第20話 雨みたいのキタ?

 


 〈【認知加速】が発動しました〉

 〈【悪魔の数式《ティラデマドリエ変換》】が発動しました〉


 サクヤを守るように、禍々しいなにかがのそり、と気配を現す。


 〈【ソロモン七十二柱】煉獄の巫女アシュタルテが怒りました。反撃を開始します〉


「………!」


 驚愕した表情のサクヤが、慌てたように自分の胸元を覗き見る。


 そこには、清楚な女性の顔が現れつつある石板があった。


「………」


 勢いをもって青ざめるサクヤの顔には、「寝不足で外し忘れてました」と書かれていた。


「απόγευμα αιώναςέκρηξη ἔκρηξις……」


 間を置かずして、歌うような女性の声が未知の言語を紡ぎ始める。


「……え……?」


「なにこの言語……誰が……?」


 生徒たちが顔を見合わせる。


「……こ、これはまさか!」


 言語研究家でもある教師ヒドゥーが、ぎょっとして後ずさった。


 刹那。

 皆が飛び出んばかりに目を見開いた。


 ――ドドドドドッ!


 第三国防学園のグラウンドに、凄まじい轟音が鳴り響いた。

 なんと何処かより召喚された5つの黒塗りの剣が、空から落ちてきたのだ。


 直下にいた泥人形ソイルパペットたちは、【闇の光】を纏ったその剣に貫かれる。


 土で作られただけの体は一瞬で水分を蒸発させられ、粉のようになって舞い散っていく。


「………」


 その現実離れした様子を、皆がただ呆然と眺めている。


 この強大な剣撃こそ、【ソロモン72柱】煉獄の巫女アシュタルテによる独自魔法オリジナルスペル、〈堕天使の烙印ルシフェルズブランド〉であった。


 しかしそれで終わりではなかった。

 再び。


 ――ドォォン。


 空から降ってきた、冷酷な巨大剣ジャイアントソード

 それが半ばまでグラウンドに突き刺さる。


 〈発動失敗 上位追撃【天女の復讐】 敵はすでに死亡しています〉


「………」


 しーん、と静まり返るグラウンド。

 生徒たちはもちろん教師も、元禁軍のゴクドゥーまでもが、言葉を失っていた。


 巨大剣ジャイアントソードが消え去った後には、グラウンドをえぐった凶悪な痕跡だけがありありと残されていた。


「なんか雨みたいの降ってきましたね」


 サクヤがやれやれ困ったな、と言いながら肩をすくめる。


「………」


 しかし皆はただ口をぽかんと開け、亀裂の入った地面を地蔵のように眺めるだけだった。




 ◇◇◇




 教室に戻り、帰りのホームルームが始まる。


「授業初日、お疲れ様でした。さっき地震が二回もあったみたいですね。みんな気をつけてね」


 また明日ね、とマチコ先生が優しく微笑む。

 その笑顔すらも、僕には悲しく映る。


「きりーつ、礼。ありがとうございましたー」


「………」


 だが、誰も動かない。

 いや、首から上だけが動き、皆が僕を振り向く。


「ありがとうございましたー」


 僕は俯きながらひとり、教室の出口を目指す。

 が、あえなくクラスメイトたちに取り囲まれた。


「あのさ……」


「ねぇサクヤくん」


「……ちょっと、さっきのサクヤくんが?」


 僕の周りに女子だかりができていた。


 僕はさっと視線を動かし、逃げ道を探る。


 が、廊下を見ると時すでに遅し。

 シルバーやゴールドクラスの女子たちが、これでもかとばかりに詰め寄せていた。


「……ねぇ! あなたすごいじゃん! あの時のポエロの顔見た? いったいどんな手品使ったの」


 そんな人だかりを押し退けて前に出てきたのはスシャーナだ。

 なんだかいつになく嬉しそうな顔をしている。


「あ、そうそう、サクヤくん。ヒドゥー先生が今日は絶対職員室に来てって――」


 答える間もなく、マチコ先生までもがそこに割り込んできた。


 僕はすとん、と姿勢を落とす。


「あいつに一泡吹かせてくれて、ホントにあり――」


 もう仕方がないので、後ろの女子の開いた股の下をかいくぐった。


「……あ、あれ? 消えた?」


「……えっ……?」


「さ、サクヤくん?」


 僕はそのまま地を這い、遠い方の扉から逃げた。




 ◇◇◇




 一年プラチナクラスの教室では、当人がいなくなってもサクヤの話題でもちきりだった。


「あのやろう……俺が目立つ予定だったのに」


