第22話 迫真の演技

 


「なぁ、いたか」


「いえ、いなかったですよね? サクヤくんていう名前でしたよね」


「………」


 僕は小さく汗を拭き、平静を装う。


「ゴクドゥー先生、名前間違ったんかな」


「いや、サクヤでいいはずだよ。黒髪で背が小さくて、ほら、ちょうどあんな感じの子で……って、あれ?」


 ちらりと見ると、上級生の誰かと目が合った。

 その人は紛れもなく、僕のクラス分け試験を手伝ってくれたひとりだった。


 上級生の右手が、僕を指差す。


「――あの子だ!」


 僕は舌打ちし、走り出す。


「追え! 逃すな!」


 僕は寮の玄関をくぐり、靴を履きかえロビーを駆け抜け――。


「こら、寮内を走るな」


 ちょうど二階からロビーに降りてくるエルフの男先生に見つかり、お叱りを受ける。


 言われたとたん、僕は流れるように競歩になって抜けていく。


「おぉ!?」


「おい、待つんだ!」


 しかし後ろから、バタバタというたくさんの足音。

 背後から鋭い女性の声も飛んでくる。


 次第に追いつかれる、競歩の男。


 くそ、みんな走ってる。

 僕だけバカみたいじゃないか。


「キミのことだ。行くな。待て!」


 右手を掴まれそうになり、自然な動作で回避し、尻を掻いた。


「キミ!」


 また掴まれそうになり、今度はもつれたふりをしてびたーん、と転んだ。


「つ、掴めない、ねぇキミ!」


 ムカデのようにくの字で起き上がる。

 そして、流れるような自然な動作でまた競歩へ。


「待ってって!」


 そのままセーブポイントに逃げ込もうとしたが、さすがに取り囲まれていた。


「はぁ、はぁ……やっと捕まえた」


 目の前に、息を弾ませた女生徒が腰に手を当てて立っていた。

 ふわり、と柑橘の香りが香った。


「僕のことでしたか」


 今気づいたかのように言う。


 色白の、金髪碧眼の女性。

 膝上のスカートの裾から伸びたスラリとした白い脚が、仁王立ちしているせいで開かれている。


 あ、この人、壇上で挨拶していた人だ。

 確かフユナという名の。


「……やっぱりキミ……あの時の」


「へ?」


「あの時の自殺願望者だな。いったいどうやってあの『トロルの森』から生還したのだ?」


 そこまで言われて、あぁ、と気づく。

 そうか、このフユナ先輩があの時の。


 それよりあの森、『トロルの森』って呼ばれているのか。

 たしかにトロルは居たな。

 すぐに巨鳥に食い殺されていたけど。


「僕、実は夢遊病もちで」


「……夢遊病だと?」


 フユナ先輩が瞬きをする。


「僕、そんな危ない所に行ってたんですねーいやー無事でよかった」


 しかし彼女は目を細め、まだ疑うような視線を向けている。

 ちょっと棒読み過ぎたかな。


「ところで白ぱんつさんが何の御用で?」


「なに」


「ところで白い肌の先輩が何の御用で?」


 ちょっと聞こえたのか、先輩は眉間にシワを寄せると、怖い顔をしたまま訊ねてきた。


「……私の名はフユナ。ここの三年だ。ゴクドゥー先生から名指しされたプラチナクラスの一年生を探している」


「それは大変だ。頑張ってください」


 僕は笑顔で通り過ぎようとしたが、左手は離してくれない。


「なんとなく気になった。キミの名前を教えてもらいたい」


「トイレ行ってからでいいですか」


 フユナ先輩はしかし、逆に手をぎゅっと握った。


「名前を先に言え」


「差し迫っているんですけど」


「名前ぐらい、今のうちに言えるだろ」


「――うっ!?」


 僕は、鋭く中腰になっていた。


「………!」


 それを見た周りの人たちが、生暖かい、言いようのない表情になる。


「………」


 静まり返る寮の玄関。


「……ど、どうした……まさか漏ら……」


 フユナ先輩が何かに気づいて、僕の手をぱっと離す。


 僕は涙を拭いて駆け出した。




 ◇◇◇




「ふう」


 セーブしながら考える。


 きっとフユナ先輩はトイレの前で、僕が出てくるのを待っているだろう。


「まあ時間の問題か」


 逃げ回っていても、寮生活をしている以上、いずれ顔を合わせるのは避けられない。

 それよりも、あの人たちの変な期待をへし折ってしまう方が確実だ。


 僕は意を決してトイレから出る。

 はたしてそこには、あのフユナ先輩がいた。


「あ……」


 目と目が合う。

 気まずい沈黙が流れる。


 フユナ先輩が目を泳がせ、何も言えずにいる。

 そうか。このひと、僕が本当に漏らしたと思ってるんだ。


「どうかしましたか」


 僕は毅然とした態度で訊ねる。


「あ……き、着替えとか大丈夫なのか」


「よく漏らすので持ち歩いてます」


 僕は当たり前のように言った。


「よ、よく? ……そ、そうか。おなかが弱い人もいるからな。私はそんなことで差別的には見ない。いや、それよりさっきは本当に済まなかった」


 フユナ先輩がブロンドの髪を揺らして、ペコリと頭を下げた。

 なんで謝るんだろう、と思ったけど、すぐに納得がいった。


 確かに自分が引き留めたせいで漏らされたとか、一生トラウマだ。


「慣れてますから大丈夫です」


「そ、そうか……そうだったな」


「それより僕の名前でしたね。僕はサクヤと言います」


 フユナ先輩が目を見開いた。


「やっぱりキミだったのか。なんとなくそんな気がしていたのだ」


 聞けばゴクドゥー先生が逸材かもしれないと彼女に紹介したという。


「そう言うわけで、一応顔だけ覚えておこうと思ってな」


「誤解ですよ」


「知っているかもしれないが、私はパートナーとなってくれる強い人材を探している。よかったら手合わせしてくれないか」


「パートナー?」


「あぁ知らないのだな。3つの国防学園は年に一回、そのメンツをかけてぶつかり合う『連合学園祭』を行うのだ。我らの学園は設立以来ずっと一位をとったことがないのだが」


 フユナ先輩が自嘲するように笑った。

 今から半年後に予定されているその学園祭では、ペアを5組ずつ参加させ、バトルロイヤルルールで戦う種目があるのだという。


「なるほど」


 チカラモチャーとしては、ちょっと面白そうだなと感じた。

 そうか、この国の国防学園ってこんなおもしろいことしてたんだ。


「私は昨年そこで……」


 フユナ先輩は遠い目をしたかと思うと、言葉をつまらせた。

 その光景を思い出したのか、僕から視線をそらし、昂った感情を鎮めるかのように深呼吸をした。


 再び視線を合わせた時には、彼女はさっきまでと変わらず、微笑を浮かべていた。


「とにかくパートナーを探している。よかったら――」


「ここに、いた。なんで、来ない」


 ちょうどそこで、お怒り気味のヒドゥー先生に遭遇する。

 なかなか来ないので、わざわざ僕を迎えに来たらしい。


「あ、すみません。今向かってるところでした」


 出前の蕎麦屋に、本当にこう言われたことがある。


「あぁ、忙しそうだな。じゃあ機会があればまた会おう」


 そう言って、フユナ先輩が去っていった。



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