第45話 獅子奮迅の勇者

 

「くふふ」


 カルディエがいつものように半眼になって、フィネスに笑いかける。


「……いったいなんですか」


 フィネスが手で染まった頬を隠すようにしながら言った。


「わたくし、話を聞くうちにフィネス様のご慧眼に感服いたしましたわ」


「……えっ……?」


 フィネスが瞬きをする。


「たしかに、サクヤ様は他の男とは違いました」


「どういうことですか」


「いやー、しかしあの『導師級魔術師』ですら……」


 カルディエがシャンデリアに視線をずらしながら、わざと最後を濁す。


「……えっ?」


 フィネスが聞き直すが、カルディエは何も言わない。


「ど、どういうことですか、カルディエ」


 フィネスが十分に食いついたのを確認して、カルディエがいつもの笑みを浮かべる。


「教えて、カルディエ」


「………こほん。えー」


 カルディエが、咳払いする。

 こうやって相手が欲しがる情報ほど、出し渋るのがカルディエという人だった。


「サクヤ様はですね……」


「サクヤ様は?」


「えー、おほん」


「カルディエ……他の男性とどう違うのですか」


 フィネスがしびれを切らす。


「くふふ。……実はサクヤ様、魔王討伐パーティのお一人だったそうですよ」


「……えっ……!」


 フィネスが言葉を失う。


「……うそ……サクヤ様が生還者サヴァイバー? それでは話が」


「そうですね。アラービス様の話では辻褄が合いませんわ」


 勇者パーティのうち勇者、聖女以外の集められた者たちのことを、まとめて『付き添い』と呼ぶ。


 魔王討伐に生き残った付き添いは生還者サヴァイバーと呼ばれ、地元で称えられるが、決して名前を公にしてはならない決まりがある。


 初代勇者パーティより続くこの歪んだ習わしは、勇者と聖女の二人以上に名が轟くことを避けるためと言われている。


 今回の魔王討伐パーティに付き添いは五人いたとされているが、アラービス曰く、五人いずれも魔王との死闘に耐えられず、死したとされている。


生還者サヴァイバー……そんな偉大なお方だったのですか……」


 フィネスが高鳴る胸を鎮めるように、右手で押さえる。


 強大な力とともに宿命を背負った勇者や聖女ならいざ知らず、一般人が異界たる魔界に降り立ち、死闘をくぐり抜けて決死の魔王討伐に向かったことだけで、十分に評価されるべきことだろう。


