幕間 2.出会い


 悲鳴。薄い木製の壁一枚隔てた外側から聞こえてくるのは、それだ。

 初めに聞こえたのは後ろを走る荷物が山と積んである荷馬車、その横転音と馬の嘶き。後ろの荷馬車の御者をしていた男が呻きながら何事だと声を上げたが、短い悲鳴を上げてそれ以降は喋らなくなった。


 この荷馬車も異音に気づき、何事かと馬を大人しくさせたていたが、奴隷商の男とその息子が後ろの様子を確認して直ぐ荷馬車を急発進させた。突然勢い付いた荷馬車に膝を丸めていた私達も悲鳴を上げて総崩れになる。身体を起こそうとした時またがたんと馬車が止まる。御者台の隙間から馬が二頭嘶き、上体を起こしているのが見えた。

 男達の怒号と悲鳴が聞こえるが、視界から二人の姿が消えた頃には、それも止む。壁の外から鈍い音が聞こえる。


 荷馬車の中はしんと静まり返っている。誰もが荷台の外で起こっている事を想像出来たから、自分の番が来ない事を祈っていたのだろう。そんな都合の良い事は起こらないのに。

 ろろろ、と喉の鳴る音、土を踏む幾つかの音が荷台の四方から聞こえてくる。


 てし、


 てし、


 てし。


 数度足音を聞いた後、御者台の隙間から鋭く光る眼光が一つ覗いた。すっと前に伸びた顔に並ぶ鋭い幾つもの歯、表面を覆う鈍く光る鱗。見た事はない魔獣だが、竜種だろう。エセルラプトルの様にも見えるが、あれとは色も面差しも違う。足音からして、二三体は居るだろう。今は鼻をひく付かせて、きょろきょろと瞳を彷徨わせているが、獲物を見極めている最中だろう。動いては、駄目。こういう奴らは動くものから狙ってくるものだ。抱えている猫とエトの口を抑えて、他の子にも目配せをする。

 けれども――。


「う、うわぁあああ!!」


 緊迫した空気に耐えきれなかったのか、奴隷仲間の男性が荷台の後ろに掛かっている布を掻き分け逃げ出してしまった。それに端を切ったか、歳の行った奴隷達が一斉に恐怖心に駆られ、一様に逃げ出す。御者台側に居た数人は前から跳ぶように跳ねて出た。


「駄目っ!動いては、外に出てはっ!」


 慌てて皆を静止しようと声を上げたが、全く意味を成さない。私の直ぐ後ろで身を縮ませているアリーとルーデリアは怯えて動けなかったようだが、幸いだ。奴隷仲間達が蜘蛛の子を散らす様に逃げ出し、残ったのは私達五人。

 外からは途切れる事無く悲鳴が聞こえてくる。前に逃げた三人を追いかける地竜の姿が見え、次第に遠ざかっていた。今の内に、御者台の裏に小さい子を移動させよう。前からなら、多少姿を隠せるだろう。皆に頭を下げさせ、私がそこに手を広げ覆い被さる。


「声を出さず、じっとしているのですよ。大丈夫、大丈夫です。」


 もしかしたら外の人達だけで満足して去ってくれるかもしれない、と淡い期待を抱いてしまう。せめて何か武器になるものでもあれば、と思考が過ぎった時、そう言えば奴隷商の男の息子が腰にナイフを吊るしていた事を思い出した。

 これでも奴隷に落ちる前は、お父さんや兄さん、集落の戦士集達と狩りに出かけた事も、簡単な戦闘訓練を受けた事も有る。獲物としては不十分だが、無いよりはましだろう。すっと御者台から顔を覗かせて、外を見る。前方の地竜が少し先で倒れている誰かに喰らいついているのが見えた。込み上げるものを堪えて皿に状態を起こして外下を視線で探る。右の馬の隣に横たわる首が明後日の方向に曲がった死体、その腰に光るものを見つけた。有った。耳を澄ませて、後ろに居るだろう存在に意識を向ける。……近くには居ない、ようだ。

 視線を前に戻すと、まだ貪っている最中の地竜が目に映る。行けるか……?と思った矢先、視線の先で地竜が地に伏した。何事だと目を凝らすと、その先から別の魔獣が一体、伏した地竜に歩み寄っていた。白い地竜……?