 ポエロもその例にもれず、サクヤが出ていったらしい廊下を睨み続けている。


「まさか……あれも召喚?」


「……だとしたらすごくね? ポエロよりすごくね?」


「うるさい! それ以上言うな!」


 ポエロは自分のパシリたる二人の少年に怒鳴り散らした。


 あれだけのものを見せられれば、言われなくとも理解していた。

 自分が劣っていることを。


「サクヤとか言ったな……いったいどこから来た奴だ? 絶対に許さねぇぞ」


 ポエロは、王都マンマでは有名な豪商であるルヒテン伯爵家の長男だった。


 しかし姉が2人いた末っ子で性格も丸くなかったポエロは、幼少時から父母に特別に可愛がられたせいで、常に人の注目を惹きつけないと気がすまない人間になっていた。


 だからポエロは、誰かが自分より注目を浴びるということが、その身を削られるようにつらく感じるのである。


「本試験欠席で、特例試験で入ってきたやつでさ、誰もよく知らないらしいよ」


 ポエロのパシリAをしている坊主の少年ボヤが言う。


 特例試験は本試験と違い、試験範囲というものが事前に明らかにされない。


 それゆえ、試験当日は何によって自分を試されるのかがわからず、筆記試験と寄付金でより良いクラスを目指す貴族たちの間では、特例試験入学は論外だった。


「それでよくこのプラチナクラスに入ってこれたな」


「でもさ、笑ってよ。あいつ、寄付もしてないから寮に部屋なしなんだって」


 パシリBの坊主少年バヤが忍び笑いをしながら言う。

 この三人は学園予備校のころから、ずっとつるんでいた間柄である。


「くくく、そりゃかわいそうな家だな。あんなボロい寮ですら部屋があたらないとは。そういや制服も最低オプションだった」


 ポエロは満足したように笑った。


「でもマジでやばかったよね、さっきの」


 ボヤが言いながらその光景を思い出したのか、ぶるっと身震いした。


「なんの話?」


 ポエロが首を傾げる。


「え? いやさっき空から剣みたいのが降ってきてたじゃんよ。あれ」


「……いつ?」


 バヤもわからないといった表情でボヤを見る。


「え? ふたりともどうしたんだよ、ついさっきのことだろ……」


 そこでボヤも言葉を失う。


「あれ……」


 ボヤはふと自分の腕に視線を落とし、そこに泡立った鳥肌の意味がわからなくなる。


「僕……今なんの話してたっけ」


「サクヤの話だろ。寄付してないから部屋なしだって」


「いや……その後になんか話してなかった?」


「………」


「してたっけ?」


「……あぁそうだ」


 訊ねた本人のボヤがぽん、と手を叩く。


「制服も最低オプションって話だったな。まさに雑魚キャラ路線って」


「そうだった」


「でもなんでサクヤの話をしてたんだっけ」


「誰が言い出したっけね」


 三人は顔を見合わせる。

 わからなかった。


「つーかもう帰ろうぜ。今日の実技は俺が一番目立って満足だったしな」


 髪をかきあげて、満足げに言うポエロ。


「さすがポエロだったよ」


「スシャーナのあの顔、マジ笑ったね」


「全く、いい気味だぜ」


 三人がハイタッチする。


「さ、帰ろ帰ろ」


 三人は楽しげに笑い合い、教室を出る。

 あれだけ騒いでいた教室にはもう、誰も居なかった。




 ◇◇◇




「……オーマイガ」


 僕の安息の避難場所、トイレ。


 なのに、心穏やかではいられない。


 煉獄の巫女アシュタルテのあの降ってくる剣をクラス全員にガン見されてしまった。


「くそ、僕はいったいどうすれば」


 ほぼ徹夜であの必勝の秘策を編み出し、そのことばかり考えていた。

 煉獄の巫女アシュタルテを身に付けていたことをすっかり忘れてしまうとは、まさに愚の骨の頂き。


「こうなったら」


 作戦1。

 一人一人、口止めして歩く?


 いや、無理だ。

 先立つものもないし。


「そうか」


 それよりもとぼけ続けるのが得策かも。

 だいたい、僕があれを呼び出したと言う証拠なんてないじゃないか。


 作戦2と名付ける前に決まった。


 全力でとぼけよう。

 その間にきっと噂の75日くらい経つはずだ。


 そうと知った僕はトイレから颯爽と駆け出した。

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