「しかもですよ」


「……し、しかも?」


 フィネスが瞬きをする。


「――失礼いたします」


 人差し指を立てて口を開いたカルディエだったが、ちょうどそこで料理が運ばれてくる。

 昼から雌牛の高級部位のワインソテーと海鮮たっぷりのパエリアという、豪勢なものだった。


「戴きますわ」


 笑顔になったカルディエはさっそく、一口、二口と口に運ぶ。


「うーん、おいしい!」


「カルディエ、しかも、の続きはなんなのですか」


 フィネスが待ちきれない様子でせっつく。


「むふふ……」


 カルディエは三口、さらにここぞとばかりに水をゆっくりと口に含んだりと力一杯、間を置く。


「カルディエ、お願い、そこだけでいいから先に聞かせて」


 カルディエがハンカチでゆっくりと口元を拭くと、にやっとする。


「……ミエル様がおっしゃるには、魔王討伐が成し遂げられたのは、勇者ではなく、別の者の力によるところが大きかったと」


 フィネスが耳を疑った。


「……勇者ではなく? いったいどういうことですか」


「ミエル様の語った実話は、伝えられた魔王討伐の流れとは似ても似つかぬものでございましたわ」


 そう言って、カルディエは語り始めた。


 アラービスたちは聖女ミエルの〈祝福ブレス〉を受けて、魔王との戦闘を開始。

 序盤は魔王に光の魔法でクリティカルダメージを与えるなど、今までの討伐失敗を払拭するような、勢いのある攻撃を展開した。


 しかし、それもつかの間。

 魔王の召喚により、様相は一変した。


「【怨嗟】の『煉獄の巫女アシュタルテ』ですね」


「ええ、ここまではアラービス様の話の通りです」


 ――煉獄の巫女アシュタルテ


 黒き殺戮の闇乙女。

 幾多の名高き勇者パーティを苦しめ続けてやまなかった、魔の中の魔。


 過去の勇者たち同様、今回もその大悪魔ひとりに並々ならぬ苦戦を強いられたという。


「フィネス様、その後の話はご存じですね?」


 フィネスが頷く。


「仲間たちが頼りなく倒されていく中、『歴代最強』と呼ばれた勇者アラービス様が獅子奮迅の活躍をなされ、起死回生の一撃で『煉獄の巫女アシュタルテ』を葬り去ったと」


 そして勇者アラービスは負った傷の癒やしすら待たず、ひとり勇ましく魔王に斬りかかり、魔王の首をはね飛ばしたとされている。


 世界中の街で吟遊詩人たちが毎晩のようにうたっている、「獅子奮迅の勇者」のくだりである。


「それは嘘です」


「……え?」


 フィネスが固まった。


「実際のアラービスは、次々と殺されていく仲間たちを前に怖じ気づき、魔王を前に剣を捨て、命乞いをしたそうですよ」


「………」


 フィネスが、唖然とする。


「い、命乞い……?」


「だそうですわ。ミエル様がおっしゃるには」


 フィネスが苦笑いした。


「そ、それはいくらなんでもミエル様の嘘でしょう。仮にも勇者たる存在が……」


「…………」


 しかしカルディエは、くすりとも笑わない。


「嘘……ですよね……?」


「フィネス様、サクヤ様が生きている時点で、嘘をついている側は明らかでは?」


 フィネスがはっとして口元を手で押さえた。


「じ、じゃあアラービス様は……世界を?」


「そうです。世界を捨てて、自分とミエル様のふたりだけで助かろうとしたんですわ」


「…………」


 あまりのことに、フィネスは言葉を返せなかった。


 認めたくなかった。

 そんな男に、自分達が世界を預けていたということを。


「……わたくし、怒りすら覚えましたわ」


 カルディエは言葉通り、声を震わせた。


「そもそも、アラービスに『煉獄の巫女アシュタルテ』を始末する実力などなかったのですわ。逆に4人が殺されて『煉獄の巫女アシュタルテ』に追い込まれ、悪夢の討伐失敗、世界滅亡が如実に形を成し始めたとのこと」