「!!」


 白い地竜が此方に顔を向けたので、慌てて御者台の影に隠れた。見つかった……?子供達が困惑した様に此方を見上げてくるので、無理に口角を上げ微笑んで見せる。

 暫くそのままの姿で居たが、途端荷馬車の周りに合った存在感がぎゃあぎゃあと叫びながら前方に走っていくような音が聞こえてきた。通り過ぎたのを音で確認してから、恐る恐る顔を上げて前方を見やると、あの地竜と同種の魔獣が二体、此方に背中を向けている。どうやらあの白い地竜と敵対しだしたようだ。此方に顔を向ける様子も無いので、身体を起こし、そろりと御者台から見を下ろす。白竜が此方を見た事がわかったが、あの二体の相手をしていて直ぐには此方には来れないだろう。今の内に男の死体近付いて、腰に刺さったナイフを抜き取った。


 よし、戻ろう。と視線を前に向けた時、信じられない光景が映る。

 白い地竜が、あの二体の地竜を事も無し、と言った風にあしらっていたのだ。何をしたのか、白竜が前に手を伸ばしたかと思えば、突進していた一体がまだ距離もあるのに崩れ落ち、もう一体へ直ぐ様近付いて胸に何かを突き刺したようで、あっけなく沈黙させた。あのように流れる様に戦う魔獣など、見た事がない。

 呆気にとられ、気づいたらその場にへたり込んでいた。ま、まずい。目下の脅威が取り除かれたとあれば、次狙われるのは私達だろう。身体が動かない。


 一歩、また一歩と白竜が此方へ足を向ける。身体が震える。でも、何故だろう。不思議と恐怖心では無い様に思える。では何故私は震えているの……?

 一歩、また一歩。もはや目と鼻の先。その気になればこの魔獣は楽々と私を殺せるだろう。じっと魔獣を睨みつける。

 一歩、また……あれ?


 通り過ぎてしまった。見逃された……?

 一瞬安心しかけたが、どうやら戻ってくる音が聞こえてくる。はっと我に返り、慌ててナイフを構えた時、白い地竜が荷馬車の影からぬっと顔を出した。


「こ、来ないで。」


 思わず声が口から漏れていた。

 その所為か、白竜の動きが止まる。じっと私を見つめ、暫く視線を彷徨わせたかと思うと、鼻から息を吐いた。何処か呆れの色を感じる。


「こんにちは、ここは危ないからさっさと帰りや。」

「えっ……?」


 驚愕。私は今、魔獣に話しかけられた……?初めに言葉を出したのは私だが、そんな事は些細な事だろう。ヒトの言葉を解す魔獣の存在なんて、聞いた事が無い。可笑しな訛だが、確かに喋った。私は夢でも見ているのだろうか?実はこれは旅中の夢で、今、現ではアネトン伯爵領へ問題無く進んでいるのだろうか?もしくは何かの音を聞き間違えているのかもしれない。


「こっからならこのまま進んだほうが早くこの森抜けれるで。たぶんね。」


 言葉が続いたので、どうやら聞き間違いでは無いようだ。白竜は何処かばつが悪そうに「ほいじゃ」と変な挨拶をして去っていった。少し先で森に入ったようだ。

 その姿をぼうっと見つめていて、次に我に返ったのは御者台から顔を覗かせたアリーが声をかけてきた時だった。


「ね、ねぇ。大丈夫なの?」

「え?え、ええ。ごめんなさい、大丈夫です。」

「どうなったのですか?」

「もう出てきて良いですよ。……あれ?」

「ど、どうしたの?」

「死体が、無い……。」


 奴隷商の男、その息子、馬、奥に有った筈の地竜と奴隷達その全てが忽然と消えていた。荷馬車から顔を出して、後ろを確認してみると、そこにある筈の奴隷達の死体も、後ろの横転した筈の荷馬車も丸ごと姿を消していた。土の地面に木の破片や血溜まりが出来ているので、そこに死体が有ったのは間違いない。それが何故……?私達が乗っていた荷馬車以外、あの白竜と共に消えてしまった。


