだ。
坐皇の速度で進んでいるのだから、攻撃なんか当たるはずが……。
その時。
「――うわっ!?」
「ひぃ!」
突然、坐皇が下を向いた。
三人は悲鳴を上げながら前のめりになった。
坐皇は傾斜のきつい、崖と言ってよい落差を下り始めたのだ。
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