 フィネスが息を呑む。

 しかしフィネスの頭に、当然の疑問が浮かんだ。


「待って。でも世界は救われたのでしょう? どうやって勇者パーティは魔王たちを?」


 フィネスの言葉にカルディエが頷く。


「勇者パーティのひとりが奇術を」


「……奇術?」


 フィネスが瞬きをする。

 カルディエが小さい笑みを浮かべると、静かに口を開いた。


「サクヤ様が『煉獄の巫女アシュタルテ』を配下に下されたのです」


 ガシャーン、という音が室内に響いた。

 フィネスがグラスを落として割ってしまったのだった。


 足元に水と破片が派手に散らばっている。


 しかしフィネスは気にもとめず、ガタン、と椅子を鳴らして立ち上がり、カルディエに向かって前のめりになった。


「……いま、なんと?」


「サクヤ様が『煉獄の巫女アシュタルテ』を配下に下された、と」


 フィネスの顔色が一変した。


「――あり得ません」


「フィネス様、嘘ではありません」


「カルディエ、あれは『ソロモン七十二柱』。我々人間には決して従わない」


 魔王が最強の下僕、『ソロモン七十二柱』。

 彼らは天使に同格となる者が存在しない、破格の悪魔。


 そんな存在が、どうして下等な、一介の人間などに従うはずがあろうか。


「フィネス様……」


「カルディエ、あなたが騙されています。それだけは天地が翻ったとしても、断じて起こり得ません」


 フィネスはまるで信じようとしなかった。


「事実、サクヤ様に従ったのです」


「………」


「フィネス様」


「……あの史上最悪と言われた『煉獄の巫女アシュタルテ』が、ですか?」


「そうです」


「そんなことが本当に起こり得たとしたら、サクヤ様は歴代の勇者すべてを超えた存在ということになってしまいますよ」


 だがカルディエは一向に動じない。


「その通りです。そしてサクヤ様は、手にしたお力で魔王を追い込んでくださった」


「ミエル様の作り話ですね。暴力を振るったアラービス様へのあてつけでしょう」


 フィネスが額に手を当てて大きく息を吐く。

 それを見たカルディエは、目を細めた。


「……信じて頂けないと?」


「当たり前です。そんな次元の違う悪魔を従えるなど――」


「――それならフィネス様、逆にお訊ね致します」


 カルディエがフィネスの言葉を遮った。

 カルディエが王女たるフィネスにこんなことをするのは、かつてないことだった。


「どうしてサクヤ様が生きていらっしゃるのでしょう」


「………」


「どうしてアラービス様の話では、サクヤ様は影も形もないのでしょう」


「……そ、それは」


 フィネスが言葉に窮する。


「サクヤ様は話から消され、死んだことにされたのですわ。至極簡単な理由で」


 フィネスがはっと息を呑んだ。


 聖女ミエルが語ったストーリーなら、サクヤは間違いなくアラービスよりも活躍している。

 それが事実なら、アラービスはどう考えるだろうか。


 サクヤを死んだことにして、その手柄を我がものにしようと考えはしないだろうか。


「聖女ミエル様と勇者アラービス様、どちらが正しいかは自ずと明らかではありませんか?」


「……それは推測の域を出ません」


「わかりました」


 カルディエが割とあっさり引いた。


「……えっ……」


「まあこんなところでああだこうだ言っても、サクヤ様御本人にお会いすればわかることですし」

 

 カルディエが湯気の上がらなくなった料理に視線を落とす。

 手をつけようとフォークを持つが、それを置いて再びフィネスを見た。


 カルディエは、割と真剣な表情をしていた。

 そのいつもとは違う態度を、フィネスが感じ取る。


「……なんですか」


「フィネス様は煉獄の巫女アシュタルテを従えるはずがないと断言されましたね」


「当たり前です」


「こうしましょう。もしわたくしが言った通り、サクヤ様が煉獄の巫女アシュタルテを従えていたら」


「……従えていたら?」


「わたくしもアプローチさせて頂きますわ」


 フィネスが目を見開いた。


「……そ、それはダメ! ……絶対に!」


 フィネスがムキになって、立ち上がる。

 その顔は真っ赤になっていた。


「だってそんな素敵な男性、まずいませんもの」


 サクヤ様、未婚なんですって、とカルディエがテーブルの上に両肘をついて、にっこり笑う。


「だ、ダメよ! だいたいカルディエ、自分は惚れにくいから大丈夫って言っていたでしょう!」


「フィネス様のせいですわ。何ヶ月も同じ人を追い続けろと言われたら、それは好きにもなります」


「………」


 あっさり言ってのけるカルディエに、フィネスが言葉に詰まる。


「――ダメダメダメ! サクヤ様は私が先に見つけたんですから!」


「うふふ。恋愛に順番は関係ありませんわ。横取りすらOKなんですし。わたくしの方が若くて好んでくださるかも……」


 肌艶の良い太ももを持ち上げて撫でながら、にやりとするカルディエ。

 カルディエはからかっているつもりでも、フィネスはもはや、冷静に物事を捉えられなくなっていた。


「――も、もうダメぇぇぇ絶対に――!」


 VIP部屋に、フィネスの叫び声が響いた。



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