「ほんとですね、馬の死体すら無いなんて、何処に行ったのかしら?」

「ふしぎですね。」

「なにが、あったの?」

「そうです、誰かと話していたみたいだけど。」


 何が、か……。正直、見ていた私でも何が起こったのか理解出来ていない。


「……言葉を解す魔獣に助けられました。」

「……何を言っているのです?」

「私自身理解出来ていないのです。ですが、事実です。」

「……そう。それで、これからどうします?まずはこの森を出て――」

「いえ……あの魔獣の後を追いましょう。」

「魔獣の後を?正気?追ってどうするの?」


 自分でも正気を疑う。でも――。


「皆も道中聞いたでしょう?この森はヒトを惑わす。」

「奴隷商の話を信じるの?」

「ええ。屋敷にいる時に噂を聞いた事があります。概ね一致していました。」

「それで?」

「あの魔獣はこのまま進む方が早いと言っていましたが、森に入って此処まで一日以上かかっています。後どれほど行くのか検討が付きません。それに、仮の主人が死んだのです。私達は今、野良の奴隷状態。よしんば森を出られたとしても、こんな状態で心無い者に拾われればどうなるかわかるでしょう?」

「それは……。」

「……私はあの魔獣に賭けてみたい。」

「その魔獣に、一体何を……?」

「言葉を解す魔獣なんて、ただの魔獣とは思えません。恐らく、神格を持つ者なのでは無いか、と。」

「魔獣の、神格者ですか……?」

「恐らく、ですが。無い話では無いでしょう?」

「……。」

「それで無くとも、彼は話が出来る魔獣に思えました。あの魔獣と共に行動出来れば……。」

「……とても正気とは思えない。」

「正気であろうと無かろうと、元より私達に他の道はありません。森へ入りましょう。」


 アリーは渋々と言った感じで、他の三人は素直に付いてきてくれる。アリーとルーデリアは働く場所が違ったので荷馬車に乗るまで話した事はなかったが、流石の知識奴隷、頭は良いようだ。

 自分でもどうかしていると思うけれど、心無い者に捕まれば今度こそヒトの尊厳を失う仕打ちを受けるだろう。この首輪を付けている限り、私達はヒトでは無いのだから。この森で生活基盤を築ければ、人目に隠れて余生を過ごせるかもしれない。急ごう、彼の痕跡が残っている内に。



◇◇◇◇◇ ◇◇◇◇◇ ◇◇◇◇◇



 私が目に見える痕跡を、エトには臭いを元に白竜の魔獣を追い駆けて貰い早30分。そうまだ30分だと言うのに、私達は光も入らない鬱蒼としたこの森を迷っていた。有ったはずの足跡は突然と消え、臭いも辿れず、自分達の足跡さえ見失う。枝葉が大きく光を遮る所為か、木々の隙間は闇の様相を呈していた。

 この森は異常だ。これが、此処が”迷宮メイズ”と呼ばれる所以なのだろう。まさか、これ程とは……。

 更に30分、早くも森に入った事を後悔し始めた時、猫が私の服の裾をくい、と引いた。何かと視線で問いかけると、代わりにと言うかのようにエトが声を上げた。


「な、なにか居ますっ。」


 エトがおず、と指差した先の藪からがさりと音が発ち、顔を覗かせたのは茶色の毛皮を着た狼。顔だけなら同型の獣人にも思えるが地面に擦り付けんばかりに低い鼻の位置や、細い四肢等から明らかに獣のそれだった。魔獣だ。


「みんなっ私の後ろへ!」


 瞬間溢れた汗を無視して持っていたナイフを魔獣へ突き出す。同時に皆へ支持を出し、背後で一塊になってもらう。武器が短刃のナイフだけでは不十分だが、一匹くらいなら何とか出来る、かもしれない。左腕で後ろを庇うように伸ばし、ナイフを逆手に持ち直して顔の横に構える。先程より幾分か冷静に成れていたので、お父さんに教えてもらった効率的にナイフを繰る為の構えを取れた。ぐるぐると喉を鳴らし威嚇してくる魔獣が弧を描くように私達の周りに歩を進め、背後を取られないように私達もゆっくり移動する。

 暫くの睨み合いの後魔獣の動きが止まり、くっと頭が下がった。


「ユーライカ!」


 エトが声を上げたと同時に、ぐっと肩を捕まれ後ろへ引き倒された。何事かと思う間もなく、状況を理解する。

 先程まで私が居ただろう位置に、茶色い毛皮に覆われた黒く鋭い爪が、瞳が通り過ぎたのだ。私の眼前を間一髪の所で過ぎ去った茶色い毛皮が、地面を蹴ってもう一匹の傍らに構え直す。


「に、二体。」


 理解はしたが、信じたくはなかった。相手の身のこなし方から、二匹相手にするのは無理だと即座に判断して、顔を前に向けたまま反射的に叫ぶ。


「逃げて!」


 敵が増えたのだ、もう無傷では終われないだろう。せめてばらばらに逃げて、被害を最小に抑えなければと思っての行動だったが、理解して居たのか居ないのか、子供らは悲鳴を上げながらも逃げてくれたようだ。エトは獣人だ、逃げ切れるだろう。知識奴隷だったアリーとルーデリアは無理かもしれない。しかし、逃げ切っても他の魔獣に襲われるかもしれないけれど、兎に角、今は逃げ切って欲しい。

 けれど一人だけ、猫が逃げていないのが私の服の裾を握る感覚でわかった。怖くて逃げられなかったのだろうか。今からでも、と思った所で一体の狼魔獣が駆け出し、逃げた子らを追い駆けていってしまったので、止む無く猫は背中に庇い込む。ナイフの切っ先は残った魔獣に向けたままだ。

 でも、このままじゃ身動き取れない。視線は魔獣に向けたまま、肩越しに猫に言う。


「猫、少し離れていなさい。」


 猫は逡巡したようだが、すっと手を離し二三歩後ずさった。

 ばっと魔獣が駆け出した。こう言う、相手が距離を詰めてきた場合は、離れてしまうのは下策。相手の想定する間合いを潰して隙を突くのだとの教えに従い前に出る。あわや接触といった瞬間逆手に握ったナイフを横薙ぎに奮ったが、後ろへ跳ねる事で避けられてしまう。魔獣の想定内だったのかの様に軽い動作に一瞬動揺したが、負けじともう一歩前に出て引いたナイフを斬りつける。だがそれもひらりと躱され、踏み込んだ事で崩した姿勢の隙を突き爪が飛んできた。咄嗟に腕を上げたが避けきれず軽く皮膚を引っかかれてしまった。掠っただけだったようで、本当に薄く傷が付き血が少し滲んだが、私は姿勢を維持できず倒れ込んでしまった。半身に鈍く走る痛みに顔を顰めたが、直ぐに身体を起こして、魔獣に斬りつける。魔獣はそれを大きく後ろへ跳ねる事で躱し体勢を整えていた。

 私も下がって猫を再び庇う姿勢を取る。たったこれだけだと言うのに息は乱れ肩で息をしていた。魔獣はどうも遊んでいるかのようにひたひたと前足を遊ばせ舌舐りをしている。甚振られている……?思わずぎりりと歯が鳴った。


「……?」


 突然魔獣が耳をぴんとそばだて、首をひねって別の方を睨んでいる。気を逸らす為の仕草だろうか、と思っていると途端、ばっと姿勢を下げて臨戦態勢に入った。その姿は終ぞ私には見せなかったものだ。思わず私もそちらへ視線を動かしてしまう。背中で声が聞こえた。



「……くる。」


 私が首を回すより早く少し先で「きゃあっ。」と女性の短い悲鳴と何かを引き裂く音が上がった。恐らくアリーだろう。一瞬で最悪の光景が脳裏を過る。


 途端、突風が起こる。


 思わず目を閉じたがそれも一瞬の事で、瞬き程の時間で開いた視界には、白くて大きな地竜の姿。そこから伸びたしなやかで筋肉質な白い腕の先には、先程まで私達を甚振っていた狼型の魔獣がぶら下がっていた。がりがりと前と後ろの自慢の爪をその白い腕に突き立てていたがそれもまるで効果が無いようで、その内に狼の茶色い毛に覆われたうなじから、何かの骨のような先端がしゅっと伸びる頃には短い断末魔を上げて力なく四肢を垂れていた。


 何が、と一瞬の後理解が追いつく。また、あの白竜に助けられたのだ。ぺたりと地面に腰が落ち、ナイフを握った腕も股の間に垂れていた。


 後から思えば、この時から私は、心を決めていたんだと思う。


 目の前に映る夢物語の様な光景に、確かに何かを見たのだ。


 この後、私の、いえ、私達の人生は大きく変わる事になる。


 これが、私達の生涯の主との、出会いでした。

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